奥入瀬渓流から十和田湖へトレッキング!夏の青森自然満喫の旅

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十和田湖は約20万年前に始まった噴火活動によって何度も陥没し、そこに水が溜まってできたカルデラ湖です。外輪山の一部が決壊して起きた大洪水が台地を削り、深い谷をつくり、やがて奥入瀬渓流となりました。昔から湖によって流水が自然に調整されたことで、70mにつき1mというゆるい勾配のため小さな岩や倒木にも苔や灌木が生え、独特の繊細な景観をつくりだしています。その美しい渓流と、その源である激しい火山活動から生まれた湖は、作家・大町桂月をじはじめ、芸術家の平山郁夫や岡本太郎など、多くの文人や芸術家の心を捉え、彼らの作品にも表現されてきました。十和田市の現代アート活動にも影響を与える自然景観は、十和田八幡平国立公園に指定されています。数々の芸術家たちを引きつけてきたその魅力を感じたくて水辺を歩いてみることにしました。

八戸から国道102号線で青森を代表する景勝地である緑豊かな奥入瀬渓流・十和田湖を目指します。十和田湖から唯一流れ出る川が奥入瀬川。この川の焼山から十和田湖畔の子ノ口までの約14kmが「奥入瀬渓流」です。渓流沿いには多数の滝が点在していることから“瀑布街道”とも呼ばれる滝が連続する上流域、激しい流れが続く中流域、ゆるやかな流れの下流域に分けられるグリーンシーズンが始まった奥入瀬渓流では、日差しを受けて輝く新緑の美しさ、滝の見事さもさることながら、岩肌を覆う苔類の艶やかさにも目を奪われます。

焼山を起点に十和田湖子ノ口までの区間を往復するのが基本ですが、めぐる手段は「徒歩のみ」「バス+徒歩」「車+徒歩」のいずれかになり、メリット、デメリットがあります。今回は往路を歩き、復路はバスを選択し、また距離も14kmは長いので石ヶ戸からのスタートにして約5kmを短縮することにしました。ボランティアガイドの対象ルートもここから子のノまでの約9kmになっています。平日なので石ヶ戸休憩所前に車を停めておけましたが、ハイシーズンは、駐車スペースが少ないことから、奥入瀬渓流館・奥入瀬湧水館前に車を停めてバス(石ヶ戸バス停)もしくはレンタサイクルで石ヶ戸休憩所前に向かうことをお勧めします。

石ヶ戸休憩所」は奥入瀬散策の休憩ポイントでもあり、トイレ、自動販売機もありここで準備を整えます。※写真がぶれてしまいました。奥入瀬では川の流れをより体感しながら歩けるので下流から上流に向かって歩くのが基本です。深い渓谷の底に川が流れ、遊歩道や道路が川と同じ高さで走っているからこその発想です。

裏手から渓流沿いの遊歩道におりてスタートです。「石ヶ戸(いしけど)」の「ケト」とは、秋田のマタギの言葉で小屋を意味し、「石ヶ戸」とは石でできた小屋、いわゆる岩屋を意味しています。実際大きな溶結凝灰岩の一枚岩の一方がカツラの巨木によって支えられて岩小屋のような空間をつくり出しているように見えます。昔、鬼神のお松という美女の盗賊がここをすみかとし、旅人から金品を奪っていたという伝説があります。

その少し上流の「三乱の流れ」を覗きにいきます。点在する岩々が幾筋もの流れをつくり出していて、多彩な表情を楽しめる奥入瀬渓流屈指の名所です。ほどよく配置された岩に根を張る苔に勢いよくかかる水しぶきに目を奪れます。

再び石ヶ戸に戻り子ノ口目指して出発です。すぐに「石ヶ戸の瀬」が現れます。川の中央にある大岩が特徴です。緑に覆われた大岩は箱庭のような趣があり、絵に描いたような渓流の景色を眺められます。

澄んだ空気の中、瀬音を聞きながら、変化に富んだ流れを、歩く目線で堪能できる木道を気分よく進んでいくと川の向こう側に屏風岩が広がり、

さらに遊歩道の道路側、国道に張り出した板状節理の火山岩の崖「馬門岩」は迫力十分。どちらも約20kmほど離れた八甲田カルデラから噴出した火砕流堆積物で、膨大な量の軽石や火山灰が堆積して圧縮・固結したものです。馬門岩とは、馬で往来していた時代に、ここより先は植物が生い茂り馬が通れなかったため、ここの岩に馬を繋いで十和田湖に向かったことに由来します。

車道を歩いて馬門橋を渡りここからは川の右岸、国道の反対側を進むことになります。400mほど歩くと、流れ落ちて白いしぶきをあげる様から戦闘の神に例えられ、明治の文豪、大町桂月が『幽渓の寂漠を破って壮観比なし』と記した「阿修羅の流れ」と呼ばれる急流が現れます。鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた岩の間を、清流が幾重にも重なりながら流れます。水中から顔を出した岩の上に苔や木などが生え、まる盆栽のように見える景色も面白い。奥入瀬渓流随一の景勝地で、ポスターなどでよく見かけますし、「日本の音風景100選」にも選ばれています。

この100mほど上流部の瀬の中にある大小の岩々が、まるで島のように見えることから名付けられたのが「九十九島」です。激しさと静けさが相まって、独特な流れを形成しています。大町桂月が「十和田湖三絶景」とし「川千島」と言い表したのがこの九十九島です。

しばらく国道を歩き、歩行者専用の橋がある裸渡橋を渡れば車道を隔てた細い支流の数M先に、森林に囲まれた断崖から落差約25mで3段に屈折して落下する豪快な「雲井の滝」が現れます。岩に当たる水しぶきが雲のように見えることから名付けられました。水量が豊富で岩を削り取られるのも速いため、渓流沿いの滝のなかでも奥まったところまで後退しています。雲井の滝バス停周辺からも見ることができます。

川を隔てた森の奥に「白布の滝」が見えます。細く落ちる様子は、天空から天女が垂らした羽衣のような美しさです。

川に面したテーブルとベンチがあり、暫しの休憩ができます。

さらに約700m、15分ほど、苔むした石の欄干に目をやると緑色のレース細工のような苔がキラキラ輝いています。しっとりとした水を含んだ苔の美、その多様なデザインを鑑賞しながら歩きます。奥入瀬渓流は、14kmの流域に300種以上のコケ植物が生息する自然が造り出した天然の苔庭。2013年に日本蘚苔類学会が「日本の貴重なコケの森」に選定しています。

白銀の流れ」、ゆるやかな滝のような渓流では、上流と下流とで水音が異なり、不思議な感覚になります。

ここから銚子大滝までの4.5kmの間には、雲井の流れという浅い平瀬の先にトイレもある玉簾の滝、そのあと白絹の滝、双白髪の滝、奥入瀬の中で最も落差のある約30mの幅の狭い滝で、幾筋もの糸を垂らしたような繊細な流れが美しい白糸の滝、不老の滝と一目四滝と総称して呼ばれる4つの滝をみることができます。写真は白絹の滝

遊歩道は大岩を縫うように続く木橋から見る渓流は美しく、その間の奥まったところに「九段の滝」があります。その名の通り段々になっている岩壁を水がように滑り落ちるように流れています。水量は多くないですが落差15mの滝の間近まで遊歩道が整備されています。複雑な地層が滝によって浸食されるという奥入瀬の成り立ちを知ることができる貴重な滝です。

歩くこと400m、佐藤春夫の「奥入瀬渓谷の賦」の碑の向かいに「銚子大滝」があります。幅約20m、落差約7mを誇る奥入瀬渓流の本流唯一の滝で、水量が多く、“ジャパニーズ・スモール・ナイアガラ”とも呼ばれています。ほぼ直角に切り立っているため魚類がこの滝を上れず、明治初期にヒメマスの放流に成功するまで十和田湖にはかつて魚がまったく住んでいなかったと言われる魚止めの滝です。

滝の名の由来は十和田湖を銚子に見立てた場合、この付近がその注ぎ口にあたるということらしく、十和田湖と奥入瀬渓流そしてこの銚子大滝の関係をとてもよく表しています。滝沿いの遊歩道の階段を滝見しながら上ると国道、銚子大滝バス停にでます。

その横手には「寒沢の流れ」という小さな滝が重なりながら流れ落ちています。森の奥から徐々に勢いづくように流れる姿は迫力満点で、岩々とのコントラストも見事です。銚子大滝のすぐ下で合流していることから昔は寒沢の流れに沿って魚道が作られていたこともあったそうです。

銚子大滝バス停からは二通りの選択になります。このまま奥入瀬渓流沿いを1.5km約30分かけて子の口バス停まで歩き、子の口バス停から十和田湖休屋までJRバスもしくは十和田湖遊覧船で行く方法と一気に十和田湖休屋まで行ってしまう方法があります。今回は十和田湖遊覧船が運休していたこともあり奥入瀬渓流完全走破を目指し子の口を目指します。銚子大滝から百両橋まで車道を歩き、その先渓流沿いの遊歩道を歩けば子の口水門が見えてくれば十和田湖の湖面が見えてきます。奥入瀬渓流に流れ落ちる水量を「観光放流」という目的をもってこの水門でコントロールされています。

散策のあとは神秘の湖、十和田湖を目指します。十和田湖子の口バス停の正面の山小屋のような建物がバス乗り場です。簡易な観光案内施設や休憩所・トイレなども整備されています。おいらせ25号11:35発で十和田湖休屋11:50着です。

十和田湖は約4万年前~1万3000年前に起きた巨大噴火で中央部が陥没した深い窪みに水が溜まり形成された二重カルデラ湖です。最深部327mは国内第3位の深さ、周囲約46.2kmを囲む御鼻部山や十和田山など600m~1000mの外輪山の原生林は季節ごとに美しく変化します。

観光地として有名な十和田湖ですが鎌倉時代に南祖坊という熊野の修験者が龍となり十和田湖を支配していた大蛇・八郎太郎を退治し、青龍権現として祀られるようになった東奥三大霊場(恐山・出羽三山)のひとつです。度重なる火山活動でできたに二重カルデラ湖の最深部にあたる、中山半島と御倉半島に挟まれた中湖が十和田湖の神域とされてきました。中山半島に立つ十和田神社は、北東北一帯の十和田湖をご神体とする信仰の象徴でした。

JRバス十和田湖駅のある休屋はこの地区にある十和田神社が鎮座する山が神仏習合の霊山であり、北東北最大の山岳霊場であったことから僧侶や修験者の山岳修行の後の休息の地であったことに由来します。

十和田神社は湖に突き出した中山半島の付け根に休屋の奥に鎮座します。陽光きらめき湖畔沿いの小道の突き当り一の鳥居から杉並木の参道を参道を進みます。

竜神をかたどった手水舎が見えてきて十和田神社の入口へと至ります。

石段を上った先に「十和田神社」の重厚な拝殿が見えます。大同2年(807)に坂上田村麻呂が日本武尊を祀って創建したと伝わる歴史ある神社です。

拝殿は神仏権現造りで、彫刻がきめ細かく施されているのが印象的です。立体の鞠をはじめ、鯉の瀧上りや翁と嫗の額など、また十和田湖と関連したものもあり、一枚一枚ひとつひとつ見ごたえがあります。

白鳥変身譚を持つ日本武尊は白鳥が飛来する十和田湖の守り神に相応しく、明治の神仏分離までは東北地方に色濃く残る水神信仰の象徴として現在は奥の院に祀られている湖の主、十和田山青龍大権現が信仰されていました。

十和田神社で忘れてならないのが「占場」です。十和田神社から山中へ150m程入った頂きの平場から、鉄の梯子をつたって降りたところが湖中最深の中湖の一角にある占場であり、南祖坊入水の場と伝わる最高の聖地です。今も神秘的な力を放つと信じられていて、宮司が神前に祈念をこらした「おより紙」を湖に投げ入れると、願いが叶うときは水底に引き込まれるように沈み、叶わないときは浮いたまま波にさらわれ沖に流されるといわれます。※現在占場へ下る梯子は通行禁止となっています。

十和田神社と湖畔をつなぐ散策路は二つあります。ひとつは「開運の小径」という散策路で緩やかなS字カーブを描く道には、日ノ神、天ノ岩戸、金ノ神、山ノ神、火ノ神、風ノ神を祀る祠が並んでいます。これは火山活動によってできた溶岩の穴ですが、緑豊かな樹木の林とともに木の香りに包まれています。

風ノ神は十和田信仰と強い繋がりがあり、十和田神社を訪れる修験者は、風ノ神の祠に入り、修行したといいます。

もうひとつは「乙女の小径」で「乙女の像」へと抜ける近道です。御前浜にある詩人で彫刻家の高村光太郎最後の作品として知られる妻・智恵子をモデルに制作したといわれる乙女の像が立っています。昭和28年(1953)に建てられた高さ約2.1mの二体の女性のブロンズ像で、手を合わせるように向き合う姿は十和田湖の湖水の澄明さをイメージしたもので影と形を表しているといいます。また両足がぴったりと地面についおているのは、十和田湖の厳しさに耐える姿を表しています。どこからでも目があうように目が空洞になっています。

そばには「十和田湖畔の裸像に与ふ」と題した光太郎の詩碑もあります。

ボードウォークの乙女の湖道から望む恵比寿・大黒島はキタゴヨウとツツジの島で湖面に映える新緑や紅葉が美しいのですが、島に向けてお賽銭を投げ、島に届けば果報が得られるといわれています。

湖畔遊歩道“乙女の湖道”を歩くとJRバス乗り場前の遊覧船乗り場に着き、

JRバス十和田湖休屋14:00発みずうみ7号で石ヶ戸14:32着で戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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