雄大な日本海のパノラマを眺めながら、羽越本線を快走する「きらきらうえつ」。和風ラウンジでお茶や和菓子を楽しむこともできる、快適な乗り心地と楽しい工夫が満載のリゾート列車です。きらきら星のオルゴールと軽快な汽笛を鳴らし、“四季折々の自然の輝き”をイメージしたカラフルなボディの「きらきらうえつ」が、いよいよ今年2019年9月29日を持って18年間の定期運行にピリオドをうちます。ラストラン「きらきらうえつ」で、絶景、味覚、文化、歴史など、さまざまな「きらきら」と出合う旅に出かけます。
「きらきらうえつ」は、羽越本線(白新線)に村上、あつみ温泉、鶴岡、酒田を訪れる観光客に楽しんでいただくため、着地型のジョイフルトレインとして登場しました。雪解けに心弾ませる春、笹川流れが青く輝く夏、金色の夕日が時を忘れさせる秋、日本海に波の花が舞う冬と新潟・庄内のきらきらした魅力があふれる景色の中を2001年11月のデビューから日本海の美しさとともに「乗って満喫♪降りて満足♪」のキャッチコピーで走り続けてきました。
そんな「きらきらうえつ」のラストランに是非乗ってみたいと今年の青春18きっぷの利用メインイベントとしてでかけたのです。5:13長野駅発飯山線越後川口行きに乗り込み越後川口駅で信越本線に乗換長岡駅へ。きらきらうえつ10:11新潟発に乗るため、長岡駅から上越新幹線ときで二駅目の新潟駅、9:56に到着です。
車両は485系の特急形電車を改造した4両編成です。本来ヘッドマークはないのですがラストランということで4月~9月の間前後車両に職員のデザインしたヘッドマークが月替わりで装着されています。8月のヘッドマークは、酒田方面が夕日のデザイン、
新潟方面が鳥海山と花火ときらきらうえつのデザインとなっています。
1号車の最前部と4号車の最後部には簡易展望スペースがあり、レストバーに腰を預け、運転席の様子や窓いっぱいに広がる日本海沿線の迫力ある風景が楽しめます。
客室のシートは、リクライニング式を採用し、席と席の間はグリーン車なみのゆとりを確保しています。また車両内部は通常よりも天井と床が高く、窓も大型タイプになっていて、ゆったりとくつろぎながら、日本海の雄大なパノラマを思う存分楽しむことができます。酒田方面行きの場合1号車が先頭車両となり車両左側A座席窓側が海側になります。また新潟行きは4号車が先頭になりますがこちらもA席窓側が海側になります。
2号車はラウンジカーで、「茶屋(売店)とラウンジスペース」が設けられていています。
茶屋で購入した方だけが最初に終了時間を記したカードが渡され、約40分間純和風で落ち着いた雰囲気を醸し出す和風ラウンジが利用できます。赤と黒のコントラストがおしゃれで、窓はひときわ大きく、また一段と高くなったボックスシートは、日本海側に座席を配置し、美しい景色を眺めながら、ゆったりとくつろいだ旅が楽しめます。
茶屋では沿線の地酒やきらきらうえつの乗務員のアイデアが詰まった「きらきら弁当」などが販売されています。
右側には新潟産コシヒカリを上下段ともに敷き詰め、上段には新潟和牛牛牛蒡を、下段には自家製鯛めしにいくらを散らしています。左側のおかずには鮭の焼漬、厚焼き玉子、豚角煮、佐渡産一夜干しイカ、田舎巻き等がちりばめられています。
一部に「きらきら情報コーナー」があり、きらきらプロジェクションマッピングで沿線の観光ポイントや映像を楽しむことができます。
10:11に新潟駅を出発した「きらきらうえつ」は、白新線で豊栄、新発田と停車し、新発田から羽越本線に入り、村上までは田園地帯を行きます。村上駅を通過すると村上市を流れる「三面川」を渡ります。古くは瀬波川といい、鮭の遡上で知られています。ここから海沿いを走り、絶え間なく海に吹き付ける季節風が作り出す荒波に目を奪われます。
三面川を渡って小さなトンネルをいくつか抜けるときらきら輝く日本海がから車窓に現れます。列車は海際を走り、次の桑川駅は、日本百景にも選定されている県下有数の海岸景勝地「笹川流れ」の最寄り駅です。「道の駅 笹川流れ」が併設されていて国道345号(日本海夕日ライン)とJR羽越本線が海岸に平行して走っています。桑川駅から勝木駅まで海と奇岩、白砂の浜がつくり出す名勝「笹川流れ」の絶景が続きます。
笹川流れは鳥越山から狐崎までの全長11kmをさし、その間に海中に突き出した無数の奇岩、絶壁、洞穴が連続して現れ、波が岩を洗うのが見えます。この日はマリンダイヤでの運行でしたので桑川駅で15分の停車時間があり、また桑川駅~今川駅間をゆっくりと日本海を眺められるように速度を落として運転してくれます。写真は、宮城・松島、秋田・男鹿の美観を併せもつとされる笹川流れの中心にある眼鏡岩海岸。花崗岩が荒波に削られ眼鏡のような形に変化したことからこの名前がついています。
勝木駅、鼠ヶ関駅、あつみ温泉駅と停車していきます。温海川を少し内陸に入ったほとりに湧く「あつみ温泉」は開湯1000年以上の古湯です。
特急「いなほ」のショッキングピンクの車体が鮮やかです。
海が視界からされば、今度は山。鶴岡駅近辺から大きな車窓に鳥海山の姿を望めば、酒田も間近です。鶴岡駅、余目駅と停車し13:14に終点・酒田駅に到着です。折り返しの新潟行き「きらきらうえつ」は酒田駅16:10発なので、それまでの約3時間を酒田の町を散策することにします。酒田駅で無料のレンタル自転車を借りていざ出発です。
北に鳥海山、南に月山を望み、雄大な庄内平野の中央を流れる最上川の河口に開かれた街、酒田。文治5年(1189)源頼朝の武力が奥州に及んで、三代百年の栄華を誇った平泉藤原氏が没落、藤原秀衛の妹・徳の前(徳尼公)が秋田から羽黒山の麓の立谷沢に移り、その後酒田に落ち延び、最上川南岸の袖の浦に尼庵(泉流庵)を結びました。その際付き従った遺臣36人の勤仕のもと生涯を過ごしたとされます。徳尼公没後、36人の遺臣は袖の浦で船問屋を営み、彼らの子孫がのちに「酒田三十六人衆」と呼ばれる大商人となり、自治組織を担ったといいます。江戸時代1672年、河村瑞賢により西廻り航路が整ったのをきっかけに、北前船交易により寄港地、湊町、商人のまちとして飛躍的に栄え、日本遺産に認定されています。
そんな北前船の歴史を引き継ぐ施設ともいえる酒田の一番人気観光スポットが、ケヤキ並木が彩る酒田のシンボル「山居倉庫」です。明治26年(1893)に旧藩主酒井家によって建てられた山居倉庫は、江戸時代に米の積み出しで栄えた庄内で今も現役の米穀保管庫です。大正時代には、倉庫の前の船着場は、最上川の支流新井田川で、舟運の重要な拠点になっていました。NHK『おしん』のロケ地でもあります。新井田川にかかる「新内橋」のたもとに着くと、左右にのこぎりの歯のような屋根が連なる黒い倉庫が見えます。
全12棟のうち3棟をみやげ店やレストラン、資料館として利用されているこの倉庫は、室内の風通しをよくし、温度があがらないようにするために二重屋根になっているのが特徴です。
しかしながら今では、歴史的遺産よりも倉庫西側の欅並木のほうに人気があります。この並木は、本来強風や倉庫にかかる西日を防ぎ、冬の強い風から日光から蔵を守るために植えられたもので、倉庫の黒壁に映る木漏れ日が美しい。JR東日本「大人の休日倶楽部」舞妓篇で吉永小百合さんが歩いてポスターになった場所です。“旅先の歴史を知るいちばんの近道は、寄り道かもしれませんね”と吉永さんが歩いています。CMでは「相馬楼」で酒田甚句“ほんまに酒田はよい湊、繁盛じゃおまへんか”とのシーンにあわせて『荘内なのに京ことば、その謎をどうしても知りたくなりました、考えぬいて。』と流れています。
酒田市内には、豪商たちのお店や邸宅だけでなく、商人たちが商談し、豪遊した料亭が残ります。そに歴史と伝統からも、往時の商人文化がうかがえなす。まずは「舞娘」にあうべく「相馬楼」へ。
昔のガス灯を彷彿とさせるレトロな街灯が立つ、石畳の小路。ひときわ目を引くのが、江戸時代に賑わった料亭「相馬屋」を修復して平成12年、舞妓茶屋として開樓した建物「舞妓茶屋 相馬楼」の紅花色の塀と趣のある茅葺きの門です。現在残る建物は、明治27年(1894)の庄内地震で焼失した後、残った土蔵を取り囲んで建てられたもの。
酒田は江戸時代から「北前船」の寄港地として繁栄し、「西の堺、東の酒田」と謳われてきました。船を下りた船乗りが羽を伸ばす遊所も3ヵ所あり、中でも今町(現在の日吉町付近)は格式を誇り、豪商や豪農、船主などが商談や接待に使う高級料亭が並んでいました宴席に花を添えるのが、踊りや歌、三味線など、大正から昭和初期にかけての最盛期には、芸妓は100人を超えていました。舞妓の笑顔に見送られて、相馬楼をあとに、歩いて1~2分の山王くらぶへ向かう。
「山王くらぶ」は、明治28年(1895)に開業した料亭「宇八樓」という竹久夢二も逗留した酒田を代表する規模と格式をもった元料亭。いくつかの経緯を経て平成20年(2008)に酒田市の歴史や文化を伝える山王くらぶとして開館しました。本市で一、二を誇った老舗料亭にふさわしく、各部屋の組子建具、床の間などの銘木をふんだんに使い部屋ごとに手の込んだ意匠が施され、北前の笑顔船がもたらした往時の繁栄と富を実感できる豪壮な建物です。
また日本三大つるし飾り(柳川のさげもん・稲取のつるし飾り)のひとつである酒田傘福を常設展示しています。特に2階にある「傘福の間」はその名の通り、これでもかといわんばかりに多くの傘福が吊るされていて、圧倒されます。酒田傘福は、家族の健康や商売繁盛、豊漁などの願いを込め、天蓋幕を張った番傘に、着物の端切れなどで作った農作物や魚、動植物などを吊るして、色とりどりに飾ったものです。
天井から吊るされた鮮やかな傘福。飾り1つ1つにさまざまな意味や願いが込められています。
ここから日和山公園にある日枝神社に向かう石畳の道は、映画『おくりびと』の主人公小林大吾(本木雅弘)が生まれた石畳の町並みです。
駅に戻る途中に立ち寄ったのが浄土真宗の古刹「浄福寺」です。後に歌で「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とうたわれるまでになった酒田の豪商、本間家。その三代当主光丘は本間家中興の士祖として知られます。その本間光丘が、寛政12年(1800)に寄進したのが、浄福寺 唐門です。京都の東本願寺大谷祖廟を模して、「四脚向唐門」という建築様式の総ケヤキ造の流麗な門です。
京都や近江の大工を呼び寄せて造らせた透かし彫りのある門扉、獅子や象などの繊細な彫り物などは、目を見張るばかりの流麗さです。
新潟行きのきらきらうえつの出発時間がきたので酒田駅に戻りいざ新潟へGO!
新潟駅到着後は信越本線で5つ目の駅、SLばんえつ物語の発着駅の新津駅に向かいます。
ここから駅前の商店街を抜け、歩いて15分ほどの住宅地の中にあるのが「新津温泉」です。
外観が工事現場の事務所のような建物があり、半信半疑で近づくと「新津温泉」の文字が書かれた看板が掲げられています。玄関で靴を脱ぎ事務所のような部屋にいる管理人さんに入浴料400円を払い、湯治場のような薄暗い廊下を歩いた先に浴場があります。
恐る恐る浴室に入ると、プーンと強烈な匂い、「石油の匂いだ!」とすぐに分かる匂いがしてきます。新津は石油の町として知られ、20世紀初頭には石油ラッシュでにぎわったところです。新津温泉も石油を採掘しようとしたところ温泉がでたというところです。浴槽に身を浸すと、ぬるめの湯は石油臭に反して柔らかで肌にまとわりつくようなで肌触り、泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉と塩味と苦みがあります。5~6人も入ればいっぱいになる浴槽ですが、ひっきりなしに客が入ってきます。とにかくこんな石油臭のある温泉は初めての体験です。
今度はこの新津駅からSLばんえつ物語に乗って会津若松を目指したいものです。