
寺社の背後にこんもり連なる鎌倉の山々。鎌倉には多くのハイキングコースがありますが、なかでも鎌倉を囲む丘陵の北部を歩き、鎌倉随一の標高を誇る大平山(標高159m)へ至る通称・鎌倉アルプスの尾根を行くのが、手軽で楽しいミニ縦走路「天園ハイキングコース」です。低山とはいえ、天園ハイキングコースは鬱蒼と樹木が生い茂る登山ルート。展望台から望めば、寺社の屋根や鎌倉の町、その向こうに相模湾も広がり、富士山も眺められます。古都を見下ろす丘陵を歩き、歴史や季節の花に触れるハイキングを楽しみます。
幕府が置かれた鎌倉は南側を海、残る三方を丘陵に囲まれた天然の要害。鎌倉最高地点の大平山を含む丘陵東~北側尾根歩きは、露岩も見られ、展望地もあって鎌倉アルプスとして親しまれています。定番コースは北鎌倉駅から鎌倉街道を南へ進み、建長寺の境内を抜けて登り、瑞泉寺西のハイキングコース入口へ下山する北鎌倉と瑞泉寺を結ぶ約4.5㎞のルートがわかりやすい。今回は北鎌倉駅東口をスタートして明月院の門前を通り、住宅街奥にある明月谷入口から入るルートを選択しました。
JR北鎌倉駅前には壮大なる伽藍の「円覚寺」があります。弘安5年(1282)、北条時宗が中国宋から無学祖元禅師を招き、二度の元寇の戦没者供養のために創建した禅宗寺院です。一山一寧や夢窓礎石など名立たる高僧が住職を務めた鎌倉五山の第二位、臨済宗円覚寺派の本山。
円覚寺門前を通り、明月院通りで左折。さらに明月院門から左へ住宅街を通っていきます。明月院ブルーと呼ばれる紫陽花の名所「明月院」は、永歴元年(1160)に創建された明月庵が起源とされる。その後鎌倉幕府5代執権・北条時頼が創建した最明寺、禅僧・蘭渓道隆が再興した禅興寺を経て、康暦2年(1380)に管領上杉憲方が寺院を拡大し、名を明月院に改め、禅興寺の支院の首位に置かれました。禅興寺は明治初年に廃寺となっています。
明月院通りから石かわ珈琲を右折し、T字路を左折すると北鎌倉駅から歩く事約15分、住宅街奥に民家の脇の細い階段を登る明月谷入口に到着です。写真は石かわ珈琲の先右折のポイントで、奥の電柱に小さな案内板が。
明月谷入口かわ細い石段を上り、草陰に隠れた案内板を頼りに山へ踏み入れば獣道のよう。
根が張り巡らされていたり、岩盤が階段状になっていたりと、想像以上に起伏に富んでいます。笹道を登れば天園ハイキングコースの建長寺入口からのルートとの合流地点、勝上献の分岐案内板に到着します。このあたりはちょっとした広場になっていて、景色を見ながら暫しの休憩がとれるところです。
ここから一旦、建長寺の半蔵坊へ向かう石段を下る途中に第一の見どころ・勝上献展望台(標高147m)があります。建長寺の裏山に位置し、宙に張り出した展望台から眺めれば、眼下に建長寺の堂宇、そして鎌倉の町、海、空へと繋がります。晴れた日には富士山を望めます。
さらに急坂な石段を下ること約5分、建長寺に境内を抜けていく天園ハイキングコース建長寺入口と接続します。正面のお堂は勝上献地蔵が安置されている勝上嶽地蔵堂で、建長寺のお堂では最高地点にある天空のお堂です。
再び山道に戻り、天園ハイキングコースを東へ、瑞泉寺方向に向かっていきます。案内板には瑞泉寺まで約3.8km、まだまだハイキングは始まったばかりです。ここから一旦下り、アップダウンを繰り返します。苔むした岩が道を塞いだり、切通しのようなところなど、鎌倉への敵の侵入を防ぐための防御施設のような遺構を何度も目にします。しばらくすると十王岩に到着です。案内板はありませんが、鎌倉のパワースポットのひとつで、鶴岡八幡宮のちょうど真裏(真北)に位置し、鎌倉の戦略的な位置だったと考えられています。風化が進んでいるものの表面に冥界の十王像が3体彫られていて、毎夜不気味な音をたてていたことから「嘆き十王」とも呼ばれていたそうです。
途中やぐらのようなところが多数見られ、古寺巡礼ルートと思わせるような風情を漂わせながら、天園ハイキングコース最大の難所?をロープをつたって急勾配を下ります。このあたりは急勾配や岩場があり、歩きごたえがあります。
今泉台分岐に到着です。ここは、大船方面からハイカーの入口にもなっていますし、南の覚園寺方面に下山する分岐点でもあります。天園には約1.5km、瑞泉寺には約3.2kmあります。西の勝上献分岐案内板から600mほどしか進んでいないことに驚きます。
大平山方面に進みます。周辺の山全体が岩盤になっていて、登山道脇の岩壁に横一線に地表が現れているのが、その突出した形状と波打つような地層からサザエ岩と呼ばれる巨石が鎮座しています。
ところどころ苔むした岩場や切通しのような狭くなったり、起伏があったり歩きごたえのあるコースです。なるほど鎌倉アルプスの尾根を縦走する人気のコースだと実感します。
景色が変わり、空が先方に見えてくれば、明月谷から続いた山道を抜けて歩いてきた天園ハイキングコース上の大平山の頂上です。標高159mと鎌倉アルプスの最高峰であり、の鎌倉市の最高地点です。本来フェンスに取り付けられてていたであろう大平山の黄色い標識板が、下に置かれていました。大平山から横浜方面を望むと、天気が良ければランドマークタワーが見えます。
この岩場を下れば天園の広場です。しかしながら左手フェンスの向こうは、鎌倉ゴルフクラブの駐車場脇ということで、ここまで車で来れることにちょっとショック感があります。天気が良ければお弁当を開けるうってつけの原っぱです。
ゴルフコース脇を先に進みます。瑞泉寺まで約2kmと平坦な山道を歩けばハイキングコースの要所、天園です。天園は横浜市と鎌倉市の市境にあり、鎌倉の街並みや太平洋が見渡せる景勝地で、横浜市の最高地点(標高159.4m)となっています。横浜市方面に下ると金沢文庫から続く全長10kmに及ぶ六国峠の道の一部で、六国峠ハイキングコースに接続しています。瑞泉寺方面に行く本線は、分かりづらいのですが、天園の案内板の左上に小さな案内標識「瑞泉寺」に従って進みます。
天園休憩所(かまくら茶屋)へは、瑞泉寺方面に進み、車が放置されている分岐を左手に進むと現れます。大正13年(1924)から営む老舗で、この日は休業日でしたが、天園ハイキングコース上の唯一のお店です。
「天園」の名前は、かつて東郷平八郎が「天国の園に遊ぶようだ」と形容したことに由来していると言われ、東郷平八郎の別荘名とされる日源荘の石碑も残っています。天園休憩所から階段を下りると京都を思わせる風情が漂う竹林の傍らに佇んでいます。
途中には、紅葉の名所として知られる「獅子舞の谷」への分岐があり、このルートは瑞泉寺経由よりも若干早く下山できます。今回は本道を進み、瑞泉寺へと抜ける穏やかな山道ではクスノキの巨木が見られます。
瑞泉寺の裏手にある天台山(標高141m)をピークに下っていき、住宅街が見えてきたら天園ハイキングコース瑞泉寺入山口です。明月院入口と同様入り口が小さく」、ここから入る場合も見落とさないようにします。
瑞泉寺外門が天園ハイキングコースのゴール地点。瑞泉寺は、「紅葉ヶ谷」と呼ばれる静かな山裾に、嘉暦2年(1327)後醍醐天皇や足利基氏と親交の深かった夢窓礎石が開山したお寺です。ここから鎌倉駅を目指します。
源頼朝が建立した永福寺跡から後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王が最後を迎えた場所に明治天皇の勅命で造営された鎌倉宮へ。目の前にある手打ちそば宮前で昼食をとります。鎌倉アルプスのハイキング帰りに利用する人が多いお店で、常陸から取り寄せりそば粉はもちろん、最高級の醤油とみりんを使ったつゆも関東風で十割と二八が選べます。いただいたのは鴨せいろ。鴨肉が大ぶりで食べ応えがあります。
鎌倉駅まで戻り江ノ島電鉄で稲村ヶ崎温泉を目指します。昭和43年(1968)に創業したレストランMAINの施設内から2000年に天然温泉を発掘、2017年にレストランMAINともどもリニューアルオープンとなった稲村ケ崎温泉は、目の前に広がる鎌倉の海と空、そして江ノ島を望み、吹き抜ける潮風は心地よく、大人の時間が過ごせます。泉質は炭酸水素塩冷鉱泉で、「モール泉」と呼ばれる湯は褐色がかった黄金色の湯。モール泉とは太古の植物が堆積した地層を通って湧き出る、植物由来の有機質を含んで温泉でドイツ語の「泥炭(Moor)」に由来します。昔この地にはたくさんの松林が広がっていたといい、長い年月をかけて温泉の源泉になったのです。
江戸時代初期より稲村ヶ崎は江の島参拝の通り道として栄え、数軒の茶店が立ち並んでいました。歌川広重作「富士三十六景」には「足洗い茶屋」なるものが描かれており、その場所なまさしく稲村ケ崎温泉とレストランMAINの場所に重なっています。稲村ヶ崎の砂浜は、鉄分を多く含み、鎌倉時代にはこの砂鉄を使って刀剣が作られたといい、世に名高い名刀政宗は稲村ヶ崎の砂鉄で作られたともいわれています。稲村ケ崎の旧地名は「極楽寺字金山」で、金鉱の跡ともいわれ砂浜から砂鉄だけでなく、砂金が見つかることもあるといいます。稲村ケ崎温泉にも砂金が混じっていることもあるといい、湯色は褐色がかった黄金色で「黄金の湯」の名前の由来となっています。浴室は「大島之湯」と「富士の湯」に分かれ、1週間ごとに男湯と女湯が入れ替わります。
湯上りには美しい湘南の海を眺めながらレストランMAINで湘南の絶景と美食を堪能してみてください。
