ダムめぐりも!武甲山が見守る秩父の里のお手軽札所めぐり

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秩父地方には観音菩薩を祀る寺が古くから点在し、秩父は西方浄土ということで江戸の人々が盛んに札所をめぐりました。江戸時代には一日に2~3万人が巡礼したとの記録も残っています。秩父は関所を越えずに済んだため女性も訪れやすく、巡礼者の7~8割が女性だったともいいます。

札所めぐりの起源は、文暦元年(1234)に13人の権者が秩父霊場をめぐり札所を設けたとも、武甲山で修行をしていた修験者らが土地の人たちと観音堂を祀ったともいわれ、諸説あるが歴史は古い。もともとは三十三観音でしたが、いつからか西国三十三所、坂東三十三観音と合わせて“百”観音にしようと、秩父が三十四観音になったといいます。

札所となっている寺院は全て武甲山を望む風光明媚な場所にありますが、実は約半数は山中ではなく平坦で民家の多い地域にあり、街歩きを楽しみながら気軽に参拝できるのが最大の魅力です。古の巡礼者たちに思いを馳せ札所めぐりのハイライト3寺をダムめぐりも兼ねて訪ねます。

関越道花園ICから秩父に向かう国道140号はかつては休日ともなると大渋滞が発生していました。2005年に荒川を渡る末野大橋が完成して皆野寄居有料道路が開通し、さらに皆野秩父バイパスが開通したことにより、寄居から秩父中心地まで観光名所が点在する国道は走りやすくなったと感じながら彩甲斐街道さいかいのみち(国道140号)を南西へ進みます。

国道140号はかつての「秩父往還」で、山梨の富士川水運で陸揚げされた海産物が埼玉・熊谷まで運ばれていた歴史ある道です。雁坂トンネルの開通によって再び山梨と埼玉が車で往来できるようになりました。そんな国道沿いで訪れたのは秩父三十四所観音霊場のハイライト26番、27番、28番札所です。

観音菩薩は33種の姿に身を変え、あらゆる人を悩みから救い、願いを叶えると言います。金運以外の身勝手な願いを叶えていただきたく、まずは26番札所・萬松山圓融寺(岩井堂)へ。

臨済宗の禅寺で本堂は江戸時代中期の建造物。山を背にして間口が8間、奥行きは5間で、間口が広く奥行きは浅いものの堂々とした建物です。外部には高欄のない回廊が付けらています。安置されている本尊の聖観音像はかつて岩井堂に祀らていたものです。また江戸時代中期の狩野派の絵師・鳥山石燕の「景清牢破り」の絵馬を保存しています。浮世絵師としても活躍した人物で、縦86.5cm、横58cm、厚さ2.5cmの桧板3枚に歌舞伎の名場面の一つである「景清のろう破り」と雲上から見守る白衣の観音を描いています。

弘法大師が21日間護摩供を修行した地に、平安時代の僧、恵心僧都が里人と堂宇を建立し、八寸七分の聖観音立像を彫り安置したといいます。これが圓融寺の奥の院にあたる岩井堂で、寺より南へ約1.5km、徒歩では山道を30分ほど登ります。参道は昭和電工の工場内を横切るため、守衛さんに参拝であることを告げ、敷地内を通らせてもらいます。琴平神社の鳥居の右脇(駐車場あり)から約300段の苔むした石段を上った先に岩井堂が立っています。石段の歪みに多くの人の巡礼の歴史を感じます。

森閑とした山中にあり、霊場らしい厳かな雰囲気が漂います。現在の建物は元久2年(1205)建立。周囲は急峻な地形で岩壁におおわれ、その中腹に三間四面の方形造りに、勾欄をめぐらし唐様の細部をなした美しい堂です。正面谷間に向けての舞台造りは京都の清水寺の舞台を偲ばせます。

眼下百米谷川よりの霊霧、眼前の武甲山の雄姿を収めたこの堂に身を置く時、まえに補陀落の浄土をみるに似ています。崖地には石仏や宝篋印塔などが納められています。

圓融寺から住宅街の中、里道を進むと、深縁に覆われた山を背にした次の27番札所・龍河山大渕寺に。二十七番目と記された「札所碑」の右横の石柱門から石段の参道を進むと、簡素な棟門形式の山門があります。曹洞宗の寺院で明治・大正と二度にわたる大火で堂宇を焼失し、山門から少し登ったところに平成8年(1996)に三間四面、方形屋根の「月影堂」と呼ばれる観音堂が再建されました。

本尊は聖観世音で、その昔、行脚の僧宝明、諸国を巡り、この地に霊境の多いにうたれ、春秋7年を過ごし思わぬ足の病となり行住坐臥して念誦するのみとなりました。弘法大師この地に至りてこれを愍たみ一体の観音を刻みて与えました。宝明は悦び吾一人拝するはもったいなしと里人に伝え一宇の堂を建て本尊をまつり、宝明を第一祖にしたと伝わります。

頂上近くには昭和10年(1935)に造立された高さ約15mの護国観音像があります。手に宝剣を持った珍しい観音像で、高崎観音、大船観音とならび関東三大観音と称されます。三門からも見上げることができます。

実は秩父札所巡礼で徒歩の場合、27番岩井堂と26番護国観音は結ばれています。

境内に湧く延命水は、自然の湧き水で年間渇水することがありません。本尊「聖観世音菩薩」の恵みの延命水と呼ばれ「ひと口飲むと33か月長生きできる」と伝わります。

森が深くなった頃、国道を離れて県道73号へ、さらにすれ違い不可能な細道を荒川の支流、橋立川に沿った道を進み28番札所石龍山橋立堂に向かいます。この道は武甲山への裏参道(西参道)で、坂道と石段を上ると、高さ約75mの切り立った岩壁が目の前に現れて息をのみます。秩父のシンボル武甲山の西麓にあり、この巨大な岩壁は武甲山と同じく石灰岩でできています。岩壁の下に佇む、江戸中期の建立の朱塗りの観音堂が目を引きます。

大岩壁を背にした観音堂は、三間四面の流れ向拝を付した方形銅板葺で、宝永4年(1707)の建立といいます。観音堂の軒下には「観音霊験記」の扁額のほかに、馬の群れが遊ぶさまが描かれた絵馬が左右に掲げられています。

本尊は秩父札所の観音様の中で唯一、馬頭観音を祀ります。観音は十一面観音や千手観音などさまざまな姿で表されますが馬頭観音もそのひとつ。馬を頭上に戴いて忿怒の形相をしていることが特徴です。日本百観音のうち、馬頭観音を本尊としているのはここと西国第29番札所・松尾寺の二寺だけです。その昔、弘法大師が柚の老木を刻んで馬頭観音とし、ここに安置したのが始まりといいます。この地がかつて馬が休憩する場所であったようで、馬が貴重な輸送手段だった時代から、交通安全の観音様としてもあがめられてきたようです。

橋立堂前に立つ馬堂は江戸時代の名工・左甚五郎の作と伝わる栗毛と白馬の2頭の神馬像が祀られています。

境内には、県内でも珍しい内部を公開している橋立鍾乳洞があります。橋立堂の納経所が鍾乳洞の入口で入場料200円を払います。

洞内に入るとひんやりとした空気が身体を包みます。全長140m、3分の2が竪穴型で高低差約33m、坑道は迷路のように曲がりくねっています。天井が低いところもあれば、はしごを上る所もあり、通路は狭くなかなかハードな探索になります。鍾乳石、石柱、石筍などが見られる洞内は広くはないが、その分、この自然の造形が昔から「胎内くぐり」の霊場として信仰されてきたことを実感できます。「弘法大師の後姿」「昇り龍の背」などと名付けられた鍾乳石が見ものですが、洞内は撮影禁止とのことで残念です。鍾乳洞を出ると、額に汗が浮かんでいました。

秩父4ダムカードめぐりに向かいます。東京を流れる荒川の水源地は秩父であり、彩甲斐街道沿いに4つのダムが存在し、それぞれ秩父市より1時間圏内にあります。それゆえ「秩父4ダム」巡りは約87Km約3時間のコースです。秩父の4つのダムカードを揃えると二瀬ダムの限定カードが貰えることから周る順番は「浦山」「合角」「滝沢」「二瀬」の順で巡ります。

まずは水を資源機構管轄の「浦山ダム」を目指して国道140号をさらに南下します。荒川の河口から上流へ遡ること130km、支流の浦山川へ2kmほど入ったところに「浦山ダム」はあります。ダム高は156m(国内第6位)で重力式コンクリートダムとしては国内2位の高さを誇ります。秩父4ダムの中では一番高く、平成10年(1998)完成のダムです。

近在にはしだれ桜で有名な清雲寺があり、ダム湖周辺道路にも桜が植えられていることからダム湖は「秩父さくら湖」と命名されました。

見所はダム堤体が見学できることで高低差132mのエレベーターで一気に降り、下流広場からダムを見上げれば、迫力満点の姿が眺められます、丁度放水時でまるでシルクのように流れる姿はとても美しかったです。

次に行くのは県道を北上し、浦山ダムからは22km、約30分の距離にある小鹿野町と秩父市(旧吉田町)にある埼玉県管轄の「合角ダム」です。皆野あたりで荒川に合流する吉田川に建設された多目的ダムになります。鹿が角を突き合わす合角から名付けられた「合角ダム」は“かっかく”と読むのですが“ごうかく”とも読めるのでダムカードを受験のご利益にするという方も多いとのこと。浦山ダムと同様重力式コンクリートダムですが、高さは半分以下の60.9mと秩父4ダムの中では一番低いダムです。

展示室には今は湖底に沈んでいる伝説の巨石「天狗岩」の歴史を知ることができます。昔日照り続きで吉田川の水が枯れ、村人が水争いを始めたとき、怒った天狗が山の上から岩を投げ落して水の大切さを村人の教えたという伝説の岩です。

 

西秩父桃湖と名付けられたダム湖の奥には斜張橋の合角漣大橋が見えます。

合角ダムから県道37号で南下し、国道140号で大滝温泉方面に走り大滝道路に向かうこと31km、約1時間で水資源機構管轄の「滝沢ダム」に到着です。

秩父市大滝(旧秩父郡大滝村)の荒川水系中津川に建設された重力式コンクリートダムは、高さ132m、秩父多摩甲斐国立公園の中にあり、奥秩父の大自然との調和をテーマに配慮され、ループ橋(国道140号)とダムが一体となったダイナミックな姿になっています。秩父4ダムの中で一番新しく平成20年(2008)完成です。

ダムサイト直下流に位置する2橋でできた美しいループ形状の「雷電廿六木(らいでんとどろき)」は、国道140号「彩甲斐街道」の一部として建設されました。細く、美しく見えるための橋脚の、陰影、優美さを生むデザインの統一化、景観とマッチした夜間照明の配慮などとにかく美しく見える橋を目指し、平成10年(1998)完成、11年度グッドデザイン賞受賞しています。

ダム湖は「奥秩父もみじ湖」と名付けられています。

ダム上部の中央付近にダム内部へ降りることができるエレベーターがあり、108m下の下流広場に出れます。

ダム下流広場には吊り橋があり、滝沢ダム正面から見上げることができ迫力を感じます。

 

滝沢ダムより大峰トンネルまわりで17km約25分で国土交通省管轄の「二瀬ダム」に到着です。昭和22年のカスリン台風をきっかけに昭和36年(1961)埼玉県初の多目的ダムとして二瀬ダムが建設されました。ゲートやハッチなどは戦艦大和建造の呉造船所が製作し、技術が継承されている昭和の歴史あるダムです。

ダム湖はこの地にゆかりの深い秩父宮妃殿下によって「秩父湖」と命名されました。

高さ95mの重力式アーチコンクリートダムは日本に12基しかない珍しい堤体で、秩父4ダムの中で唯一ダムの堰堤が道路(県道278号)になっていて三峰神社に向かう車がダムの上を通過していきます。

二瀬ダム管理所はダムの手前約300mにある二瀬ダム展望台の横にあり、駐車場から道路を渡ったところにあります。ここで今まで手に入れた3枚のカードを見せることによって二瀬ダムカードと限定二瀬ダムカードの2種類がもらえます。秩父4ダムカードコンプリートです。

 

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