舟運で栄えた町並みが今も残る北総の小江戸・佐原を歩く

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日本遺産「北総四都市江戸紀行」~江戸を感じる北総の街並み~に選ばれた「北総四都市」のひとつ千葉県の北端、利根川の中流域に位置する佐原は、香取神宮の門前町として発展してきましたが、江戸時代に利根川の支流の小野川の舟運の中継基地となり、北総随一といわれる繁栄を極めた商都です。『お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町江戸まさり』と謳われたように首都を凌ぐほどの賑わいを見せた江戸時代の佐原は、あの伊能忠敬が30年間暮らした町でもあります。今も柳の葉がそよぐ小野川沿いには土蔵造りの商家建築が並び当時の歴史を伝えています。そんな町並みを歩くとそこにはいくつもの発見があります。

道の駅「水の郷さわら」から小野川沿いを1。5kmほど(JR佐原駅から800mほど)歩いていくこともできますが、今回は車で香取街道(県道55号)と水郷佐原山車会館との交差点に車を停めて歩きます。(中心街の駐車場(一日500円)は満車) 香取街道沿いには、大正3年(1914)美しいレンガ積み建築の洋館・三菱館(三菱銀行佐原支店旧本館)が目を引きます。赤レンガを積み上げて建てられた2階建ての建物で、内部は吹き抜けのいなっていて2階周囲は回廊、屋根は木骨銅板葺きです。

三菱館の並びには明治25年(1892)の大火後に再建された中村屋乾物店2階部分の観音開きの土戸に驚かされます。

斜め向かいには創業350年の誇るゴマ油の老舗の油屋「油茂(あぶも)製油」があります。浅煎りした白ゴマを、創業以来の伝統技法である石臼による“玉絞め”で搾り、」和紙の袋で濾過した一番搾りのゴマ油が看板商品です。この一番搾りのゴマ油に花山椒や陳皮など8種類の香辛料を加えたラー油「さわらー油」をお土産に買って帰ります。

利根川の支流・小野川と香取街道が交差する、小野川に架かる橋・忠敬橋の信号に出会ったところを中心に小野川沿いの両岸約400mが関東で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定された佐原の中心部です。

千葉県香取市佐原は、銚子から利根川を経由し、江戸に向かう東廻り廻船の、物流・交易の拠点となった河港でした。天明8年(1788)に、酒、醤油、みりんなどの醸造蔵が35もあり、関西の「灘」にちなんで「関東灘」とまでいわれました。利根川から運ばれる豊富な物資と、旦那衆と呼ばれる豪商が持ち込んだ江戸の文化が花開き、荷船で渋滞する川は「両岸の狭きを怨み、誠に水陸往来の群衆昼夜止む時なし」というほどであったといいます。

川幅約3m、「倉敷」を小ぶりにしたイメージですが、等間隔に並んだ柳並木を水面に映す川の両岸に木造や蔵造りの商家が並び、その繁栄ぶりが目に浮かび、まるで時代劇のオープンセットに入り込んだような気分です。そして小野川を遊覧船(ざっぱ船)が水郷の風情を盛り上げています。

さてそんな佐原を代表する偉人といえば、日本全国を測量して歩き、日本初の実測日本地図を完成させた伊能忠敬です。旧居を目指して忠敬橋から南へ川畔をあるくと樋橋が架かっています。別名「ジャージャー橋」といい、30分毎に橋の両側からジャーと水の音を響かせながら放水されています。もとは農業用水を送るための樋が付いた水路橋で、伊能家の敷地内に設置されたものとのこと。ちなみに残したい「日本の音風景100選」に選ばれています。

樋橋袂、小野川に面して建つのが、佐原の人々が親しみを込めて「ちゅうけいさん」と呼ぶ伊能忠敬旧居です。店舗・炊事場・書院・土蔵が見学でき、質実剛健な暮らしぶりがうかがえます。母屋は寛政5年(1793)に忠敬が設計しました。九十九里で生まれた忠敬は、19歳で酒、醤油の醸造業や金融業を営む伊能家(分家)の婿養子になり、49歳で引退し江戸にでるまでの30年余り、佐原の商家の主の一人でした。

川面に下りる階段を『出し』といい、小野川に沿って15m間隔で造られています。利根川から小船に積み替えて着いた伊達藩の米だとかを荷揚げした場所です。

ジャージャー橋を渡り対岸の伊能忠敬記念館へ。記念館には半円方位盤や水揺球儀、測食定分儀といった精密な測量器具のほか、文政4年(1821)に完成させた日本図、国宝指定の「伊能図」といった忠敬が手掛けた数々の地図が展示されています。50歳から江戸で天文学や測量学などを学び、55歳から17年かけて10回に及ぶ日本全国を歩き続け測り続けて、測量に基づく近代的な日本地図を作ったのです。

伊能忠敬記念館の並びに伊能本家17代当主が営む喫茶店「遅歩庵 いのう」があります。板塀に板壁、瓦屋根の店は、古きよき日本家屋そのままです。築20年の「小江戸」と呼ばれる佐原の街に溶け込む店構えです。2013年10月日テレ土曜ドラマ「東京バンドワゴン」のドラマロケに使われた時の看板が店先に掲げられています、

展愛には伊能家にあった350年前の欄間やカエデの一枚の引き戸板などが、さりげなくインテリアに使われています。

忠敬橋から北へ川沿いを行きつ戻りつ建物ウオッチングをしながら散策です。塗屋造(外面を壁や漆喰で塗りこめた耐火建築)に黒瓦屋根の商家が立ち並びます、家の幅も軒の高さも表の意匠も、法則がないのが佐原の家並みの特徴なのか、築年も江戸後期から明治が中心で、昭和もまざりばらばらなのにトータルの統一感があります。切妻平入、明治34年(1901)建築の木の下旅館は小津映画にでてきそうな佇まい、寛政12年(1800)から続く正上はもともとは油屋、その後醤油の醸造をしていたが現在は佃煮の製造販売店です。ワカサギを串刺しにし味付けした「いかだ焼き」が名物。店舗は天保3年(1832)の建築、土蔵は明治初期の建築、佐原最古といわれる土蔵(寛政10年築)が残る旧油惣商店など見ごたえのある古建築が次々現れ、飽きさせません。町並み観光中央案内処では、商家の帳場を再現、法被を着て記念撮影もできます。

最近はそんな建物を利用したレストランやカフェ、雑貨店が増えてきて、江戸情緒と現代モダンがうまく溶け合った町歩きが楽しめます。写真は明治11年(1878)建築の古民家を利用したカフェ&レストラン「ワーズワース」。スイーツからピザ、パスタ、ワインにあう小皿料理まで豊富なメニューが揃います。

地元の人たちに「土蔵通り」と呼ばれている通りを歩いて遅い昼食を食べに「東洋軒」にむかいます。大正15年(1925)創業の4代続く洋食店。看板メニューは“インディアンライス”なるものでドライカレーの上に秘伝の割り下でソテーしたポークをのせたもの。“ポークジクセル”という料理も人気。小麦粉と卵をまとわせた豚ロース焼きで秘伝の割り下にくぐらせたピカタのようなものです。とにかく豚肉にこだわっていて、千葉県東庄町産のブランド豚「林SPF」を使用しています。2016年7月放送の出没!アド街ック天国~佐原~で第18位でした。また2017年5月放送の「メレンゲの気持ち」で石ちゃんがインディアンライスを紹介していました。

近くの大和屋さんで東洋軒の奥様がおいしいと言っていたきんつばを買って、香取街道を歩いて駐車場まで戻ります。かつて小野川沿いには物資を貯蔵する倉庫や荷揚げされたコメや大豆を使って酒や醤油を造り江戸へと送り込んだ醸造所などが建ち並んでいたそうです。一方香取街道である目抜き通りには江戸から運び込まれた当時の流行りものの数々を扱う商家が並んでいたということです。確かに川沿いと街道沿いでは家の造りも微妙に違うように思えて面白いです。

ずらりと並ぶ建物のほとんどが県の指定文化財という迫力ある一角には明治13年(1880)建築の正文堂書店、明治33年(1900)建築の小堀屋本店、明治28年(1895)建築の福新呉服店と並んでいます。一番奥に見える小堀屋本店は天正2年(1782)創業のそば屋。切妻平入瓦葺きの木造2階建ての建物で店舗と調理場、土蔵が一体となった明治時代の形式をそにまま残しています。池波正太郎が『私の休日』と題する随筆に「江戸時代の建物のままで営業している『小堀屋』という蕎麦屋で年越し蕎麦をすすり、酒を飲んだ。」と書いた名店です。焼いた日高昆布の粉を混ぜて練り込んだ黒切りそばが名物です。ちなみに表のガラス戸は明治35年(1902)に旧佐原市で初めて使われたものだそうです。

 

正文堂書店には龍を彫り込んだ看板が掲げられています。

関東からなら日帰りで楽しめる小江戸の旅でした。

 

 

 

 

 

 

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