ゆとりの山歩き 日本百低山日本三大薬師 鯛茶漬けを堪能!米どころ新潟でお米の神様が住む・米山を登る 米山は上越市と柏崎市の境に位置し、民謡の「米山甚句」や「三階節」で知れている一等三角点の秀麗な標高993mの山。その山姿の優雅さで“越後富士”とも呼ばれる霊峰で、文化元年の『日本名山図会に描かれている越後唯一の山です。古来信仰の山として開かれていて、「胞衣山」や「五輪山」とも称され、中越地方の農民、漁民にあがめ、親しま... 2025年6月19日 hachibe
ゆとりの山歩き 大人の休日倶楽部日本三大原生林日本の貴重なコケの森 北八ヶ岳の神秘の世界!森閑の原生林「苔の森」白駒池へ 森の中を歩き、樹木の息吹きを肌で感じ、小鳥や小動物の営みを間近に見る。アウトドアの基本に帰って森を歩いてみます。北八ヶ岳のほぼ中央、標高2127mの麦草峠からは、ここを起点に軽装備で短時間のうちに原生林に覆われた白駒池周辺の苔の森を奥深くまで分け入ることができます。八ヶ岳は標高2899mの赤岳を最高峰とし、日本百名山に... 2025年6月8日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城路面電車 加賀百万石の分家が治めた越中の要衝。前田利長ゆかりの富山城 富山城は、戦国時代に織田信長の家臣・佐々成政が居城にしましたが、豊臣秀吉に敗れ、城は破却。その後、加賀前田家初代当主前田利家の長男、利長の隠居城となり、城を改修しましたが、慶長14年(1609)焼失し、利長は高岡城へと移ります。寛永16年(1639)加賀藩3代藩主前田利常の次男・利次に10万石で分藩により富山藩ができ、... 2025年5月12日 hachibe
お城と城下町歩き 日本100名城日本の歴史公園100選日本のさくら名所100選日本紅葉絶景百選 加賀前田家を守り抜いた2代前田利長が築いた越中高岡城 約400年の歴史がある富山県高岡市を開いたのは、加賀前田家2代当主の前田利長。前田利家とその妻・まつの長男として尾張国に生まれ、父・利家とともに織田信長、豊臣秀吉に仕え戦国時代を駆け抜けた武将の一人です。利家の死後、豊臣政権の五大老の職を継いで豊臣秀吉の補佐役を務めますが、慶長5年(1600)の天下分け目の関ヶ原の戦い... 2025年5月11日 hachibe
神社仏閣ご利益散歩 堂が一直線に建ち並ぶ。富山・高岡山瑞龍寺が語る禅宗伽藍 約400年の歴史がある富山県高岡市を開いたのは、加賀前田家2代当主の前田利長。前田利家とその妻・まつの長男として尾張国に生まれ、父・利家とともに織田信長、豊臣秀吉に仕え戦国時代を駆け抜けた武将の一人です。利家の死後、豊臣政権の五大老の職を継いで豊臣秀吉の補佐役を務めますが、慶長5年(1600)の天下分け目の関ヶ原の戦い... 2025年5月11日 hachibe
日本遺産 僧・徳一が開いた慧日寺をめぐり会津仏教文化の礎の歴史を感じる 今から約1200年前の平安時代初め、南都(奈良)で法相宗を学んだ僧・徳一は、霊峰磐梯山を望む山麓に修行の拠点として慧日寺を開創。寺は繁栄し、会津仏教文化の礎が築かれました。しかしながら、武家社会の伸展と共に寺勢は衰退を始め、中世から近世にかけ戦乱や火災が重なり建物や仏像は焼失・散逸してしまいました。明治2年(1869)... 2025年4月19日 hachibe
お城と城下町歩き 大人の休日倶楽部 往時の風情と歴史が息づく城下町!会津若松で旅情を感じる 幕末の激動の歴史を刻む会津藩の城下町・会津若松市。一人でも二人でもグループでも、何度もリピートしたくなるほど旅を満喫できる町です。古くから城下町として栄え、由緒ある寺社や史跡が点在。名城・「鶴ヶ城」を皮切りに「白虎隊」ゆかりの「飯盛山」と山腹の観音堂「さざえ堂」、さらに「新選組」激闘の地である如来堂、「野口英世」など、... 2025年4月19日 hachibe
あこがれの桜名所 日本100名城日本のさくら名所100選 会津の盛衰を刻んだ歴史舞台。桜の海に浮かぶ白壁と赤瓦の鶴ヶ城 盆地特有の気候からか、会津の冬は長く厳しい。その季節をじっと耐えて咲くからこそ、この地の桜は美しいのかもしれません。会津人の気質にも通じるような、気高さや強さが宿っているようにも感じます。会津若松の桜名所として一番に挙がるのは、やはり鶴ヶ城(会津若松城)でしょう。幕末の戊辰戦争で、籠城戦の舞台になるなど、会津の激動の時... 2025年4月19日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 伝説と足跡が交錯する天下人の基礎を築いた出世城“浜松城” 徳川家康が岡崎から浜松へ本拠地を移したのは元亀元年(1570)、29歳の時。以降、駿府に移った天正14年(1586)、45歳までの17年間をこの地で過ごしました。この間、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いなどの数々の合戦で名だたる武将としのぎを削り合い、三河、遠江、駿河に甲斐、信濃を加えた5ヵ国... 2025年3月23日 hachibe
お城と城下町歩き 続日本100名城 “高天神城を制する者は遠江を制する”徳川と武田の遠江争奪戦 いよいよ戦国時代の戦いで心揺さぶられる「高天神城の戦い」の舞台へと向かいます。 高天神城は、掛川市の中央に位置する小笠山から南東に伸びる尾根の先端、標高132mの鶴翁山を中心に造られた山城です。東側の田園地帯から南側の遠州灘まで見渡すことができ、小笠山の北を通る東海道を牽制できる立地条件にある重要な城であったため、徳川... 2025年3月23日 hachibe
お城と城下町歩き 日本100名城続日本100名城 掛川三城で徳川・武田・今川の攻防を体感する“どうする家康”旅 戦国時代、掛川の地では城の争奪戦がたびたび起こりました。永禄3年(1560)の桶狭間の戦い以降、今川氏と徳川家康の掛川城の奪い合いがその一つ。また今川氏の没落以降、旧今川領は三河の徳川氏と甲斐の武田氏により分割され、やがて両者は遠江の領有権をめぐって火花を散らすことになりました。掛川城の南8kmほどに位置する市内の高天... 2025年3月22日 hachibe
お城と城下町歩き 日本100名城 徳川家康が住んだ街。かつての日本の中心・静岡“駿府”を訪ねる 本州のほぼ中央に位置し、東西に長い静岡県。かつての伊豆国、駿河国、遠江国の3ヵ国にまたがっていて、さまざまな歴史の舞台となってきました。全国の大名がしのぎを削る下克上の時代に生まれた徳川家康。生誕地である三河(岡崎)、人質ながらも英才教育を受けた駿府(静岡)、武田信玄の侵攻に備えて城を築いた遠江(浜松)。そして天下人と... 2025年3月22日 hachibe