「日本三大車窓」の一つ、標高547mにあるJR篠ノ井線姨捨駅からは善光寺平を一望できます。そのうえ「日本夜景遺産」に認定されるほどに夜景が美しいと言われれば俄然興味がわいてきます。そんな姨捨の夜景を観賞する観光列車が、快速「ナイトビュー姨捨」です。金・土曜日を中心に、長野-姨捨駅間を一日一往復していて、滞在時間を加え往復約2時間の濃密な小旅行気分が味わえます。忘れがたい夜景列車の旅はいかがですか。
平安時代には観月の名所として『更級日記』にも和歌が載るほどだった姨捨。明治時代」、いち早く開通した信越線と中央線、その二つを結ぶ路線はいくつか検討されたが、結局冠着山を越えることに決着します。明治33年(1900)に難工事の末に篠ノ井~西条間が開通し、急斜面になっている長野側には桑ノ原信号機とともに姨捨駅もスイッチバックで水平のホームを確保しました。“座ったまま天下の名景を鑑賞できる場所”として評判を呼ぶようになり、北海道根室本線旧線狩勝峠とJR薩肥線矢岳峠とともに「日本三大車窓」の一つと全国でも希少なスイッチバック方式を擁する駅として知られる篠ノ井線姨捨駅が称えられました。
標高551mの冠着山の中腹にある駅からは、遠くに見える山並みと千曲川、そのすぐ下に日本の棚田百選に選ばれた棚田を見下ろせ、そしてひしめく家々が一枚の絵のような善光寺平のパノラマを一望をでき、さらにエキゾチックな木造駅舎も残っています。。
昼間の風景も美しいのですが、夜景となるとその美しさも宝石を散りばめたような絶景です。「月の名近き秋なれや姨捨山に急がん」と謡曲「姨捨」の謳い出しにあるように、千曲市と筑北村にまたがる冠着山の別名が姨捨山で、古来より月の名所としても知られています。はたして輝く月ち素敵な夜景が見られるか、週末の小旅行気分でわくわくしながら長野駅に向かいます。行き先案内表示板に18時ごろ18:48発快速ナイトビュー姨捨の表示が出てきました。通常の時刻表案内にはでていないのでドキドキします。構内で駅弁を購入し2番線に向かいます。
黄昏時の18:30ごろ快速ナイトビュー姨捨が入線してきました。銀色の車体に鮮やかな緑色のグラデーションとRESORT HYBRIDの文字が特徴の2両編成の列車です。篠ノ井線と大糸線を中心に長野-松本-南小谷間を運行する快速「リゾートビューふるさと」と同じHB-E300系車両で、車のハイブリッドと同様にディーゼルエンジンとリチウムイオン蓄電池を組み合わせています。
2両編成の車両は1号車44席、2号車34席+車イススペースの全席指定です。車内の第一印象は窓が大きいことで車窓を楽しむには最高です。二人掛けの回転式リクライニングクロスシートは通路より一段高く設置されていて、座席の間隔も120cmと広く、ゆっくりと足を伸ばしてくつろぐことができます。
列車の先頭と後尾には腰掛けやソファがある展望室があり、自由に利用することができます。先頭では運転士になった気分になれますし、側面の大型の窓からは広い眺望が楽しめます。
各車両には4台ずつ車内モニターが設置されていて運転室からの走行映像が映しだされていて臨場感があります。野生動物が線路に出てこないように警告音(汽笛)を鳴らしながら走っているのですが、驚いた動物の姿が映るときもあるそうです。特にスイッチバックの様子を見ながら車両が後ろ向きに動く時の感覚はなかなか味わえないものですよ。
18時48分、いよいよ日没前の明るさが残るホームを後にして列車は動き出します。北陸新幹線の高架の沿って信越線を走り、9分ほどで篠ノ井駅に着きます。乗客はこの日金曜の夜ということもあり、乗車率は20%ほどで、夜の鉄道旅は大人の特権なのだろうか、中高年のご夫婦や女性の一人旅、青春18きっぷを使っているであろう乗り鉄の大学生二人組と、子供の姿はありません。
鉄道旅の楽しみは、車窓に流れる風景を付け合わせにして食べる駅弁です。その土地ならではの食材や彩り豊かな盛り付けも揺れる座席だからこその味わいであり、至福の時間です。長野駅でのお薦めは、上段の色とりどりの串が飾られたおかずがひときわ目につく「信州美彩膳」です。串に施された5つの色は、善光寺御開帳で前立本尊と本堂の前に建立される回向柱とを結ぶ「善の綱」をイメージしています。緑の串は、あっさり塩味のカツで香ばしいふかふかの衣をまとった「信州ポーク」はミルフィーユ状に重ねられ、心地よい歯触りを演出。黄は「長芋」の天ぷら、赤は醤油麹の風味に閉じ込められた「信州福美鶏」の焼き物です。胡麻味噌の「五平餅」が白を、竜田揚げに仕上げられた醤油豆を絡めた「高野豆腐」は紫といずれも長野県の名産です。そのほkさ、信州の野山を思わせる「こごみ」は胡麻和えで、「西山産はちく竹」は木の芽味噌和えとなって添えられています。下段にはさわやかな酢飯に散りばめられた「信州サーモン」の燻製。信州の清らかな水を利用して生産されているきめ細やかな肉質のブランド魚です。善光寺に思いをはせながら、信州の豊かな食が味わえる長野グルメ満載の駅弁ですよ。
篠ノ井駅から松本へつづく篠ノ井線に入り、南西方向へと高度を上げていきます。千曲川に沿って湾曲して広がる長野盆地は善光寺平と呼ばれ、この西側を縁取るように列車は走り、高度を上げるにつれ、進行方向の左後方に、長野市や千曲市の市街が見下ろせるようになっていきます。車内アナウンスが車窓から見える街の灯りが広がっていくのを教えてくれ、間もなく列車は稲荷山駅の先の桑ノ原信号場と、姨捨駅の手前でスイッチバック運転を2度行い19時22分、終点の姨捨駅に入線しました。列車が停まり、そして折り返していく普通ではありえない運転が面白いですね。特急列車はスイッチバックをせず通過するので普通列車しか味わえません。
姨捨駅は善光寺平に面する山の中腹、標高547mにあり、列車を降りると、ホームからは聖山高原を背に遮るものもなく目の前に無数の光の粒が広がる善光寺平の夜景を一望できます。眼下の盆地は南北に長く、その端に立つと街明かりはずっと先まで見通せます。手前や山際はまばらに、中央から奥は光が圧縮され集まって見え、目を凝らすと一つ一つの光が瞬き、熱を帯びて揺らいでいる。夜が更けゆく中、輝きを増す光の束は壮観の一言です。
ホームのベンチも景色を見られるように線路ではなく景色の方に向いています。群青色に覆われた空の下、遠くの峰々がシルエットになって、オレンジやブルーが入り混ざった長野市街の夜景を取り囲んでいます。ここでは思い思いに夜景にシャッターを切ります。夜景は星空と違って天候にかかわらずほぼ見えるとのこと。特に条件がいいのは雨上りの夜。雨が空気中のチリを洗い流してくれるので光が見やすくなるのだとか。
ホーム下から右手方向には、日本の棚田百選に選ばれた約40ha、15000枚の棚田があります。。今宵は月が雲に隠れてしまい、まったく黒く沈んで見えませんでしたが5月下旬から6月上旬の期間、月夜の夜は斜面に並ぶ水が張られた棚田に月が映り込む「田毎の月」という奇跡のような風景を見られるかもしれません。松尾芭蕉や小林一茶など多くの文人墨客が訪れ、歌句の題材にしました。展望デッキではそんな解説をボランティアガイドの方から聞くことができますよ。
普段は無人駅の姨捨駅は、昭和9年(1934)に建てられた背の高い洋館風建築の駅を平成22年(2010)にリニューアルしたもので往時の様子が偲ばれます。三角形のファサードに壁飾りを持ち、屋根は折り鶴を、窓は亀の甲羅をイメージしたなかなか好感の持てる駅舎です。ホームにはJR東日本の豪華列車「TRAIN SUITE 四季島」のためのラウンジも新設され、待合室もリニューアルされ、改札口から吹き抜ける風も心地よい。
駅構内の待合室では地元醸造所「味噌蔵 たかむら」の味噌を使った味噌汁の無料サービスが振る舞われます。あったかい味噌汁をいただきながら長野駅で購入した駅弁をここで広げてみるのもいいですね。棚田で取れた米を使ったみそや米麹100%の甘酒やみそあんを練り込んだパンも販売されています。
ナイトビュー姨捨の運行日には駅事務室を改造したホールでイベントが19:50ごろから行われます。民話の朗読やバンド演奏が持ち回りで演じられますが、この日は「更級かたりべの会」による民話「ばしょうさんとおばすて山の月」でした。姨捨山伝説は、姥を冠着山に捨てた男性が名月を見て後悔に耐えられずに連れ帰ったという逸話で、「大和物語」や「今昔物語」などにも載っています。
夜景観賞を楽しみ、もてなしに触れた後、20時24分発の長野行きのナイトビュー姨捨に乗り込みます。ほとんどの乗客が往復利用のようです。スイッチバックの後、長野に向けて走りだすと、束の間ですが夜景がよく見えるように室内灯が減光するサービスもあります。車窓からを眺め続ける夜景は本当に名残惜しいものです。
高速鉄道網の発達で国内の夜行列車はほとんど過去のものになりました。寂しさを感じる一方で、乗客を楽しませようと工夫をこらす夜の観光列車が増えているのはうれしいものです。長野旅行で夜、時間があるなら、立ち寄り感覚で参加してみてはいかが。