
群馬県の北西部に位置する東吾妻町の北にそびえる名峰・岩櫃山(標高802.6m)は、町を代表する景勝地であり、その中腹には、吾妻氏、武田氏、真田氏の歴史舞台であり、真田氏の上州の拠点、続日本100名城岩櫃城があります。武田氏と上杉氏が領有を争い、真田幸村が幼少期を過ごしたとも伝えられ、歴史ファンにも人気の場所。また岩櫃山は、奇岩が連なるダイナミックな地形に、沢沿いの急登、鎖場や鉄格子といったスリリングなルートで、と、ちょっぴり冒険気分が味わえます。奇岩と絶景、歴史ロマンが味わえる歩いて楽しい山城へ冒険旅行にでかけます。
岩櫃城は岩櫃山の中腹東面に築かれた中世の山城で、南面の岩壁、東側の番匠坂、北の柳沢城、南の郷原城、そして自然の堀である吾妻川と難攻不落の山城でした。岩櫃城は南北朝時代の応永12年(1405)吾妻氏によって築城したと考えられています。永禄6年(1563)武田信玄の上州侵略に伴い真田幸隆によって城主吾妻太郎斉藤越前守憲広(基国)が駆逐され真田幸隆が城主となります。
天正3年(1575)家督を継いだ真田昌幸によって沼田城・名胡桃城と信濃国の上田城を繋ぐルート上の重要拠点として岩櫃城の大改造を行いました。城域は136ha広く、上州最大規模を誇り、武田領内の三堅城(岩殿城・久能山城)と称されました。その中を沼田と上田を結ぶ真田道を通し、中心部の曲輪から放射状に壕が整備される特殊な構造で、周囲に出丸、番城、砦を配していました。天正18年(1590)北条氏の滅亡により、沼田を支配下においた初代沼田城主・真田信幸の支城として重臣出浦対馬守を城代として置き、吾妻郡統治の中心地としての役割を果たしましたが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となりました。写真は観光案内所にある岩櫃城模型
登山口は、平沢、赤岩、密岩の3ヵ所ありますが、今回は岩櫃城跡と岩櫃山の両方を楽しむということで平沢登山口からスタートすることにします。岩櫃山(標高802.6m)は吾妻八景を代表する景勝地として知られ、南面に約200mの絶壁と岩峰がそびえ立つ象徴的里山です。NHK大河ドラマ『真田丸』のオープニング映像やポスター等に掲載される写真は赤岩、密岩コースの古谷登山口(こちらにも駐車場30台可)近くにある密岩神社境内からの絶景です。※平沢口からは岩櫃山は眺められません。岩櫃は、古来から修験文化の宿る敬虔な山で、信仰と深く関わる岩櫃山の中で、とりわけ謎と伝説に包まれているのが密岩神社です。密岩コースの中腹の崖の岩の中に造られた社は誰がどうやって造ったのかは謎で、参道は脆く危険ということで2011年里宮が設けられました。
また赤岩通り登山口には潜龍院跡があります。ここは天正10年(1582)真田昌幸が新府城を追われた主君である武田勝頼を迎い入れ、織田・徳川からの攻防に備えて再挙を図ることを進言し3日で建てた御殿跡です。しかしながら勝頼は小山田信茂の岩殿城を目指したものの裏切られ、岩櫃に来ることは叶わず天目山で自刃してしまいます。急造された御殿は昌幸の一族である根津潜龍濟という山伏が拝領して寺とし、巌下山潜龍院として明治に至り、明治17年にその護摩堂が原町顕徳寺の本堂となっています。
電車の場合、最寄り駅はJR吾妻線の群馬原町駅。原町は吾妻原に整備された岩櫃城の城下町で、真田道の一部である番匠(工人)が住んでいたといわれる城域の東端・番匠坂を40分ほど歩くと平沢登山口に到着します。途中街道沿いには岩櫃神社が鎮座する「天狗丸」と呼ばれる出城があります。登城口の北東に伸びる尾根に築かれた東北~西南が長さ約280m、幅約70mに及び本丸に近いことから重要な場所であったと考えられます。天狗丸は真田が支配していた頃には真田忍者の活動拠点であったと言われています。
岩櫃神社の祭神は斎藤佐太郎基国で、関ヶ原敗戦後、昌幸・幸村父子に伴い紀州へ従った275人の一人とも岩櫃城落城後、越後に落ち延びたが元の領民の安否が気になり、神照坊大天狗と化して岩櫃城に戻り、旧領地の人民を保護したとも言い伝えられています。
70台程の駐車場がある平沢登山口は標高511m、岩櫃山の3合目にあたり観光案内所が置かれていますのでMAPもいただけます。。自販機やトイレもあり、小休止して準備を整えます。因みに続100名城スタンプや御城印はここでいただけます。ここから真田道を南に進みと、西の木戸近くに位置する岩櫃城代を務めた真田の家臣、甲州透破の棟梁・出浦昌相の屋敷跡・出浦渕を通ります。
登山口を入ってすぐ道は「沢通り」と「尾根通り」の二手に分かれます。先ずは城跡めぐりを優先し、「尾根通り」を進みます。
頂上より約200m下がった標高593mの場所に階段状に築かれた本丸・二の丸・中城といった曲輪から山腹に向けて放射線状に複数の長大な竪堀が伸びています。尾根通りを登って最初に現れる主要な曲輪のひとつが中城です。ここから二の丸、本丸へと尾根上の城郭遺構が続きます。周囲に大規模な竪堀や土塁が巡らされ、中城の曲輪を周るように進みます。
中城の西側から北に直角に尾根通りが曲がり、竪堀がそのまま堀道となっています。長さは100m以上にも及び、V字形の深さは2~3m程ある薬研堀となっており、本来の登城口は中城経由なのでしょう。右手が中城
竪堀道を上がりきったところが二の丸下の帯曲輪。奥にも竪堀が造られています。
二の丸へも右手から階段を上がり、さらに本丸へも階段を上ります。二の丸から本丸下の竪堀を見ると鈎の手状に折れていることがわかります。折れを設けることで高い防御力を有しています。右手の階段で本丸へ。
本丸下から南方を望むと中央の凹地が竪堀で、表土が4mほど堆積してしまっていますが、長大な竪堀は幅も広く規模の大きさが伺えます。
本曲輪は標高593.3mに位置し、東西140m、南北35mの広さがあります。中でも一段高くなっている場所が櫓台跡で、幅12m、高さ2.5mほどの高台になっていて周囲を観察する展望台と考えられ、ここから周囲の展望・状況を確認し、城内外に指揮連絡系統を結んだとされます。櫓台跡にあるのが城址碑
本丸(一の曲輪)櫓台から伸びる土塁の西側は「北枡形虎口」跡に繋がり「内枡形」になっています。4合目のここで「沢通り」に通じる道に出ますが、そのまま「尾根通り」を上ります。
岩石のある5合目にでます。このあたりから景色が変わってきます。尾根道は狭くなっていきます。
さらに進むと尾根通りを遮るように立ちふさがる「天狗岩」という岩が立つ場所にでます。天狗の鼻のように尖って突き出た不思議な形をした岩です。
天狗岩に裏に回り込むとここから少しアスレチックコースのようになっていきます。細くて鋭い稜線の尾根通りには大きな岩が次々と現れ、岩場を登り降りするのに鉄梯子や鎖場も設けられています。岩に手を掛け、足を掛けて一歩ずつ進んでいきます。
登山口から尾根通りを歩くこと約1時間で赤岩通り分岐点に出ます。潜龍院跡のある赤岩通り登山口から登るとここに合流します。この辺りが6合目になり、山頂方向に進むと沢通りと櫃の口といわれるところで合流します。
櫃の口付近には天狗の蹴上げ岩とよばれる巨岩スポットが現れます。天を突くようにそびえる2つの細長い岩塔の間に巨石が奇跡的に挟まったような神秘的な光景を見ることができる巨岩スポットです。
天狗の蹴上げ岩の間を抜け、一本槍の横をすり抜け鎖場を登り返せば9合目です。
展望の開けた9合目のその先に、岩櫃山の山頂が灯台のように立っています。ここから一旦下り頂上直下の鎖場を10m登れば岩櫃山山頂(標高802m)です。
頂上に立つと、遮るもののない360度ぐるりと広がる上州の上毛三山や浅間山などの山々の大パノラマの景色が迎えてくれます。
帰りは来た道を櫃の口まで戻ります。ここからは沢通りを下って平沢登山口を目指します。5合目あたりまでは渓谷のような岩の間を抜けたりしながら沢をくだっていきますが、段々と道幅も広くなり、次第に足元にはゴロゴロとした石に変わっていきます。
登山口に近くなり岩櫃城域に入ってくると沢通りも薬研堀(横堀)道を歩くことになります。ここ辺りで中城の竪堀を受けています。
岩櫃城で真田の歴史に触れ、潜龍院で武田勝頼が岩櫃に来ていたらと想像し、奇岩を登り、沢を下る。色々な楽しみが詰まった大人の遠足にぴったりな山旅です。
真田街道(国道145号)は、真田氏の所領である上州沼田と信州上田を鳥居峠を挟んで繋ぐ軍用路でした。その途中にある川原湯温泉で疲れを癒します。川原湯温泉は、建久4年(1193)源頼朝が狩りの途中で湯けむりを見つけ、温泉に浸かったことが始まりとする説が最も広く知られていますが、もうひとつ、光林和尚が夢枕に現れた薬師如来のお告げにより霊泉を発見し、その正式名である「川原朝臣権頭光林」にちなみ川原湯と名付けられたという説があります。開湯から400年後に一度温泉の湧出が止まり、再び湧き出したという出来事や、2000年には八ッ場ダム建設により温泉街が湖底に沈むことによる温泉街の移転といった大きな歴史を歩んできました。
共同浴場「王湯」は高台の代替地に「王湯会館」として生まれ変わり旧来の源泉「元の湯」に加え、移転後新たに掘削した「新湯」を使っています。元々“草津温泉の上がり湯”とも呼ばれ、保温・保湿効果に優れた、美肌の湯として親しまれてきました。泉質は含硫黄-カルシウム・ナトリウムー塩化物・硫酸塩温泉、pH7.41と中性、源泉温度75.3℃と高温の低張性中性高温泉です。源泉温度が高く加水はしてあるものの限りなく源泉かけ流しに近く、湯船に常に新しい湯が注がれ湯船からオーバーフローしています。
浴室の名は「三峰の湯」といい、内風呂と露天風呂を備えています。内湯は木の天井がかかった落ち着いた共同浴場らしくシンプルなつくり。石組の湯口から湯が注がれ、緑がかった澄んだ湯がたたえられています。
奥のガラス越しに露天風呂が見えます。木々の隙間に八ッ場ダムのあがつま湖が望める。湯に身を沈めると、ほんのり油のような匂いがあるものの、さらりとしながら肌にまとわりつくような湯でした。
