お気に入りの器は、いちだって暮らしにぴったり寄り添ってくれます。そんな器に出合うため、茨城・笠間と栃木・益子の「かさましこ」に出かけます。この時期笠間はモンブラン、栗菓子、栗団子、栗釜めし・・・と栗一色に染まります。秋の味覚・栗をいただきながら自分だけの器を探して陶器の里をめぐる自由な旅は、妥協なんかしてたら駄目。器探しの旅はわがままぐらいがちょうどいい。きっと素敵な器に出合えるやきものの里めぐりに出発です。
茨城県の中央部に位置する笠間は、栃木県との県境に横たわる八溝山系の山々に囲まれた陶郷。そしてこの時期笠間は栗の町に変貌します。JR東日「大人の休日倶楽部」CM笠間の小さな秋編では、“吉永小百合さんが小さな旅をしたら小さな秋がたくさん見つかりました。”と、春風萬里荘、笠間稲荷、回廊ギャラリー門、釜めしはらだと巡っています。
北関東道友部ICから2kmにある2021年9月にオープンした道の駅「かさま」からが今回の旅の始まりです。道の駅かさまの駐車場に入ると栗の形をした車止めが目を引く。多目的広場のベンチやフードコートのイスにも栗材が使われ、栗をメインに笠間の魅力を発信しています。なんといっても、茨城県は栗の収穫日本一で、笠間市は県内で1位の収穫量を誇ります。お目当てはフードコート楽栗La Kuriの“楽栗filo”で、平日限定50個、休日でも限定100個と、朝8時半から整理券が配られる一番人気モンブランです。イタリア語で糸を意味するfilo(フィーロ)の名が付くように、極細のモンブラン。口に入れた瞬間に溶け、栗本来の甘味を実感するとのこと。
直売所みどりの風にもこの時期生栗が並びます。ちなみにひとくちに栗といっても、実はたくさんの品種があり、それぞれに収穫の季節、味や風味は異なる。たとえば、丹沢、出雲は早生。大峰、筑波、利平は中生。銀寄、石鎚、岸根は晩生などに分かれます。
笠間焼は、江戸時代中期、信楽の陶工・長右衛門の指導で焼き物を始めたとされることから信楽焼の影響を受け、日曜雑器を焼き続けてきた関東最古の窯場。「特徴のないことが特徴」といわれるが、昔ながらの笠間焼は、どっしりとした器形に糠白釉や柿釉、青釉、黒釉を無造作に流し掛けたつつましい作風が主流。一方で多くの作家がこの地に移り住み、伝統にとらわれない独自のスタイルを開花させていきました。現在の笠間はそんな伝統と革新が支えています。
日本で最も古い歴史を持つ日動画廊の創業者で笠間出身の長谷川仁が、「笠間にアトリエを造りたい」という洋画家の浅井閑右衛門の要望を受け、昭和40年(1965)に「芸術の村」を開村します。その際に移築されたのが、かつて北鎌倉にあった北大路魯山人の旧居、「春風萬里荘」です。そもそもは江戸中期の大庄屋宅だった約300㎡の茅葺きの日本家屋に、魯山人は局所的に自身の趣味を注ぎ込んでいます。馬を飼うスペースを山小屋風の洋間に改装、洋風に変えた厠の横にある大胆なステンドグラスの扉や、自作の陶板を敷きつめた風呂場、年齢を刻んだ欅の木目を見せた「木レンガ」の床、天然石をそのまま組み上げた暖炉、鼻を伸ばす象の棚受けと、堂々とした佇まいの邸宅には、魯山人流の遊び心が随所にうかがえます。
京都の龍安寺を模したという枯山水庭園を眺め、往時に思いを馳せて抹茶で一服はいかがです。
笠間駅から東南へ続く国道355号は、通称やきもの通りと呼ばれるだくあって陶芸店が軒を連ねています。一口に陶芸店といっても、窯元が自作品を販売する店や、陶芸作家から作品を仕入れて販売だけするギャラリーなどいろいろ。製造と販売が直結している笠間では、ほかより比較的安く買い物ができるのも魅力です。
やきもの通りから最初の信号を左折してギャラリーロードへ。こちらはカフェを思わせるしゃれたギャラリーも多い。その一つ笠間芸術の森公園に近いギャラリーロード沿いの「回廊ギャラリー門」へ。数あるショップの中でも独特の雰囲気を持つお店。築250年の古民家の解体で出た古材を使い、蔵をイメージして造られた建物には、ヤマボウシの木々が彩る中庭を挟んで約50mの回廊が設けられ、そこには、作家ごとに驚くほど多種多様な作品が並んでいます。扱うのは笠間の作家を中心に80名ほど。
「特徴のないことが特徴」といわれる笠間焼は、だからこそ古窯とは異なる心地良さで、若い作家を引き寄せてきました。地の厚さ、手触り、質感、釉薬、装飾、色など手法は作家の数だけあり、それを許容する笠間焼の懐の深さうぃ感じさせ、決まり事のない自由な作風を見ているだけで楽しくなります。自然と地続きの心地よい回廊では、色づきやがて落葉する樹々や心地よい風のそよぎ、まばゆい陽光、虫の音など、季節の移ろいを感じつつのんびりと鑑賞し器選びができます。自然光の中で見ることで陶器本来の魅力がわかります。
やきもの通り沿いにあるのが笠間焼窯元共販センター。気取らずに使える日用食器を中心に、地元作家約100人の作品を販売しています。併設のギャラリーでは壷や花瓶など芸術性の高い陶器を展示していて中堅から人気作家まで常時50~60人の作家の作品を幅広く扱っています。
隣には2400坪以上の広い敷地を誇り、笠間で最大級の陶芸教室の桧佐陶工房があります。ろくろを30台揃え、手ひねり、絵付けも大人数でもOK。80坪の広い陶芸展示販売ギャラリーには60名以上の作家の作品を数多く展示・販売しています。お皿やカップから、置物までプレゼントにも最適なお気に入りがみつかるかもしれません。
日本三大稲荷の一つとして名高い「笠間稲荷神社」があり、その庶民的な門前町にやきもの産地が誕生しました。先ずは笠間稲荷神社にご利益を求めてお参りします。五穀豊穣、商売繁盛、開運厄除けなどの神様として知られ、あらゆる殖産興業の神様として古くから崇拝されてきた宇迦之御魂神を祀ります。笠間焼で知られる笠間市の中心部に鎮座し、諸説ありますが京都の伏見稲荷、佐賀の祐徳稲荷と並んで日本三大稲荷のひとつとも言われます。
白雉2年(651)の創建。寛保3年(1743)に笠間城主井上正賢が社殿を拡充し、以来歴代城主の祈願所として栄えました。
石畳の参道から楼門をくぐって境内に入ると真正面に朱塗りの柱と金飾りが美しい立派な拝殿、その奥には、幕末に再建された総ケヤキ造りの本殿が厳かに佇んでいます。生命の根源を司る祭神・宇迦之御魂神に参拝し心の中で願い事をいいつつ柏手を打ちます。
拝殿前には樹齢400年にも及ぶ宝木である藤の木が2株あります。5月の花期には大藤はたわわに咲き誇り、八重の藤は150cmもの花穂を垂らしてぶどうの房のように集合して咲き、種子をつけない珍しい種類です。
この時期は藤の花が咲いていることはなく、藤棚の下には風鈴棚が置かれ、涼し気な音を奏でています。
実はここの本殿裏手に施されている弥勒寺音八と諸貫万五郎が手掛けた「蘭亭曲水の図」や名工と言われた後藤縫之助の「三頭八方睨みの龍」「牡丹唐獅子」など精巧を極めた見事な彫刻が建物周囲に施されいるので必見です。
この場所にはかつてクルミの大木があり、その下に祠を建立したのが神社の始まりとかで、別名を「胡桃下稲荷」ともいい、門前にもクルミを使った名物グルメが点在しています。その中のひとつが、秘伝のタレで煮込んだ油揚げで、煎ったクルミ入りの酢飯を包んだくるみ稲荷寿司を看板にする「二ツ木」です。明治33年(1900)に寿司屋として創業。約40年前に先代がクルミを入れた稲荷寿司を考案し、現在はテイクアウト専門店になっています。
少し厚めで塩梅のいい甘さの稲荷寿司にクルミの食感が合わさり、これまた絶品。次から次へと手が出て、気が付けば7個入り(900円)の1パックをあっという間に平らげてしまいます。
笠間稲荷神社近くの門前町を歩いていると佐伯山の麓、かさま歴史交流館 井筒屋があります。井筒屋は江戸時代の天保年間(1830~43)に旅館として創業。笠間稲荷神社に参拝する稲荷講とともに発展し、木造3階建てで中廊下を持つ大型の旅館として茨城県下では特異な存在でした。母親の実家が笠間だった坂本九が柏木由紀子と笠間稲荷神社で結婚式を挙げた後、披露宴を行ったのも井筒屋でした。平成23年3月11日の東日本大震災により廃業後、明治中期建築の木造三階建ての本館をリノベーションが施され笠間の歴史を伝えています。
大人の休日倶楽部で吉永小百合も美味しいと食していた「味の店 はらだ」は、昭和40年(1965)創業の食事処。しっかりした日本料理の技法を生かしながらの釜飯の評判が高く、秋は季節限定で栗釜めしを提供しています。
茨城県産のこしひかりにかつお節や昆布だしが凝縮されたこだわりのつまった釜めしで、どっさりのせられた地元産栗がいただけます。
国会議事堂、最高裁判所、日本橋などの建材に使われた百年以上の歴史がある稲田石。白く美しい御影石で、経年変化がほとんどないことから好まれました。その採掘場跡は今、SNSで話題の「古代遺跡のような景観」「地図にない湖」が見られる絶景スポット「石切山脈」として注目を集めています。東西約10km、南北約5km、地下1.5kmに及ぶ岩石帯で、平成16年から26年まで採石されていた採掘場跡に雨水や湧水がたまってできたものです。ただの水たまりではなく、水面から最深部までは約30mの深さがあり、山の中に切り立った白い岩肌、深く澄んだ水と古代遺跡のような光景が広がります。
現在は展示場として整備されていて、入場料300円を支払うことで見学可能。場内にある石のアートに囲まれた併設のカフェではプレミアムモンブランがいただけます。
栃木・益子に向かいます。