霊山の麓に湧き出る秘湯に浸かり、天河神社の“気”に癒される

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紀伊半島中央部に位置する奈良県「天川村」は、奈良時代初期に山岳宗教が開花した吉野熊野国立公園に属する修験道の聖地大峯山(山上ヶ岳1719m)の懐に抱かれた山あいの村です。この村では不思議な「気」が流れている感覚を受け、大峯山を源流とする山上川沿いの「みたらい渓谷」の美しさは関西随一の美しさと称えられていて、ダイナミックな渓谷美に大感動。川沿いには全長7kmの遊歩道があり、修験道発祥の地である標高800mの秘境・秘湯の洞川温泉までハイキングができます。大阪から2時間半程度の関西圏、行かないテはない。霊山の麓に湧き出る秘湯に浸かり、みたらい渓谷で新緑の自然と神々の「気」に癒されに出かけてみてください。

天川村へは近鉄阿部野橋~下市口間片道910円、下市口~洞川温泉間片道1280円で通常4380円のところ、洞川温泉センター入湯料割引券がついて往復割引乗車3780円でいけるお得なきっぷ「洞川温泉・みたらい渓谷散策きっぷ」が便利です。阿部野橋から近鉄特急にのって下市口まで1時間、下市口から奈良交通急行バスで洞川温泉行きに乗り換えます。8:20発の10分前に到着でなんとか座れ、坂道を上り、トンネルを抜けるたびに山が深くなる山道を走り、バスに揺られること40分、辿り着いたのは天川村で唯一の信号機のあるハイキングの出発地点天川河合バス停。洞川温泉まで直通で行くこともできます。まずは天川川合バス停にある天川村総合案内所でパンフレットなどあらゆる情報を取得し、ウォーキングマップを貰って作戦会議。ここを境に右手が天河神社で、左手がみたらい渓谷を通って洞川温泉に行く道とのことで、まずは天河神社を目指します。

内田康夫の浅見光彦シリーズで映画化もされた「天河伝説殺人事件」の舞台となった天河神社すなわち日本三大弁財天社の一つ天河大弁財天社は、自然を生かした能舞台が美しく、古来から続く芸能の神様です。「天河大弁財天社」までは二通りの行き方があります。天川川合バス停交差点から県道53号線を歩くこと約3.5kmの距離ですので歩くもよし、中庵住行きに乗り換えてバスで行くこともできます。今回は徒歩を選択。天川村唯一の信号機のある交差点を右折、白壁の和風木造建築の料理旅館まえひらの角を左に直角に曲がるとスリル満点のつり橋を渡ることになります。ここで清流天ノ川の美しさにびっくりしますよ。

天の川にかかる釣橋を渡り、村役場、キャンプ場を横目に川沿いに歩くこと30分、”縁がなければ、たどり着けない場所”とも言われ、目に見えない力が働いている場所・天河神社に到着です。

東西に細長い天川村のほぼ中央に立つ天河神社は、古代民族信仰の発祥の地とされた霊山大峯の鎮守として、室町時代の僧英俊の『多聞院日記』には「天川開山ハ役行者」とあるように役行者が大峯山系の主峰山上ヶ岳・弥山で国家鎮護の神を祈祷した際、最初に出現したのが天河弁財天であり、女性であるために、天川に祀ったのが始まりです。次に出現した蔵王権現を山上ヶ岳の本尊に祀ったとのことで天河神社を「大峯本宮」とも言われる所以です。弘法大師が高野山の開山に先立って大峰山で修行した際の、最大の行場が天河神社であったといいます。社宇は吉野を愛した大海人皇子が壬申の乱に勝利して即位した後にこの地に建てられ、吉野総社となったと伝えられている。弘法大師の参籠や藤原道真など平安貴族の参詣、再起を図る南朝天皇方や観世十郎元雅など、自己を見つめなおす、新たな始まり、そして再起。数多くの歴史が物語っています。

天河神社は朱塗りの大鳥居をくぐったところから境内になっている。想像していたより小さな神社でしたが、1000m級の山々に囲まれ、そういう小さく限られた壺中に「天河の気」というものが凝縮されているのであろう。

杉木立に囲まれた石段を登り、能舞台が設けられた拝殿に辿り着いた時には単純な寒さとは異質の厳粛で冷徹なものに包まれた身の引き締まる気がしたのです。古来、人々が神域とか神籬とかいう空間を定める際には、このような気配を感じる場所を選ぶに違いない。大峰山系の急峻な山肌を吹き下ろす「天の気」と天川谷から吹き上がる「地の気」が谷間で淀み、「神気」と呼ぶべきものに昇華した気を感得した役行者がこの地を神域と定めたという伝説は納得できるものです。

拝殿は薄暗く、能舞台と一体となった神聖で厳かな雰囲気が漂っています。

鈴緒の先には天河神社の象徴となる五十鈴が結ばれている。この五十鈴は、天河神社に古くから伝わる独自の神器だそうで、日本神話に出てくる天照大神が岩戸に隠れた時、芸能の女神である天宇受売命が、神代鈴をつけた矛を持ち、舞いを舞ったところ、岩戸が開かれ、天地が明るく輝き出したという神話の中で、この芸能の女神が鳴らした神代鈴と同じものが、天河神社の五十鈴であると伝えられている。

この五十鈴の特徴的な三つの球形の鈴はそれぞれ「いくむすび」「たるむすび」「たまめむすび」という魂の進化にとって重要な三つの魂の状態をあらわしているとのこと。この鈴の鳴らし方は少し変わっていて、鈴緒を振って鳴らすのではなく、ぐるぐる円を描くように回すと、不思議な共鳴音が鳴るのである。

山岳信仰の中心でもあった天河神社であるが、同時に芸能の神を祀る神社として古くから期待を寄せられ、能舞台では古くは悪霊を鎮める田楽や能楽が行われ、社内には当時を偲ばせる由緒ある能面や能衣装等、能楽関係資料多数が保存されている。能面の中には、永享2年、観世十郎元雅が納めた「阿古父尉」と呼ばれる面もある。観世流三代目の十郎元雅が、ことのほか天河神社に崇敬の念を抱き、納を奉納し、面を寄進しました。暫し床几に腰掛け、自己をみつめなおす時間に身をゆだねる。奈良出身の堂本剛がここでインスピレーションが働いて「縁を結いて」という歌が誕生したらしい。

さてそろそろ入浴TIMEであるがその前に、弘法大師・空海が天河神社への参籠や大峯の山中で修行によって神仏習合の密教を「あ字観」として完成し、塔中寺院の一つであった来迎院横にあるお手植えと伝えられる大銀杏の脇に残されている碑を見に行くことに。

さてここまで4km弱、ひとまず足の疲れを癒すべく本日の第一湯目、11時開館の「天の川温泉センター」に向かいます。

天の川温泉センター」は天ノ川の渓流と雄々しい山々に囲まれた景勝の地にできた天川村営の温泉施設。施設全体が木にこだわって建てられ、吉野杉・桧・松・楓などをふんだんに使用した味わいのある秘湯の雰囲気があります。内湯の浴槽は湿気に強く浴槽の材料に向くと言われる高野槇で造られている。高台に建っているので、清流天ノ川を見下ろす露天風呂の眺望は最高です。湯は少し滑り気のあるナトリウム炭酸水素塩泉で俗に言う「美人の湯」が溢れています。上がって次ぎの目的地「みたらい渓谷」を目指します。

天川河合と洞川温泉を結んで約7kmの遊歩道が整備されており、山上川の下流にできた大小さまざまな滝や奇岩・巨岩とエメラルドグリーンの美しい流れを楽しみながら歩くことができます。しかしその入口は元の来た道を3.5km釣り橋まで戻り、そのまま車道を左に約1.3km20分ほど歩くと、赤色の弁天淵橋の手前に「みたらい遊歩道入口」の看板があります。

ここから天の川沿いに整備された遊歩道を歩く。途中には行く手を遮るようなカツラの大木が現れたり、

橋の下に岩の洞窟がある場所があったりとしますが、それよりも木漏れ日の新緑の中を歩くのが気持ち良い。

天の川の清流沿いを約1.6km30分ほどで歩くと「みたらい休憩所」に到着します。ここで南朝の帝が禊をしたことから『御手洗』=「みたらい」という名がついたとのことです。休憩所からは川へ降りる階段があり、手をつけてみてください、ここでも川の水のきれいさと冷たさにびっくりですよ。

ここからいよいよ一番の見どころになってきます。観音峯登山口休憩所までの約1.5kmが「みたらい渓谷」と呼ばれる大峯山を源流とする山上川が造り上げた巨岩の渓谷です。車道でもあるみたらい橋の上から美しい滝を見て、滝の横の階段を上っていくと哀伝橋という吊り橋にみえない吊り橋から「みたらいの滝」を望みます。この周辺がビューポインですので写真にしっかりと映しておいてください。そして吊り橋と滝の横の階段の連続からは真下に「みたらいの滝」を眺めると、時間のたつのも忘れて水の流れをじっくりとみていられます。ここから上へ登ると「光の滝」に出会えます。

エメラルドグリーンに輝く神秘的な淵、大小様々な滝と巨石を縫い、底まで透けて見える清流が流れるそのダイナミックな渓谷美に感動です。その美しさは近畿地方随一の美しさと称えられているとのこと。自然の要害として南朝の皇族方が敵の来襲の際、避難した場所で、南朝のロマンを秘めた伝説が残っています。

急なのぼりをこえると「光の滝」が見える。

しばらくすると観音峯登山口で車道に合流します。ここには休憩所があり、天川村と南朝のかかわりの歴史の解説板を見ることができます。休憩所からは車道の観音峯橋の歩道を歩き進むと、右側にゲートがあり遊歩道を進みます。洞川温泉までは鬱蒼としたゆるやかな3kmの林間の道ですが、バスで洞川温泉を目指すのも可能です。途中、「大聖大権現社」という赤い鳥居と小さな祠が印象的な社が林間に見え、大トチの木が神々しさと歴史を物語っているようです。大聖大権現社前(分岐)を越えると、すぐに洞川温泉センター前にでます。

洞川温泉」の神秘的な山里にひとたび足を踏み入れると、圧倒的な渓谷美とレトロな町並みに心が動かされる。標高約820m地点の村の中心には熊野川の源流となる山上川が流れ、川の中をのぞき込むと、ニジマスが沢山およいでいるのがわかる。この周辺では大きなホテルや近代的な建物はなく、村全体の景観はとても良く、日々の疲れが癒されます。

修験道の場として今も全国から修験者が訪れる奈良県南部にそびえる大峯山。今も女人禁制が守られる修験の場となっていて山頂には世界遺産の大峯山寺が立ちます。その修験道発祥の地、霊峰大峯山(山上ヶ岳)の登山口に湧き、霊場の雰囲気が味わえる吉野熊野国立公園に位置する「洞川温泉」は、標高が高い為、夏でも最高気温が26℃前後と涼しく、避暑地としても良く「西の軽井沢」とも呼ばれる宿場町です。

この一帯はカルスト(石灰岩)台地で、関西では数少ない鍾乳洞を見学できます。絶景が見られて、この時期もっと涼しいところへ行きたいとまずは「面不動鍾乳洞」へ。昭和8年(1933)に発見された、全長約280mにおよぶ関西で有数の鍾乳洞です。洞川の入り口ともいえる奈良交通の「洞川温泉」バス停にほど近い洞川八幡宮から、標高878mに位置する入口までつなぐのがユニークな丸太の形をしたモノレール「どろっこ」です。

どろっこに乗って樹林の中の最大角度34度の急斜面を一直線に上がっていく。体が後ろに倒されるので手すりをしっかり握っていますが、気持ちは童心に戻りスリル満点でワクワクします。(往復500円)

面不動鍾乳洞の入口前の展望台からは、山上川沿いに開けた洞川地区が一望のもと。これもなかなかの絶景です。

洞川の里を見下ろす高台の地底に広がる鍾乳洞内は一周約15分。炭鉱のような入口から少し下れば、涼しいというより、もう肌寒い。無風で年間を通じて8度とひんやり冷たい空気が身体を包み、別世界へ入り込んでしまったような不思議な気持ちにさせられます。こうもりが飛び交う姿が見られることもあるとか。写真は入り口すぐの“天の花園

「天の花園」や細い鍾乳石がいくつも垂れ下がる「銀糸の窟」、行者の姿の様に見える石筍がある「行者窟」など昔から伝わる名前がついた15の窟にわかれている洞内は、見どころがいくつも現れ、美しくも神秘的な地下迷宮が広がります。天井から鍾乳石がつららのように垂れ下がり、地面からタケノコのような石筍がにょきにょき出ている。それらはLED照明で怪しくライトアップされ、光の色は次々に変わる。秘密の地下宮殿に迷い込んだよう。写真は「権現の窟

鍾乳石は1cm成長するのに約100年、石筍は同じく約200年もかかるといいます。悠久の中で育まれた自然の造形は、神々しく目に映ります。気の遠くなるほどの時間と大地と水の織りなす奇跡にしばしの間、驚きに満ちた“アナザーワールド”を旅します。写真は「銀糸の窟」。内部が空洞になっている「ストロー鍾乳管」。観光用の鍾乳洞で見られるのは大変珍しいといいます。

洞内は神秘の別世界。どこかの惑星に降り立ったようです。写真は「しぐれ窟

ここからは洞川散策を楽しみます。大峯山を目指す人が必ず参詣する、修験道の根本道場「龍泉寺」は、大峯山の山頂にある世界遺産・大峰山寺を守る護持院の一つ。1300年前に大峯山の開祖・役行者が洞川の岩場の中からコンコンと水が湧出る泉を発見し、そこには底が見えないほど深く青く澄みきった泉があったことから、この場所を「龍の口」と名付け、八大龍王尊を祀ってここで水行をしたのが始まりと伝えれらます。

現在も「龍の口」から清水がこんこんと湧き出ており、大峯山で修行する行者たちは境内のこの清水で身を清めてから入山するという大峯山中第一の水行場「龍泉池」です。

朱塗りが鮮やかな本堂。堂内にはご本尊の弥勒菩薩像のほか役行者像などが祀られています。

龍泉寺から山上川を渡ると、洞川温泉街。山上大峯山の登山拠点として、古くから行者や山上参りの人々を迎えてきました。山頂にある女人禁制の「大峯山寺」へと行き交う大峯講の山伏たちの姿が目立つ表通り、「行者さん通り」と呼ばれる道の両側に15軒ほどの旅館や民宿、みやげ物店が立ち並び、毎年山が開かれる5月3日から9月23日には、ホラ貝の音が響き渡り、行者で活気づきます。夕闇が近づくと各宿の縁側になじみの大峯講の名が書かれた提灯が軒先に灯り、温泉街はタイムスリップしたような雰囲気の門前町独特の幽玄な風情を醸し出します。

修験道の行者や大峯山の登山者が宿泊する古風な老舗旅館が多いのが特徴で、「角甚」「花屋徳兵衛」「紀の国屋 甚八」といった宿の古めかしい看板を眺めていると、屋号に人の名前が多いのに驚く。まるで宿それぞれに主の個性が表れている証のようです。山頂にある女人禁制の「大峯山寺」へと行き交う大峯講の山伏たちの姿も目立つ。修験道の開祖である役行者の弟子である「前鬼」は修験者の前を歩いて斧で道を切り開き、「後鬼」は水がめを持って後を歩いて修験者を支えたといいます。その後、役の行者の教えを守った「後鬼」が洞川に住みつき、その子孫が今も行者の世話をしているという言い伝えがあり、そのため洞川は「後鬼の里」と言われています。

宿が軒を連ねる通りでひときわ目を引く写真の「行者の宿 角甚」は格子窓が美しい木造2階建ての佇まい。300年以上前から多くの修験者をもてなし、紀州の大殿様が滞在した際の逸話も残っています。通りに面した長い縁側は、昔、行を終えてきた行者が部屋へ入る前に、そこに座り白足袋とわらじを脱いで、たらいで足を洗うのに使われていた名残なのだそう。

今回は旅館「あたらしや旅館」さんで入浴させていただいた。洞川温泉の宿の中で一番最初に温泉を引き、古くから登山者たちの疲労回復に利用されてきた湯で、江戸時代には「新子屋 勘右衛門」と申していたそうです。廊下の少し先を降りたところが展望風呂で四季折々の景色が楽しめる。赤御影石を使った中浴場は今回女性用であった。標高820m、山上河畔より湧出する無色透明のアルカリ性温泉で、筋肉痛、関節痛等、幅広い効能をもつとのこと。

温泉街では「だらにすけ」と書かれた看板も目に付きます。その陀羅尼助とは生薬のオウバクを主成分とする和漢胃腸薬で役行者が考案したといわれるほど長い伝統があり、洞川では13軒が製造販売しています。さらに行者さん通り」をまさしく行者さんとすれ違いながら温泉街を東へ、大峯山の登山口の方へ歩いていく。

洞川湧水群は熊野川の最上流部霊峰大峯山麓に位置し、「ごろごろ水」「神泉洞」「泉の森」の3つの湧水から構成されている湧水群です。ミネラル分を豊富に含んだ水で、体質改善や健康増進にも役立ち、昔から「仏水秘水」と呼び修験者たちののどを潤してきた水でもあり、昭和60年(1985)環境省の「名水百選」に選定されています。とりわけ「ごろごろ水」は村内にあるもうひとつの鍾乳洞、五代松鍾乳洞付近のカルスト地形に沸く名水で、洞穴の奥から地中を流れる水が小石を転がしているような音が鍾乳洞付近の洞穴にこだまし、「ごろごろ」と聞こえることから命名されたといわれる。水温は10.4℃と冷たく、ミネラル分を適度に含み、特にカルシウムの含有量が多い。そういったことから別名「神の水」とも呼ばれていて、この水でご飯を炊いたり、お茶やコーヒーを作ると、健康に良いだけでなく、味も引き出してとても美味しくなるとのこと。洞川の温泉街には「名水コーヒー」「名水豆腐」(山口屋さんがいいらしい)などの看板を掲げる店が多かった。そばにある採水場「ごろごろ茶屋」では水を汲むことができます。

ごろごろ水から50m先に「母公堂」がある。大峯山で修行していた役行者が、わが身を案じる母「白専女」が後を追わないように建てた庵に由来し、当時はここに大きな黒門があり、明け六つに開き、暮れ六つに門が閉じられ、女人禁制の結界と定められ、関所のような場所であったとのこと。そして現在では、その場所に当時の結界の碑だけが残っている。

17:00、帰りの時間も気になることから「洞川温泉センター」に戻ることにし、疲れた体を癒す最後の入浴ということでバス停に近い「洞川温泉センター」に向かう。大峯山寺への行を終え、山をおりてきた行者装束の山伏たちも立ち寄るのが「洞川温泉センター」。温泉街の入口にあり、みたらい渓谷遊歩道の終点でもある名産吉野杉を使った山小屋風の建物が目印となる村営の日帰り温泉です。三角屋根の天井の高さが広さを感じさせ、加水していない26℃の無色透明でアルカリ性の源泉がヒノキの浴槽と露天風呂にそそがれ、黄みがかってまったりとした湯は疲労回復に効くとのことです。内湯にはジェットバスも付いています。熊野川最上流部にあたる洞川は名水の地。湯上りには、館内でも販売している名水「ごろごろ水」を100%使用した「ごろごろサイダー」で喉をうるおしましょう。

バス停までは300m。日帰りの場合、帰りのバスに遅れないように事前にチェックしておいて下さい。最終「下市口駅」へは17:55です。(5/1~11/30迄)もう何人かおられたが無事乗車でき19:18発の近鉄特急阿部野橋行きに間に合い、乗れた電車が嬉しいことに26000系「さくらライナー」。壁や床が木目調でシートも桜の花びらをイメージした桜色の車両で、快適な1時間の乗車となりました。天河村と洞川温泉修行の里は癒しの里であったのです。

 

 

 

 

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