
江戸時代に「下り酒」と呼ばれ、江戸っ子たちを魅了した上方の酒の醸造地であった伊丹や灘五郷には今も多くの酒蔵があり、日本有数の酒造地帯として、多様で豊かな日本酒文化を育んでいます。神戸市・尼崎市・西宮市・芦屋市・伊丹市が申請した『「伊丹諸白」と「灘生一本」下り酒が生んだ銘醸地 伊丹と灘五郷』が2020年6月日本遺産に認定されました。「日本酒」をテーマにした初の日本遺産であり、400年前から今日まで、伊丹と灘五郷で伝統と文化が育まれている酒造文化のストーリーをひもときながら、「清酒発祥の地」である伊丹や「日本一の酒どころ」灘五郷を歩いてみませんか。先ずは「澄み酒」の出現と「伊丹諸白」の伊丹へ向かいます。
伊丹市は摂津国の中心で戦国時代、織田信長配下の荒木村重によって惣構の城「有岡城」が築かれ、伊丹の鴻池は清酒発祥の地として知られます。その後、「伊丹郷町」は多くの文人墨客が訪れる、文化の薫り高い町として、全国に名を馳せているとのこと。まずはJR福知山線伊丹駅前の公園になっている、2014年NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」で、当時の城主であった荒木村重が天正6年(1578)織田信長に謀反をおこし、説得に来た黒田官兵衛を幽閉した城として有名な「有岡城跡」を訪れます。
有岡城は、猪名川の西岸、伊丹段丘東縁部の一角に位置し、鎌倉時代に伊丹氏によって築城された伊丹城といわれていました。戦国時代、織田信長配下の荒木村重は伊丹城を攻め、城主の伊丹氏を追放します。そして城を有岡城と改め、城下町までを堀と土塁で囲う惣構えの城として大規模な改造を行い、惣構の城域は東西0.8Km、南北1.7Kmに及び日本最古級の城下町を取り込んだ惣構の城「有岡城」が築かれました。また北・西・南の要所には、それぞれ「岸の砦」「上﨟塚砦」「鵯塚砦」の3つの砦を築きました。
城跡は現在、ほとんどが市街地化されていますが、戦国時代に広く築かれた強固な城の一部であるとされている土塁や空濠が発掘調査で見つかり、当時の面影を深く感じさせます。本丸に残る石垣には、石仏や墓石など多くの転用石が使われているのがわかります。本丸には井戸跡と説明されている穴が、いくつか残されています。
しかし村重は突如として信長に離反。信長軍に城下町を焼かれてしまいますが、町人町は残りました。江戸時代、焼け残った街は酒造業を基幹産業に大いに発展していきます。伊丹で造られた酒は多くが江戸へと送られ、「丹醸」などと称されて江戸の人々から大変な人気を得ました。
伊丹の北部、鴻池村に「我に八難七苦を与えたまえ」で有名な尼子遺臣・山中鹿之助の長男 新六幸元が遠縁を頼って住みつき、酒作りを始めました。最初は濁り酒を造っていましたが、慶長5年(1600)に双白澄酒(もろはくすみざけ=清酒)の醸造に成功したことが、後の伊丹の酒の隆盛に繋がりました。当時濁り酒が主流を占めた日本酒の中に、透明な清酒が登場して特に需要の多い江戸に運んだところ、大歓迎されて巨万の富を築いたと言われています。鴻池村にちなんで鴻池姓を名乗った新六は、後に大坂に出て鴻池家の始祖となりました。鴻池新六の居宅跡に、「鴻池稲荷祠碑」があり、清酒発祥の地が記されています。中国古代貨幣「布貨」の形をした石碑で、亀形の台石「亀跌」の上に立てられています。
その後、寛文元年(1661)伊丹町及び近隣11カ村を併せた伊丹郷町が、五摂家筆頭近衛家領となるに及び一層酒造りに有利となりました。麹と掛米の両方に精白米を惜しみなく使った伊丹の酒は「伊丹諸白」として珍重され、元禄時代には江戸には樽廻船で運ぶという一大流通革命と将軍家の御膳酒となったこともあり、伊丹郷町の江戸積酒造業の隆盛を極めた要因となりました。杉樽の香りのする芳醇馥郁たる辛口の伊丹の酒は、「丹醸」と呼ばれ、「下り酒」として江戸で大変な人気を博しました。江戸時代は天皇がおられる京(上方)から江戸へ送ることを“下る”と言い、“下り酒”もそのひとつでした。
江戸時代延宝2年(1674)に建てられた国内最古の酒蔵として国重要文化財である「旧岡田家住宅」や「旧石橋家住宅」を含む、伊丹の歴史と文化を知ることができる江戸時代の風情が漂う郷町館などの集合施設が「市立伊丹ミュージアム」。中庭には日本を代表する作庭家・重森完途が設計し、息子の重森千靑が一部改修を手掛けた風情ある日本庭園(枯山水)です。伊丹が酒造で栄え、水の豊かな地であることにちなみ、白砂の流れで清流や湧水を表現し、伊丹ゆかりの俳諧にちなみ「くの字」形の低い石橋や独特な飛び石の打ち方を取り入れ、古風の美しさを意識した造りになっています。案内板もなく通り過ぎてしまいますが重森三玲の作風に触れていえばオヤと気付くかも。
伊丹の有岡城の城下町である伊丹郷町は、酒造の町として発展し、当時の伊丹郷町を形成する伊丹村は27町からなり、旧岡田家は伊丹村中心部にあたる米屋町にあります。正面に店舗、奥に酒蔵、その間に釜屋・洗い場が並んでいます。この店舗の最初の所有者は、松屋与兵衛で、建立時期は店舗が江戸前期の延宝2年(1674)、店舗の北に建つ酒蔵は少し遅れて正徳5年(1715)ごろに増築され、酒造をおこなったものと考えられています。
松屋は享保7年(1722)ごろから衰退し、享保14年(1729)には酒造家鹿島屋清右衛門が松屋から酒蔵を買収しています。鹿島屋は買収後に店舗の東隣に酒蔵を増築し、伊丹の酒造最盛期には千石蔵を増築して生産を拡大しますが、明治9年(1876)に廃業しました。その後、安藤家がこの酒蔵を取得して、明治33年(1900)に岡田正造に売却し、岡田正造は翌年大規模な改造を行い、以後は昭和元年(1925)に伊丹酒類興業、昭和43年(1968)に大手柄酒造と引き継がれ、昭和59年(1984)に廃業となるまで大手柄酒造北蔵として酒造りが行われていました。ここで醸造されていた酒はm江戸時代には、松緑、岡田家の所有になって以降は、富貴長・大手柄4が主要銘柄でした。内部には江戸積酒造業史や伊丹郷町史の資料展示や洗い場等発掘遺跡を露出展示しています。
今日では、生一本の灘五郷の台頭で、伊丹の酒は衰退の道を辿っていき、現在は全国ブランドの「白雪」と「大手柄」、「老松」を数えるだけになりました。
旧石橋家住宅は、江戸時代後期に建てられた町家で、正面は摺り上げ大戸やばったり床几(揚見世)、出格子がはめ込まれています。2階は4ヵ所に虫籠窓を設け、軒まで白壁で塗り込まれているなど、建設当初の店構えを残しています。
石橋家は17世紀後期に初代弥兵衛が昆陽口村で八百屋を開業したのが始まりであるとされ、4代目から北少路村(宮ノ前通り)に移り住み、5代目より「古手屋茂兵衛」を名乗りました。明治以降は紙、金物等の小売業と酒造業(分家に譲渡)を兼業し、その後、日用品の雑貨商を営みました。宮ノ前商店街にあった「剣菱」の酒蔵は、江戸時代の津国屋のブランドを引き継いだ池上家の蔵で、石橋家が酒造を始めた時、屋号の「古手屋」と「剣菱」を合わせて酒名「古菱」としました。
JR伊丹駅から阪急伊丹駅に至る道筋の有岡城跡と三軒寺前広場に囲まれたメインストリート「伊丹酒蔵通り」に「老松酒造」があります。酒銘のいわれは、千載の齢を経ても緑を保つ松の老木にあやかって「老松」と命名されたと伝える。元禄10年(1697)江戸幕府は伊丹の酒屋のうち大手24軒に帯刀を許し、幕府の「官用酒」としこれを「御免酒」と称した。「老松」はその御免酒の中でも最も格式が高く、宮中奉納酒として又将軍の御膳酒としても名高く、その伝統の技と品質を今日まで保ち続けているとのこと。年間貞享5年(1688)赤根屋和助(武内姓)の創業にして、赤根屋利兵衛が継承せる酒銘「老松」は江戸積銘酒名寄番付に東方大関としてトップにランクされるなどその評判は高かったとのことです。
伊丹酒の仕込みには、井戸水が使われていて、「老松丹水」は、この場所で酒造りが行なわれていた当時の井戸から汲み上げているとのこと。
全国ブランド「白雪」の酒蔵が、創業天文19年(1550)で460有余年の歴史を持つ小西酒造です。「小西酒造」は、文亀永正の頃(1501~1520年)丹後国丹波郡吉原庄(現在の京都府中郡峰山町)奥吉原城に拠り細川藤孝と戦った守護一色氏の陣代小西岩見守を始祖とし、その猶子小西宗雄が民間に下り、天文19年(1550)伊丹に出て薬種商を営むかたわら濁酒造りを創めました。その後文禄元年(1592)清酒業を本業とし規模も大きく営むようになり、慶長17年頃(1612)初代小西新右衛門宗吾が酒樽を馬の背に乗せ江戸へ運ぶ駄送りを開始、寛永12年頃(1635)2代目新右衛門宗宅が江戸へ酒樽を運ぶ途中雪を頂いた富士の気高さに感動し、富士の「白雪」と名づけます。
築250年以上の酒蔵を改造したレストラン「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」で日本酒ならず地ビールをいただく。焼き板壁や白漆喰が特徴の長寿蔵が伊丹郷の面影を今に伝えています。
日本酒とビールをテーマにした複合施設・長寿館は、平成7年にオープンし、1階レストランでは造りたてのクラフトビールや日本酒と相性の良い料理が楽しめます。約200席ある広い店内で梁や柱は当時のままに、かつての酒蔵ならではの高い天井も開放感たっぷりです。
店の奥にある工場のつくりたての地ビールが味わえるので長寿蔵の4種類の飲み比べができる「KONISHIビール」テイスティングセット1150円を注文する。KONISHIがつくる「ベルギースタイルクラフトビール」は、清酒発祥の地・伊丹で470年以上の長きにわたり培ってきた清酒発酵技術をビール造りに融合させることでKONISHIにしかできないビールが生まれました。
左から順に日本酒酵母と山田錦米を使用した「ゴールドエール」は芳醇さの中にフルーティーな香りとスッキリとした味わい。幕末の蘭学者川本幸民がペリーの黒船で飲んだビールを忠実に再現したレシピで醸造の「幸民麦酒」は、ビール酵母ではなく清酒酵母を使用し、濾過をせずに酵母の風味を残したコクがあり、味わい深い「日本最古のビール」。小麦を原料としたベルギータイプの「スノーブロンシュ」はハーブのコリアンダー&オレンジピールが醸し出す爽やかな酸味と香りが楽しめる無濾過タイプのホワイトビール。6種類の麦芽で造った芳醇なボティ感の黒ビール「ブラックエール」は、特殊な麦芽をブレンドして芳ばしさとビスケットのような風味が特徴です。
食事は期間限定スペシャルメニュー“まるごと!ブレッドグラタン~エスニック風~”をオーダー。とろーりチーズとまろやかなカレー風味の濃厚ホワイトクリームソース。ビストロ風に仕上げたパンから溢れるグラタンソースを最後の一口まで堪能できる逸品です。ジャガイモのスープとミニサラダ、オリーブ3種類がついて1800円。
2階では江戸時代に杜氏や蔵人が実際に使った昔の酒造りの道具130種200余点が展示されているとともに、日本酒の歴史、清酒発祥の地である伊丹の酒造りの歴史を紹介しています。
有馬街道を北へ向かい猪名野神社へ。「猪名野神社」の名称は明治2年(1869)の神仏分離により、「猪名野神社」と改称したもので、祭神は、猪名野坐大神(健速須佐乃男命)を祀り、伊丹郷町の氏神で、古くは「野宮」、「天王宮」、「牛頭天王」などと呼ばれていました。醍醐天皇延喜4年(904)に猪名寺(尼崎市)の元宮から移され、本殿は、貞享2年(1685)造立です。有岡城の惣構の北端に位置し、「きしの砦」跡と推定される土塁跡が残存しています。
2026年8月28日再訪問
「電車で行ける灘五郷・西宮。銘酒を買って、飲んで、蔵元めぐり」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/4146
「電車で行ける灘五郷・神戸。銘酒を買って、飲んで、蔵元めぐり」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/4143
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