日本有数の豪雪でも知られる信州飯山。上杉謙信が築城した飯山城を中心に城下町として栄え、22の寺社が立ち並ぶ寺の町です。文豪・島崎藤村が『破戒』や『千曲川のスケッチ』の中でこの寺の多い雪国の町を描き、“雪国の小京都”と謳いました。奥信濃の里山にある各寺社をつなぐ「寺めぐり遊歩道」は、ところどころに古い社、数々の文学碑をはさみながらめぐる石畳風の小路です。ひっそりと佇む寺社群、雁木の町並み、風情ゆかしい寺の散策を楽しむ格好のコースとなっています。
飯山駅にある七福の鐘は、「寺は三十六、鐘なら愛宕」とも謳われ、奥信濃飯山の静寂な美しさを残し、島崎藤村が『雪国の小京都』と呼んだ飯山・寺の町を代表するのが鐘楼です。昭和60年(1985)に「一駅一名物」として旧飯山駅ホームに建設され、訪れる人々を鐘の音で温かく迎えました。商売繁盛、人望福徳、結婚安産、勤労勉学、延命長寿、勇気受福、愛敬富財の七つの願いが込められた「七福の鐘」は、一度訪れるたびに一つの願いがかない、七度で七つの願いが叶うといわれます。平成27年3月北陸新幹線飯山駅開業に伴い現在地に移設されました。
七福の鐘と合わせ特に福徳の神として崇められる七福神を市内7つの寺社にまつられた「いいやま七福神」めぐりは、1度訪れるごとに1つの願いが叶い、7度目で7つめの願いが叶うといいます。それらの願いとは「有福蓄財」「人望福徳」「芸道富裕」「延命長寿」「勇気受福」「愛敬富財」「清廉度量」各々の願いを込めて七福神めぐりのスタートです。まずは観光案内所で専用用紙(600円)を購入し、七つの寺社で御朱印をもらえば、七福神ご参拝記念品の完成です。
長野からR117沿いに北へ向かうと、ゆるやかに蛇行する千曲川が水先案内人となって奥信濃・飯山へといざなってくれます。豪雪地帯というネガティブなイメージを抱く人も多いのですが、豊かな自然と千曲川の詩情あふれる風景は比類なき美しさで心を惹きつけてくれます。
市内を流れる千曲川を眼下に望む城山公園は、信濃出陣の拠点として上杉謙信が永禄7年(1594)に築城した飯山城址です。その後数十年の間に、代々の城主によって城下町造りが進められ、江戸時代初期には現在の寺町の礎が築かれました。その背景にあったのは、小菅山を中心とした山岳信仰や浄土宗信仰が盛んであったこと、寺町が城を守る防衛地としての役割も兼ねていた点が考えられます。
「寺は信州下水内郡飯山町二十何ヶ寺の一つ、(略) さすが信州第一の仏教の地、古代を眼前にするやうな小都会、(略)すべて旧めかしい町の光景が香の烟の中に包まれて見える。」島崎藤村が「破戒」の中で描いたように、飯山は今も昔も寺の町。飯山花見小唄に「寺は三十六、鐘なら愛宕」ともうたわれるように、現在市内には全部で22の寺社が立ち並び、そのうちの半分は市街地の西側に位置する愛宕町周辺に並び、寺から寺への「寺めぐり遊歩道」が敷かれ、奥信濃の小京都を訪れる観光コースとなっています。
出発地点は「愛敬富財」の恵比寿天の「飯笠山神社」です。飯山七福神のなかで唯一の神社。急な階段を上がると境内があり、恵比寿天の彫像は、本堂右手に木漏れ日を浴びてたっています。商売繁盛、家内安全の神で漁業をしている姿であることから、江戸時代には農民や漁民の守護神として祭られ、えびす講祭が始まったとされています。謙信ゆかりの神社は「飯山」という地名の由来と考えられ、歴代城主の祈願所、飯山の氏神として篤く尊崇されています。
飯笠山神社と次の英岩寺を結ぶ寺めぐり遊歩道は間近に民家や畑がある水路脇を歩いていきます。途中には「謙信の露払い処」と名前の付いた公衆トイレがあります。
「人望福徳」福禄寿の「英岩寺」には5分程で着きます。本堂には、幸福と封禄、長寿を兼ね備える神、福禄寿がでんと構えていて、さすが年齢千年の仙人、長寿を象徴する鶴と亀を従えています。飯山で最古の寺であり、初代飯山城主泉重信の菩提寺です。境内には川中島合戦で名を馳せた謙信の直臣で「鬼」と呼ばれた槍の名人、鬼小島弥太郎の墓もあります。
車道を歩いて江戸時代初期の飯山城主・掘、佐久間両氏の菩提寺である「大聖寺」へ。木曽義仲の臣、今井兼平の子孫の今井内記が、父親の菩提を弔うために創立しました。明治初年、山岡鉄舟が正受庵再興のために訪れ滞在した時の雄渾な筆跡の襖絵が残っていて、公衆トイレの名は「鉄舟の御安心処」です。ここでは永平寺で修行された若住職によって作られる精進料理が予約制でいただけますよ。四天王の一人多聞天とも呼ばれ、古代インドの神様である「勇気受福」の毘沙門天を祀ります。日本では財産の神として福神に入れられ、戦勝祈願にも御利益があるとされます。
愛宕町にある「寺めぐり遊歩道」は、大聖寺から称念寺までの1.1km、50分の行程です。遊歩道を歩き「妙専寺」の前を通って「本光寺」へ。
本光寺は飯山城主岩井備中守信能が飯山城を築いた時、居城山口城にあった七面大明神をこの地にまつったのが開基とされます。「芸道富裕」の弁財天は、技芸上達の神として知られ、また財産をもたらす七福神唯一の女神で、同じ女神である本尊と共に七面堂に祀られています。境内には、松平遠江守忠倶により大阪から招かれ数々の用水を開設、現在の飯山水田を作った野田喜左衛門の墓があります。
伊勢社の前を通り、「西念寺」へ。親鸞聖人の高弟の一人であった成然坊の開山。松平遠江守が飯山藩主となった際に遠州掛川から移転してきたことから、墓地には松平氏家臣の墓が多いとのことです。
隣にある天正19年(1591)當白和尚が開基した「常福寺」は、飯山藩主、佐久間備前守が城下町経営のために市内小堺から寺領を与えて移転したといわれています。座禅道場を併設し、希望者は座禅を体験することができます。「有福蓄財」の大黒天が、座禅道場の入口に鎮座し、参禅者の幸福を見守っていますよ。
再度車道に出たところが「雪と寺の町公園」内にある「高橋まゆみ人形館」です。
ここからまっすぐに「愛宕町雁木通り」が伸びています。雁木とは雪よけの屋根のことで、冬の積雪の中でも快適に過ごすために設置された豪雪地ならではの建築様式であり、雪国ならではの知恵です。寺院が保護されるとともに、仏壇作りも盛んになっていき、愛宕町は別名仏壇町とも言われ、今も約40軒の家が仏壇作りを生業としています。約300mにわたって雁木が再現された通りには全国的にも珍しく、仏壇店が軒を連ねていることから別名「仏壇通り」とも呼ばれています。
展示試作館・奥信濃の看板を見て「寺めぐり遊歩道」に戻ります。ここからは遊歩道らしい道を歩きながら、高台からの城下町が実感できます。
江戸時代に一世を風靡した画僧・武田雲室の出身寺、武田氏の末裔が建立した「光蓮寺」から長野県のスキーの父といわれるレルヒ大佐の像が立つ長野県スキー発祥の寺「妙専寺」へ。1607年、飯山城主掘丹後守直寄の時に現在地に移転したのが「妙専寺」です。スキー伝来の際、越後高田でレルヒ少佐から一本杖スキーを習い、飯山地方に普及させた第17世住職市川達譲の像があります。この参道は、達譲が長野県で初めて一本杖スキーでシュプールを描いた場所なのです。
紅葉の山門が見事な「称念寺」を訪れます。雪国の小京都・飯山のなかでも指折りの古刹が「称念寺」。忠恩寺からだと石垣づたいに歩いたところにあり、秋には石段から山門の紅葉が見事なお寺です。
苔寺とも呼ばれ、紅葉の時期にはカエデの見事な赤と小さいながらも手入れも行き届いた苔の緑の絨毯との対比が鮮やかで、市内でも最たる美しさです。明治の南画家、長井雲坪ゆかりの寺でもあります。
鐘楼から下って石垣を回り込んだところに江戸時代、飯山藩主の松平氏、本多氏の菩提寺である「忠恩寺」があります。本堂は享保18年(1733)に再建されたもので、外陣天井には見事な“八方睨みの龍”が描かれ、旅人に睨みを利かせています。また護国殿には、本多廣孝が徳川家康から拝領した黒本尊阿弥陀如来像が安置され、毎年8月15日のみ公開される寺宝として知られています。「清廉度量」の布袋尊のお寺になっています。
七福神めぐりの最後は忠恩寺からしばらく南西に向かって歩くとジャンプ台・飯山シャンツェが見えてきます。その近くに「明昌寺」はあります。「明昌寺」は、大聖寺の末寺で飯山城主松平遠江守により建立され、俳句の寺として有名で、「延命長寿」の寿老人を祀っています。寿老人が持つ杖は、人間の寿命を司る書き物だと言われている。日本では室町時代に水墨画のなかに初めて登場し、その後七福神の一つに加わったと伝わる。
寺めぐりの最後は紅葉の見事なお寺「西敬寺」。飯山線の線路脇にあって茅葺きの山門が見事な親鸞聖人ゆかりのお寺です。建長7年(1255)親鸞の弟子、釈善巧により建立された浄土真宗大谷派の寺院。太子堂に安置されている長野県の県宝とされている所蔵の聖徳太子像は、釈善巧が親鸞の弟子となった記念に刻んでもらった聖人手彫りの像で、武田信玄の身代わりに傷を受けたと伝えられています。この時期(例年11月上旬~中旬)には山門や鐘楼周辺の木々が赤く色づきます。
まだ少し物足りない方は、更に歩くか、飯山駅のアクティビティセンターで自転車を借りて、正受庵に行ってみるのもいいですね。2015年に北陸新幹線の開通をきっかけに設置されたJR飯山駅構内にある「信越自然郷アクティビティセンター」は、信越自然郷エリアのアクティビティやアウトドア情報の拠点。自分に合った自転車をチョイスできます。
小高い丘の上にひっそりと佇む「正受庵」は、臨済宗の再興者・名僧正受老人(恵端禅師)が終生、座禅三昧の厳しい修行を積んだ場所。寛文6年(1666)に建立された茅葺きの禅堂です。鳥の声や虫の音に包まれた静かな本堂は、手入れの行き届いた白砂の庭と木々の緑に美しく調和しています。映画『阿弥陀堂だより(2002年)』で主人公の恩師の居宅として使われ、庵から眺める景色に心癒されるワンシーンが登場しています。江戸の志道庵、犬山の輝東庵と共に天下の三庵として古来より知られ、全国古寺名刹百選にも選ばれている、寺の町飯山を代表する歴史ある風景です。
恵端は松代藩主・真田信之の庶子で、縁あって飯山城で生まれ育ち、江戸修行や諸国行脚を経てこの地に庵を結んだといわれます。そのため賽銭箱には真田の六文銭が描かれ、庭には飯山藩主・松平忠倶から拝領した写真左端に映る軒端の水石や数珠の老栂が今も残っています。正受庵への登り口である参道は、別名「白隠蹴落し坂」と呼ばれ、臨済宗中興の祖・白隠が宝永5年(1708)来庵した際、「こんな小庵の和尚如き・・・」と含んだ高慢な態度を戒めるために白隠を蹴落したと伝えられるいわくつきの参道です。
参道を下ったところからも寺めぐりコースを歩くことが出来、先ずは1km先の「明昌寺」「忠恩寺」を目指せば、逆コースを辿ることができます。
「寺めぐりスタンプオリエンテーリング」は、22ある市街地の寺社等に切絵作家・柳沢京子デザインのオリジナルスタンプが設置され、専用台紙(一冊200円)に10箇所以上のスタンプを集めるとオリエンテーリング達成記念品として「極楽浄土ハッピーパスポート」を贈呈してもらえるというものです。
また古来より福徳の神として信仰される七福神が市内の七つの寺社に祀られた「いいやま七福神めぐり」もあります。一周約3時間の御利益旅コースが設定されていて専用台紙(色紙600円)のご朱印(各寺社100円)を集めれば旅の記念品の完成です。
どちらも信越自然郷飯山駅観光案内所や伝統産業会館等で購入できますよ。