続日本100名城・洲本城も!夏の鱧を求めて神々の島・淡路島へ

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神戸から明石海峡大橋を渡ると、瀬戸内海最大の島、淡路島。『古事記』『日本書紀』の冒頭を飾る「国生みの神話」によれば、日本で最初に創造された島とされ、自然と文化が融合し、神々が宿る神秘の島です。戦国時代には水軍の将の本拠地であった続日本100名城に選ばれた洲本城や紀淡海峡、また関西の夏の風物詩といえば「鱧」ということで「鱧のフルコース」と歴史にグルメにと見所満載です。そんな伊弉諾・伊弉冉二神が最初に創った「オノコロ島」淡路島を訪れます。。

神戸淡路鳴門道が島を南北に縦走し、神戸西ICから明石海峡大橋を渡り15分ほどで一路淡路島へ乗りこみます。古事記、日本書紀に「淡路之穂之狭別之嶋」の名を残し、日本で最初にできた島とされる淡路島。神話ゆかりの名所が点在し、パワースポットとしても人気です。2016年には、『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」~古代国家を支えた海人の営み~として日本遺産に認定されています。先ずは神戸淡路鳴門自動車道津名一宮ICでおり5分ほどのところにある「伊弉諾神宮」にいくことにしました。

淡路国一の宮である伊弉諾神宮は皇室の祖先神たる天照御大神の親にあたり、日本民族の大祖先である伊弉諾大神を祀ります。古事記・日本書記には国生みを果たされた後、最初に生まれた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構えて余生を過ごされたと日本書記に「是以構幽宮於淡路之洲」と書かれている日本最古の神社です。

県道に面して、高さ27尺(約10m)の大鳥居と御社號標があり、灯籠の建ち並ぶ正参道は二の鳥居、神橋、正門、拝殿まで一直線続き、歩みを進めるごとに、神域の緑が眩しく豊かな淡路の自然を感じさせてくれます。

境内の広さは約1万5000坪。二の鳥居(鋼製)の先に鮮やかな朱色の橋が架かる神池が広がり、草木が四季折々の彩りを添えています。聖域の周濠の遺構と伝えられる「放生の神池」は黄泉国での伊弉諾・伊弉冉の事績から不老長寿のため鯉や亀を放って祈願する放生信仰の習慣があります。

神池の反り石造りの神橋を渡れば、檜皮葺の重厚な表神門が参詣者を迎えます。一間一戸四脚門の豪壮な構えで檜皮葺に煉瓦を配し、神威を誇示するような景観をみせています。

本殿は檜皮葺、三間社流造向背付で棟に千木・鰹木を置き、前方の弊殿と連結して一屋根を造っています。

本殿の前方にある拝殿は銅葺、入母屋造で桁行五間・梁間二間の舞殿を兼ねています。

境内の拝殿東にある夫婦大楠は樹齢900年、約樹高30mで淡路の地誌に「連理の楠」と記され信仰の対象として広く知られています。元は2株の木が生長するに連れて合体し1株に育ったという奇樹で伊弉諾・伊弉冉二神の神霊の宿る神木として夫婦円満、縁結びなどで信仰されています。

淡路島の中西部から南東に位置する洲本市へと向かいます。目指すは洲本市の東端、標高約133mの三熊山の山上に築かれ、最近続日本100名城に選ばれたのが「洲本城」です。三熊山は瀬戸内海国立公園に属し、紀淡海峡を一望できる景勝地で、青く美しい大阪湾に面するこの場所には穏やかな時間が流れています。しかし戦国時代から江戸時代にかけては、淡路国の拠点となる山城がありました。洲本城のはじまりは、16世紀初頭で由良城を本拠地とし、紀州熊野水軍の頭領で阿波・三好氏の重臣安宅治興によって最初に築城された支城の一つと考えられています。その後天正10年(1582)に城主となった仙石秀久が淡路島の諸城を支配すると、四国攻めに備えた水軍城として整備されました。豊臣秀吉の九州攻めの後の天正13年(1585)3万石で城主になった脇坂安治が、さらに淡路国統治の拠点であり、熊野水軍を束ねる本拠地として石垣の城に改修されています。

東の丸の東面に積まれた高く長い石垣は、海から攻め入ってくる敵への備えと思われ、城の最前線として南の谷まで続きます。大手(正面)が南に向いているのは紀淡海峡や大阪湾の海上を睨み、いざとなれば海峡を通り出撃する構えだからでしょう。

南側の馬屋(月見台)郭からは、現在でも紀淡海峡が見下ろせます。右は明治政府により堡塁砲台が築かれた由良、左は友ヶ島でここに立てば洲本城が水軍基地として機能していたことが連想できます。

登城口から山頂まで往復2時間、本丸へ大石段を登っていきます。山上には仙石秀久や脇坂安治によって築かれた、全国的にも希少な天正期、文禄・慶長初期の石垣がたくさん残ります。洲本城が築かれた時期は石垣築造技術の発達期でもあり、低い石垣を階段状に積む方法から、隅角部の加工技術が発達した高石垣が実現する過程が見られます。

最大の見どころは脇坂安治によって築かれたとされる、松山城や彦根城にも見られる、全国でも貴重な二つの登り石垣です。登り石垣とは、山の斜面に沿ってバリケードのように積まれた石垣のことで山頂から山麓に向けて、北斜面に延々と続きます。文禄・慶長の役で苦戦を強いられた安治は、帰国後に洲本城の強化を図ったと見られ、登り石垣もその一つと考えられます。

関ヶ原合戦後、脇坂安治は伊予大洲に移封されますが、その際洲本城の天守を大洲城へ移築したという説があります。昭和3年(1928)鉄筋コンクリート製の模擬天守が建造されましたが、これは日本最古のもです。

「洲本八景」のひとつにも数えられる三熊山本丸天守台からの眺望は、洲本港から大阪湾へ、洋々と広がります。

洲本城から眺めた由良町の生石にある大日本帝国陸軍の要塞の一つ由良要塞に行く。明治になって軍は日本の防衛についてフランスの指導をあおぎ、フランスの参謀中佐マルクリーは東京湾についで紀淡海峡(大阪湾)の重要性を強調しました。軍はこの意見に基づき京阪神地方を防備するため紀淡海峡に近代要塞(由良要塞)を築くことになりました。明治22年(1889)に生石山第三砲台の工事に着工したのを始めとして生石山砲台、成山砲台、友ヶ島地区、深山地区と着々と工事を進めていきました。明治29年(1896)には由良要塞に重砲兵連隊(4個大隊12中隊)が編成され、由良要塞司令部も開設されました。明治37年から明治38年の日露戦争を経て明治39年(1906)に全ての砲台と施設は完成しました。由良要塞は生石山砲台や生石山堡塁などからなる要塞の心臓部を成しています。

生石岬展望台からは紀淡海峡や友ヶ島が望め、大阪湾防衛の考えがよくわかります。

関西の夏の風物詩といえば「鱧」、その歴史は安土桃山時代までさかのぼり現在でも高級食材として珍重されています。鱧の漁は春の八十八夜から始め、夏までの間、そして鱧の一番おいしい時期は初夏の頃からで、この時期の鱧は餌をしっかりととり、秋の産卵に向かって脂がのっていきます。なかでも淡路島近海は鱧の産地、なかでも島の南約5kmに浮かぶ離島、沼島産の鱧は特に身がしまり、味が濃いことで有名です。淡路島ならではの食べ方が、甘みたっぷりの淡路たまねぎと合わせて鍋にしたハモすき鍋です。鱧が美味しくなるのと時期を同じくして、島内で収穫が始まるタマネギとハモを一緒に煮込む淡路島では郷土料理として昔から受け継がれてきた鍋です。

洲本から由良町へ南に向かう県道76号の海岸沿線に大きな魚の看板が見えてきます。由良漁港から車で3分のところにあるのが予約していた「民宿 はぎわら」で、もともと釣り船専門、由良港に漁船が停めてあります。地元の人もよく食べに行くという、生け魚料理自慢の民宿です。食の宝庫でもあり、古くは朝廷に食材を献上したと伝わる「御食国」の一つだった歴史もあり、夏はハモ、赤ウニ、タコなどの海産物が旬です。ここで「鱧のフルコース」をいただきます。

部屋食ということで2階の個室に通されましたが14畳ほどの和室は窓から海が見えるオーシャンビューです。

鱧フルコースのメインは「はもすき鍋」です。沼島発祥のはもすき鍋は鱧の骨から出るダシと淡路島産のたまねぎの甘さが醸しだすコクと甘味のハーモニーが味の決め手です。主な漁場である沼島近海でとれる鱧は体長70~80cm、700~1000g前後でまさしく食べごろですが、淡路島では味にこだわり1.5kg~2.0kgの鱧を料理に使っています。この大きさになると、脂ののりに加え、コクと歯ごたえがあり、深い味わいがあります。

すでにテーブルの上には、はもすき鍋が用意され、醤油、ポン酢、梅肉とカラシ酢味噌が並んでいます。まず出し汁の入った鍋に鱧の骨やアラ、白子、胃や卵、浮き袋を入れ煮出します。

その間にいただくのが、鱧卵の卵とじ、四角に固められていて、鱧子がばらけず、濃厚な味と食感が楽しめます。鱧の薄造りはポン酢でいただきます。アサツキといっしょに食べる刺身は洗いのような感じで歯ごたえもあり美味しいです。

十分に出し汁がにだったのでアラはとりだしていよいよ鱧すきです。ポン酢で食べる水炊き風もありますが、鱧すきといえば醤油ベースの味付け鍋です。たまねぎの甘味と鱧のアラの旨みが溶け出た沸騰している出し汁に鱧の身をくぐらせ、2、3回ゆらして花が開いたようになれば食べごろです。口の中でほぐれるふっくらとしてホクホクの鱧の上品な甘みが味わえます。だし汁がよく浸み込んだ内臓もいい歯ごたえです。

次に鱧落としがでてきました。夏の鱧の定番料理、鱧の湯引きですが関西では鱧落としといいます。梅肉か辛酢味噌でいただくのですが、綺麗に花が開いた大きな身は良くしまっていながらふっくらとした食感で、スパーや居酒屋ででてくるものとは雲泥の差です。梅肉がオーソドックスですが個人的には辛酢味噌がよかったです。

鱧のタタキがでてきました。皮と身が炙られ、香ばしさがでていて、それお鰹のタタキよろしくタマネギのスライスとあわせてポン酢でいただきます。

7/1からは赤ウニが解禁とのことですが今日はまだ6/30ということでアワビがセットになっています。何度と食べているコリコリとした食感のアワビですが、これを鍋の出し汁にくぐらせてシャブシャブして食べると不思議なことにアワビの身は柔らかくなりしっかりと旨味を感じます。もちろん肝は新鮮でエグ味がまったくありません。もちろん素潜り取ったアワビです。

鱧の酢の物は酸味もさほどきつくなく、酢で引き締まった冷たい身は濃い目の味の鱧すきの一服の清涼剤です。

さらに鱧の天ぷらがでてきます。サクッとした衣の中でふっくらと仕上がった鱧の身はふくよかな上品な味で塩で食べることで甘味も引き立ます。3切れは少ないぞ!

ここまででもう大の大人のお腹はパンパンに膨れあがり、最後の雑炊がきつい!しかし鱧で出汁が効いている鱧雑炊を食べないわけにはいかず、なんと!お茶碗一杯分だけ作っていただいたのです。最後にオレンジのデザートが出て10800円の満足フルコースでした。

食後は体の癒しを求めて温泉timeということで慶の松原近くにあるウェルネスパーク五色【高田屋嘉兵衛公園】内の「五色温泉 ゆ~ゆ~ファイブ」に立ち寄ります。高田屋嘉兵衛は明和6年(1769)洲本市五色町に生まれ、函館を拠点として上方への商品流通に力を注ぎ、また幕府に協力し、択捉-国後島間の航路を開拓し、北方の漁場開拓も行いました。ゴローニン事件を機に日露両国の交渉に尽力し、江戸時代にして日露民間外交の先駆者として偉大な功績を残しました。

和風・洋風の浴室に露天風呂、高温風呂、ジェットバス、電気風呂、また週換わりの香料湯・薬湯まど多くの魅力的な浴槽があり、贅沢」な入浴時間を楽しむことができます。

露天風呂からが雄大な播磨灘の景色が眺められます。夕陽が見れる時間はいいとのこと。

 

 

 

 

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