
新潟の玄関口・越後湯沢は、昭和43年(1968)日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成の代表作「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった-」。有名な一節から始まる名作『雪国』の舞台。川端康成が見た当時の温泉街に風情は様変わりし、小説の冒頭に描かれた越後湯沢の駅は新幹線が停車する巨大な駅舎になり、周囲にはリゾートマンションが林立しています。しかしながら駅を出て線路に平行して続く温泉街は、まだまだ温泉街情緒を感じることができます。物語に登場する実在の場所を訪れ、ロマン漂う雪国文学散歩道を歩けば、駒子や島村の気分に。湯けむり漂う温泉街で名湯に浸かり物語の世界にも浸ります。
小説『雪国』は、雪国を訪れた島村と、そこで彼が出会った芸者・駒子や村娘の葉子との人間関係を綴った長編小説で、半写実的な表現を得意とした川端康成の象徴的作品とされ、ノーベル文学賞の審査対象にもなりました。まずは冒頭シーンを追体験すべく上越線で群馬側にむかいます。昭和9年(1934)6月群馬の温泉に滞在していた川端康成が、そこの主人の紹介で開通間もない上越線に乗って越後湯沢を訪れました。越後川口駅から上越線の上り列車(水上方面)に乗り換えて“日本一のモグラ駅”と呼ばれる谷川岳の麓にある群馬県にある「関東の駅百選」認定駅の土合駅を目指します。
上越線は、群馬県の高崎駅から新潟県の宮内駅を結ぶ全長約162.6kmの路線で全長9702mの「清水トンネル」、全長1万3490mの「新清水トンネル」とループで県境の三国山脈を越える。普通列車は「高崎~水上」「水上~長岡」発着に分かれて運行しています。ちなみに「国境の長いトンネル」とは、現在上り線専用になっている昭和6年(1931)開通の清水トンネルのことで昭和42年(1967)に複線化されて以降、下り線は新清水トンネルを走るため、清水トンネルを抜けて新潟に入ることができなくなりました。仕方なく上りの上越線の車両最後尾から清水トンネルの抗門を見ることで、進行方向は異なるものの作品の追体験を実感する瞬間をとらえます。シャッターを切るのが早すぎました。
土合駅の1駅手前の土樽駅を出るとほどなくトンネルに入り、期待感が高まります。ところが、車内は急に明るくなりそのまま土合駅に到着です。実は上りホーム(水上方面)は地上にあり、いたって平和な風景が広がります。
心を落ち着かせて改札口を左に見て進むと地下に続く長い階段があり、下りホームがなんとトンネル(上越線新清水トンネル)の中にホームがあります。下りホームの運用開始は昭和42年(1967)。それ以前は地上ホームだけでしたが、複線化に伴い下り列車用の新清水トンネルが掘削され新設されました。下りホームの標高は583m、駅舎の標高は653.7mで、標高差70.7mあります。そのため改札口までは、338m、462段の階段を上り、143m、階段24段の連絡通路を経て所要時間約10分を要します。
一旦下り終えてからでは、エスカレーターもなく、地上の駅を見学し、下り列車に乗る場合は再び階段を下りてホームまで行かなければならない。上りもきついが、下りもきつい。有人駅だった時代には、10分前に改札を打ち切っていたというのも頷けます。先ずは駅舎を見学することに。
旧駅務室はカフェになっています。
土合駅の長い階段はほぼ一直線で、途中には休憩用のベンチがあります。
トンネル内の駅のホームは、外の光が入ってこないため薄暗く、涼しいというか寒い。点滅している蛍光灯の灯りが特撮映画の秘密基地にでもいるような感じ。
土合駅を発車した上越線下り列車は、すぐに全長13.5kmの新清水トンネルに入る。やがて真っ黒なトンネルも先にポツンと出口に光が見え、そこを抜けた途端大きく視界が開け、広い空の下、山並みが遠くに連なり、雪景色ではないがまさしく「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。という作品の世界を体感できました。小説『雪国』で、若く一途な女と出会ったトンネルの向こう側の町へ入ったのです。
新清水トンネルを抜けると新潟県に入り、林立するリゾートタワーマンションが見えてきたら越後湯沢です。
越後湯沢温泉の発見は800余年の昔、平安末期「雪国の宿高半」の祖、高橋半六によってと伝わります。古来より湯の湧く沢があったことから村の名前も湯沢と呼ばれるようになり、狭義の湯沢温泉としてはこの温泉発見地に近い湯元地区(現在の山の湯がある辺り)を指します。江戸前期の正保年間や天和年間の絵図に湯沢が描かれていて、越後では栃尾又とともに、早くから湯治客でにぎわっていたようで、宿は高半を含め4,5軒、内湯はなく、共同の湯小屋を利用していました。現在は町内だけでも「硫黄泉」「塩化物泉」「単純温泉」など複数の泉質が楽しめ、日帰り温泉施設も盛り沢山です。自分にあったお気に入りの温泉を探してみてください。
越後湯沢駅東口から徒歩6分の主水公園にある『雪国』の文学碑から雪国文学散歩道をスタートします。群馬と新潟の県境に連なる三国山脈の山々を仰ぐ「雪国の碑」には川端自身の書による「国境の長いトンネルを抜けると」が刻まれています。
新潟といえば米どころ、酒どころ。参勤交代で使われていた三国街道へ下ったところにかつて一世を風靡した日本酒“上善如水”で有名な白瀧酒造の直売店「Flow」があります。かつて宿場町である湯沢宿周辺の谷地に湧く豊富な清水を使って、安政2年(1855)初代の湊屋藤助が酒を造り、越後と上州を結ぶ三国街道を往来する旅人などを相手に酒をふるまったことが始まり。創業時から続く“水を大切にする心”を酒造りに生かし、良質の酒造りに励んでいます。豪雪地帯である越後湯沢の地下を流れる超が付く軟水の谷川山系の伏流水を使って醸す酒は、柔らかく飲みやすい酒質。上品な甘味と気品のある香りが調和しています。
雪国文学散歩道から共同浴場・駒子の湯を目指します。落ち着いた佇まいの駒子の湯は小説「雪国」のヒロインにちなんで名前がつけられました。15人ほど入れる湯船と仕切りが付いた洗い場があり、子ども連れには山の湯よりも適しています。館内には「雪国」資料展示コーナーもあります。泉質はナトリウム-カルシウム塩化物泉、癖がなく温まりやすく湯冷めしにくいのが特徴です。
下宿を通って作品の舞台となった杉の木立に囲まれた静かな諏訪社を参拝します。鎌倉~室町時代の創建されたと伝わる旧湯沢村の村社で、高半旅館と置屋との間にあり、駒子と島村が心を通わす場所となった神社です。「女はふいとあちらを向くと、杉林のなかへゆっくり入った。彼は黙ってついて行った。神社であった。」-雪国
元々は上越線を望む二匹の狛犬を正面とした東向きでしたが、新幹線建設に伴い社殿は南向きに移築されました。実際諏訪社はJR上越線と上越新幹線の間の高台に位置します。
狛犬の傍らには小説「雪国」の中にも登場する大杉と大きな平たい岩があり、島村があらためて駒子を女として意識する場面がここです。島村が背を寄せた老杉は、高さ30m、樹齢400年といわれる御神木の大杉で、今も当時の威風を残したままそびえ立っています。根元には駒子が腰を下ろし、島村との愛が芽生えた石のベンチ「恋語りの石」もあります。小説の中で、苔のついた狛犬の傍らの平らな岩に女は腰をおろした。「ここが一等涼しいの。真夏でも冷たい風がありますわ。」とヒロインの駒子が言い、作中ではその落ち残った根元は尖った杭を逆立ちに幹へ植え連ねたと見え、なにか恐ろしい神の武器のようであった。と形容され、巨人の足のような姿は迫力満点。川端は境内を散歩しながら、小説の構想を練ったともいわれます。
境内から続く山道は「笹の道(神社入口)」といい、駒子が明け方に密かに高半に滞在する島村の逢いに行くために登った里道だそうです。置屋から諏訪社を通って高半旅館の裏口へ通じる道は、駒子の暮らす置屋から高半旅館までの最短の近道でした。小説「雪国」では、「宿じゃもう起きてるのかい。」「知らないわ。裏から上って来たのよ。」「裏から?。」「杉林のところから掻き登って来たのよ。」「そんあ路があるの?」「路はないけれど、近いわ。」
諏訪社から5分ほど歩くと、川端康成が昭和9年(1934)~12年までの間数度にわたり逗留し、小説雪国を執筆した宿が雪国の宿高半。川端康成をはじめ、与謝野鉄幹・晶子夫妻など多くの文人墨客も滞在した老舗です。「島村が内湯から上って来ると、もう全く寝静まってゐた。古びた廊下は彼の踏む度にガラス戸を微かに鳴らした。その長いはづれの帳場の曲がり角に、裾を冷え冷えと黒光りの板の上へ広げて、女が高く立っていた。」芸者になった駒子との有名な再会シーンである。作品の舞台となった当時の木造3階建て「不老閣」は取り壊し、近代的な建物に建て替えられていますが、川端康成が滞在した客室「かすみの間」は、ラウンジに移築保存されています。純和風の8畳間に机や火鉢が当時のままに置かれています。滞在中の川端はよく帳場の囲炉裏端に座り、湯治に来た村人や宿の主人らの話をじっと聞いていたとのこと。
小説に登場する島村が泊った宿は、丘の上にあり途中には険しい坂があり、小説「雪国」では、この湯屋に至るまでの坂道を「湯坂」と称して紹介されています。当時の高半旅館の玄関は湯坂の石段を上がった右側にあり、川端康成もこの坂を行き来しました。今も坂の途中にある山の湯は、「共同湯」として小説にも登場します。「いけない。いけない。帰る。帰る。」「歩けるもんか。大雨だよ。」「趹足で帰る。這って帰る。」「危いよ。帰るなら送ってやるよ。」宿は丘の上で、嶮しい坂がある。-雪国
湯元共同浴場「山の湯」(通称やまんぼちゃ)は古くから地元民に愛されている源泉かけ流し湯元の共同浴場。やまんぼちゃとは、湯沢・魚沼地方の方言で、やまん(山の)ぼちゃ(風呂)という意味です。越後湯沢温泉で一番歴史が古く、高半のほど近くにあり、川端康成も浸かったといわれます。泉質は単純硫黄温泉で、自然湧出ならではのシルクのような極上のやわらかさです。
温泉通りを越後湯沢駅方面へ。湯沢高原ロープウェイの先に2025年12月28日放送のバナナマンのせっかくグルメ!で大泉洋さんと福山雅治さんが訪れていたそば処しんばしの店先に駒子の手湯があります。大きな石をくり貫いて造られた湯舟で、竹の筒先からチョロチョロと熱い湯が注がれています。高い位置にあるので立ったまま手をいれることができ、気軽に楽しめます。
さらに歩くと足湯かんなっくりが。かんなっくりとは「つらら」のこと。かわいい雪ん子の像を発見。
最後は、温泉街の中心部にある湯沢歴史民俗資料館「雪国館」へ。1階には、駒子のモデルといわれる芸者・松栄が昭和初期に住んでいた置屋の部屋の一部が移築された駒子の部屋があります。松栄さんが実際に使っていた三味線を入れる桐の箱や帯が展示され、人形の駒子さんが座っています。小説雪国の世界に登場する様々なシーンを描いた日本画が14点展示されています。日本画と小説の融合が楽しめます。
越後湯沢駅西口の目の前にある美食の宿としても知られるHATAGO井仙の1階にあるカフェ「温泉珈琲 水屋」で休息はいかがですか。
木がふんだんに使われた落ち着きのある空間でいただいたのが、“温泉かき氷”。温泉水を2日間かけてゆっくりと凍らせ、きめ細かく削ったかき氷に8時間かけて抽出し濃いめにいれた温泉珈琲でつくったエスプレッソソースは、甘さ控えめでほろ苦い大人の味わいです。
旅のしめくくりは温泉です。共同浴場は駒子の湯や山の湯がありますが駅から20分戻るのも辛く、越後湯沢駅東口歩いて3分、昭和13年(1938)に開業した江神温泉共同浴場で疲れを癒します。昭和の初め頃、旧湯沢村に西丘に鎮座する熊野神社の氏神様が氏子の夢枕に立ち「江沢川沿いに温泉がある」との教えのもとに温泉を掘り当てたと言われます。
商店街の片隅に建つ「田舎町の銭湯」といった感じでのどかな空気が漂っています。しかしながら温泉力は高く、湯量が多く温泉温度も高い単純温泉の無色透明の湯が常に三日月形の浴槽に注がれています。
帰路の電車待ちには、越後湯沢駅構内にあるCoCoLo湯沢で。
ぽんしゅ館越後湯沢店では、1000円で5枚のコインを購入して唎酒マシンに投入するとお猪口に地酒が入り、新潟の全蔵を唎酒できる「越乃室」や新潟の地酒250種を販売する「駅の酒蔵」、南魚沼産コシヒカリの爆弾おにぎりが名物の「雪ん洞」などを併設。温泉に日本酒を少し混ぜた「酒風呂 湯の沢」は美肌効果があると評判です。
越後湯沢駅から上越線で4駅の塩沢駅で途中下車します。東京に妻子がいる島村は、駒子がせつなく迫ってくればくるほど呵責が募り、もう湯沢から離れなければと思い、ひとりで縮の産地に出かけるくだりがある。「同じ雪国のうちでも駒子のいる温泉村などは軒が続いていないから、島村はこの町で初めて雁木を見るわけだった。」ー雪国
湯沢の隣の塩沢宿は、雪国の暮らしを紹介した江戸時代のベストセラー『北越雪譜』で知られる鈴木牧之の出身地で川端康成も『北越雪譜』を読んでいて、それが『雪国』の中でも引用されています。牧之も湯沢の湯治客の一人で「上人も娘も肌で触れ合うは人目厭わぬ濡れ事の出湯」と混浴の湯壷の賑わいが目に浮かぶ湯沢温泉を詠んだ歌が湯沢町史に載っています。
江戸と越後を結ぶ三国街道の宿場町として栄えた「塩沢宿」は、特産品である越後上布や塩沢紬などの織物の産地として発展してきました。駅から5分ほどにある江戸時代の塩沢宿を再現した通りは、雪国特有の雁木の景観が持つノスタルジックな雰囲気に身をおくことができます。越後の雪深い生活を世に知らしめた『北越雪譜』の著者・鈴木牧之の生家があることから「牧之通り」と名付けられました。

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