仙台の奥座敷に遊ぶ!名湯香る秋保・作並、緑滴る磊々峡・宮城峡

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山形と仙台を結ぶ国道48号(宮城側が作並街道)沿いには、奇岩が続く峡谷や滝、谷底に湧く秘湯、緑に埋もれた清流と、伊達62万石の城下町であり、東北の経済の中心として知られる仙台からさほど離れていない場所に、まだ見たことのない場所があります。知っているようで知らない仙台の奥座敷と呼ばれる作並・秋保へ癒しを求めてでかけます。

仙台市域における山形県との県境のほど近く、奥羽山脈の東縁から始まる広瀬川とその支流である新川の合流部付近の河岸段丘上に広がる作並地区に「ニッカウヰスキー」の創業者・マッサンこと竹鶴政孝が、その人生の集大成として75才で造り上げたのが、ニッカウヰスキー第二の蒸留所「宮城峡蒸留所」です。余市蒸留所を創業してから三十余年の昭和42年(1967)、父・竹鶴政孝の命を受け、新たな蒸留所の予定地を東北の山間地に探していた竹鶴威は、広瀬川沿いに生い茂るクマザサに隠された清流を発見します。その水で作った『ブラックニッカ』の水割りを飲んだ政孝はこの地に「余市蒸留所」の次ぎの蒸留所を造ることを即断し、2年後に完成したのが、ここ「ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所」です。イワナやヤマメが泳ぐその清流の名が「新川(にっかわ)」という偶然に政孝も驚いたといいます。

先行する力強く重厚な香りをもつ北海道の余市蒸留所は潮風吹く海沿いの町にありますが、後発のまろやかで華やかな香りをもつ宮城峡蒸留所は東北の山間にあります。異なる気候風土が育む異なる特徴の原酒を持つことで、さまざまなタイプのウイスキーを造ることができ、目指したのは複数の蒸留所で生まれた個性の異なる原酒をブレンドし、より芳醇なウイスキーをつくることでした。

所内には連続テレビ小説「マッサン」で使われた初期の余市型のポットスチル(単式蒸留器)が展示されていますが、その形は宮城峡で使われているものとはまったく異なります。力強いウイスキーを造る余市は細身のポットスチルを使った石炭直下蒸留です。

作並地区の豊かな自然に囲まれた蒸留所は、青空とコントラストを描くレンガ色の40棟余りの建物からなり、緑に抱かれヨーロッパの古城のような雰囲気をもち、かつて麦芽の乾燥に使われていた三角屋根のキルン塔は蒸留所のシンボルです。昭和40年代では珍しい電線の地中化は景観を意識したもので、緩やかな斜面を上っていけば、正面に見えてくる鎌倉山の姿も清々しいです。

ビジターセンターでは、ウイスキーの製法や種類、宮城峡蒸留所の特徴、ニッカウヰスキーの歴史、創業者竹鶴政孝のウイスキーづくりへの想いばどを映像やパネル、展示物で紹介しています。

ここで見学受付を終えれば、ガイドツアーが始まり仕込棟から蒸留棟へと施設を見学していきます。宮城峡の華やかで軽やかなモルト原酒は、約130℃のスチームでじっくり蒸留し、何度も還流を繰り返す「蒸気間接蒸留」から生まれます。そのためポットスチルも余市の細身のものとは違いふっくらとした形をしています。また世界でも希少なカフェ式連続式蒸留機を使っています。酒造りの神への敬意を表すためしめ飾りがされています。

その後貯蔵庫に向かいますがレンガ色の貯蔵庫が並ぶ所内は日本とは思えない雰囲気があります。貯蔵庫には熟成を待の大容量の22槽ウイスキー樽が並ぶ様は壮観です。

見学コースの最後は有料のバーコーナーもあるギフトショップ・テイスティングで無料の試飲ができます。

今回はいつものスーパーニッカにシングルモルト宮城峡が味わえた。深い森で静かに熟成されたモルトウイスキーは、リンゴ、洋梨のようなフルーティさ、甘く華やかな花の香り、樽由来のやわらかなバニラ香が特徴です。それにアップルワインという炭酸割りに適したブランデータイプの計3種類がいただけた。

蒸留所のあちこちにニッカウヰスキーのエンブレムを見つけることができます。ウイスキー造りの精神が宿るエンブレムは蒸留所のシンボルです。政孝が英国風を模して作ったものですが、細部に目をやれば狛犬と兜と元禄模様という極めて日本的なデザインになっています。特に注目したいのは中央の鹿の角を持つ兜で、戦国時代、中国地方の尼子氏に仕え、その生涯を主家の再興のささげ、「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」とあえて試練の道を選んだ武将、山中鹿之助のものです。

広瀬川の支流・大倉川に昭和36年(1961)に造られた「大倉ダム」によっていきます。仙台市、塩竈市に上水道用水として供給している特定多目的ダムで高さ82m、型式は全国に2ヵ所しかないマルチプルアーチダム(※もうひとつは香川県豊稔池ダム)であり、2つのアーチが連なる日本で唯一のダブルアーチ式のコンクリートダムという珍しい型式のダムです。

この作並地区にある温泉が仙台市と山形市を結ぶ国道48号線(作並街道)沿い、山形との県境近くに位置する、約1200年前に行基が発見したと伝わる「作並温泉」です。その国道に沿うように流れる広瀬川源流の山間に温泉宿が点在し、奥羽山脈を越える作並街道の往還や、杜の都・仙台の奥座敷として利用されてきました。作並温泉はかつて「鷹湯」と呼ばれ、奥州藤原氏征伐でこの地に赴いた源頼朝が残す言い伝えがあります。自らが射た鷹を追って深山に迷い込み、その鷹が泉に体を浸し飛び立っていくのを見た頼朝が、自らその湯壺に身を沈めて効能を実感したというものです。

作並温泉の開湯の歴史は、室町時代に岩松対馬尉藤原信寿が作並の地に移り住み、そこから11代目の寿隆(喜惣治)が、岩松家のみに伝わる秘湯を寛政8年(1796)人々が入れるように整備したことが始まりです。仙台藩の奥座敷として人気が高まり、仙台藩主や文化人が数多く訪れたという歴史があります。

広瀬川の渓谷沿いに建つ作並温泉で最も古い歴史を持ち、200余年の時が刻まれた作並温泉発祥の宿が「元湯 鷹泉閣 岩松旅館」です。藩に許可を願い出た創業者・岩松喜惣治は、自ら山を切り開き、谷底の湯壺に向かう七曲97段(現在は88段)の階段を作りあげました。俳人・正岡子規は、松尾芭蕉の「奥の細道」の足跡をたどって松島や仙台をまわり、旅の途中で、この旅館に宿泊した様子が『はて知らずの記』に記されています。その際、「夏山を廊下づたひの温泉(いでゆ)かな」と詠んでいます。また『荒城の月』の作詞で有名な仙台生まれの詩人・土井晩翠もこの温泉をこよなく愛しました。

レトロな雰囲気が漂う木造建築の宿は、旧館の広瀬館と新館の青葉館に分かれていて、全91室です。そんな宿の中で今もほとんど変わらない形でそこに残るレトロな階段は、開湯当時と変わらず時が止まったかのような趣で地下1階からさらに88段の階段を下りた広瀬川の渓流沿いに湧き出る「鷹の湯」へと続いています。

創業当時の趣が残る名物の「天然岩風呂」は広瀬川の渓流沿いにあります。谷底の岩をくり抜いて造られた4つの湯船には自噴する異なる4つの源泉が「新湯」「瀧の湯」「鷹の湯」「河原の湯」にかけ流されています。

泉質は肌にやわらかいナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉/低張性弱アルカリ性高温泉という「美女づくりの湯」と呼ばれるしっとりなめらかな湯です。美肌効果・便秘・不眠症に効能があります。

目の前に四季折々の渓谷美が広がり、この時期夏の涼風が運ぶ緑の香りが清々しく、目の前の渓谷美を眺めながらゆったりと過ごすことができます。天然岩風呂は混浴ですが、女性専用の時間も設けられていて安心です。

国道48号(旧作並街道)は、同じく仙台と山形を結ぶ鉄道・仙山線を縫うように走っています。作並から愛子へ、愛子から県道132号を車で10分ほど、秋保街道(県道62号)との合流地点のところからが秋保地区になります。仙台と山形を結ぶ最短ルートの二口越え秋保街道(最上街道)の歴史は古く、平安時代、山寺・立石寺を開基した慈覚大師が開いた道と言われています。室町時代以降近世は、塩釜から塩を運んだいわゆる「塩の道」、そして、月山を主体とした出羽三山へお参りする信者は通行した「信仰の道」でもありました。

『見下せば藍をたたうる深き淵 鎮魂台を風掠め行く 真二つに天斧巖をつんざきぬ 三万年前のあけぼの』と土井晩翠に詠われた「磊々峡」は名取川の流れがひときわ狭くなる秋保温泉湯元付近にある渓谷です。名取川の中流に位置する、秋保温泉入口の「覗橋」を中心とした東西約2kmの名取川が秋保石の台地を浸食してできた峡谷で、石や岩が重なり深さが20mにも達する渓谷美が続いています。その川幅は、場所によってはわずか2m足らずと、名取川の最も狭まった部分にあたります。

かつては「覗淵」と呼ばれ「名取の御湯」を訪れた旅人が近傍にある雄大な奇勝地であることからつい覗かずにいられない場所、必見の場所でした。

昭和6年(1931)夏目漱石の門下人で東北大学名誉教授の文人小宮豊隆により、石が重なる様子を表し「磊々峡」と命名され、秋保温泉の景勝地として内外に紹介されました。そんな場所を歩いてみよう新秋保橋を渡ります。このあたりは磊々峡の東端、最も深く長い瀞となり、俗に「不動淵」とも称しているところが「お粂が淵」です。江戸浅草蔵前の反物問屋喜兵衛の娘、お粂と手代の新吉が駆け落ちした旅の果てに磊々峡まで来て、新吉が名取川の深淵にお粂を突き落として持参してきたお金を奪って逃げたため、その後お粂の幽霊がでるようになったとのこと。しかし新吉もついに磊々峡に身を投じてしまい、そしてその身はお粂が落とされた大淵に流れ着いたとのことです。

温泉街のほうに歩くとすぐに「磊々峡」入口があります。ここから覗橋までは渓谷沿いに約800m遊歩道が続き、壮大な巖の連続、急流に現れる奇岩怪石を間近に眺めることができます。

説明板には、奥羽山系二口渓谷より発した名取川は、此処に至りて急にその川幅をせばめ、急流となり或いは流勢を減じて紺碧の深淵となる。両岸は秋保石と呼ばれる石英安山岩質凝灰角礫岩よりなり、奇岩怪石が磊々と重なり合い、途中には「天斧巖」「猪飛巖」「八間巖」「奇面巖」などの奇勝、「三筋滝」「時雨滝」など滝が懸崖敷布して一層景観を豊かにしているとあります。それぞれの名所が、人々の暮らしの中で名付けられ、緑樹の渓谷の風景とともに特徴ある景観を成しています。

終着地点の「覗橋(臨潭橋)」は最近恋人の聖地に認定された覗橋ハートが見下ろせます。記念写真のスポットとしておすすめで、ここに石を投げ入れて見事に入ると恋愛成就するそうです。

覗橋(臨潭橋)を始点とする場合は橋の袂から下っていきます。

磊々峡から県道160号でさらに南に車を走らせると「釜房ダム」があります。周辺は「国営みちのくの杜湖畔公園」として整備され、国営公園になった最初のダムです。名取川水系碁石川に大倉ダム完成の流れの中で昭和45年(1970)に完成した重力式コンクリートダムです。

ダムによってできた人造湖は釜房湖と命名され「ダム湖百選」に選ばれています。中間に半島を持つことで二つに分かれた奥行きの広い形状をなしていて、湖畔から見る蔵王連峰の遠望は素晴らしいの一言で、みやぎ蔵王三十六景に選ばれています。

「覗橋」近くに秋保ワイナリーがあります。東日本大震災後に地域活性化を目的として毛利親房さんが平成27年(2015)12月に設立した「仙台秋保醸造所(秋保ワイナリー)」は、南北を山に挟まれた谷間にあり、すぐ傍らの渓谷には名取川が流れています。

メルローやシャルドネなど20種近いヨーロッパ品種が垣根スタイルで約7000本植えられたブドウ畑の背後には、通称秋保石(凝灰岩)と呼ばれる自然石が採掘される山があり、この鉱石からしみ出すミネラルが、ブドウ栽培に適した土壌を作っているといいます。

秋保の谷と川に流れる涼やかな風は夏の間もブドウ畑に畝間を吹き抜け、猛暑時の湿気を飛ばし、果実を冷やし、酸味を保ったままブドウを完熟させる天の恩恵となります。

秋保温泉郷に位置し、建築家だったオーナーの毛利さんが設計したモダンな外観が目をひきます。敷地内には自社農園や醸造所、熟成庫、試飲スペース、カフェなども備え、人気のスポットです。ブドウ畑に囲まれたガラス張りのレストランとショップでは、ワインと地元産の食材が楽しめます。レストランの奥にある醸造所の見学はできませんが、運がよければステンレスの置かれた扉の奥の様子が伺えます。

ワインラベルのデザインは仙台藩主 伊達正宗公の遺命により建てられた「瑞鳳殿」。その豪華絢爛な霊廟の黒漆塗りと金彩の扉を万華鏡で覗いた絵柄をモチーフにラベルデザインは描かれています。万華鏡は常に形を変え、新しく生まれ変わり進化していくことから、発展の願いを込めて、万華鏡の神秘的な美しき世界を「和」で表現しています。

試飲で3種類飲んでみましたが、左端のスチューベンロゼは白い花のような香りと豊かな果実味が味わえるドライなロゼワインでおすすめです。

秋保街道を山形方面・二口方面に走ると日本の滝百選に選ばれ、国の名勝にも指定されている「秋保大滝」があります。名取川上流部にある落差55m、幅6mの大きな滝の轟音をたてて流れ落ちる様は豪快で日本三大瀑布のひとつといわれています。(那智の滝、華厳の滝、袋田の滝)

秋保大滝不動尊(西光寺)内にある滝見台から望めます。大滝不動尊は平安初期の860年に山寺を開いた慈覚大師(円仁)が秋保大滝の壮大さに心を打たれて不動尊を祀ったことに由来し、「山寺の奥の院」と呼ばれてきました。鬱蒼とした緑に囲まれて静寂の中に佇んであります。

本堂には「鯉」が一匹隠れていて(彫り物)、二人で見つけると「恋」が成就、ご縁が結ばれるという伝説があり、ぐるりと一周してみます。参道から本堂の横を通って少し上がったところに滝見台があります。

滝壺近くまで行くことができる遊歩道『新・奥の細道「秋保大滝パノラマの道」』が整備されていて、約1km下流の不動滝橋の脇から下っていくと、滝壺近くから見上げる豪快な滝の様子が眺められ迫力満点です。流れ落ちる滝の飛沫が霧となり見上げる大滝に一層の迫力を感じさせてくれます。ミスト状の水しぶきを浴びているかのようでマイナスイオンもたっぷり味わえます。隠れた穴場スポットで一見の価値ありです。

仙台市街から小一時間で着く仙台の奥座敷、湯治場として昔から愛されてきた「秋保温泉」。昔々、塩を積んだ牛のおなごわらしが乗って谷地を渡ろうとしたところ、牛もろともその谷地に沈んでしまいました。ところがそこから湯気が立ち上がって温泉が湧き出て、塩分のある身体に良い温泉だと伝わったのが秋保温泉の始まりです。おなごわらしは湯神様の化身だったと云われています。

秋保温泉が、歴史に初めて登場するのは約1500年前。疱瘡にかかった第29代欽明天皇が都に運んだ秋保温泉の湯で沐浴したところ、数日間で全快したとされ、天皇はその喜びを歌に詠まれました。皇室の御料温泉=「御湯」の称号を持つ温泉は国内に3か所(別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)もしくはいわき湯本温泉(三函御湯)を数えますが、秋保温泉「名取の御湯」はその際に賜った歴史上最初のものと広く知られていて、日本三御湯名取の御湯」として「拾遺和歌集」「大和物語」などにも詠まれる、1000年以上の歴史を持つ温泉です。宮城県鳴子温泉、福島県飯坂温泉とともに奥州三名湯の1つで、仙台藩主伊達家お抱えの湯としても知られ、明治期には土井晩翠、島崎藤村らの文人墨客に愛されました。

名取川のすぐそば、新秋保橋の袂に佇む「ホテル華乃湯」は、湯めぐり露天の宿と名乗るように館内には男女別の川沿い露天風呂やサウナ付き展望大浴場、長寿の湯、男女交代制の露天風呂があり、宿泊で4ヵ所、日帰りでも3ヵ所の点在する湯めぐりが楽しめ心身共にリフレッシュできます。しかしながら西館7Fのサウナ付き展望大浴場「満天星」の湯は温泉ではなく白湯であり、また東館1Fにある内湯「長寿の湯」も浴槽がこじんまりしていると感じました。

フロントの一押しは「恵み館」B4Fの川沿い露天「天下取りの湯」「月下美人の湯」です。名取川を眺めながら浴槽に浸かれ、内湯・露天ともに新しく綺麗な浴室でした。

一番のお気に入りは東館1Fの山沿い露天「水芭蕉」の湯です。緑の静寂の中、自然と一体となって湯に浸かると身も心もリフレッシュできます。泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物泉でしとりと肌にまとわりついてきます

仙台駅から仙山線で作並駅、愛子駅から、車なら東北自動車道仙台宮城ICから国道48号でと交通の便のよい“せんだい西部劇場”に足を運んでみてください。

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