福井を旅したら一度は訪れたいのが北部の深山幽谷に位置する永平寺です。日本曹洞宗の大本山として知られる永平寺は、800年近い歴史を持つ坐禅修行の道場。10万坪の土地に樹齢700年を超える老杉が聳え立ち、大小70余りの伽藍が建ち並ぶ。修行道場の空気にふれ伽藍の建築物に恍惚となりながら思索の伽藍を訪れたりするうちに「本来無一物」などといった聞きかじりの禅語が、不意に心に落ち込み、沁みてきます。開山である道元禅師の遺徳を偲ぶとともに自らの心身を見つめ直す旅にでます。
道元禅師は京都の公家久我家の生まれでしたが、8歳で母を亡くし、13歳で比叡山にて出家します。しかしそこで見たのは名声を求める堕落した僧侶の姿しかなく、禅師は疑問を抱いて山を下り、建仁寺で師事した明全和尚らと共に貞応2年(1223)南宋へと渡りました。そこで出会ったのが師となる天童山景徳寺の如浄禅師です。如浄禅師は「坐禅は身心脱落」、つまり坐禅という修行が悟りにほかならないと説きました。如浄禅師の下で学んだ道元禅師は、日本に帰ると「ただ是れ等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手にして郷に還る」(『永平広録』)と人々に伝えました。内容は偶然に師である如浄禅師と出合い、眼は横、鼻は縦に付いているという当たり前のことを悟り、ほかのことに惑わされることがなくなった。そして何も持たずに空手で帰ってきた、と。帰国後は京都の深草に興聖寺を建てて説法と著述に励んでいましたが、旧仏教勢力からの圧力もあり、親交のあった武将・波多野義重の招きから寛永2年(1244)越前国志比荘に悲願の修行道場を開きました。これが大本山永平寺です。
「大本山 永平寺」に向かうため国道364号を走る。永平寺は九頭竜川支流の永平寺川上流に建ち、谷沿いに境内が広がります。永平寺川に沿って正門と通用門を結ぶ参道を歩きます。弓なりの橋は偃月橋
清流の脇道を歩くと、永平寺川に流れ落ちる「玲瓏の滝」や永平寺歴代住職の墓などがある。さらに行くと、道元禅師ゆかりの如浄禅師や明全和尚の記念塔が建ち並ぶ寂光苑などがあり、伽藍に入る前の散歩道として心安らぐ場所です。
約10万坪(33万㎡)という広大な境内を持つ永平寺は、約770年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である曹洞宗の大本山です。広い境内には大小70余りの伽藍と呼ばれる建物が立ち並び、この中でも特に、山門・仏殿・僧堂・庫院・東司・浴室・法堂の七つのお堂は、「七堂伽藍」呼ばれ、重要な建物です。樹齢500年以上の老杉に囲まれ、静寂の中にたたずむ永平寺。凛とした空気に包まれた参道を歩くと、その清々しさに心も洗われます。
しんしんと降る雪の中、一歩一歩踏みしめながら参道を歩く。その奥には大本山永平寺の象徴である唐門が端然と屹立しています。天保10年(1839)再建の勅使門ともいわれる木々の奥に建つ荘厳な唐門は、ポスターによく使われている永平寺のシンボル。新たな住職の入山や賓客の訪問時に開かれる以外は一般の参拝者は入れません。(大晦日の夜だけ一般開放される)石段の下から見学するだけですが、空気は澄み渡り、まるで山水画のような世界が広がっています。
通用門を通り、先ずは拝観券を自動販売機で購入(500円)し、スリッパに履き替え①「吉祥閣」で受付をすませます。堂内は左側通行で参拝ルートに従って堂内へと足を踏み入れます。
最初は階段を上り隣の②天井絵が美しい「傘松閣」を見学します。2階の156畳敷きの「絵天井の大広間」は、金箔に彩られた昭和5年(1930)建築当時の著名な日本画家144名による230枚の花鳥図が天井一面に広がる。その中には、鯉2枚、唐獅子2枚、リス1枚の3種類の生き物の絵があり、それら5枚を見つけると願いが叶うと言われている。特にリスは難しく葡萄の絵のリスが紛れていますよ。
傘松閣を抜けると七堂伽藍が連なる回廊へと至ります。寺院の建物を一般に伽藍と呼びますが、これは雲水が修行をする清浄な場所という意味が込められています。なかでもすべて回廊で結ばれている七堂伽藍は修行に欠かせない中心的な場所で、静けさに満ちています。創建以来、たびたび伽藍は焼失したため、現在の堂舎は江戸時代から近代にかけて整えられました。静謐な修行空間には往時の永平寺大工たちの力が発揮されています。
緻密な建物の彫刻も素晴らしいですが、磨き上げられた廊下も美しい。階段や廊下の床板は美しいほどに磨き上げられていますが、これは毎朝修行僧が雑巾がけをしているたまものとのこと。永平寺の一日は起床を知らせる振鈴から始まり、午前4時、振司と呼ばれる雲水(修行僧)が二手に分かれて鈴を鳴らしながら回廊を全速力で駆け抜けます。起床した修行僧は作法に従って洗面を行い、歯を磨き、そして坐禅のために僧堂へと向かいます。すべての回廊は左側通行で、ときどき行き交う雲水たちは皆、黒い法衣で身を包み、軽やかに早足に通り過ぎていきます。
東司(入室禁止)の前を通り③「僧堂」に向かう。僧堂は雲堂、座禅堂とも呼ばれ坐禅・食事・就寝を行う場所で雲水の根本道場。東司と浴室を合わせ「三黙道場」といい、一切の私語が禁止されていて内部見学不可です。中央に智慧の象徴である文殊菩薩が安置され、その周りに約90名が坐禅できる「単」と呼ばれる席が設けられています。一人の修行僧に与えられた単(席)は一畳ほど。坐禅は基本的に朝と夜の二炷で、一炷は40分ほどで、その後法堂で経文を読誦する朝課に僧堂での行鉢(食事)、雑巾がけ(動の坐禅)などの作務が続きます。これら日常の全てが修行であり、厳格に作法が守られています。
回廊を上り法堂へ。先に開祖の道元禅師をはじめ永平寺歴代禅師の御霊骨と位牌を安置する④「承陽殿」から一天門(承陽門)を眺める。彫刻が見事です。
七堂伽藍の最奥で一番高い場所に位置する⑤「法堂」は、貫主が修行僧に説法や朝課と呼ばれる毎朝の勤行や各種法要儀式が行われる永平寺における本堂にあたります。380畳の間には中央に本尊・聖観世音菩薩を祀り、階段の左右には阿吽の白獅子が対峙し、中国宋時代の様式の天蓋・八葉蓮華鏡が輝きを放っています。七堂伽藍の最も高いところにあるので、四季折々の美しい景色が眺められます。天保14年(1843)の再建
反対側の回廊を下り⑥「仏殿」へ。中国宋時代様式で、外から見ると二層屋根ですが中は一層になっていて、床は石畳の美しい伽藍です。七堂伽藍は、お釈迦様が坐禅を組んでいる姿を表現し、そのような配慮になっています。
中心に位置する仏殿に祀られているのが中央の須弥壇に安置されている釈迦牟尼仏。須弥壇の上には三体の仏像が並び、向かって左から過去・現在・未来の三世を現し、欄間には禅宗の教えが彫られた十二枚の彫刻がはめられています。「覚皇宝殿」とも呼ばれる仏殿では修行僧による昼の読経「日中諷経」と午後のお勤め「晩課諷経」が行われています。
回廊から中雀門を見て⑦「大庫院」に。玄関正面には足の早いことで知られる「韋駄尊天」が祀られています。昭和5年(1930)に改築された地下1階、地上4階の豪壮な建物の1階には、雲水の重要な修行のひとつ、食事を作る調理場「典座寮」と呼ばれる台所があります。残念ながら外からのみの見学ですが、入口前の柱にかかる永平寺名物4mもの巨大な「大すりこぎ」は、「自分の身を削って尽くせ」という意味が込められていて、3回なでると料理が上達するといいます。
浴室(入室禁止)前を通り⑧「山門」に。永平寺は幾たびの火災で諸堂の再建を繰り返していて、現存している最古の建築物が、寛永2年(1749)に再建された山門です。奥行き5間の重層からなる中国唐時代の古式に則った堂々たる楼閣門で、釘を一本も使わずにすべて木組みで建てられています。毎年2月の雪深い季節に修行を嘆願するために訪れる雲水たちが正式に入門する永平寺の玄関にあたります。俗世間からの解脱門であり、ここから厳しい修行の日々が始まるのです。
下層の両側に仏教の守護神である四天王が祀られ、上層には十六羅漢・五百羅漢を安置します。
見上げると吉祥山永平寺の命名の由来である「吉祥の額」が掲げられています。修行僧が通れるのは入山と下山のときのみで、住職のみが通れる神聖な場所。もちろん参拝客も山門から出ることはできません。
建物の多くが山の斜面に沿ってつらなって建てられているため、自然と一体となったような佇まいです。境内を見上げると、山門を中心に上に向かって伸びる奥には中雀門、仏殿、仏殿左右の僧堂と大庫院、さらに一番高いところにある法堂へは東西にある二つの長い階段でつながっています。
最後に永平寺の宝物や古文書を収める展示場⑨「瑠璃聖宝閣」を見学し拝観を終えます。
土産物店や食事処が立ち並ぶ永平寺の門前。かつては永平寺川を隔てて大工村と百姓村に分かれていました。百姓村は永平寺の台所の賄いに行ったり、道を直したりしてきた永平寺とともに歩んできた集落であり、大工村は、一説には道元禅師が南宋から日本に戻る時に同行した大工がルーツになっているとも伝わるほとんどが世襲で永平寺を建てた宮大工の集落でした。道元禅師は永平寺に至る8km手前からの領地(通称・志比の谷)を分け与えられたが断り、約1.5km手前からの土地を受領しました。その一部の山や畑を当時16軒あった村人に振り分けたのだといいます。
「永平寺御用達 團助 ごまどうふ本店」に立ち寄る。創業明治21年「大本山永平寺御用達」認可を戴き、精進料理の代表格「ごまどうふ」を作り続ける團助でいただくことに。
生ごまどうふ(あずきあんとみそだれ付)と胡麻豆腐入りぜんざいが一緒にいただける「雲水セット膳」(800円)をいただくことに。とろけるような食感がたまらない生ごまどうふに、あずきあんをのせたり、みそだれをつけたりしていただく。またお餅の代わりに生ごまどうふが入ったぜんざいは甘すぎるくらいの小豆に生ごまどうふが絶妙な相性のよさを示してくれています。
