
トンネルをくぐった先に、武庫川に架かる鉄橋が現れる。遊歩道にしては大型で頑丈どうな造り。かつて列車が走っていたことを実感させられる。兵庫県西宮市と宝塚市をなぞる約5kmの遊歩道は、武庫川渓谷沿いの道を歩き、6つのトンネルを抜ける風光明媚なルートが人気の旧福知山線廃線敷。高低差もきつくなく誰でも楽しめるコースで、大阪駅から鉄道で30分という近さながら、列車を降りれば、別世界が待っています。
福知山線は明治32年(1899)に大阪と山陰地域を結ぶ路線として開通し、その後、複線電化に伴うルート変更から、昭和61年(1986)に生瀬~道場間は新線に切り替えられ、87年間に及ぶ旧国鉄福知山線は廃線になりました。その中で生瀬~武田尾間は長らく立ち入りが禁止されていましたが、平成28年(2016)11月に橋梁やトンネル内などの安全対策が完了し、利用者の自己責任を原則に一般に開放され、今ではハイキングコースになっています。大きな看板も駐車場もなく、案内板なども少ないので、生瀬駅や西宮観光協会ホームページであらかじめ「廃線敷マップ」を入手して歩きます。
このコースの特徴は6つのトンネルと、3つの橋など、古い枕木とともに数多くの鉄道遺構が残っていることで、全長4.7kmのルート各所で往時の面影を辿ることができます。6ヵ所のトンネルは照明がなく、ライトを頼りに進む探検気分が味わえますので、懐中電灯は必携です。
JR生瀬駅で電車を降りる。駅に廃線マップが貼られた案内看板があるのでよく確認してまずは右手に進んでいきます。
駅から車の通行量が多い国道176号沿いを北西(左)に15分ほど歩きます。途中歩行者用トンネルに入り、道なりに進み、中国自動車の高架を過ぎたあたりに横断歩道があるので渡りますが、通行料が多いので注意して横断します。
案内板に沿って進み、仮設トイレの見える方向に右へ降りていくと、軽車両の進入を防ぐ小さな冊のある福知山線廃線敷ゲートに到着します。武庫川は丹波篠山盆地に源を発し、西宮の東端を流れ大阪湾に注ぐ延長65kmの河川です。天平3年(731)に書かれたと伝わる住吉大社神代記には、住吉大神をめぐって、猪名川の女神と武庫川の女神が争いとなり、猪名川の女神は、大石を武庫川に投げつけました。今も川にごろごろしている大きな岩は、その名残とのこと。
入口から数分のところで、すぐそばを流れる武庫川の水音だけが轟々と響いています。最初に渡るのが名塩川橋梁で欄干が整備されています。を渡ります。名塩川の源流は赤坂峠付近で名塩和紙を支えてきた川です。名塩川は水上勉の名塩紙漉き職人の物語「名塩川」のモデルです。
スタートから2つめのドンジリ川に架かる姥ヶ懐川橋梁には、かつての石積みの橋脚が残っています。渓流沿いで涼やか。
スタートから400mほどに高座石があります。『有馬郡誌』には、上面7.8間高さ4.5間、ほぼ方形をなせる大岩石にして、およそ13824貫とあります。旱ばつになると、名塩や近郷の百姓たちの雨乞い場のなっていたといいます。其の儀式は動物の生血をこの岩に塗ることで、その汚れを洗い流すために雨が降るというものです。岩の下が龍宮に通じていて乙姫様の遊び場である岩面が汚されると、それを嫌って乙姫様が雨を降らせると信じられていました。
巨岩と急流が織りなすダイナミックな武庫川渓谷を眺めつつ、枕木の感触を靴底に感じながら歩けば、濃密な草木の匂いとともに、向こうに見える古いレンガ造りのトンネル、北山第一トンネル(318m)が現れ、一気に旅感が高まります。トンネルの横と渓谷の間に少し空間がありますが、トンネルができる以前はこの渓谷側に線路があったといいます。北山第一トンネルができたのは大正11年(1922)です。最初のトンネルに入ると、まるで巨大な冷蔵庫に入ったかのようにひんやりするも湿度は高い。トンネル内に照明はなく内部は真っ暗。懐中電灯が必要だと聞いてはいましたが、これほどとは。
涼しげな緑のトンネルを抜け、枕木は残る道をずんずん進みます。武庫川が大きく曲がるところにあるのが十次郎淵です。宝暦11年(1761)夏、名塩村の御坊教行寺本堂再建の建築用材を、丹波から運び出すため武庫川の水流を利用して運んでいましたが、とりわけ大きい良木が淵に沈んで浮上してきません。そこで東山十次郎という老人が川底に入って見事浮上させましたが、自らは不帰の人となったといいます。
北山第二トンネルは長さ413mとルート最長で、しかも出入口付近がカーブしているため、外光がまったく届きません。
足元は枕木やバラスト(砕石)がゴロゴロ転がるデコボコ道を懐中電灯を頼みに慎重に進み、先にうっすらと陽の光が見えたときは、思わずほっと胸をなでおろします。
このあたりから武庫川の流れはさらに激しくなり、ゴツゴツと切り立った岩山とあいまってダイナミックな景観です。鉄冊から川面を覗くと、激しい流れに吸い込まれそうな錯覚に陥ります。旧国鉄福知山線の生瀬、武田尾間のほぼ中間、かつて車窓に見え隠れしていた武庫川の流れが、滝のようになって落ち渦を巻いているところを溝滝と呼び、かつては鮎の名所でした。当時の名所案内『塩渓風土略記』によると「岩四方より押し出して川幅が狭くなる所。」とあります。あたりにベンチがあるので、ひと息つく。
古い枕木が残る道
武庫川の渓谷美に癒されながら進む
3番目の溝滝尾トンネルの手前に古い枕木の山を発見。
3番目の溝滝尾トンネル(150m)を落ち着いてトンネルをよく見ると、上部のアーチ部分がレンガ巻きになり、煤で黒くなっているところもあります。かつて蒸気機関車が走っていた時代の名残だろうか。
壁面に残る避難壕が光の先にぼんやりと浮かび上がる。
トンネルを抜けると、いよいよこのコースのシンボルでフォトジェニックな第二武庫川橋梁が現れます。
長さ76mの第二武庫川鉄橋は、年月を経て赤く錆びた鉄のワーレーントラストの骨組みが周囲の山の緑に色鮮やかに映え、その対比が美しい。正式公開前は、鉄橋の線路部分にフェンスが張られて入れないようになっていたため、端にある鉄板の保線用通路を渡っていたのですが、今は閉鎖されていて残念です。
4番目の長尾山第一トンネル(307m)を過ぎると、目の前の景色が広がり、左手に武庫川を見ながら枕木の残る廃線跡を進みます。トンネル内の枕木は、2004年の水害時に全て流されてしまいました。トンネルの先は展望広場です。
トンネルを抜けてしばらく歩くと、季節ごとに賑わう桜の名所「桜の園・亦楽山荘」や川遊びが楽しめる「親水公園」へと二俣に分かれます。亦楽山荘は、桜博士と呼ばれた笹部新太郎氏が桜の研究のために明治45年(1912)に拓いた演習林の名前で、桜の園とは、宝塚市の里山公園としての名称です。
残りの二つのトンネル、長尾山第二トンネル(147m)と長尾山第三トンネル(91m)は短く、あっという間に4.7kmのハイキングコースのゴールの武田尾公園に到着です。小さな橋を渡ると長尾山第二トンネル。真っすぐに147m延び、向こうに出口が見えています。
このトンネルの内部は、他のトンネルと違って、生瀬側は改修されていますが、武田尾側は全面レンガ積みで残されています。上部のアーチ部分は長手積みで側面はレンガの長辺と短辺を交互に組み合わせたイギリス積みになっています。
長尾山第三トンネルは、明治の開業当時に作られたトンネルは、側壁が石積み、アーチ部分はレンガです。
ゴール近くにある畑熊商店は、武庫川沿いにあるハイカーたちの憩いの食事処。広いテラス席からは武庫川を一望できます。いただけるのは、町では食べれない地元で獲れたジビエや三田牛が味わえます。猪肉丼(赤の他人丼)や猪コロッケ、三田牛のバーベキューも人気です。
5分程で現福知山線が見えてきます。右手の高架上にあるのが武田尾駅で、新線のJR武田尾駅と旧線とは直角に交わっていることがわかります。生瀬駅から武田尾駅まで一般道を含めると約7kmの道程で、高架下をさらに10分ほど歩けば武田尾温泉です。近年では、水上勉の小説『櫻守』の舞台として話題になりましたが、武田尾駅に近い所では、モデルとなった笹部新太郎氏が植えた山桜や里桜を見ることができます。
列車に乗る前に少し足を延ばして武田尾温泉元湯を訪ねます。西宮市と宝塚市の境に位置し、江戸時代初期の寛永18年(1641)に豊臣方の落武者であった武田尾直蔵が薪拾いの際に発見したと伝わる武田尾温泉は、有馬・六甲とともに裏六甲三温泉といわれ、武庫川渓谷に抱かれた秘湯ムード漂う温泉地。地名も彼の姓から来ています。武田尾温泉が世に知られるようになったのは18世紀の中頃です。文献『摂陽奇観』には、「18世紀中頃、名塩村武田尾の温泉は金竜湯と号し、往古より湧出し云々」とあり、温泉は、峡谷の天狗岩と呼ばれる高さ10mの大岩石の下の割れ目より湧き出しています。
明治20年(1887)に創業した同館は、山懐に抱かれた素朴な雰囲気で、温泉はこぢんまりとしながらも、ひなびた温泉情緒に浸かりながら、散策の疲れをゆっくり癒します。
JR武田尾駅から帰ります。