房総きっての奇観、絶壁と奇岩が並ぶ「鋸山」は、日本寺の参詣道

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かつて千葉県を上総と安房に分ける国境の山として知られた鋸山。現在、富津市と鋸南町にまたがる標高329mの山は、かつて建材として広く使われた房州石の産地として石切り場が設けられ、江戸時代からの採石で削り取られて露出した岩肌が、ノコギリ歯のような険しい山容が特徴です。中腹一帯を境内とする日本寺やそのため斜面にある多数の石仏めぐりは、登山と一体化した参詣となり見どころも多くあります。低山ながら平地が多い房総半島では頭一つ抜けた存在で、東京湾や対岸の三浦半島を見渡せる風景が素晴らしい。ロープウェーを利用して山に分け入ると岩肌には石と共に歩んだ歴史が深く刻まれています。奇観 鋸山の低山ハイクに出かけます。

鋸山ロープウェーの営業開始時間は9時からということででその前にJR内房線浜金谷駅からひとつ木更津方面に少し戻った竹岡駅近くところにある「燈篭坂大師」に向かいます。国道127号をJR内房線を北に走り、竹岡駅を過ぎ城山隧道を抜けたすぐ右手に赤い鳥居が目に飛び込んできます。鳥居をくぐった先が駐車場です。

小さなトンネルを抜けると、切通しが現れます。弘法大師空海が行脚中に腰を休めたと伝わる東善寺の飛び地境内が灯籠坂大師。その大師堂へ続く参道がこの切通しトンネルです。

高さ10m以上はある天井を見上げ、そのスケールの大きさに息を呑み、切通しの闇に差し込む光が作り出す幻想的な風景に圧倒されます。明治から大正頃に手掘りで造られたとされるこの切通しは、燈篭坂大師への参道が急勾配だったことから昭和初期に坂の掘り下げ工事が行われて現在のような形になったとのことです。岩肌に刻まれた手掘りの跡が当時を物語っているように思えます。それでも大師堂までは急な階段を海を眺めながら上って、お参りをします。

船で金谷港に近づくと見えてくるのが「鋸山」。「鋸山ロープウェー」乗り場へと向かいます。房総を代表する観光スポット、「鋸山は鋸のごとく碧く険しく聳え、上に伽藍の谷に臨みて建てるあり」明治22年(1889)23歳の夏目漱石が房総を旅したときに鋸山の景勝を愛でた一文で、正岡子規に綴った漢文紀行に含まれています。その2年後、子規も鋸山を訪れ、「春風や鋸山を砕く音」と詠んでいます。

房州石とは、主に鋸山から切り出される黒い粒子と白い粒子からなる縞模様が特徴的な石材で一番質のいい層が鋸山山頂部でした。黒い粒子は伊豆大島でみられるような玄武岩、白い粒子は伊豆新島でみられるような流紋岩(軽石)でその両方の海底の堆積物が房総に流されてくる途中で重なり合い、縞模様になります。今から200万ほど前にこの堆積物が隆起したのが鋸山です。

スイスCWA社製ゴンドラは千葉県の花、菜の花をイメージした「かもめ号」と富津市金谷の夕陽をイメージした「ちどり号」はスタイリッシュな前面ガラス式のデザインになっていて、山麓駅から鋸山山頂駅までの約4分の空中散歩が楽しめます(料金往復950円)。凝灰岩からなる鋸山(標高329.1m)の大半が日本寺の霊域となっています。

ロープウェイ山頂駅からの眺望は抜群!房総半島の山並みや海岸線、対岸の三浦半島はもちろん、天気のいい日には伊豆半島や富士山、東京スカイツリーまで見えるという絶景です。

山頂駅から鋸山・乾坤山日本寺に向かいます。拝観料700円を払い境内へ。日本寺は聖武天皇の勅願により神亀2年(725)行基によって開山された関東屈指の古刹です。最盛期には七堂十二院坊を有し、良弁、空海、円仁らもこの地で留錫したと伝わります。当初は法相宗でしたが天安年間、円仁が入寺し天台宗に改宗、真言宗を経て徳川三代家光の治世の際に曹洞宗となっています。

西口管理所からすぐ左手の階段を約5分上がった先が「十州一覧台」。十州とは安房、上総、下総、常陸、上野、下野、武蔵、相模、伊豆、駿河の旧十国のことで、晴れれば東京湾のかなたに富士山をも眺望でき、富士山に対峙するかのように浅間神社が鎮座しています。地獄のぞきのある瑠璃光展望台と並ぶ鋸山二大絶景スポットです。

戻って緑が生い茂る道を直進すると、金谷下山口(北口管理所)にあるかつての石切場跡に切り立つ岩に彫られた「百尺観音様」が切通しの先に現れます。昭和41年(1966)5月、六ヶ年の歳月を費やして完成した巨大な摩崖仏で、高さ100尺(約30m)というのがその名の由来です。

鋸山で房州石の採石が始まったのは江戸時代といわれ、最盛期は幕末から大正期にかけての近代国家設立の変革期でした。ペリー来航で浦賀や江戸湾内の防衛力強化が急務となって、金谷から目と鼻の先にあるお台場などで使う耐火力のある房州石が船で大量に出荷され名が広がりました。その後は西洋建築や都市造りのため、最盛期には一本80kgの石材が年間56万本も出荷されたといいます。昭和60年(1985)まで産出が続いた房州石の石切場の遺構は稜線に沿って約2kmに広がり、その規模は国内最大級です。今も東京の靖国神社の石塀や大隅会館、横浜の「港の見える丘公園」の石組みなどに見ることができます。

山肌に採石跡が残る切通しの奥にはこれから行く崖の上に突き出た岩、地獄のぞきが上方に見えます。

分岐まで戻りさらに石段を上っていくと地獄のぞきのある山頂展望台に着きます。高い崖から小さなテラス状に突き出した岩の上の展望台が目の前に現れます。房州石を切り出したという採石場の跡が、落差100mの断崖になっている山頂北面にある地獄谷で、その採石場の最上部、オーバーハング状になった岩頭が、観光客が及び腰で石切場跡の突端に立つ「地獄のぞき」です。

実際に展望台に立つと、さっき通った百尺観音前の広場が下に見え、その高さに足がすくみ、スリル満点です。右手奥下方には高低差約96m、奥行き約40mの断崖絶壁があります。有名なアニメ映画を連想させることから「ラピュタの壁」と呼ばれています。その胸のすくような見事な切り口に職人技を見ます。

しばし絶景を堪能し、大仏口管理所まで千五百羅漢道を下っていきます。途中には様々な表情の「千五百羅漢」の石仏が並び、洞窟のようなトンネルや石橋、スダジイの林を抜けてと、ハイキング気分を味わいながら下っていくメインルートです。

千五百羅漢は当山曹洞第九世、高雅愚伝禅師の発願により、上総桜井の名工、大野甚五郎英令が安永8年(1779)~寛政10年(1798)の21年間をかけて門弟27人とともに生涯をかけて刻んだ1553体の石仏で、風食によってできた洞窟に安置されています。特に写真の百体観音

維摩窟弘法大師護摩窟の石仏群は必見です。

大仏口管理所からは平坦な大仏前参道を歩くこと5分、大仏広場に到着します。台座からの高さ31.05m、御丈でも21.3mあり、奈良大仏(18.18m)、鎌倉大仏(13.35m)をはるかに凌ぐ日本一です。

原型は天明3年(1783)大野甚五郎英令が門弟27人とともに3年を費やして現在の地に彫刻完成したものですが、その後風化によって崩壊した大仏を彫刻家・八柳恭次の指導で復元されました。

帰りは山頂駅までほぼまっすぐに石段を登って戻ります。

鋸山のある金谷漁港では伝説のアジフライのお店があります。                             「房総半島・金運を掴みに安房神社へ!灯台めぐりとあじフライも」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/5961

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