卯年まいり!うさぎ神社に詣でる大阪・奈良・京都の三都物語

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2023年は「卯年」うさぎ年です。全国にはうさぎにまつまる神社が多く鎮座します。うさぎは多産なことから、縁結びや安産、子宝、無病息災のご利益を願う神社が多いのも特徴です。平成2年(1990)に開始されたJR西日本のキャンペーン大阪、京都、神戸の「三都物語」を大阪、奈良、京都にかえて「うさぎ神社」めぐりに出かけます。

地元の人々から“すみよっさん”の愛称で親しまれる全国約2300社の住吉大社の総本社で摂津国一の宮として崇敬をあつめている「住吉大社」。兎(卯)は、当社の創建が1810年前、神功皇后摂政11年(211)辛卯の卯月の卯日、神功皇后が三韓遠征の凱旋途中、住吉大神の神託によって住吉大神を住吉の地に鎮斎されたことによります。住吉大社ではうさぎが神使とされ、まずは住吉大社一の鳥居・西大鳥居。鳥居の前で軽く会釈して気持ちを引き締めてくぐります。

正面神池に架けられた赤い欄干の神橋(太鼓橋)は「反橋」と称し、この橋を渡るだけで「おはらい」になります。鳥居から社殿に至る参拝の道筋を参道といい、真ん中は神が歩かれるとされているので、端を歩くことをお勧めします。

太鼓橋を渡って左手にある手水舎で身体や心を洗い清めます。覗いてみると口から清めの水が流れ出ている神兎が一柱。身体を丸めて球体にできるだけ近づこうとした玉兎です。

住吉鳥居の特徴は、貫の両端が柱から外に出ないことと、柱が四角であることです。「角鳥居」とも「住吉鳥居」とも呼ばれます。

緑に囲まれた境内には神社建築史上最古の様式のひとつ・住吉造を伝える国宝の四本殿はすべて大阪湾の方角に西面して鎮座する全国でも珍しい配置の建築様式です。住吉大社の御祭神は、伊弉諾尊が黄泉の国で受けたケガレを清めるために海に入って禊祓を行われた際に、海中より出現された住吉大神である「底筒男命(第一本宮)」「中筒男命(第二本宮)」「表筒男命(第三本宮)」、そして当社鎮斎の「神功皇后/息長足姫命(第四本宮)」です。一番奥の第一本宮から詣るのが正しいようです。

最後の第四本宮の手前に平成23年(2011)の卯年元旦に安置された糸魚川産ヒスイの神兎が鎮座しています。手水舎と同様“玉兎”です。「五体を撫でて無病息災を祈願してください」とあり、撫でて撫でて撫でまくります。

本殿近くの授与所には、神兎グッズがあふれているのですが、群れている「うさぎみくじ」は郷土玩具である住吉人形です。

住吉祭で、神輿が渡る先が堺市の「宿院頓宮」です。宿院とは寺社の宿泊所のことで、頓宮は神や帝の仮宮のことを言います。文化13年(1816)、年代不詳ながら大阪・住吉大社の御旅所として創建された神社で、鳥居は柱が四角い住吉鳥居です。

境内公園脇にあるのが飯匙堀。ここの鳥居も住吉鳥居で、堀の形が飯匙に似ていることから名付けられたと言います。海幸山幸神話の彦火火出見尊が海神よりいただいた「潮満珠」「潮干珠」のうち「潮干珠」を埋めた場所と伝わり、雨が降っても一年中、空堀という特徴があります。「潮満珠」は住吉大社の大海神社境内の玉の井に沈められています。

そしてちょうど宿院頓宮と飯匙堀の間にある宿院公園に、神功皇后の神使である神兎が、丘の上で背伸びするように立ち上る白兎を中心に数柱の白兎が集うように丘を登っています。この兎の像は昭和38年(1963)11月、獣医で動物彫刻家の岩田千虎氏の指導のもと、住吉大社のシンボル的動物の兎になぞらえて作られました。

日本遺産・住吉大社とゆかりの社寺を訪ねて大阪“ちん電”旅」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/4152

奈良県桜井市にある大神神社は、『古事記』に創建の由来が記される日本最古の神社といわれている「大和国一の宮」です。車で昭和59年(1984)昭和天皇の御親拝を記念して昭和61年(1986)に建てられた高さ32.2m、柱間23mの大鳥居をくぐります。背後に美しい円錐形の神山であるご神体の「三輪山」を望むことができます。

三輪山は国を開いた大国主神(大国様)が自らの御魂を大物主大神の名で三輪山に留めたということが記紀神話に記されている霊山。48峰といわれる峰々から成り、笠を伏せたような山容が美しく「パワースポット」と称されるよりはるか昔から「神の宿る山」として崇められてきた聖地で、記紀には、御諸山、美和山、三諸岳と記されています。高さ467m、周囲16km、面積350haの三輪山は、春日山系では珍しく斑レイ岩で形成され、山中には巨大な岩が数多く露出していて、これらの岩石群は、山頂付近の奥津磐座、中腹の中津磐座、山麓の辺津磐座というように呼ばれ、それぞれの磐座には大物主神、大己貴神、少彦名神が鎮まるといわれています。二の鳥居からは玉砂利の参道も清々しく、神聖な雰囲気でゆるやかに登っている参道を進みます。

御神体の三輪山は、古くから一木一草にいたるまで斧で伐採することを許されていないそうで、松や杉、ヒノキなどの大樹が生い茂る道は、どこか懐かしくて優しい雰囲気に包まれています。二の鳥居を抜けて祓戸神社で心身を祓い清めていただきます。

参道の左手にあるのが「夫婦岩」。二つの岩が仲良く寄り添っている姿から夫婦岩と呼ばれ、良縁や夫婦和合を願う人々から信仰を集めています。古くは神様が宿り、鎮まる磐座で、室町時代の絵図にも描かれている寄り添う石には大物主大神と美しき人間の女性・活玉依毘売の恋物語があり、「赤い糸をたどると、三輪の社まで続いていた」というロマンチックな伝説が残っているのです。

神社の入口に立つ注連縄は鳥居よりも古い形だといいます。この注連縄は左側が太くて右側が細くなっている「左本右未」、普通の神社とは逆で出雲大社・熊野大社など国津神を祀る神社に多いとのこと。ご神体は古代人が神の坐す山として信仰した背後の三輪山そのもので本殿はなく、拝殿は寛文4年(1664)徳川家綱再建で、唐破風造の大向拝が見事です。周囲の緑と見事に調和した豪華な拝殿から三ツ鳥居を通して山に向かって拝む古代の信仰形態を現在に伝えています。

拝殿に向かって左手、参集殿に向かうと「なで兎」がご鎮座されています。卯は兎にあてられ、この兎は江戸時代より、一の鳥居前の大灯籠の一番上で卯の方向(東)、すなわち三輪山を向いて火袋を守っていたものであり「なで兎」として伝わっています。台座部分に描かれた波文様が美しい。ここでも撫でて撫でてご神徳をいただきます。

大神神社の境内のわきを通って続く薬の神様「狭井神社」への参道は、くすり道ともいわれ、薬業関係者が奉納した多くの薬用植物が育っています。

歩くこと200mで「狭井神社」に到着する。大神荒魂神を祭神とする大神神社の摂社で、三輪山の麓に檜皮葺きの美しい拝殿が立っています。鬱蒼と苔と草に覆われた厳かな雰囲気があります。三輪山に坐す「和魂」に対して「荒魂」を祀っています。延喜式神明帳に記される古社で、華鎮社とも称され、疫病を鎮める神として信仰されています。社名の「狭井」とは、神聖な井戸・泉・水源の意味で、社名の由来ともなった三輪山を水源とする神水の湧きでる「薬井戸」がある社寺として有名です

ここから大和国中を一望する絶景の檜原台地に松林の中の美しい神社「原神社」を目指して20分山辺の道を少しを歩きます。奈良盆地の東端、三輪山、龍王山、高円山から春日山までおだやかな山並みが連なる山裾を南北に縫うようにして走る日本最古の道が「山辺の道」です。途中「大美和の社展望台」から大和盆地を一望。大和三山から金剛山、葛城山まで見渡せる。

原神社」がある。大神神社の摂社のひとつで祭神は天照大御神。宮殿に祭っていた天照大神の神霊を崇神天皇が豊鍬入姫命に託して祭ったといわれる笠縫邑伝承地(伊勢神宮に遷される前に一時鎮座した地)、すなわち元伊勢と呼ばれます。大神神社と同じく明神型の鳥居3つを一つに組み合わせ「古来一社の神秘なり」と伝えられる独特の形をした三ッ鳥居があるだけで社殿はありません。その理由は三輪山の中にある磐座を御神体としているためで、自然崇拝の原始信仰の雰囲気を色濃く残しています。

神社の境内はキリッとした空気が流れ、自然と背筋が伸びるのを感じる程、他の神社よりも別格の神々しさを感じる空間です。この鳥居から真東をたどると伊勢の斎宮跡、真西は淡路島の伊勢の森に至るとか。境内から鳥居越しに西を見れば、大和平野が一望でき、大注連縄ごしの二上山の眺めがすばらしい。ここには今も古代の風が吹いているようです。なら

三輪といえば三輪素麺発祥の地。奈良時代の飢饉の際、三輪の神の教えで作られたと伝わり、万葉の昔、大宮人が宮廷において保存食として重宝し、御供や引き出物として広く用いられていたといい、江戸時代にお伊勢参りの宿場の名物として全国に広がりました。特徴は2日間かけて作る細さと強いコシ。そうめんというと「冷やしそうめん」が一般的ですが、この辺りでは晩秋から冬にかけて温かく煮たそうめん「にゅうめん」が作られます。檜原神社鳥居前に店を構える「檜原御休処」であったかいそうめん「にゅうめんセット1300円」をいただいて一息ついてから戻ることにします。。

あっさりダシのあったかいにうめんと菜の花和えの小鉢、大和野菜の酢のもの、高野豆腐に季節のごはんが付きます。

山辺の道はここから10km先の大神神社と並ぶ古社・石上神宮(天理市)を経て奈良に至るまで続きますが。今回1km余を歩いてみると、狭井川のせせらぎあり、樹林に覆われた古墳、柿やみかんの畑など、どこか懐かしいのどかな風景が広がっていました。

詳しい「古代ロマン薫る大和の歴史を刻んだ最古の官道・山辺の道/前編」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/4280

京都の平安神宮近くの岡崎エリア、丸太町通り沿いにひっそりと佇む「東天王岡崎神社」。平安京遷都の際に王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、東(卯の方位)に鎮座することから東天王と称されました。京都の有名な神社とは違い、外観からはなんの変哲もないこじんまりととした神社です。

しかしながら境内には、狛犬でなく狛うさぎや招きうさぎ、提灯、障子、絵馬、おみくじなど様々なところにうさぎの姿が見られるうさぎづくしの可愛い光景で人気の「うさぎ神社」なのです。大きな絵馬も当然“うさぎ”です。

御祭神の素戔嗚尊と奇稲田媛命の夫婦神には三女五男の御子神がおり、また往時、境内地域一帯は野うさぎの生息地だったといい、うさぎは多産であることから、岡崎神社ではうさぎは祭神のお使いとして信仰されています。参道にはうさぎの紋の提灯が下がります。

境内の手水舎には黒御影石でできた子授けうさぎ像があります。月を仰ぎ体に力を満たしたうさぎで、水を掛けてお腹を擦り祈願すると子宝に恵まれ安産になると信仰を集めています。

桓武天皇、延暦13年(794)長岡京よりの平安遷都の際に、王城鎮護のため平安京の四方に建てられた神社のひとつで、陽のいずる都の東(卯の方位)に鎮座することから東天王と称しました。清和天王貞観11年(869)勅命により社殿を造営し、速素戔嗚尊、奇稲田媛命等を祀ります。

本殿前に左右に安置されているのは狛犬ならぬ狛うさぎです。本殿に向かって右側が、口を開いた「阿形」のオスうさぎで、左側が「吽形」のメスうさぎです。丸くてつぶらな赤い瞳、しなった耳、ふっくらとした頬と可愛らしさ満点、それぞれの頭を撫でることで縁結びや夫婦和合の御利益があるとのこと。

本殿の左右には2体のうさぎ像が鎮座。向かって右が左手を上げる「縁結び招き猫」で、左が右手を上げる「金運招き猫」です。

本殿の向かいには可愛らしい手のひらサイズのうさぎの行列が。白とピンクの2色のうさぎが微笑みながらちょこんと座っている様子はうさぎ好きにはたまりません。これらは、岡崎神社名物のうさぎみくじの容器で、うさぎの体内にあったおみくじを引いた参拝者がここに奉納することで無数のミニうさぎが赤色の欄干に並ぶインスタ映えする光景が広がっています。

ひとつひとつのうさぎの表情が微妙に異なるうさぎみくじ。願いを込めてお気に入りの一体を選んでみます。そして最後にうさぎの飛躍のように人生の飛躍を願って「飛躍守(ぴょん守)を買うことにします。

実は岡崎神社から徒歩で15分程、永観堂や南禅寺方向に行ったところに映画『きのう何食べた?』のロケに使われた「日の出うどん」があります。一軒屋の雰囲気のある外観で創業は、昭和32年(1957)の名物カレーうどんが名物のお店です。

店内は、テーブル席など合わせて40隻程度、店の壁にはメニューがズラリ。きつねうどんや天ぷらうどんなどのオーソドックスなものから、あんかけうどん、なべ焼きうどん、丼ものまでが並びます。

ロケで使われた席には、映画の一場面の写真が貼られ、運が良ければ、シロさんとケンジが使った席にすわれるかもしれません。映画ではケンジが「鳥入カレーうどん」、シロさんが「きざみわかめカレーうどん」を注文していました。

鳥入カレーうどんのスープはあんかけのようなとろみがあり、鰹出汁がしっかりときいていて、少し柔らかめのモチっとした麺にカレースープがたっぷりと絡んできます。まさしく京風うどんの特徴がしっかりでています。一杯食べれば、お腹もいっぱい、体はポカポカになるカレーうどんです。紙エプロンが出てくるので安心してうどんがすすれます。

 

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