温泉もグルメも!御館の乱で散った上杉景虎終焉の地・鮫ヶ尾城

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上杉謙信が越後国の大名として活躍した戦後時代。鮫ヶ尾城は隣接する信濃からの侵攻に対する重要な拠点の一つであり、川中島合戦を経験しながらも着実に国境付近まで勢力を拡大してきた武田信玄に対して、謙信が拠点とした春日山を他国の軍勢から守る上で重要な役割を果たしました。謙信没後の家督相続争いであり「御館の乱」では敗走する上杉景虎がこの地で自害し、越後を二分する内乱の勝敗が決しました。城内に150mを越える大堀切や往時を偲ばせる土塁、曲輪など戦国時代の山城の遺構を残す鮫ヶ尾城に、越後の戦国史や信越国境の歴史的物語に思いを馳せます。

天正6年(1578)に越後を治めていた上杉謙信が亡くなり、家督争いの戦が勃発。北条氏康の子息三郎景虎と謙信の姉仙洞院の子である景勝の二人の養子の間で起こった越後のお家騒動が天正7年(1579)の「御館の乱」です。鮫ヶ尾城に関する記録はほとんどなく上杉景勝書状での記述がありだけですが、上杉景虎が御館(前関東管領上杉憲政の居館)から敗走中、わずかな手勢で鮫ヶ尾城に寄ったところを景勝方に寝返った城主堀江宗親に攻められ自害した城であることが記されています。

新潟県妙高市の丘陵の先端部分、地元では城山と呼ばれる標高185mに位置する鮫ヶ尾城の築城に関する明確な記録はなく、永正から天正年間に上杉氏による北国街道の防御を兼ねた街道整備の一環として、また武田軍による信越国境への侵略が脅威となり、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わります。遺構が造作された部分で約10万㎡、天険の要害を構成する自然地形まで含めると約25万㎡にも及ぶ越後国内屈指の大規模な山城です。主な遺構には、尾根の主稜線上に並ぶ6ヵ所の大曲輪、6条大規模な堀切や横矢掛けに適した曲輪が並べられ、中心部を取り囲むように100ヶ所を超える切岸が存在します。後世の土地開発によって大きく改変された場所はほとんどなく、当時の遺構がほぼ完全な形で保存されていることから続日本100名城に選定されています。写真の解説板の右奥に小さく台形にの山の頂上が見えますが、それが鮫ヶ尾城跡です。

ふもとから山頂曲輪(本丸跡)に至る登城道(遊歩道)には、山城の北斜面を行く「北登城道」と、山頂につながる尾根筋を行く「南登城道」と「東登城道」の3つがあり、綱張りについても登城道にあわせて城域を「北遺跡群」「南遺跡群」「東遺跡群」の大きく3地区に区分されています。今回は大手登城道である南登城道が野獣と遭遇する可能性が高いとのことで、東登城道から山頂を目指し、北登城道で総合案内所へ下るコースを選択しました。

えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン北新井駅から出発します。駅構内に徒歩用アクセス図斐太歴史の里を歩くのリーフレットが設置されていますので活用してください。

北新井駅から2.9km徒歩で約30分で東登城口道入口に到着します。途中内川を渡る際、樹齢500年を超えるとされる巨木乙吉の大ケヤキに出会えます。

東登城道は緩やかな勾配で長く延びる東側の尾根を行く登山道で、搦手道でした。尾根筋に往来の妨げとなる堀切が多く造られていますが広い曲輪はほとんど造られていません。

斐太遺跡の環濠(集落を外的から守るための空堀)や竪穴が多く見られる矢代山B地区に来ると案内標識があり、右手に進むと宮内池畔を通って斐太歴史の里総合案内所にいくことが出来ます。

緩やかな坂を直進すると約130mに及ぶ竪堀のように長く延びる大堀切5を渡ります。写真右手の小高いところには通称東二ノ丸跡(E145)があります。曲輪名のアルファベットは遺構群の英頭文字、数字はその場所の標高を表しています。

その後切岸や小さな堀切を抜け、通称東一ノ丸跡(E170)に。発掘調査で山城の遺構の下から弥生時代の墳丘墓が発見されています。

堀切6を超えるとすぐに最後の急斜面が現れ、ロープにつかまりながら上れば前方に本丸跡の東屋が見えてきます。

右手からの北登城道との合流地点でもあり、案内標識には南登城道とは書かれていませんが、左へは通称三ノ丸跡(N167)へ行けます。写真奥の標識には左矢印で二ノ丸跡とあります。

通称三ノ丸跡(N167)では焼けて炭化した「おにぎり」が出土しています。

下段にある井戸跡の脇からスロープ状の登り道が付いているため、曲輪に上ったところにあるくぼみが三ノ丸虎口の痕跡であると考えられています。虎口跡の正面には土塁が築かれ、虎口を突破した敵兵を攻撃する鉄砲隊が身を隠すために利用されたと思われます。

井戸跡から少し下ると南登城道の虎口跡(N158)です。現在南登城道は野獣がでるとのことで通行は断念してここで戻ることになります。山城の正面口は(大手)は南側の尾根筋にあり、南登城道は大手道にあたり、山川が形成した谷部から南側の尾根を行く道で、急勾配の尾根筋を中心に左右に屈折しながら進む通路上の遺構が良好に残っています。南遺跡群として曲輪や切岸が、尾根の先端部まで自然地形をほとんど残すことなく造作されています。北遺構群と一体性や連続性があり、その接続部に山城中心部への入口を固める重要な場所に城門が存在したとみられる虎口が確認できます。

正面右手の切岸と同左手の土塁に挟まれた開口部には守りの要となる城門が存在し、内部は枡形になっており、その正面には土塁が存在しています。城内道は土塁の手前で大きくU字形に曲がり、井戸曲輪の方に向かっていきます。

合流地点まで戻り、通称二ノ丸跡(E175)へ。標高175mの地点にあり、本丸跡とは約10mの標高差があります。この曲輪は、周囲の曲輪と接続する城内道が交差する場所であるため、鮫ヶ尾城の中では特に利用度が高い重要な曲輪でした。広く造成された曲輪の中央に多くの柱穴とみられる堀り込みがあることからこの場所には桁行約8.6m、梁間約5.1mの建物が存在していました。寝返った城将堀江宗親が火を放った場所であり、そのため焼けた陶磁器片などが確認されています。

N183曲輪から一段上った通称本丸跡(N185)に到着です。北遺構群は、山頂部周辺を大規模に造作した山城の中心地区。尾根筋に広い曲輪が並べられ、その周囲を比高差の大きい堀切や切岸で取り囲んでいます。

山頂部の最も眺望の優れた場所で、現在東屋も置かれ、標高185mの山頂部からは、北陸新幹線が縦断する高田平野を一望でき、北に日本海、南に信越国境を望む景観からは、鮫ヶ尾城が高田平野の入口を固める軍事的に重要な場所であったことがわかります。また上杉方の拠点城郭であった春日山城が良く見通せます。

本丸跡から北を見下ろせば通称米蔵跡(N182)があります。古くから焼け米を採集することができる場所として有名んあ曲輪です。焼け米の存在は江戸時代には広く知られていて、天保12年(1841)の高田藩士白石林文の日記に仲間二人とともに鮫ヶ尾城跡にハイキングに出かけ、焼け米を拾って持ち帰ったとの記述があります。

米蔵跡を正面に見て右手に下っていけば北登城道となり、総合案内所まで約20分で下れます。北登城道は深い沢を超えて山頂尾根の北斜面を行く登城道。途中までは杉林が広がり、山頂の真下まで近づくと切岸が現れます。擬木階段を用いた整備された登場道なので綱張りに興味がなく、単に山頂を目指す場合はおすすめの道です。

総合案内所まで戻ります。御城印及び続100名城スタンプはここで購入及び押すことができます。

あとは下って駐車場脇の斐田神社に詣でます。鬱蒼とした杉木立に囲まれ、凛とした趣をたたえる斐田神社は、平安時代の初め大同2年(807)創建と伝わり、伊勢神宮と出雲大社の両方の流れをくむ神社で、第60代醍醐天皇時代に編纂された「延喜式(927年)」にも名前が残る古社です。祭神は大国主命、事代主命、建御名方命の三柱で、中風に効く薬を製造し、その格式とともに病気の神様として人々の信仰を集めていました。上杉謙信から厚く信仰され、その後高田藩主となった榊原家も代々参拝したと伝わります。

斐田神社の道路1本東に入ったところに体に疲れを癒してくれる神の宮温泉 かわら亭 景虎の湯があります。アパホテルグループで日帰り入浴料も貸タオル付で1000円です。自慢の温泉は、内湯も露天風呂も巨石を並べて設えた見事な岩風呂に「ナトリウム塩化物泉」と「メタケイ酸」の2種類の湯が楽しめます。メタケイ酸のお湯に入った後は塩化物泉の温泉で仕上げるのが“美人をつくる”おすすめの入浴法です。

日本庭園を望む露天風呂には景虎の湯ナトリウム塩化物泉が使われていて、保温効果があり、入浴後もあたたかさが続きます。殺菌や保湿効果も期待できます。解放感抜群のお風呂で気持ち良くリフレッシュできます。

広々とした内湯に注がれるメタケイ酸のお湯は、“クレンジングの湯”とも呼ばれ、肌の不要な角質を取り除き、新陳代謝を促してハリのある潤い肌にしてくます。トロトロとした湯ざわりにジェットバスも愉しめます。冷鉱泉で加温、pH9.5

旅の締めくくりは、JR北新井駅近くの元祖上越妙高とんこつのオーモリラーメン新井店へ。新潟県はラーメン激戦区、なかでも地域によってタイプの異なる個性的な5つのご当地ラーメンを「新潟五大ラーメン」と呼びます。①新潟あっさり醤油 ②新潟濃厚味噌 ③燕背脂 ④長岡生姜醤油 ⑤三条カレーです。しかし新潟県は南北に広く長い地形でご当地ラーメンはまだまだ多く存在します。そんななかで注目は「上越妙高とんこつラーメン」です。その名の通り、上越エリアで生まれたラーメンで豚の旨味を抽出した濃厚スープが特徴で、その発祥のお店がオーモリラーメンです。黄色い建物に赤のオーモリラーメンの文字がひときわ目をひきます。

基本のとんこつ醤油味ラーメンに味玉をのせて注文。中太の麺にとんこつ醤油のスープがよく絡み、麺、スープ、麺と一気に箸が進み口の中にとんこつの旨味と醤油味が交互に広がります。脂っこさもなくするーと食べられる一杯です。

JR北新井駅から往復約3時間の距離で山城、温泉、グルメと楽しめる旅でした。

 

 

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