お城と城下町歩き 続日本100名城 続日本100名城・村上城。揚北の雄本庄氏の居城から近世城郭へ 戦国の雄 上杉謙信・景勝を支えた揚北衆。謙信が本拠地とした春日山城(上越)から遠く離れた北越後、南北に長い新潟県の中部を流れる阿賀野川は、古くは揚河と呼ばれ、この揚河より北に流れる荒川、胎内川、加治川を境界として割拠していた豪族たちの総称です。鎌倉御家人の流れをくみ、領主としての独立を貫き通そうとした強者どももやがて上... 2024年2月18日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城日本遺産 埼玉はじまりの地・行田に「のぼうの城」忍城と古墳を訪ねる 北は利根川、南は荒川の支流によって作られた自然堤防やその南西部の湿地帯に残る高地を利用して室町時代に築かれ、関東七名城の一つに数えられた、埼玉県行田市にある浮き城「忍城」。戦国時代、上杉謙信の軍勢を退け、石田三成を大将とする豊臣軍の水攻めに耐えた、要害堅固な城として知られます。続日本100名城に選出された忍城には天守は... 2023年9月12日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 豊臣秀次が築いた商いの城下町・近江八幡の情緒と風土を楽しむ NIKKEIプラス1「1日で散策満喫 魅力的な城下町(平成31年(2019)2月16日)」で2位の近江商人の町としても知られる近江八幡は、豊臣秀吉の甥、豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町。琵琶湖に面して水路を開いて商業都市として発展し、石垣が残る城跡や水運に使われた掘割の八幡堀とともに当時の風情をそのまま残す町。そんな景... 2023年7月31日 hachibe
お城と城下町歩き 日本100名城続日本100名城 「築城の名手」藤堂高虎の粋を集めた三重の二城をめぐる旅 伊賀・伊勢22万石(最終的には32万石)の三重・津藩の藩祖藤堂高虎によって一国一城令のもと豊臣氏の大阪に備えた伊賀上野城、交通の便から藩庁とした平時の津城、どちらも典型的な近世城郭として改修された城郭です。「築城の名手」「石垣づくりの名人」といわれた藤堂高虎が築城の粋を集めて築いた城跡には「高虎流石垣」の高石垣が残って... 2023年7月30日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 栃木・佐野市で上杉謙信も欲した唐沢山城跡と藤原秀郷を偲ぶ 古くは『万葉集』の東歌にも詠まれている詩情あふれる三毳山(みかもやま)、奈良の都からの旧東山道沿いの町として、また藤原秀郷公ゆかりの唐沢山と豊かな自然に恵まれ、厄除け大師で賑わいを見せる歴史と文化の香りの高い栃木県・佐野。かつて戦国時代には唐沢山城が、江戸時代には日光例幣使街道の宿場町として栄えてきた面影が今でも見られ... 2023年7月23日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城小江戸関東の駅百選 本多忠勝が治めた房総の要衝・必勝のまち大多喜城下を歩く 房総半島の南東にある千葉県大多喜は佐倉や関宿」、久留里や佐貫と並ぶ城下町と知られます。房総の小江戸とも言われ、すでに16世紀には在城とも伝えられ、天正10年(1590)徳川四天王の一人本多忠勝が10万石で大多喜城に入城し、それ以後、現在の城下町は形成され宿場町としてもにぎわいました。また渓谷の町として大多喜町には紅葉で... 2023年7月2日 hachibe
お城と城下町歩き 日本100名城続日本100名城 甲斐武田の栄華盛衰を見届けた2城・要害山城・躑躅ヶ崎館を巡る 武田信玄といえば甲府、甲府といえば武田信玄というくらい、山梨県民にとって戦国武将・武田信玄は特別な存在。武田神社の祭神となり、今も多くの参拝者が訪れています。武田神社は武田信虎、信玄、勝頼の3代が暮らした躑躅ヶ崎館の跡。そしてその背後には、武田信虎が築城し、信玄、勝頼と、甲斐武田家が3代にわたって居城とした要害山城があ... 2022年12月11日 hachibe
お城と城下町歩き 日本100名城続日本100名城 小田原城登城!北条早雲から始まる戦国一の城郭都市小田原へ 箱根の玄関口・小田原は関東地方の南西端に位置し、足柄平野を中心に南は相模湾に面し、湾を囲うように南側に伊豆半島、東側には湘南海岸、さらに奥の三浦半島へと続いています。反対側を向くと丹沢山地から流れ出た酒匂川が足柄平野を南北に流れ、平野の形成に大きく寄与しているのがわかります。そんな小田原の地に“領民のための平和な国造り... 2022年11月21日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 謙信の遺風残る城下町米沢で上杉家ゆかりの史跡をめぐる歴史旅 戦国の英雄、伊達・上杉両家にゆかりの深い、城下町として栄えた山形県・米沢市。鎌倉時代に鎌倉幕府の重臣・大江広元の次男・長井時広が領有したと伝えられ、その後、伊達氏が212年間、上杉氏が272年間治めました。現在に残る城下町の形成は、上杉景勝の重臣直江兼続が築きました。兼続は城下町の拡張整備を行い、家臣団や町人町の屋敷割... 2022年8月21日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 柴田勝家から越前松平氏へ。越前福井で北ノ庄城の変遷を見る 戦国時代、天下統一を目指す織田信長の下、北陸方面軍の司令官として北陸の平定と統治を委ねられた柴田勝家。織田家の重臣として武功を重ね、越前の戦国大名・朝倉氏を一乗谷に滅ぼした後、北の庄(現福井市)に城を築き、国造りに力をいれました。福井市の礎を築いた柴田勝家の足跡を辿りながらとその後の越前松平家の福井城へとタイムスリップ... 2019年8月11日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城日本遺産一之宮 続日本100名城・洲本城も!夏の鱧を求めて神々の島・淡路島へ 神戸から明石海峡大橋を渡ると、瀬戸内海最大の島、淡路島。『古事記』『日本書紀』の冒頭を飾る「国生みの神話」によれば、日本で最初に創造された島とされ、自然と文化が融合し、神々が宿る神秘の島です。戦国時代には水軍の将の本拠地であった続日本100名城に選ばれた洲本城や紀淡海峡、また関西の夏の風物詩といえば「鱧」ということで「... 2018年6月30日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城重要伝統的建造物群保存地区 飛鳥時代に始まる薬草の里「宇陀松山」は大和の小さな城下町 飛鳥時代から「阿騎野」と呼ばれ、宮廷の狩場だった大宇陀。戦国時代「宇陀三将」と称された秋山氏が城を築き、江戸時代初期には、宇陀松山城とその麓に栄えた城下町がありました。宇陀松山地区の始まりであり、以後元元年(1615)に宇陀松山城が壊されると宇陀松山藩や天領時代など歴史のうねりのなかで変遷を繰り返し、城下町は商家町へと... 2014年4月27日 hachibe