お城と城下町歩き 続日本100名城 温泉もグルメも!御館の乱で散った上杉景虎終焉の地・鮫ヶ尾城 上杉謙信が越後国の大名として活躍した戦後時代。鮫ヶ尾城は隣接する信濃からの侵攻に対する重要な拠点の一つであり、川中島合戦を経験しながらも着実に国境付近まで勢力を拡大してきた武田信玄に対して、謙信が拠点とした春日山を他国の軍勢から守る上で重要な役割を果たしました。謙信没後の家督相続争いであり「御館の乱」では敗走する上杉景... 2025年9月24日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城名水百選 清流に心洗われ、水に憩い、水に遊ぶ。水の城下町・郡上八幡 作家司馬遼太郎は『街道をゆく 郡上・白川街道』で「日本で最も美しい山城であり、隠国の城」と称えている郡上八幡城は、「古より、積もる翠の城也と、称へらるるは、さも然(あ)らむ。たたなづく青垣ごもれる城や美し・・・。」と古名を積翠城、郡城、虞城ともいい、郡上八幡市街地の北東にそびえる八幡山(古名牛首山)にあります。山の南側... 2025年8月23日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 山城の“破城の美観”!奥美濃支配の拠点となった美濃金山城跡 美濃の中央に位置し、エメラルド色の木曽川を堀にし、東山道を眼下に見る要衝にある美濃金山城は、美濃統治のための重要な城でした。尾張を統一した織田信長が、美濃を攻略する際にまずこの城をおさえたのもうなずけます。森可成から4代35年にわたって森家が城主を務めたこの城は、慶長5年(1600)森忠政(可成六男)が海津城主として信... 2025年8月23日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城小京都 但馬の小京都・出石の往時を偲び、美しい城下町歩きを楽しむ 古くは『古事記』『日本書紀』に名を留める歴史ある町・出石は、垂仁天皇3年から天日槍(あめのひぼこ)によって開かれたと伝えられる神話ゆかりの地であり、江戸時代には但馬地方最大の城下町として栄え、但馬の中心として数百年の華やかな歴史を刻んできました。町の南を流れる出石川は、かつて三十石級の大きな船が行き来するほど栄えた但馬... 2025年7月23日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 築城の名手・藤堂高虎が築城の粋を集めた三重・津城の石垣めぐり 伊賀・伊勢22万石(最終的には32万石)の三重・津藩の藩祖藤堂高虎によって一国一城令のもと豊臣氏の大阪に備えた伊賀上野城、交通の便から藩庁とした平時の津城、どちらも典型的な近世城郭として改修された城郭です。「築城の名手」「石垣づくりの名人」といわれた藤堂高虎が築城の粋を集めて築いた城跡には「高虎流石垣」の高石垣が残って... 2025年7月21日 hachibe
お城と城下町歩き 日本100名城続日本100名城日本三大平城 原爆で倒壊!三角州に佇む水堀と石垣の復興のシンボル広島城 毛利輝元が築いたとみられる広島城は、昭和に入っても残り国宝に指定されていたものの昭和20年(1945)8月6日の原爆投下により一瞬にして倒壊。表御門跡や中御門跡に残る赤黒い石垣は、被爆時の火災により変色したものです。現在の天守閣は、昭和32年(1957)の広島復興大博覧会に際して復元が決定され、翌昭和33年(1958)... 2025年7月20日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城路面電車 加賀百万石の分家が治めた越中の要衝。前田利長ゆかりの富山城 富山城は、戦国時代に織田信長の家臣・佐々成政が居城にしましたが、豊臣秀吉に敗れ、城は破却。その後、加賀前田家初代当主前田利家の長男、利長の隠居城となり、城を改修しましたが、慶長14年(1609)焼失し、利長は高岡城へと移ります。寛永16年(1639)加賀藩3代藩主前田利常の次男・利次に10万石で分藩により富山藩ができ、... 2025年5月12日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 伝説と足跡が交錯する天下人の基礎を築いた出世城“浜松城” 徳川家康が岡崎から浜松へ本拠地を移したのは元亀元年(1570)、29歳の時。以降、駿府に移った天正14年(1586)、45歳までの17年間をこの地で過ごしました。この間、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いなどの数々の合戦で名だたる武将としのぎを削り合い、三河、遠江、駿河に甲斐、信濃を加えた5ヵ国... 2025年3月23日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 “高天神城を制する者は遠江を制する”徳川と武田の遠江争奪戦 いよいよ戦国時代の戦いで心揺さぶられる「高天神城の戦い」の舞台へと向かいます。 高天神城は、掛川市の中央に位置する小笠山から南東に伸びる尾根の先端、標高132mの鶴翁山を中心に造られた山城です。東側の田園地帯から南側の遠州灘まで見渡すことができ、小笠山の北を通る東海道を牽制できる立地条件にある重要な城であったため、徳川... 2025年3月23日 hachibe
お城と城下町歩き 日本100名城続日本100名城 掛川三城で徳川・武田・今川の攻防を体感する“どうする家康”旅 戦国時代、掛川の地では城の争奪戦がたびたび起こりました。永禄3年(1560)の桶狭間の戦い以降、今川氏と徳川家康の掛川城の奪い合いがその一つ。また今川氏の没落以降、旧今川領は三河の徳川氏と甲斐の武田氏により分割され、やがて両者は遠江の領有権をめぐって火花を散らすことになりました。掛川城の南8kmほどに位置する市内の高天... 2025年3月22日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 明智光秀の善政を偲び、名君として思慕される町、丹波・福知山城 京都市街から北西に約80km、丹波山地の盆地に広がる福知山。天正3年(1575)に織田信長から丹波国の平定を命じられ、、この地に現在へとつながる町の基礎を築いたのが明智光秀です。高台にそびえ、遠くからでも目に付く福知山城は、天正7年(1579)、丹波亀山城に続き、丹波における西国攻略の第2の拠点として築かれました。治水... 2025年3月21日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 野面積みの石垣が美しい知られざる南伊勢随一の名城・田丸城 田丸城跡は、田辺丘陵の南、標高約60m前後に立地し、城域約166000㎡に達する平山城です。歴史的には南北朝から近世にいたるまで続いた城で、戦国時代、多くの武将たちが居城した南伊勢随一の名城。野面積みの石垣が今も美しく残ります。周辺には伊勢本街道、初瀬街道及び熊野街道が通り、伊勢神宮を抑える戦略的要衝として争奪戦が繰り... 2025年3月15日 hachibe