恐山とグルメ丼求めて八戸・下北半島へ!夏の青森美味堪能の旅

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日本で唯一、『』を県名に冠する青森県。「青森」とい名称は、江戸時代前期、寛永元年(1624)、津軽藩二代目藩主津軽信牧が小さな漁村だった善知鳥(うとう)村に藩港の建設を始めた時に、当時漁師が港に入る船の目印になっていたという青森市本町付近の松が青々とおいしげる小高い森を青森と呼んでいたことから、青森村となったのが始まりです。そんな青い森の国・夏の青森横断グルメ旅を計画、八戸から下北半島、奥入瀬のブルー、十和田湖のブルー、白神山地十二湖のブルー、津軽西海岸、最終弘前と横断していきます。10:24新幹線はやぶさ5号八戸駅到着です。

八戸市街地から30分の楽園「種差海岸」は、青森県八戸市から宮城県石巻市までの3県にまたがる三陸復興国立公園の北端にあります。蕪島をはじめ、小舟戸や葦毛崎といった荒々しい岩肌が露になった磯のダイナミズムが待ち受けていました。

種差海岸には650種を超える植物が自生し、初夏から秋にかけて花々が咲き誇る「花の渚」とも呼ばれます。太平洋戦争時には海軍の監視所にもなっていた石を積み上げ、どこか要塞や古代遺跡を思わせる姿の葦毛崎展望台から入り江に沿って整備されている遊歩道沿いには、この地方の梅雨の時吹く冷たく湿った北東風「やませ」の影響と岩場・湿地といった地形により、海岸沿いの道にして珍しい約650種の植物が自生しています。高山植物のニッコウキズゲ、湿地帯に生育するノハナショウブ、岩場に咲くスカシユリなどの色彩豊かな花々が咲き乱れています。

海辺を巡る旅ならば、お昼ご飯は新鮮な海の幸を味わいたいもので、三陸夏の味覚を代表するグルメといえばウニ。種差海岸には、鮮度にこだわったウニ料理を出す店が多い。八戸で「ウニ丼」といえば、たっぷりの蒸ウニを卵でとじたもので、これなウニのおいしさを1年中味わうために生まれた名物料理です。しかし旬のこの時期はもちろん「生ウニ丼」を堪能したいと、海抜0mの磯の岩場に立つ絶景食堂「海鮮料理処 小舟戸」を訪れます。

大きな窓に迫力の海景色が広がる店内の座敷席でゆったりランチをいただきます。

八戸の海の恵みを堪能すべく目の前の海で獲れた「ムラサキウニ丼」をいただく。ツヤツヤでとろりとした大粒のウニを青森県産のあきたこまちのごはんと一緒に贅沢に頬張ると、まるで卵かけごはんのようにクリーミーで潮の香りと甘味が口いっぱいに広がります。

食後は周辺の見どころ、八戸港の美しい目印「鮫角灯台」へ。灯台は陸の突端にあるのが一般的ですが、海までの間にJR八戸線の線路が敷かれていて、海と灯台の間を電車が走る稀有な風景は、鉄道ファンならずとも心躍ります。

昭和13年(1938)に建造され「日本の灯台50選」に選定されています。地上から約23m、水面から約58mの高さがあり、八戸港の安全を照らしています。隣接するタイヘイ牧場は数々の名馬を輩出していることで有名で、映画“幻の馬”(1955年)“父と子”(1983年)のロケ地になったこともあります。

震災復興のシンボルとして令和元年(2019)6月に全線開通した青森と福島を結ぶ「みちのく潮風トレイル」。トレイルとは「歩くための道」のことで青森県八戸の蕪島から福島県相馬市の松川浦までの約1025kmを太平洋に沿って結んでいます。蕪島がその起点・終点であり、インバウンドの人気のスポットになっています。

毎年2月下旬から渡島し、子育てが終わる8月頃まで、国の天然記念物に指定されているウミネコが繁殖のために飛来し、その様子を間近で観察できる国内唯一の場所が、昭和17年(1942)の埋め立てで八戸港と現在は陸続きになった元は離島の蕪島です。その数は3~4万羽にのぼり、島がウミネコに覆い尽くされるほどで、ニャーニャーとウミネコの大合唱に包まれ圧倒されます。ウミネコの鳴き声は「日本の音風景100選」にも選ばれています。

頂きに鎮座する「蕪島神社」は永仁4年(1296)創建と伝わり、曽我兄弟の仇討ちで知られる源頼朝に仕えていた工藤祐経の子犬吠丸が流罪となりこの地に移り、市杵嶋姫命(弁財天)を祀ったのが始まりとされています。宝永3年(1706)に3代八戸藩主・南部通信の男子誕生祈願成就以来代々崇敬され、社紋には南部家の家紋が許されています。

ウミネコを見ていて驚いたのは、人間を全く恐れていないことです。92段の階段を上って社殿を目指しますが、両脇の灯籠の上にウミネコが止まり、ピクリとも動きません。

平成27年に焼失、令和2年に再建された地元木材をふんだんに使った木の香り漂う社殿の破風は羽ばたくウミネコがモチーフになっています。

祭神は金運、芸事、学業、立身出世ほか多くの福を授けますが、名前の蕪にちなんで株価や人物評価の「株上がり」のご利益を求めて全国から多くの参拝者が訪れます。

境内を3周まわると運が開けるという「運開きめぐり」の歩道は、景観も見逃せません。南に三陸ジオパークや、さんりく潮風トレイルのコースが設定された豊かな自然、東は太平洋の大海原、北には魚市場や工業地帯と八戸の幅広い財産が一望できます。

世界に一枚、オリジナルデザインのポケモンマンホール「ポケふた」に出会えて心が和みます。

いよいよ本州最北端下北半島、その中央部の幽冥の境、地蔵信仰の地とも言われる北の霊場・恐山に向かいます。周囲12kmほどのカルデラ湖の宇曽利湖の外輪山(最高峰878mの釜臥山を含め八峰がある)の総称で、恐山という単独峰は存在しません。かつては「宇曽利山」と呼ばれ、アイヌ語のウショロ(くぼみの意)が転じて宇曽利、「うそり」が「おそれ」につながり恐山になったともいわれています。蓮華の花びらにみたてた八峰(地蔵山・鶏頭山・大尽山・小尽山・北国山・釜臥山・屏風山・剣の山)に囲まれた蓮華台の如き恐山なのです。大町桂月も「恐山 心と見ゆる湖を 囲める峰も 蓮華なりけり」と詠んでいます。

カルデラの中にある霊場・恐山は高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つ、白山、立山と並ぶ日本三大霊山の一つ、立山、川原毛と並ぶ日本三大霊地の一つなどと呼ばれます。とりわけ古くから死者の霊魂が集まる霊場として知られ、昔から「人は死ぬとお山さ行ぐ」といわれ、地元では古くから死者が向かう場所とされてきました。

八戸から国道338号で北上、県道4号線で麓から30分ほど上っていき、標高200m超という宇曽利湖唯一の出口であるこの世とあの世の境にあるとされる三途の川に擬せられる正津川という細い川に架かる赤い太鼓橋を過ぎると恐山菩提寺が見えてきます。いかにもこれから霊場に入るという印象を与えてくれる朱塗りの太鼓橋は、罪人には針のように細く見えてしまい、渡ることができないといわれています。

太鼓橋の袂には、中国の経典{十王経」に記されている死後の話にでてくる三途の川を渡ろうとする死者の衣服を剥ぎとる奪衣婆と、その衣服をかたわらの柳(衣領樹)の枝に懸け、その枝の垂れ具合で生前に犯した罪の重さを量る懸衣爺の2体の石像があります。この後、閻魔様などの前に出て地獄か極楽か、どこに行くのか言い渡されるということです。

恐山菩提寺は、貞観4年(862)、天台宗・慈覚大師(円仁)が開山し、地蔵菩薩一体を自ら彫り、霊場の本尊として祀ったのが始まりとされています。円仁が唐での修行中に夢の中で「汝、国に帰り、東方行程三十余日の所に至れば霊山あり。地蔵菩薩一体を彫り、その地の仏道を広めよ」と告げられました。夢に見た霊山を探し当てたのが恐山だったといいます。鶴に導かれたという説もあるとのこと。(因みに康正3年長禄元年(1457)に一度閉山し、享禄3年(1530)に再び開山され現在はむつ市田名部にある曹洞宗の寺・円通寺の飛び地になっています。)

450mほど車を進ませると総門前に駐車場があります。入山料500円を払い総門をくぐります。総門脇には来迎の像が立っています。車を降りた途端、強烈な硫黄臭に驚きます。

50m先には昭和64年(1989)の建立された二階層の造りの山門があります。左右に阿形と吽形の仁王像が並び、2階には五百羅漢像が安置されています。

山門前にはお地蔵さまがこじんまりとお坐りになり、周りには風車が回っていて山門とのギャップに独特な雰囲気を感じます。ここには、いわゆる“お墓”はなく、亡くなった人を感じるための拠り所として、人は点在する石地蔵や積み上げた石に布を着せ掛け、お菓子を供えて回ります。

すぐ左手には角塔婆と呼ばれる、約20~30本の角柱形の卒塔婆が立っています。大きいものでは5mもあり、仏教の世界では「功徳を積む」と言われ、高ければ高いほど願いが叶うとされています。

正面に地蔵山を背景に本尊が安置されている地蔵殿、

奥の院不動明王に向かう途中の境内左手には荒涼とした火山性の地形が広がり、各所から噴気や温泉が噴出し、硫黄臭が立ち込めています。

山門と地蔵殿の間には4か所の「湯小屋」があり、参拝客は無料で入れます。写真は冷抜の湯と古滝の湯で向かいに薬師の湯、宿坊の奥に花染の湯があります。

奥の院には地蔵菩薩の化身といわれる不動明王が安置されています。

恐山の境内は1周3km程度の参拝コースがあり、約40分で巡ることができます。参拝順路に従って進んでいくと無限地獄と呼ばれる火山岩に埋め尽くされた恐山の参拝路はまさに地獄の中を歩いているような錯覚に襲われます。活火山である恐山では、至る処から白い蒸気や火山ガスがプツプツと湧き出しては低く流れています。

その先に大師堂があります。慈覚大師を祀る大師堂は慈覚大師の弟子が一千体の仏像を彫り、山中に納めたと伝わります。周囲は見渡す限りむき出しの溶岩で、植物がほとんどない。「この世の果て」を思わせる無彩色の世界に、赤やピンクの無数の風車が立ち、そこだけが明るい。もともとは幼い子を亡くした親たちが、供養のために捧げたものです。

賽の河原と呼ばれる一帯には火山性の石が積まれ、差し込まれた風車が回っています。積み石には、戒名や人名を書いた丸くて平な石が置かれ、塔婆や樹木の幹にや枝には名前を書いた手拭いが結ばれています。

賽の河原と呼ばれる砂地に近く、恐山菩提寺から徒歩5分、西に数百メートルほどのところに八角円堂はあります。裏手の山から死者が降りてくる場所と言われ、堂内には死者がいつ来ても使えるように、遺族の送ったひと揃えの服や履物などが納められ、棚を埋め尽くしています。

恐山の光景は2つの異なる顔を持つ。ひとつはここまで歩いてきた「無間地獄」「血の池地獄」などと名付けられた荒涼とした溶岩帯。しかしそこを抜けて西に歩くとエメラルド色の湖面と真っ白な砂浜が目の前に姿を現す。宇曽利湖と極楽浜です。地獄を思わせる溶岩帯との落差から文字通り天国を想起する人も多いでしょうが、ここから宇曽利湖に向かって火山活動による独特の地形が広がり、異界を思わせます。

恐山の「地獄」の先には、遠くに大尽山を望み、神秘的な湖水をたたえる宇曽利湖があります。「この世の浄土」を思わせる浜は、いつしか「極楽浜」と呼ばれるようになりました。湖水は湖の底から湧く硫化水素により強い酸性になっていて、宇曽利湖だけで進化した魚以外は通常の生物がほとんどおらず、それが透明度の高さをもたらしています。光の具合で幾通りにも色を変える湖水が静かな波音を立て、岸辺の砂はまぶしいほど白い。やはりここにも死の影があります。

境内を見渡す小高い丘の上にひときわ大きな像の延命地蔵尊が祀られている。幼児の延命と利生(利益)を誓願する仏として信仰されます。平らな場所には死者を悼む円すい形の石積みが数多く形作られています。

さらに重罪地獄、どうや地獄、金堀地獄、修羅王地獄と進み、総門に戻ってきます。恐山は北海道の利尻富士から群馬県の赤城山や長野県の浅間山などに至る那須火山帯の上にあり、日本の地質百選にも恐山の金鉱床として選出されています。

ここから県道4号線で津軽海峡の海沿い大畑地区に出、海に細く長く突き出した本州最崖地尻屋崎を目指すか、本州最北端大間崎を目指すかの選択で、大間マグロを食べることを選択してはまなすライン(国道279号)を左手に向かいます。尻屋崎では、青い海に真っ白い尻屋崎灯台と打ち寄せる波、そして一面の草原に何頭もの馬の姿を見ることができ、日本とは思えない清々しい風景が広がる。この地では、藩政時代から周年放牧がおこなわれていました。その歴史を今に伝える寒立馬たちが、のびのびと草を食む姿はなんとも牧歌的です。

「本州四端」とは、最東端の岩手県宮古市、最西端の山口県下関市、最南端の和歌山県串本市、そして最北端が青森県大間市。総称した呼び名で、厳密には「魹ヶ崎」「毘沙ノ鼻」「潮岬」「大間崎」となります。三方を海に囲まれ、眼前に広がる穏やかな波が寄せる津軽海峡を隔ててその先の・亀田半島まで17.5kmの近さ、北海道の山並みを望みます。その大間のグルメといえば全国的にも知られる「大間まぐろ」です。マグロは東シナ海からイカを追って日本海に入り、さらに津軽海峡へと流れていきます。北の海域へと進むたびに脂がのり、150キロ~200キロの大物に成長し、大間の大トロが、最高級と評される所以です。

本州最北端の地を示す石碑が立ち、大間の漁師に一本釣りされた440キロの実物大のマグロ一本釣りのモニュメントもあります。目の前の遠くに浮かぶ周囲2.7kmの小さな島、弁天島には、白と黒が印象的な大間埼灯台があり、日本の灯台50選に選ばれています。

マグロ漁師が営む飲食店もあり、最高級マグロを地元大間で味わってもみたいと18時まで営業している、まぐろ漁師の店「 魚喰いの大間んぞく」を訪れました。

第三十八美吉丸を所有するマグロ漁師が直営する食事処で、一本買いした本場の大間マグロを一年通して味うえるとのこと。写真は赤身・中トロ・大トロを豪快に盛った「3色マグロ丼」。分厚く切られた刺身はマグロの味が濃い!

八戸を宿泊地に選んだ理由は夜の横丁と朝市、そしてみなと食堂の「平目漬丼」です。八戸の台所、朝市が開催される陸奥湊駅前通りに面し、一帯の鮮魚店から仕入れる新鮮な海産物を使った、季節ごとの旬の味が手軽に楽しめる食堂です。なかでも平目漬丼は2014年「第1回全国丼グランプリ・海鮮部門」で金賞を獲得し、直前の2022年6月26日(日)TBS放映の「バナナマンのせっかくグルメ」で日村さんが堪能していた超人気メニューです。※行列必死、売り切れ御免なので開店6時の40分前に行って名前を書いておきます。駐車場も3台分しかないので注意です

注文したのはせんべい汁がついた平目漬丼セット1400円。旨味が凝縮され熟成した平目を使用し、にんにくのきいたコクと甘みのあるタレに漬け、そのままごはんの上に載せています。さらに青森県産地鶏の卵黄とわさびがのっかり、味もついているのでそのまま食べれます。写真の状態を崩すのは忍びないのですが、程よい甘味のタレと卵黄を混ぜて食べます。

最後の方で味へんで小鉢に入っていた千切りの山芋と生メカブを入れて混ぜていただくとまた嬉しい一品になります。

200年ほど前から食べられている八戸の郷土料理せんべい汁は、小麦粉、食塩、重曹のみで作られた、素朴な味の南部せんべいをねぎやニンジン、大根やきのこなどと一緒にだし汁に入れて煮込む鍋料理です。そもそも、せんべいというと米菓を思い浮かべる人も多いが、せんべい汁のせんべいは小麦粉のせんべいです。そして、小気味よい歯応えのゴマやピーナッツ入りの南部せんべいではなく、汁もの専用の煮込んでも溶けない、コシのある「おつゆせんべい」を使用します。煮込んだ後の食感は、醤油ベースの優しい味のスープに表面がふわっとトロけ、中はモチモチと弾力があり、パスタのアルデンテと評されることも。染みこんだ汁がじわ~と広がるせんべいが絶妙にマッチしています。

 

 

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