北アルプスを背景にした国宝松本城に代表される信州松本は、城下町の面影を残すコンパクトな街並みを歩く楽しみがあります。街なかには市内を囲むように流れる女鳥羽川、田川、薄川、奈良井川の伏流水による幾つもの湧水があり、それらを合わせた「まつもと城下町湧水群」は、「平成の名水百選」にも認定されています。市街地に井戸が点在し、町を歩けばそこかしこでせせらぎの音が聞こえる湧水のまち、松本。この町の歴史、暮らしと密接に関わってきた井戸を巡ります。
松本が湧水に恵まれているのは、西に北アルプス、東に美ヶ原高原を望む松本平が、地下に豊かな水を貯え、さらに女鳥羽川と薄川からなる複合扇状地に浸み込んで地中に貯えられた水が、自然にろ過されて泉や井戸から湧き出るからです。松本は古くは「深志」と呼ばれ、「深志」は「深瀬」が転じたといわれています。水の豊富な町でであったことがうかがえ、戦国時代に湧水をうまく使って城下町が形成されたのです。
「まつもと水巡り」では、国宝松本城を拠点に駅に向かいながら歴史ある街並みを歩ける3つのコース提案しています。「水の生まれる街」コース、「時代とともに守られた水」コース、「お堀の水をたどる」コースがあり、どれも30~40分程度であるけるのでタウンスニーカーも利用しながら体力、時間に合わせて組み合わせることもできます。3コースを順にゆっくりたどっても約2時間半のコースです。ペットボトル片手にあちこちで見かける井戸を辿りながらぶらりと散策する「まつもと水巡りマップ」を片手にJR松本駅からスタートです。
松本の町歩きは便利なタウンスニーカーを利用。松本市中心部を走る周遊バスで松本市内を東西南北の4コースを回っています。写真は松本市出身の前衛芸術家草間彌生さんがデザインした「水玉乱舞号」です。
「水の生まれる街コース」のスタートは「源地の水源地井戸」から。JR松本駅から国道143号(あがたの森通り)をまっすぐ歩くこと約10分、もしくはタウンスニーカー(松本周遊バス)東コースで「市民芸術館」下車4分、美術館西交差点近くにあり、江戸時代から現在まで利用されている松本市の水源のひとつです。この湧水は、水量豊富で毎分150リットル湧出し、現在は井戸から揚水し、一度水槽で受けてから直接配水されています。硬く重めで、健康になりそうな水です。
「源地の水源地井戸」から徒歩約7分、途中「呉竹」というふぐ料理店の看板を見ながら、このあたりは長野県中南部に多くみられる「雀脅し」と呼ぶ飾りをつけた本棟造りの古民家を見て、400年前から市民に親しまれている井戸「源智の井戸」に到着です。元は城主小笠原貞慶の家臣・河辺縫殿助源智の持ち井戸だったことが名前の由来とのこと。この井戸は水量も多く、水質も良いため、天保14年に著された『善光寺道名所図会』に当国第一の名水として称賛されています。当時の町のお酒はこの水を使い、歴代藩主も不浄なき旨の立て札を立てて保護してきました。
クセがなく硬さも柔らかさも丁度良く、紅茶や料理にと何でも合います。明治10年の明治天皇巡幸の折には御前水として使用されました。
さらに竹専門店の店先にある「徳武の井戸」。地下50mの水量も豊富な湧水で、味もまろやか。
可愛い金魚が泳いでいる「草庵の井戸」とめぐると、
なまこ壁が松本商人の町らしさを引き立てる蔵作りで統一された家並みの中町通りに出ます。江戸末期から明治にかけて南深志一帯が大火に見舞われ、火災対策として再建された建物が松本の土蔵造りです。「なまこ壁」という、平瓦を並べて継ぎ目に漆喰を盛り上げる工法による白ち黒の模様が美しい壁が続く。
この通りには民芸品や、民芸の精神に基づいた工芸品を扱う店や木製品の店、造り酒屋を移築再建した市民向けの中町・蔵シック館などがああります。ギャラリーやバー・レストランも多く、ふらっと町歩きを楽しむのに適した情緒ある通りです。
ここまで所要時間約30分、中町通りの顔的存在が、旧宮村町にあった大禮酒造の母屋、蔵、離れの3棟を移築復元した「蔵シック館」です。その前庭にあるのが写真の「中町 蔵の井戸」で、昔懐かしい手漕ぎ式ポンプの井戸で、地下25mから汲み上げています。
中町通りから東へ、大橋通りとの交差点角に旧翁堂があり、店の前に錆びて古びたポンプ式の井戸があります。「西井澤屋の 辻井戸」と呼ばれていました。豊かな水資源は人の暮らしを支えてきました。庭を少し掘れば水が湧くという家も多く、玄関先や店先に湧水がでるとはうらやましいかぎりです。
大橋通りを跨ぎ、日の出通りを歩きます。途中南に右折し、井戸ではありませんが「龍興寺の清水」を見学します。龍興寺は、日蓮宗のお寺で松本城保存の功労者・小林有也の墓があります。本堂前の細長い池泉庭園は青石を立てた滝石組。水落石に沿って細い立石を立てているには鯉魚石といい、いわゆる鯉の滝登りを表現していて、禅の修行に見立てています。鯉魚石のある滝石組は龍門瀑と呼ばれています。
日の出通りに戻りますが、おすすめの道は一本女鳥羽川側の小路で「本立寺小路」といい、かつての参道です。立派ななまこ壁が目を引きます。そのつきあたり、女鳥羽川にかかる鍛冶橋の近くに「伊織の霊水」があります。貞享3年(1686)重税に反対した農民一揆「加助騒動」の折に捕らえられた農民らの救済に尽力した武士・鈴木伊織のお墓の入口に湧出しています。平成17年に復元され、左は地下10m、右は地下30mから汲み上げています。鉱物的な重く硬い味です。
「伊織の霊水」から東に50mほどにあるのが、日の出の泉「薬祖水」です。松本薬業会館内にあり、茨城県の大洗磯前神社から分霊された大己貴命・少彦名命を祀る「薬祖神社」に湧き出る御神水です。古老の言い伝えによると、他の井戸が枯渇してもこの井戸は枯れなかったといいます。平成19年に整備された際に名付けられました。
女鳥羽川沿い、念来寺橋近くにあるのが「妙勝寺の井戸」です。このあたりは江戸時代から大正10年(1920)まで城下に時を知らせた旧念来寺があったところで、境内には約300年前の鐘楼が残っています。江戸時代から庶民の生活用水として活用されていましたが、現在の妙勝寺を建てるにあたりいったん埋めて掘りなおした井戸です。井戸の上には藤棚が置かれ整備されています。
「時代とともに守られた水コース」は「槻井泉神社の湧水」からスタートしましょう。妙勝寺から女鳥羽川沿いを北へ歩くと清水橋近くで川筋が不自然に曲がっているのに気付きます。女鳥羽川はもともとお城の北西を流れていたものを武田信玄が東に移し変えて城の南側に流れるよう今の流れに変えたといわれます。これによって「堀」としての機能を果たし、城の守りを堅くしました。だから川の北の武家町と南の町人町がはっきりとわかれることになります。
城下を囲む防御施設として南を流れている女鳥羽川が清水橋周辺で直角に北へ流れを変えています。その清水橋近く、樹齢300年、高さ20m、圧巻のケヤキの木の下に沸く泉が「槻井泉神社の湧水」です。古来からこんこんと湧出し、この地のシンボルになった湧水で、平安時代には近くを官街道(山辺街道)が通っていて古くからの水場でした。この地域の地名“清水”もこれに由来しています。江戸時代・水野氏時代には、この水を使って染色や紙漉きが行われていました。
神社前に水汲み場がありますが、赤い橋の下を覗くと清らかな水がとめどなく湧いているのがわかります。
清水橋を渡り、静かな住宅街から石畳の道を入った奥まった一角に「鯛萬の井戸」があります。松本で『鯛萬』といえば老舗レストランが有名ですが、ここはかつて、割烹料亭『鯛萬』があったところで、大正11年生活密着の井戸として深度30mまで掘られたことから呼ばれています。平成15年に鯛萬井戸公園として整備され、深度50mまで掘られた井戸は、県内の平均的な地下水の水質で、鉱物のような硬さがあります。
この地区は商人町であると同時に職人町として、物販、飲食、娯楽の中心として発展してきたことから、鯛萬小路と呼ばれる細い細い道には、昭和の風情佇む夜の飲食街が残っています。
再び女鳥羽川沿いに戻り、ちょうど妙勝寺の対岸にあるのが、市街地に残る唯一の蔵元、銘酒『善哉』を造る善哉酒造の井戸「女鳥羽の泉」です。敷地内に数か所あった井戸のうち、一番美味しいと残された井戸で、地下30mから自噴していています。現在の井戸は昭和62年に整備され、お酒の仕込み水にも使われる水は空気がたくさん含まれているような軽い飲み心地です。
「お堀の水をたどるコース」はマップでは松本城北門からスタートしますが、女鳥羽の泉から女鳥羽川に土って松本城を目印に西に向かいます。市街地ではひときわ高く目立つ松本ホテル花月の隣、下町会館前に平成20年に整備された「東門の井戸」があります。このあたりは、かつて城の総堀南東に東門馬出があった場所で、町民や農民が城内に入る場合はこの東門から入りました。
松本ホテル花月の脇にある外堀小路を歩くと、道沿いに総堀からの水が女鳥羽川に流れている。この道は男女で歩く告白スポットで、成功なら、すぐ近くの四柱神社にお参りするのだとか。
東門から北の総堀は、明治19年の水害により、総堀周辺の東半分が水に浸かったのを機に半分埋め立てられました。その時、旧大柳町の総堀跡から水が湧き出したことから、御嶽大神神社の敷地内にある公園の一角に明治維新後に作られた井戸が、「北門大井戸」です。城の北門脇にあることから名前がつきました。湧水が多い場所で柳町と呼ばれていました。湧いている水は、少し甘味がありますよ。
「北門大井戸」から西へ1分、裁判所裏手の通りから一段下った場所に「北馬場柳の井戸」があります。この井戸も総堀が埋め立てられ、その埋め立て地の中から水が湧き出していたことから作られました。江戸時代の城下町絵図にも同じ位置に井戸の印が付けられています。
旧町名が北馬場で、そばに大きな柳の大木があったことからその名がつきました。現在は柳の大木が朽ち、代わりに柳の若木が植えられています。飲んでみると、舌の上でトロリとして、かつ甘さを感じますよ。
松本城の北不明門があったあたり、葵馬場があったことから「葵の井戸」と
松本城の北不明門があったあたり、葵馬場があったことから「葵の井戸」と命名したかったのですが、先に他所に名前がついていたためあきらめて「松本神社前井戸」と命名されました。神社側とお城側の二つの井戸が向かい合った形になっています。神社は寛永3年城内で祀られた後、現在の地に移ったとされます。
お堀沿いに戻りながら、松本城二の丸裏御門橋近くに「地蔵清水の井戸」があります。1585年頃小笠原貞慶は総堀内を武家地と定め城下町を形成しました。その武家地整備中に井戸を掘ったところ、地下の湧水と共に地蔵も一緒に沸き出たことからこの名で呼ばれています。そに地蔵は現在、蟻ケ崎の「生安寺」に祀られています。
北門から二の丸御殿跡を通り、太鼓門を出て、松本市役所の正面に「市役所前庭井戸」があります。ここを覗いて再度太鼓橋から入城して松本城正面入り口、大名町通りへと向かいましょう。
松本城の表玄関にあたる「かおり風景100選」に選定された大名通り沿いには、200mにわたりシナノキの並木道があり、「大名小路井戸」や「大名町大手門井戸」が点在しています。
松本信用金庫敷地内にあり、市役所大手事務所前にあるのが、平成21年に整備された一見五角形のような写真の「大名小路井戸」です。このあたりはお城の三の丸だったところです。松本に近代的な上水道が整備されたのは大正13年(1924)ですが、元禄年間にはお玉の池を水源として木管を埋め、早くから城下町に水道が引かれていたといいます。
大名町通りを松本駅方面に歩くと続いてあるのが「大名町大手門井戸」。松本城大手門駐車場の一角にある平成19年(2007)4月「水めぐりの井戸整備事業」で作られた最初の井戸で、汲み上げはポンプ式です。このあたりは、松本藩の上級武士の屋敷があった所と言われています。※松本城公園内にあった松本市立博物館が松本城大手門駐車場に移転し「松本市立基幹博物館」になる予定です(2023年度秋開館予定)
かつて井上デパートがあった場所が今の松本城大手門駐車場で、その対面にある西堀公園内に「西堀公園井戸」があります。明治時代、松本城の西の総堀を埋め立て作られ新しい町しく町ができ、この辺りを「西堀」と呼ばれています。「水めぐりの井戸整備事業」で平成20年(2008)に作られました。
最後は大名通りを跨ぎ四柱神社裏手から「辰巳の御庭の井戸」で休憩です。松本城の辰巳門と城主の辰巳御殿があった所です。小さな公園になっていて、きれいな冷たい水が湧き出、水路にせせらぎとなって流れる様に癒されますよ。
松本駅までは、中の橋を渡って「ナワテ通り」を歩いて戻ります。縄手の町名は松本城の南惣堀と女鳥羽川の清流にはさまれた縄にように細く長い土手に由来しています。市民に親しまれている四柱神社が明治12年に建立されてからは、その参道として発達してきました。名鳥羽川沿いに延び、昭和の風情を残した通りで、城下町らしい町の雰囲気とは少し異なります。せんべいや鯛焼きなどの店があり、町屋風の町並みには庶民的な雰囲気が漂います。千歳橋側の入口にはナワテ通りのシンボル「ガマ侍」のオブジェが据えられています。千歳橋(旧大手橋)の屈曲は、ここに大手門枡型があった名残です。
千歳橋袂から本町通りを南に牛つなぎ石を見て松本駅でゴールです。高さ70~80cmほどの石で、戦国時代、武田信玄の軍が塩不足に陥り、敵方の上杉軍が塩を送ってきた時に、塩を運んできた牛をつないだといわれる伝説の石です。
井戸の深さや地層の性質で水の味には違いがあり、ペットボトルやマイコップ持参で水巡りを楽しんでみてください。 基点となる松本城「戦闘用の天守と優雅な櫓の競演!信州・松本城の魅力を探る。」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/11593