金運神社へ!灯台巡りと海鮮グルメの房総半島海岸ドライブ

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房総半島の南端に近い千葉県館山市は、北海道を頭として日本列島を龍になぞらえると龍が玉を持つ爪の部分にあたります。東京湾という龍の宝珠をしっかりと持っていることから「つかんだ運は離さない」という御利益があります。東京湾を渡り金運を掴みに金谷から館山まで灯台をめぐりながら天気が良ければ富士山も眺められる絶景ドライブに出かけます。

今回の主目的が“金運”“灯台”と“グルメ”とあり、グルメでは美味しい味を求めて来たのが三浦半島での「マグロ」と房総半島での「アジ」です。金谷港近くにアジフライが有名な人気店『さすけ食堂』があります。今日一日の予定をこなすためにも順番待ちでタイムロスを避けるため7:30に店前に出される順番板に名前を書き込むため早朝出発です。金谷のアジは外洋に回遊せずに瀬に根付いたままのアジがいて、体がきれいな黄金色をしていて黄金アジとか金アジと呼ぶとのことで、油のノリが違うらしい。

運よく一番で名簿に名前を記入し、9:30開店までの時間を有効活用してさすけ食堂に戻ります。9時の時点で駐車場はほぼ満車、9:10頃から先に注文をとってくれます。当然のことながらアジフライをたのむのですが、私は刺身(この日はアジ・コチ・カンパチ)の付いたさすけ定食、妻は5ピースほどのアジフライがドカッと盛られたアジフライ定食を注文しました。出てきた熱々のアジフライはいつも食卓に上がるハート型に開いたアジフライではなくアジの半身を3切れ程度にぶつ切りにした肉厚のアジフライです。青魚特有の臭みもなく、薄めの衣をサクっと噛むと、良い脂がにじみ出て、ふわふわの白身がとろけていきます。塩でソースでと一気にさらっと胃に吸い込まれていきます。アジ刺しも大ぶりで脂ののった身は、コリッコリのプリップリでスーッと溶ける品のある脂です。

グルメ「あじフライ」を100%堪能し、ここから“金運”最大の目的地「安房神社」と房総半島先っぽ岬・灯台めぐりに出かけます。館山を目指して国道127号を南下、途中、作戦会議を兼ね「道の駅とみうら枇杷倶楽部」に立ち寄り、びわテラスにてオリジナルびわプレミアムソフト450円に満足。オリジナルびわソフトにびわの果肉を入れた贅沢なデザートソフトクリームです。他にも名物のびわカレーや飲む果実びわジュース、ビワの果肉をのせたびわパフェなどは贅沢なビワ尽くしの一品が並びます。

ビワは温暖な地域でしか栽培できず、黒潮が流れる南房総市はビワ栽培の北限で千葉県全体のビワ栽培のうち南房総市が約8割を占め、その主産地が富浦町です。栽培の歴史は古く、江戸時代中期には始められていたとおう記録もあります。明治時代には皇室にも献上され、以来長崎県の「茂木ビワ」と並び富浦町は「房州ビワ」の名産地となったのです。

三浦半島では城ヶ島灯台、安房崎灯台、観音崎灯台と巡り、房総半島でも太平洋側にある6つの灯台の内の一つ、先ずは洲崎灯台を目指して館山市内から県道257号で海岸沿いに走ります。房総南西端に建つ洲崎灯台は、対岸の三浦半島最南端の東端にある釼埼灯台と結んだ線が東京湾の境界線で、共に東京湾へ出入りする船舶の目印となっています。円筒形のコンクリート造りで大正8年(1919)の点灯、コンクリート造灯台の初期遺構として国の登録有形文化財に登録されています。AKB48の「会いたかった」のMVのダンスシーンの撮影が行われたのがここです。

少し先に走ると安房国一の宮・洲崎神社に到着です。祭神は天比理乃咩命で後で行く安房神社御祭神天太玉命の后神、元の名は「洲ノ神」と称します。神武天皇の治世、天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として標高20mの美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりとされています。

標高110mの御手洗山の中腹に建ち147段の階段を上って参詣します。本殿は三間社流造で銅板葺で延宝年間(1673-1681)の造営とされています。石橋山の合戦に敗れて安房へ逃れた源頼朝が最初に戦勝祈願した神社です。扁額(レプリカ)は江戸時代後期の文化9年(1797)房総の沿岸警備を巡視した奥州白河藩主老中松平定信が参詣したおり奉納したものです。

参道を海側へ伸ばした先に霊峰富士を正面に見る浜鳥居(富士見鳥居)があります。

浜鳥居外には「御神石」と称される丸みを帯びた石があります。その昔役行者が飛来し、海上安全のため一つを洲崎の地に、一つを横須賀市吉井の地に祀ったという伝説と、竜宮から洲崎大明神に奉納された二つの石が、ある時その一つが天太玉命の御霊代として東国鎮護のために吉井の地に飛んでいったという伝説が残されています。吉井に飛んで行った御神石は、対岸の三浦半島の吉井にある安房口神社に祀られています。安房口神社の石は安房の方に口を開いていることから「阿形」を洲崎神社のものは裂け目の様子から「吽形」とされ、2石で東京湾の入口を守っていると伝えられています。

日本の道100選」に選出された花の道、房総フラワーラインをドライブして今度は夫神を祀り安房国一ノ宮でもある日本三大金運神社「安房神社」(※山梨の新屋山神社と石川の金劔宮)を訪れます。館山は日本列島を龍に見立てたときに爪の部分にあたることから「運気をつかんで放さない」として人気を集めています。鳥居からのびる参道の両脇には桜が植えられていて満開の時期にはえも言えぬ美しさです。白色の神明鳥居は清らかさを表し、隣の社号標は東郷平八郎元帥の揮毫によります。

創始は神武天皇即位の皇紀元年(紀元前660)、創建は養老元年(717)と伝わり、小砂利がひかれた桜並木の参道、池を囲むような境内と静寂の中にスピリチャルなものを感じさせてくれます。吾谷山山麓の上の宮に日本の全ての産業開始の神である天太玉命を祀っています。「天岩戸神話」で天照大御神が岩窟にこもった際、天児屋根命とともに祭祀を執り行った神様で、祭祀に必要な鉾や鏡の製造を司っていましたので産業のあらゆるものを創り出す神なのです。

本殿に向かう途中の階段を上る手前に大きな岩があり、岩の中をくりぬいて「厳島社」があります。古代はここで祭祀が行われていたのではと思われる磐座です。

下の宮には阿波国より来たとされる天富命を祀ります。天太玉命の孫にあたる天富命は、神武天皇の命により豊かな土地を求めて最初は阿波国へと渡り、更に東の豊かな国を求めて阿波国に住む忌部氏と共に黒潮に乗って海を渡りこの房総半島南端に上陸しました。この時、上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山にご自身の祖先神にあたる天太玉命と天比理乃咩命をお祭りしたのが起源です。その後養老元年(717)に吾谷山の麓に遷座されました。。

池の畔には御神木の樹齢500年の槙の木があり、生命力溢れる御神木から良いの流れを感じさせてくれます。

今回の旅の最終地点、房総半島最南端・野島崎を目指します。ここは太平洋に突き出た台地に、白鳥の灯台とも呼ばれる野島埼灯台が建ちます。

野島埼灯台は開国の歴史を、飾る慶応2年に米、英、仏、蘭の四ヶ国と結んだ「江戸条約」によって建設を約束された八つの灯台の一つで、明治2年(1869)にフランス人技師F・L・ヴェルニーによって造られた観音埼灯台に次ぐ国内2番目の西洋式灯台です。白亜の八角形をした大型灯台で日本の灯台50選に選定されています。

灯台の下は、南房総国定公園に含まれる景勝地で岬一帯は白浜野島崎公園として整備されていて、一周20分程度の格好の散策コースになっています。映画『体操しようよ』でたびたび登場する、海辺の広場のラジオ体操シーンで広場から見える白亜の灯台が野島埼灯台です。

岬の先端の高台にはラバーズ・ベンチが整備されていて、朝日と夕日の両方が同時に見えるデートスポットとして人気です。

園内には源頼朝が安房国に逃れてきた際、突然の時雨で近くの岩屋で身を寄せ雨を凌いだという頼朝の隠れ岩屋があります。「伝説の岩屋」と称し、深海に棲むという創造の大蛸が海神として祀られています。大鮑やサザエの殻が供えられ、そこに願いを掛けた賽銭を投げ、貝の中に入れば開運が訪れるとされています。

今回のドライブはここまで。房総半島太平洋側には6つの灯台があり、今回は州埼灯台と野島埼灯台の2基を巡り今度ました。残り4基の房総半島灯台めぐりは犬吠埼灯台まで続きます。第二段「黒招き猫も。灯台巡りと海鮮グルメの房総半島海岸ドライブ」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/12311

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