ヒスイのふるさと新潟「糸魚川」でジオサイト巡りとヒスイ探し

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貴重な自然遺産に親しめるとして認定された世界ジオパークのある新潟県糸魚川は、市全体が大地の公園です。日本列島がアジア大陸から離れるときにできた巨大な裂け目、フォッサマグナ(ラテン語で「大きな溝」のこと)が姫川に沿って走ります。更にアジア大陸の地下深く生まれたヒスイは、日本列島誕生という激動にもまれながら地表に姿を現し、古代人に愛されました。そんなヒスイと古代のロマン溢れる奇跡の場所、糸魚川へ大地の発見を楽しむ旅に出かけてみました。

糸魚川市内には、その特徴的な地形や地質を紹介する24のジオサイトが設定され、市全体が大地を学ぶテーマパークです。まずは「小滝川ヒスイ峡ジオサイト」に向かいます。国道148号から小滝川ヒスイ峡に向かう途中、県道483号の小高い峠にある展望台からは、大迫力の明星山と静寂に包まれる高浪の池とのコトラストがまるで絵画のような美しい景色に出会えます。糸魚川に来てこの絶景を見なければ損します。

まずは標高540mの白馬山麓国民休養地内にあり、池の西南部にある赤禿山の地滑りでできたすり鉢状の池「高浪の池」をめぐります。水深13m、地下からの伏流水で一年中満々と水をたたえるこの場所は、巨大魚の目撃も相次ぎ、地元では波太郎伝説として親しまれています。池のほとりには「波太郎」や「」のオブジェやキャンプ場があり、家族で楽しむことのできるスポットになっています。池の周囲を約15分ほどで散策することができ、ここからも高浪の池越にサンゴ礁が隆起した明星山を望むことができます。

小滝川ヒスイ峡のそばにそそり立つ標高1188mの「明星山」はほぼすべて石灰岩の巨大な絶壁を持つ山です。もともと3億年前に熱帯の海底に積もったサンゴ礁が数千万年以上の長い年月をかけてプレートとともに移動してきた太古の地殻変動の証拠の山です。その大絶壁が落ち込んだ姫川の支流が小滝川ヒスイ峡と呼ばれ、「小滝川硬玉産地」として天然記念物に指定されています。

ヒスイ峡展望台から見上げる高さ440mのゴツゴツとした明星山の岩肌は、空に向かって真っすぐ聳え立ち、大迫力の姿はまさに圧巻です。ヒスイ峡展望台に車を停めて小滝川ヒスイ峡学習護岸に下りていきます。眼下の小滝川の清流と圧倒的な迫力をもってそびえる明星山の大岩壁が織りなす「小滝川ヒスイ峡」では、幻想的な景色に出会えます。

幅約160mの区域に約80個のヒスイの原石が保護されているヒスイ峡学習護岸には、ゴツゴツとした自然のままのヒスイの岩塊が点在し、間近に見ることができます。上方は黒ずんでいるものの、水が流れる部分は白っぽくなっています。ヒスイは緑色のイメージがありますが本当の色は白なのです。木々や清流と組み合わされた風景は渓谷としても美しい場所です。

緑色の半透明な宝石「翡翠」は、その美しさをカワセミの羽の色に喩えた名です。ヒスイは地球の表面を覆う巨大プレートの沈み込む帯にしかない岩石といい、長い年月を経て地上に露出することから「プレートテクトニック・ジュエリー」ともいい、地球規模の大移動にふさわしい別名です。国内随一の産地である糸魚川のヒスイは、約5億2000万年前にでき世界最古のヒスイといわれ、緑色のほか、白色、ラベンダー色、青色、黒色などがあります。

北陸新幹線の工事前調査で6500年前の縄文時代の長者ヶ原遺跡からハンマーとして使われたものが発掘されるなど、ヒスイの玉やそれを作る道具などが数多く発掘され、ヒスイ文化発祥の地とされています。現在、日本の全国各地の遺跡から見つかるヒスイは、糸魚川のヒスイ峡から産出されたものと考えられています。ここはヒスイの交易拠点だった所で、古墳時代まで「玉作りの里」として栄え、勾玉などの装身具に化工されて九州から北海道、朝鮮半島にまで供給されました。ここではヒスイの原石を目の前で見ることができ、実際に触れることもできます。明星山がそそり立つダイナミックな風景の中でヒスイの原石に触って質感を味わうと、約5億年前に地下深くでできた地球のロマンを感じます。

国の天然記念物に指定されてからは、小滝川ヒスイ峡でのヒスイ採掘は禁止されていて、平成28年(2016)には国石に指定されています。ヒスイを見つけたいなら海岸へということで国道148号を北上し糸魚川市内に入ります。国道8号線沿いの駅前海望公園から500mほど、駅から一番近い海岸、押上海岸付近が「糸魚川海岸ジオサイト」で、別名ヒスイ海岸として有名です。姫川支流の小滝川ヒスイ峡に産出したヒスイが、長井年月をかけて姫川を下り、海に流されていきます。そのため様々な石が見つかる河口付近のヒスイ海岸では、散歩がてらヒスイを探している地元の人に出会えます。見つけた石は、市内の博物館「フォッサマグナミュージアム」で鑑定してもらえますよ。

ヒスイは古代より強力な護符や魔除けとして広く使われてきました。古代糸魚川は、「高志(こし・越)」の国と呼ばれ、この国の“奴奈川姫”が、ヒスイを使って国を統治していたと伝えられています。賢く美しいと評判の姫と出雲の国の大国主命とのラブロマンスが古事記にも登場しています。JR糸魚川駅前にある「奴奈川姫像」では、左手に宝珠を持つ奴奈川姫と握手をすれば願いが叶うと言われています。

糸魚川駅から400m、国道8号との交差点まで徒歩約5分の駅前海望公園には奴奈川姫とその御子・建御名方命(長野県諏訪大社の祭神)の像が設置されています。この像も左手にヒスイの宝珠をもっています。姫川が脚光を浴びたのは昭和13年(1938)、童謡『春よ来い』などの作詞で知られる歌人、相馬御風が糸魚川に帰郷していた際のエピソードに始まります。知人の鎌上竹雄に「糸井川を治めていた奴奈川姫が翡翠の勾玉を身に着けていた。もしかしたらこの地にヒスイがあるかもしれない」と助言したのです。そして鎌上から話を聞いた親戚の伊藤栄蔵が小滝川に注ぐ土倉沢の滝壺で緑色に輝くヒスイを発見したのです。

国道8号を西へ、1億年前の岩が露出する天下の険「親不知ジオサイト」に向かいます。断崖が連なる「親不知」はかつて北陸道最大の交通の難所として知られていました。上杉謙信や松尾芭蕉などが通った「天下の険」です。日本海の荒波に洗われた断崖絶壁直下のわずかに現れる波打ち際の道しかなく、大波が来ると岩壁の窪みや大懐と呼ばれた割れ目に避難しました。平清盛の弟、頼盛の妻が落人となった頼盛を追って行く途中、子供が波にのまれてしまった際に詠んだ悲しみの歌「親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯のあわと消えゆく」が地名の由来と言われています。

国道8号沿い、親不知観光ホテル前の天険コミュニティ広場に車を停めて親不知周遊コースを歩きます。かつての国道を整備してできた「親不知コミュニティロード」と旧北陸本線跡の「親不知レンガトンネル」の二つを歩くとぐるっと周遊ができます。周遊は約2km、所要時間は60~90分です。、まずは、ホテル裏手の「親不知コミュニティロード」からスタートします。

「親不知コミュニティロード」を歩き始めてすぐにある東屋のある展望台から現在の親不知海岸の様子が一望できます。明治初期まで海岸と崖の間の細い波打ち際を通る古代の道、コミュニティロードとなった1883年(明治16)明治天皇の訪問をきっかけに開通した道路、そして国道8号(1966)、北陸自動車道(1988)と4世代の道路を見渡せ、昔の人の苦労が偲ばれます。「日本の道100選」「土木遺産」に認定されています。

展望台の横には、親不知に寄り、白馬岳登山を行ったことを著書『日本アルプス登山と探検』で記した日本における近代登山の父、イギリス人宣教師W・ウェストン像があります。

この道路が完成したのは明治16年(1883)、明治天皇が明治11年(1878)この地を訪れた際、安全を考えて海岸でなく急な山道を歩かれたことから安全な道の整備がすすめられ、この道路が完成したとのこと。待望の道路の完成を祝って岩壁に彫られた「如砥如矢」は、砥石の如く平らで矢のようにまっすぐな道路という意味で、『詩経・小雅』に収められている「大東」の第一聯が原典といされています。【有饛簋飧、有捄棘匕 周道如砥、其直如矢

下から見ると、ほぼ垂直に切り立った高い崖で、北アルプス(飛騨山脈)が、日本海に落ち込むことがよくわかります。

展望広場のある西坑口から旧北陸本線の「親不知レンガトンネル」に入ります。当時のレンガ作りに驚きながら約670mにわたるトンネル内を歩きます。中はひんやりしていますが真っ暗ですので坑口のプラスティック箱にある懐中電灯を使います。旧北陸本線は大正元年(1912)に開通し昭和40年(1965)に廃線になりました。旅客のほか黒姫山から産出した石灰岩も輸送されていました。

東坑口を出てすぐに海岸まで下りる階段があります。波打ち際はコミュニティロードから眺める日本海とは違い、荒々しい波が海岸に打ち寄せ違った迫力があります。

江戸時代、加賀街道と呼ばれ、上越市から金沢経由で彦根市まで結んでいた古代の道は、松尾芭蕉も親不知を東から西へなんとか渡り切り、市振に宿をとります。ここで『今日は親不知・子不知・犬戻り・駒返しなど云北国一の難所を越て、つかれ侍れば、枕引よせて寝たるに、一間隔て面の方に、若き女の声二人計ときこゆ』とあり「一家に遊女もねたり萩と月」と詠んでいます。ここは海抜0m地点で、ウェストンが親不知が日本アルプスの起点と語ったとおり、標高2418mの朝日岳を結ぶ世界有数の登山道である「栂海新道」の起点です。鹿島槍ヶ岳、白馬岳といった3000m級の北アルプスの山々がここで日本海に落ち込み、日本海の最深部3000mへと一気に下っていきます。山と海合わせて6000mの境界、海抜0m地点のここ親不知は、一億年前の岩が露出するアジア大陸分断の地です。

お昼時でもあり国道8号沿い「道の駅 親不知ピアパ-ク」に寄ります。北陸自動車道が全線開通した昭和63年(1988)7月にオ-プンした高速道路高架下の空間を利用したユニークな道の駅です。日本で唯一の海の上のインターチェンジに近く、デザイナ-粟津潔氏作の海亀像が迎えてくれます。

目の前の「親不知海岸」は、道の駅・親不知ピアパークに隣接している「親不知ジオサイト」です。青海観光案内所(親不知ピアパーク内)ではヒスイ探索キット「ひろっこ」がありおすすめです。ヒスイ探しのポイントや石のパンフレット、磁石、ライトなど必要な道具をそろえた石ころ探索キットです。川の流れや波で自然に磨かれた小さくても美しいヒスイを見つけることができます。海岸で見つかるヒスイの特徴は、白く角ばっている、重い、そして滑らかで表面がキラキラと輝いているなどです。発見は至難の技ですがチャレンジしてみるのもありです。

名物は「紅ズワイガニの天丼」ですが、今回はオフシ-ズンでもあり海鮮丼にしました。

国道8号を糸魚川方面に戻る途中、ピンクのリゾートマンションが見えてきたところにあるのが「青海海岸ジオサイト」です。砂浜ではなく砂利浜が広がる海岸には、さまざまな石に混じってヒスイを見つけることができます。これは姫川の上流にある小滝川ヒスイ峡や青海川の上流にある橋立ヒスイ峡などのヒスイ産地から長い年月をかけて川を下り、海岸に打ち上げられているためです。因みに青海川ヒスイ峡は熊が出る可能性が高く、行かないほうがよいようです。

青海川橋立ヒスイ峡の河口にあるのが「青海海岸ジオサイト」ラベンダービーチです。淡紫色のヒスイが拾えることからこの名がつきました。ヒスイ広場や歴史の碑などがある整備された美しい海岸です。この奴奈川姫像もヒスイの装飾をしています。

郷の締め括りの温泉は、「権現岳ジオサイト」にある「柵口温泉 権現荘」です。約100万年前に地下から上昇してきたマグマが、浅い場所で固まったヒン岩という岩石でできた山で、神仏が宿る山として信仰されてきました。柵口温泉はその権現岳のマグマの熱によって温泉がわき出しています。泉質はナトリウム塩化物-炭酸水素塩泉で疲労回復・健康増進、山間の景色と川のせせらぎを楽しみながら浸かれば体の芯から和みます。

帰宅途中、神代昔、大国主命が奴奈川姫に求婚した際通った道として語り継がれている「神道山」の近くの「佐藤菓子舗」でかき氷を食べると火照った体に最高です。

2021年11月27日NHK番組「ブラタモリ#191」君は糸魚川の本当のすごさを知っているかでも紹介されています。

 

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