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宮城県南部の太平洋沿岸に位置する亘理町は、東に黒潮流れる太平洋、西に阿武隈高地を望みます。東北にありながら比較的温暖なこの町は、豊穣な海と肥沃な土地が多くの恵みをもたらしてきました。一年で最も鮭の脂がのるこの季節、宮城県を代表する秋の味覚といえば、亘理町・荒浜の郷土料理「はらこめし」。農林水産省が認定する「農村漁村の郷土料理100選」にも選ばれています。旨味たっぷりの秋鮭をまるごと一匹使って作られる極上の味わいを求めて、本場亘理町を満喫する旅にでかけます。

亘理町・荒浜発祥の「はらこめし」は、毎年秋祭りで食べられてきたという秋の味覚の漁師飯。町内を流れる阿武隈川河口周辺に白鮭が戻り始める10月初旬に捕れる鮭と新米で作られる郷土料理で、鮭の切り身を煮た煮汁で焚き込んだご飯、または煮汁とご飯を混ぜ合わせたものの上に、鮭の切り身とはらこ(イクラ)をのせるのが一般的な作り方です。江戸時代、阿武隈川河口の貞山堀の工事臨検に伊達政宗(貞山公)が訪れた際、漁師たちが献上したところ、大喜びされ、側近へ吹聴したのが世に珍重せられるに至ったとの逸話もあります。

イクラの醤油の漬け込み方や煮汁の作り方など、各店、各家ではらこめしの味が違うという。イクラは当然メスのものですが、身は油ののったオスを使う店が多いとのこと。当初「旬魚・鮨の店 あら浜亘理店」を目指すも定休日(月曜日)ということで、国道6号線沿いの「和風レストラン田園・亘理店」を訪れます。四季折々の海の幸を一番おいしい旬の時期に味わえる「田園」。店内はテーブル席と小上がりの座敷席とがあり、広くて明るい雰囲気です。はらこめしの鮭は創業当時から変わらず、脂ののりがよいオスの鮭「銀系」だけを使用し、何十年も継ぎ足し続ける煮汁が、お米の一粒ひと粒に旨みと深みを染み渡らせています。さらに選び抜いた最上級のイクラをのせて「はらこめし定食」2090円をいただきます。

はらこめしに小鉢と御新香、汁物がつきます。一口食べれば、ぷっくりとした脂ののった鮭の身、その旨みと香りを吸ったご飯が感動的なおいしさで、大満足です。はらこは漢字で「腹子」と書き、魚卵を一粒ずつに分けた状態のものを指します。全国で見ると一般的な呼び名は「イクラ」ですが、「はらこ」はこの地域の方言で、特に塩漬けにしないイクラのことを指します。

そんなおいしいはらこめしを生んだ亘理の町は、江戸時代、仙台藩主・伊達政宗の一門である伊達成実を初代当主とする亘理伊達氏の城下町として栄え、町内にはゆかりの名所や旧跡が点在します。亘理伊達家の菩提寺が曹洞宗萬松山大雄寺です。慶長9年(1604)、伊達成実が萬松山雄山寺の名で創建し、父実元の位牌を福島県信夫郡小倉村にあった菩提寺陽林寺から移して菩提寺としました。正徳2年(1712)に逝去した3代仙台藩主伊達綱宗の戒名に寺名が入っていることを憚り、大雄寺と改称しました。創建当時の建物は元文元年(1736)の火災により失われましたが、江戸時代後期の文政2年(1819)に再建された山門が残されています。また大雄寺の地は、鎌倉時代に亘理を治めた亘理氏(武石氏)の居城「小堤城」でした。

境内には初代伊達成実から13代伊達邦実まで歴代当主と夫人の墓所があり、本堂には位牌が納められています。美しい彩りを施された廟が初代成実の霊屋で成実没後間もなく建立されたと考えられています。※正保3年(1646)79歳で没。方一間の宝形造りで中には位牌と甲冑姿の木像が安置されています。仙台藩内の霊屋建築としては松島円通院三慧殿と共に江戸初期を代表するものです。

その傍らに成実の父実元、5代実氏の霊屋が並んでいます。霊屋のある場所は、境内の中でもいちばん眺めのよい場所で、そこに立つと町全体がきれいに見渡せます。

亘理伊達家歴代墓所には13代実氏までの歴代藩主および夫人・子女等の墓石が並びます。特に墓地中央部には2代から5代夫人までの墓が宝篋印塔という見事な石の塔で造られたものになっていて、仙台藩一門の雄である亘理伊達家の格式の高さを表しています。

伊達成実は、仙台藩主伊達政宗とは母方の従弟にあたり、片倉小十郎とともに片腕として多くの武功を上げ、慶長7年(1602)、35歳で亘理の初代領主となり亘理の礎を築きました。用水路を整備し、新田を切り拓き、着任当時6千石だった石高を2万石まで広げ、伊達家臣団随一の石高でした。毎年1月と8月の16日には御開帳が行われ、霊屋に安置されている成実の木像を見ることができます。右手に軍配を持ち、胴には竹に雀の紋が入り、兜の前立ては毛虫で、「決して後に退かない」ことを表しています。

 

 

 

 

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