2015年4月、「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲く町高岡-人、技、心-」で日本遺産に認定された富山県高岡市。慶長4年(1609)加賀藩2代藩主前田利長によりかつて関野と呼ばれていた地に城を築き、詩経の一節「鳳凰鳴けり、かの高き岡に」から引用して「高岡」と命名し開町しました。廃城後、商工業の町として隆盛を極めた、加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲く町です。また高岡といえば、歌人・大伴家持が越中国守として赴任した際に『万葉集』の編纂を行った地でもあります。そんな高岡駅とお隣射水市の越の潟13kmを結ぶ路面電車・万葉線(高岡軌道線)の名称もこの故事に由来しています。万葉線に平成24年(2012)9月8日「ドラえもん」の生誕100年前を記念して「ドラえもんトラム」が登場しました。ドラえもんの作者である藤子・F・不二雄氏の故郷、魅力あふれる高岡と港町の風情を感じる新湊とを多様に楽しめる万葉線の旅に出かけてみませんか。
富山県西部の高岡市と射水市を走る万葉線は、昭和23年(1948)に高岡駅と伏木港を結ぶ路線が開通したのが始まりで、2002から第三セクターによって万葉線として運営されています。沿線には寺社や古い町並み、富山湾など名所が多く、観光にも便利な路線です。万葉線に登場した「ドラえもんトラム」は、2012年にドラえもんの生誕100年前(ドラえもんは2112年に生まれたネコ型ロボット)を記念して作られました。ドラえもんの作者である藤子・F・不二雄氏が生まれ少年時代を過ごした富山県高岡市と射水市越の潟を結んで走る万葉線の路面電車MLRV1000型にドラえもんをイメージした内装・外装を施したものです。ベースカラーを青にし、ドラえもんの首輪であるリボンを表す赤いラインと黄色の鈴を加え、窓にはキャラクターの線画が描かれています。また正面にもドラえもんが描かれていますし、運転席にはドラえもんがちょこんと座っていますよ。そして乗車口を見てください。ピンク色したあの『どこでもドア』を入口にしているなんて、遊び心満載の素晴らしいデザインですね。
ピンク色のドアから楽しい車内へ導かれると、壁や天井の社内一面に青空が広がり、ドラえもんのキャラクター達がタケコプターで空を元気に飛んでいるイラストが描かれています。吊革も、ドラえもんやドラミちゃんを連想させるデザインになっていたり、座席の下にはドラえもんの大好きなどら焼きが描かれていたりと車内のいたる所に、ドラえもんのひみつ道具が散りばめられていますので探してみてください。
電停のホームにも『どこでもドア』が描かれています。「ドラえもんトラム」は、国内はもちろん、海外からもこの車両目当てに訪れる観光客も多いといいます。しかしながら1台しかないので、運行本数、運行スケジュールを万葉線ホームページできちんと確認してから行って下さい。前日の18時に決定されますよ。
高岡駅を出た万葉線は片原町交差点まで、両側にアーケードのある商店街を通り、右折して大手町や丸の内のある国道156号線に入る。5つ目の電停・広小路までは、道路の両側にぎっしりと軒を連ねている。高岡の歴史やこの町で育まれた文化を感じるための町散策には万葉線の一日乗車券が最高。電車はおよそ15分間隔で走っているので、一本逃してもすぐに次が来るので安心ですし、これならひと区間の乗車も気にならない。旅で高岡を訪れた者には便利なシステムです。
まずは片原町電停で下車します。日本遺産・高岡市で歴史ある町の風情を色濃く残すのが「金屋町」と「山町筋」というう2つの古い町並みです。重要伝統的建造物群保存地区の商人の町「山町筋」や鋳物で栄えた「金屋町」へはこの電停から歩いて行けます。JR高岡駅からでは駅前通りをまっすぐ20分、または万葉線片原町電停から3分ほど歩くと「山町筋」、さらに10分ほどで千保川を渡ると高岡市の400年続く鋳物の街です。
山町筋はかつての北陸街道です。街道に面した北前船の交易などで繁栄した問屋業の商人の町として開かれました。江戸時代は米や綿の集散地として大いに賑わい“加賀藩の台所”として発展した商都高岡の顔です。明治33年(1900)町の6割を焼き尽くした高岡大火以後、町の再建にあたっては耐火性の高い“土蔵造り”を採用。巨万の富を築いていた商人たちが財を注ぎ込んだ優れた防火建築として建てられた重厚な土蔵造りの商家の建物を中心に、明治、大正、昭和初期の古い建築が建ち並びます。平成12年、重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。「菅野家住宅」や「高岡市土蔵造りのまち資料館」ではそうした町家の内部を見学することができます。
重要伝統的建物群保存地になっていて明治時代に建てられ、かつての文房具卸商であった旧谷道家を改修し、古い母屋や蔵を生かしてカフェやクラフト雑貨、氷見の干物・乾物販売など個性溢れる8店舗が営業する複合商業施設「山町ヴァレー」では、観光情報も発信しています。
小馬出町にある「HAN BUN KO(はんぶんこ)」は明治33年の大火で焼け残った貴重な土蔵造りの町家を再利用してギャラリー兼セレクトショップとして平成24年にオープン。作り手と使い手の思いを半分ずつつなげて、新しいものを生み出すという意味での名称です。
高岡御車山祭はユネスコ無形文化遺産に登録された「山・鉾・屋台行事」33件のひとつで、毎年5月1日に早朝より各山町で高岡の金工・漆工等の技を集めて美しく飾り立てられた桃山様式の7基の御車山が町内を曳き廻される高岡關野神社の春季例大祭です。天正16年(1588)豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎える時に使用した御所車を、前田利家が拝領、それを譲り受けた利長公が高岡城築城時にあたり町民に与えたのが祭の始まりとされています。平成27年に高山御車山会館が開館し、通年展示されています。高さ約9m、御所車形式に鉾を立てた造りになっています。御車山は神が降臨する際の目印とする鉾留、祭壇の花を意味する花傘、神が宿る人形など見どころは多いが、なかでも車輪は目を引く。欅材に黒漆を塗り、打ち出し模様の金具を施した美しさにはため息がこぼれる。前田利長より拝領した高岡御車山を持つことから「山町」と呼ばれています。
加賀藩2代藩主・前田利長は、高岡城築城と同時に城下町の整備に着手し、商売を繫盛させ経済を促進させるために、北陸街道が城下の中心を貫くように碁盤目状に町割りをして利長入城後の慶長14年(1609)9月13日に開町し、城下町高岡が誕生しました。金屋町の成り立ちは、その2年後の慶長16年(1611)地場産業を育てようと鋳物に目を付け、砺波郡金屋村から鋳物師と呼ばれる7人の職人を招きこの地に住まわせたのが始まりです。鋳物は鉄や銅など金属を溶かすのに火を使うことから、万一失火して城下が延焼しないように千保川の対岸に無償・無税で5000坪の土地を与えて工房を開かせました。今も千保川沿いに往時の町割りが残る金屋町は、「さまのこ」と呼ばれる昔ながらの千本格子の木造家屋が軒を連ね、銅片の敷き込まれた石畳とともに独特の景観が残ります。金屋町沿いを流れる千保川の鳳凰橋には、黄金の鳳凰像1対が立つ。
三代利常は利長の意を汲み、鋳造産業の奨励もして、城下町であった高岡を商工業の町へと転換しました。ここはその高岡銅器の中心地です。平成24年(2012)には東西140m、南北450mに及んで、鋳物師の町としては全国で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。石畳を挟んで格子のある古い鋳物を扱う店舗や工房が軒を連ね、各所で銅像や茶釜といった鋳物の街らしい品に出会え、職人街の雰囲気を今も楽しめますよ。
千本格子の建屋は間口が狭く、奥行きが深いのが特徴。一見しただけではわかりにくいが、道路側に母屋、中庭を挟んで土蔵、火を扱う作業場は敷地の奥に。これも防火の工夫です。石畳のメーン通りに面した鉄瓶専門店「鉄瓶屋」や上の写真にある江戸時代の終わり万延元年(1860)に銅器など金属工芸品の卸問屋として創業した大寺幸八郎商店で実感できます。建屋は築200年で2006年カフェ「茶房ギャラリーおおてら」を併設する小売店を開業、6代目が考案した細部までこだわったブロンズ干支シリーズが愛らしいデザインで人気が高い。観光客に建物内の公開を始めた。玄関から中に入ると奥へと店はつながり、庭に面して茶室があり、古い町家の風情を感じながらお抹茶で一服できます。
通りを一本入った所には現在では数えるほどしかいない工房を構える鋳物師のお店「鋳物工房 利三郎」があります。明治初期に初代利三郎が始めた鋳物工房。ショップでは手作りの伝統工芸品を販売し、工場では伝統工芸士でもある職人が鋳込みを行う現場で指導してもらいながら箸置きやぐい呑みを鋳造する鋳物体験や製造風景を見学することができます。体験では銅ではなく融点が低いので扱いやすく、ムラができにくいスズを使う。消しゴム大の金属片にバーナーの火を当てると、ゆらゆらと形を失い、銀色に輝く液体に変わる。湯勺と呼ばれる道具で液状化したスズを鋳型に注ぎ、1分も待てばスズは再び固まります。
銅器日本一の高岡を象徴するのが、日本三大仏のひとつに数えられる「高岡大仏」です。高岡駅から徒歩でも10分程度ですがトラムに乗って次の坂下駅で降りると坂の先に大仏が見えます。奈良大仏、鎌倉大仏はよく知られていますが、もうひとつが富山県の高岡市にあったとは驚きです。高岡大仏の始まりは約800年前の承久3年(1221)と伝えられ、かつては木造でしたが過去2回の大仏大火に見舞われ、現在の大仏様は昭和7年(1932)に30年の歳月をかけて再建されました。総高15.85m、座高7.43m、御顔2.27m、重量65tの銅製で、原型、鋳造とも高岡工人の手によるもので380余年の伝統を誇る高岡銅器の技術が生きています。
歌人・与謝野晶子は鎌倉大仏について『鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな』と詠みました。しかし昭和8年(1933)にここを訪れた晶子は、その美男ぶりに「鎌倉の大仏より一段美男子」と感嘆したといい、とても端正な顔立ちをされています。人間に近い写実的な面立ちが特徴で親しみやすく身近に感じられるのが他の大仏にない魅力です。台座内部が回廊になっていて木造時代の仏頭や仏画を見ることができます。(回廊の開放時間は6:00~18:00)
高岡古城公園は、高岡大仏から駐春橋まで徒歩4分、万葉線急患医療センター前電停から本丸橋までなら徒歩3分の距離にあります。詳しくは「加賀前田家を守り抜いた2代前田利長が築いた越中高岡城を巡る」こちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/17622
昼食は急患医療センター前からトラムに乗って志貴野中学校前で下車し、高岡で行列のできるカレーうどんの店「吉宗」に向かいます11時の開店で時間はすでに11:30で行列がやはりできていました。お店の前に並び入口の中に入れれば名前を書いて待合椅子に座って名前を呼ばれるのを待ちます。
看板メニューのカレーうどんは、ダシで割らない秘伝の甘辛カレーで濃厚、粉や塩にこだわった特注中太シコシコ麺、じっくり味付けした鶏肉が三位一体となった特級品。ボリューム満点なのにあっというまに完食です。カレー汁が濃厚でトロリとしているので白ごはんを頼む人もいました。
万葉線の魅力は中心部だけではありません。約13kmの路面電車の旅の後半。六渡寺駅で上下の交換をすると、越ノ潟へ向かう電車はその先の庄川を渡り射水市に入ります。六渡寺が駅なのは、ここから先は鉄道線なのです。万葉線は高岡駅~六渡寺間の7.9kmを路面電車の軌道線として、六渡寺~越ノ潟間の4.9kmを鉄道線として営業しています。新湊地区はかねてより、海外の国との交易、日本海側の物流の拠点として発展してきました。『万葉集』を編纂した大伴家持ゆかりの放生津八幡宮と風情ある港町、昭和5年(1930)に神戸で進水した初代の練習用帆船・海王丸なで、中心部とは違う、万葉線の旅の一面を楽しむことができます。写真は通常のカラーリングのMLRV1000型愛称「アイトラム」です。
万葉線の終点:越ノ潟の一駅手前、海王丸駅には海のテーマパークが点在しています。駅から徒歩10分にあるのが平成25年(2013)1月に恋人の聖地に選定された「海王丸パーク」です。一隻まるごと博物館になっている大型帆船「海王丸」を中心に、広大な敷地には、日本海交流センター」や臨海野鳥園、レストランなどがあり、富山湾から日本海の潮風が渡る憩いの場として、市民に愛されています。
世界で最も美しい湾クラブにも加盟している湾岸にはパークの中心的存在の海の貴婦人と呼ばれる帆船「海王丸」が停泊していて必見です。大型練習帆船として昭和5年(1930)2月14日に進水して以来、60年弱の間に106万海里(地球約50周)を航海してきた海王丸は現役の姿そのままに公開されています。訓練生宿泊室や上甲板の巨大な舵輪、飴色に輝く年季の入った船内が、冒険心をかき立てます。ボランティアによる年10回行われる総帆展帆は見逃せません。
海王丸と圧巻の共演をしているのが、平成24年9月に開通した富山県射水市の富山新港に架かる日本海側最大級の2階式斜張橋である「新湊大橋」。海抜50mで黒部ダムを除く富山県内の建築物の中で最も高い建物です。上層は車道、下層は自転車歩行者道になっていて、上下移動にはエレベーターを利用します。斜張橋の凛とした美しい姿と眼下に広がる日本海、そして澄んだ青空のもとに遠く広がる雄大な立山連峰との見事なコントラストを眺めることができます。
海王丸パークに隣接するのが、飲食店や鮮魚店が数多く入る大型施設「新湊きっときと市場」です。朝獲れの魚が並ぶ鮮魚センターでは昆布締め作りやカニの見抜き体験が人気で、ここでしか食べられない白エビソフトなるものがあります。