
城下町越後長岡のにぎわいは戦国時代の信濃川河岸に位置する蔵王堂城に始まり、その後、牧野氏が統治する長岡城の城下町へと受け継がれました。町の中心部は当時町並みを戦災で失ってしまいましたが、郊外にある旧三国街道沿いにある摂田屋地区は、長岡市の新名所として、サフラン酒本舗が注目されていますが、実は江戸期から醸造業が盛んで、この地区には他にも今も6軒の醸造会社が明治・大正期の歴史的建物と共に残っていて、町全体が、日本の古き良き時代の面影を残しています。7件の国登録有形文化財が、わずか500m四方の中にひしめくこの歴史ある町並みを歩いてみます。
摂田屋は、三国街道に沿って形成された集落が起源といわれ、最古の記録は乾元2年(1303)で、紀伊国和佐庄に開創された歓喜寺という禅寺の所領でした。その接待所が設けられたことから、摂待屋、接待屋が地名の語源とされています。摂田屋地区の魅力は、趣のある町並みでタイムスリップしたような気分を味わえることで、古くから醸造文化が栄え、今も小さな範囲に酒蔵や味噌蔵が6つも点在する摂田屋。もともと江戸幕府の直轄領であったことから酒や味噌など醸造の規制が周りの長岡藩の領地より緩やかだったことから夏の蒸し暑さが味噌・醤油の発酵にむいていたことや、米が入手しやすく、商品を信濃川の水運で出荷しやすいという地の利もあり醸造業が栄えました。
上越新幹線の長岡駅から信越本線に乗り換え、一つ目の宮内駅で下車します。駅東出口を出たら、宮内駅前交差点を右に、県道370号線をまっすぐ進むと左手に秋山孝ポスター美術館長岡がある。そこを過ぎた辺りから、古い家が多くなります。いよいよタイムスリップの始まりです。
宮内1丁目交差点を左に曲がると、「越のむらさき」創業家の旧邸宅を改装した店舗で、日本庭園を眺めながら甘味を楽しめるのが「江口だんご摂田屋店」。江口だんごは、創業明治35年(1902)、地元長岡で愛される伝統の味。「笹だんご」はヨモギ餅を笹の葉でくるみ、蒸してつくる新潟の伝統的な和菓子です。
総ケヤキの数寄屋造りだったかつての日本家屋の面影を残しつつ、床をフローリングにするなど店舗として必要な改築を施しています。かつて迎賓の場としても使われていたことから、店内から見える庭園も屋敷を訪ねてきた人たちをもてなすため、見事な造りになっています。そんなお庭の景色がよく見えるように大きな窓をパノラマ状に設えられ、庇を伸ばして庭に近い部分にもカフェコーナーを設けています。こちらにお客様が入っても店内からの景観に影響がないよう、一段低く造られています。
敷地内にある昭和5年(1930)に建築された離れの蔵を改装した「LIS」Local identity storede の1階では醸造リキュール等の販売、2階では木と暮らしの作品を展示するギャラリーとなっています。
隣がしょうゆ醸造所「越のむらさき」です。越のむらさきの創業は天保2年(1831)長岡藩時代にはじまり190有余年になります。昔ながらの製法で丁寧に造られたしょう油は、地元から愛されています。明治10年の建築という母屋と土蔵が登録有形文化財に指定されていますが、今も現役で使われています。れんがの煙突は、昭和3年(1928)に工場を新築した時には既にこの煙突はあったようです。当時は石炭を燃やしていましたが、燃料が石炭から重油になるとともに使われなくなり当時の2/3程の高さで保存されています。
社屋入口の左手にある地蔵は、三国街道の分岐点を示す「道しるべ地蔵」といい、賽銭箱に隠れている台座には「右ハ江戸 左ハ山路」と彫られています。文化3年(1806)に千手のたばこやさんによって功徳を得るために建立、寄進されたと台石に彫られています。三国街道は中山道の高崎から分れ、北陸街道の寺泊に至る江戸時代参勤交代に利用され、栄えた街道です。信濃(長野)、越後(新潟)、上野(群馬)の三国が接する三国峠を越えることからその名が付いたといわれます。江戸へ旅する人は、ここで道中の無事を祈って旅立っていったとのことです。
越のむらさきの社屋は明治10年(1877)の施工で軒高の低い町家形式を良く残し、傍らの小ぶりの土蔵と共に国の登録有形文化財に指定されていますが、その前に立つと、旧三国街道側に建つ土蔵群から醸し出される香ばしい醤油の匂い、麹菌で黒ずんだ竹駒稲荷が迎えてくれます。
旧三国街道を挟んで向かいに立つ竹駒稲荷は、宮城県岩沼市にあって、京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷とともに、日本三大稲荷神社といわれています。東北開拓の神として9世紀に建立されたという事ですが、明治22年(1889)にこの地に勧請されました。
その三国街道を右の江戸方面へ向かいます。竹駒稲荷との間にある細い道、黒塗りの壁と大きなタンクが並び、醸造の町摂田ならでは風景です。漂う醤油の香りを楽しみながら、2分ほど歩くと右手に「吉乃川酒ミュージアム 醸蔵」が見えてきます。
吉乃川は天文17年(1548)創業の老舗酒蔵で、大正12年に当時の先進的なコンクリートで建設された築100年となる倉庫「常倉」を改装したものです。かつては酒の瓶詰作業が行われていたところで、天井に鉄骨が三角形で組まれた「トラス工法」が特徴です。この日は試飲会場となっていました。
酒ミュージアム「醸蔵」は、「知って、飲んで、買える」をコンセプトに、館内には5つのコーナーがあります。①吉乃川の歴史、酒造り、摂田屋の歴史を知る「展示コーナー」②酒蔵でしか飲めない特別なお酒や人気の飲み比べセット等を楽しめる「SAKEバー」。地元企業とコラボしたつまみもあります。③売店④醸造内で醸造される吉乃川のクラフトビール「摂田屋クラフト」⑤酒造り体験ゲームがあります。
県道に出て、南に向かって歩くと摂田屋に来たら必見なのが機那サフラン酒本舗の鏝絵蔵です。建築主は21歳でサフランやケイヒなどを用い、明治時代に一世を風靡した薬用酒・機那サフラン酒を考案して財を成した豪商、吉澤仁太郎で、現在の地、約3000坪の敷地内に明治27年(1894)店を構え、その32年後には、贅の限りを尽くて建てたなまこ壁の鏝絵蔵を建築しました。土蔵以外にも、敷地内には古い建物がならんでいて、写真の一番古い母屋は明治27年に建てられたものです。
機那サフラン酒本舗には、米蔵など10棟の建造物、庭園、石垣があり醸造のまち摂田屋のシンボルとなっています。当時は、極彩色の鏝絵やモダンな噴水のある庭園などが評判を呼び、たくさんの見物客が訪れたといいます。写真は離れ座敷
庭もじっくり見るとおもしろい。機那サフラン酒製造本舗の創業者、吉澤仁太郎が、奇想天外な発想で手間と資金を注ぎ込んで造った、少し風変りな庭園です。この庭園の東側には、浅間山・鬼押出から大量の溶岩を運び、積み上げた築山が連なっています。庭園内には、いたるところに佐渡島の赤石や黄石、糸魚川から取り寄せた翡翠の原石(姫川石)があったり、遠くは群馬県山波石、北海道の夕張石など、今では手に入りにくい石が配され、お宝がざきざく転がっています。また至るところに置かれた灯籠や石像のいくつかは、仁太郎が自ら造るり上げたものです、池は中央に溶岩の島が築かれ、そこには龍や鯉などの錬金が埋め込まれています。石のように見えても、よく見ると一部に彫刻が施されたりしていて驚かされます。
東洋のフレスコ画とも呼ばれるこの蔵の鏝絵の特徴としては、まず、大きいことで、鏝絵は普通建物の一部に点景として描かれるが、ここでは壁から軒から戸袋まで全部鏝絵です。これほど全面展開した例は他にないのでは。二つ目は、絵が大振りで、色彩が鮮やかにして多彩なこと。そして3つ目が一階部分のなまこ壁で、色は白と黒のコントラスト、パターンが斜め格子です。このような派手な建築仕上げは世界に例がない。
東側には鳳凰などの縁起のよい四霊獣・四瑞獣、北側には干支の鏝絵が描かれ、芸術性の高さに驚きます。いまだに鮮やかさの衰えない岩絵具による鮮やかな極彩色、立体感のある鏝絵の動物たちは、今にも飛び出してきそうで、これが大正時代の建造物というから驚きです。写真は写真上部は東側の鮮やかな藍色が印象的な一対の鳳凰の鏝絵。どちらも青色顔料を混ぜた色漆喰で造形したのち、立体感を出すためにセッコ技法で濃淡の異なる青色顔料が塗られています。
鏝絵を装飾したのは親友の左官職人・河上伊吉。伊吉は機那サフラン本舗しか鏝絵に携わっていない稀有な存在で、30数種のコテを使って漆喰を操り、この鏝絵を生み出しています。その装飾は、はじめに磨き上げ技法を用いて塗られた極彩色が際立つ黒色下地の上に、漆喰を主材とする材料で立体的な装飾が造形されています。盛り付けられた漆喰は、彫刻作品のように動物が造形された箇所、曲線を織交ぜながら動きを付けて雲や波の質感を表現した箇所、線刻を用いて植物の葉脈を表現した箇所など、様々な技法が取り入れられており、これらを組み合わせてそれぞれの立体感のあるダイナミックな鏝絵作品が構成されています。
米蔵は「摂田屋6番街 発酵ミュージアム・米蔵」にリニューアル、現代の茶屋をテーマにしたおむすびカフェがあり、地元の食材にこだわったおむすびやみそ汁を味わったり、摂田屋ならではのお土産が購入できます。
さらに進むと、左手にあるのが昭和50年(1975)、創業者の三代目星野正夫さんが、分家した初代星野六郎さんが定めた屋号“星六”を掲げて創業したのが「味噌星六」。洋画家の中川一郎氏が描いた店名が目印の大正7年(1918)築の建物は趣があります。グルメブームをけん引した漫画『美味しんぼ』16巻「飯の友」編で紹介された名店です。昔ながらの天然醸造と国産の無添加・無農薬原料にこだわり、ここの土蔵も明治中期に建てられたもので、今も味噌造りに使われています。
星六の先を左に曲がり、5分ほど歩くと実際に使われておた三十石桶が目印の「星野本店」があります。江戸時代の弘化3年(1864)創業の醤油・味噌醸造所で裏に直売店も併設。「天恵蔵元味噌」は全国品評会でも高い評価を受けてきました。また夏野菜の漬物や豚肉の糀漬けなどに使える“糀一夜漬の友”は30年以上の人気商品です。星六は明治30年代にここから分家しています。
登録有形文化財になっているのは、全国的にも珍しい3階建ての蔵で、明治15年に2階建てとしてできた建物を、大正時代に3階を増築したもので、家財道具を入れておく蔵だったとのことですが、現在は摂田屋の資料を置く展示スペースに。
星野本店のすぐ先にあるのが、天保13年(1842)に初代の重吉が創業した江戸時代から続く老舗の「長谷川酒造」。信濃川の伏流水を水源とする超軟水で仕込むお酒は、米の旨味を感じさせつつ、あと味すっきり。昭和の大作曲家・遠藤実がここの酒を愛していたそうで、彼が命名したという「雪紅梅」は、この蔵の代表銘柄です。明治19年(1886)建築(大正13年改修)という母屋が登録有形文化財に指定され、出雲崎山谷の久賀権治郎の手によるものです。玄関には杉玉が吊るされ、店名が筆文字で書かれた看板が掲げられた由緒正しい造り。
敷地には南側の母屋からつながる仕込蔵、煉瓦造製麹室、この先に土蔵造りの醸造蔵が道沿いに続き、醸造元として独特の景観を生み出しています。
駅に戻る途中、戊辰戦争で長岡藩が本陣にした光福寺に寄っていきます。浄土真宗本願寺派の青木山光福寺は、開基が明応年中(1492~1501)とする古刹です。上杉家の武将本庄氏が帰依し、もと柿村の青木山にありましたが寛文4年(1664)に摂田屋に移り、元禄12年(1699)長岡3代藩主牧野忠辰の参詣を受けています。戊辰戦争時にはここに最新鋭のガトリンク砲と様式武双した藩兵が配置されました。敷地内に石碑が建てられ、意に反して戊辰戦争に巻き込まれてしまう家老・河井継之助の無念を偲ぶという趣旨の文章が胸を熱くし、2022年6月公開の映画「峠 最後のサムライ」を思い出します。
駅前の青島食堂へ。最近、ご当地グルメ新潟五大ラーメンの一角、新潟長岡生姜醤油ラーメンが有名ですが、それも摂田屋のしょうゆ文化があればこその味なのかもしれません。新潟五大ラーメンとは、雪国の知恵として生まれ、体を芯から温めてくれる「長岡生姜醤油ラーメン」、大量の背脂と極太麺のインパクトで全国的に知名度上昇中の「燕背脂ラーメン」、まるでつけ麺のような割スープが一緒に提供される「新潟濃厚味噌ラーメン」、屋台から生まれた極細麺の「新潟あっさり醤油ラーメン」、県内でも限られた地域でしか味わえない「三条カレーラーメン」の5つです。新潟生姜醤油ラーメンの元祖としてその知名度を首都圏にまで広めた立役者が青島食堂です。
ゲンコツと生姜を煮込んで取ったダシとチャーシューを煮込んだしょうゆダレを合わせた濃い飴色のスープはコクがありながらスッキリとした味わいで細麺が好相性。チャーシューとホウレン草、ノリ、ネギがのりいわゆる中華そば的なクラシックなビジュアルですが、スープを口に運ぶとじんわりと生姜の風味が広がります。
宮内駅から信越本線で2駅目の来迎寺駅で下車し、駅から徒歩で10分程度のところにある「越路の庭 もみじ園」へ向かいます。
もみじ園に向かう来迎寺県道23号線付近で見つけた長岡市(旧越路町)のマンホールはホタルがデザインされています。越路地域はほたるの里7として環境省のふるさといきものの里100選に認定されています。
長岡市越路地域のもみじ園は、明治29年(1896)頃、神谷の大地主、高橋家の当主高橋九朗が別荘の庭園としてつくられたものです。町を見下ろす高台にあり、もともと巴ヶ丘・高九の別荘と呼ばれて近郷から親しまれていましたが、平成元年に旧越路町に寄贈されました。高橋九朗は、長岡市にある地銀・北越銀行のルーツのひとつ「神谷信用組合」の創業者であり、衆議院議員も務め、政財界で活躍した人物です。
園内の巴ヶ丘山荘は国の登録有形文化財になっています。写真は山荘への玄関口・庭門で、枯山水庭園があり、そこから飛び石をたどって池泉式回遊庭園を周遊する動線になっています。
建物は明治(1896)頃に建てられた木造平屋建、瓦葺の開放的な近代和風住居。高橋家がお客様を招く茶室として建てたもので寄棟造の座敷棟二棟を矩折に繋いだ平面を持ち、東棟に東面する玄関を構えます。西棟は良材を用いて大床を構えた15畳最大の座敷を中心としています。
回遊庭園である約4000㎡の敷地内には、樹齢150年~200年のもみじや山桜、ツツジなどの植物が植えられています。最も多く植えられているイロハモミジは北から九州地方の太平洋側に野生するもみじの一種で、高橋家が事業の活動の場であった京都から優れた5品種を移植したものと思われます。
JR来迎寺駅から信越本線で直江津へと走る列車の車窓に映る秋の夕暮れの日本海の景色を眺めながら帰路につくのも素敵です。