うどんも堪能!城主も見惚れた群馬・館林つつじが丘公園の花紀行

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春はやっぱりお花見旅行に行きたいものです。徳川第5代将軍綱吉の城下町、群馬県館林の城沼の畔にある「群馬県立つつじが丘公園」は古くからのつつじの群生地であり、世界にほこる日本有数のツツジの名園です。国の文化財「名勝(躑躅ヶ岡)」に指定され、日本の歴史公園100選に選ばれている広さ36.8haの園内には、樹齢800年の古木や高さ5mの巨樹など約100品種1万株の色とりどりのツツジが毎年4月中旬から5月上旬にかけて咲き誇ります。上毛かるたにも「花山公園つつじの名所」と謳われる燃えるようなツツジが艶やかに咲く江戸時代から続く悠久の「つつじが岡公園」へ、GWに花愛でる癒しの旅に出かけてみませんか。

つつじが岡公園は500年以上前から「躑躅ヶ崎」という名称で古くからヤマツツジが自生していた歴史があり、室町時代の書物にも記されています。江戸幕府下の慶長10年(1605)、徳川四天王・初代館林城主榊原康正の寵愛を一身に受けていた「お辻」という側室が、正室らのいやがらせに耐えきれず城沼に身を投げてしまいました。里人はこれを悲しみ、その霊を弔うため“音”の似ているツツジを城沼の南に植えました。

その後の寛永4年(1627)2月には、第3代館林城主榊原忠次により、領内新田郡武蔵島村からツツジの古木群をこの地に移植され、以降今では100余品種、一万株のツツジが開花する名園となりました。そしてその美しさから昭和9年(1934)には国の名勝「躑躅ヶ岡」として指定されていて、真っ赤にツツジが開花するさまを「燃えているよう」と表してつつじが岡公園のことを“花山”と呼んでいます。

園内は、名勝「躑躅ヶ岡」の旧公園と昭和5年にできた新公園とで構成されています。園内散策マップには、「見学コース」が示され、貴重な品種や歴史的な名木には、「緑色の看板(名木シリーズ)」があり、番号も打たれていますので順に見て回れるコース設計になっています。写真の「見学コース(1)」の入口に咲く品種は飛鳥川といい江戸時代から続く古いオオヤマツツジ系の品種です。

飛鳥川というヤマツツジのあと名木2番「勾当内侍遺愛のツツジ」に向かいます。第3代館林城主榊原忠次が寛永4年(1627)に当時領内だった群馬県新田郡尾島町花見塚(現在の群馬県太田市)から、新田義貞が妻、勾当之内侍のために建武元年(1334)に植えたと伝えられるツツジ数百株を移植したものです。花色は紅色で樹高は5m、幹が32本に分かれている樹齢800年の見事なヤマツツジです。

名木3番「蓑霧島」は樹齢650年のキリシマツツジで、看板にはしゃがんで下から樹冠の中を覗き込むことがおすすめの観賞法だとしています。老木にもかかわらず緋色(濃く明るい紅色)の花を咲かせていて太い幹が曲がりながら伸び、樹形が園内でも一番見事なツツジと言われています。外側の小さな花弁が切り込んで蓑咲き状になりますが、枝によっては八重咲きの花も現れる珍しいキリシマツツジです。樹高は2.2m、枝張り直径5.3mの名木です。

名木4番「桃色ヤマツツジ」、5番「乙女心」、6番「八重ヤマツツジ」といったヤマツツジの群生を抜けると、館林城の天然の要害として利用していた城沼がよく見えるところに出ます。「見学コース6」の看板があるところで、この城沼が徳川四天王・初代館林城主榊原康正の側室「お辻」が身を投げたところです。ここから見える城沼北岸の善長寺には、お辻と共に死んだ侍女お松の二人の供養塔が建てられています。

そのまま名木8番「本霧島」や9番「八重霧島」、蓑霧島といったなかを歩いていきます。途中には「行啓記念碑」が建てられた高台もあり、上ってみるのもいいです。写真右の細い園路を下ると、城沼沿いのつつじ園の北側の園路に出ます。北側から眺める公園も素敵です。つつじまつり期間中は城沼を渡る渡船のりばがあります。

旧公園の最後が名木10番「峰の松島」です。遅咲きの「リュウキュウツツジ」で花径7cmほどの大輪の花をつけます。花色は白ですが、うっすらと紅紫色の絞りが入り、時には紅紫色の花もあらわれます。江戸時代には知られていた古い品種です。

なだらかなスロープを下って観光案内所まで行く途中には、ヤマツツジや春紫、クルメツツジといった品種が咲き誇っています。昭和5年に拡充した新公園のほうに歩いていきます。途中には関寺や大紫ツツジの前を通ると満開状態です。

昭和5年に拡充した新公園は、つつじが岡公園正門の先、観光案内所左手の斜面を利用して造られています。名木11番「千重大紫」は、おしべとめしべが花弁化し、バラやボタンのような八重咲きの花を咲かせる珍しいツツジです。新公園の入り口を彩っていますよ。

斜面の上には一本の径があり、ヤマツツジでできた名木12番「古木ツツジのトンネル」をくぐります。ツツジは下から見るのも面白いといわれますが古木のいくつにも分かれた枝ぶりには関心します。背の高い人にはちょっと屈まないと駄目ですね。

くぐり抜けると鮮やかな紅霧島に迎えられます。

そのまま両脇から被いかぶさるようなツツジに囲まれた径を進んでいきます。

行き止まりの名木15番「八重ケラ霧島」の真っ赤なツツジをかいくぐって、斜面の下の大芝生広場の道に出ます。

大芝生広場から見上げる斜面一面に日の出霧島や白霧島、紅霧島といったツツジの花が咲き誇る景色は圧巻です。

「群馬県立つつじが岡公園」には営業時間というものがなく、本来24時間無料開放の公園なのですが、館林つつじまつりの期間中はつつじ園のみ有料化されます。しかしながら開園は朝8時からですが混雑を避けてそれ以前に入園すればその後も無料です。窓口で入園券を買おうとすると8時からですと言われますが気にせず入園しましょう。早起きは三文ではなく630円のお得です。

駐車場は公園周辺に多数あり、無料で利用することができます。

館林は狐が尾を曳いて縄張りをしたと伝えられる城下町です。つつじが岡公園から館林駅までは約2Km、城下町・町屋の面影を訪ねるまちなか散策が楽しめます。

つつじ公園をあとににして「茂林寺」に行きます。童話分福茶釜で知られる青龍山茂林寺は応永33年(1426)大林正通禅師が館林の地の小庵を結んだことを開山とし、応仁2年(1468)青柳城主赤井正光が堂宇を建立した曹洞宗の名刹です。総門(黒門)から山門(赤門)へと続く参道には21体の狸像が並び参拝者を迎えてくれます。

本尊釈迦牟尼像を安置する正面本堂は応仁2年に建立、享保12年に改築を行い現在にいたります。また本堂北側には分福茶釜が安置されていて拝観料300円が必要です。

境内左手には「守鶴堂」があります。開山正通禅師が伊香保山麓で出会ったのが共に小庵を結んだ守鶴和尚で、歴代の住職に役僧として仕え、分福茶釜を当山にもたらしたと伝えられています。

ランチは、館林駅前にある館林名物のコシのあるうどんで有名な「花山うどん」がおすすめです。明治27年(1894)創業のうどん店は、2013、2014、2015年と「うどん日本一決定戦U-1グランプリ」三連覇のお店です。名物は「鬼ひも川」という巨大はきしめんのようなうどんですが、午後1時からの提供です。

今、麺のまち「うどんの里 館林」の新たな名物は、館林を舞台にした昔話「分福茶釜」にちなみ、館林の「うどん」と地域資源「分福茶釜の茂林寺」、地場産業である正田醤油(株)の「醤油」が三位一体となった「分福茶釜の釜玉うどん」です。「花山うどん」の「分福茶釜の釜玉うどん」は、タヌキの丼に入った釜あげうどんに半熟たまご、剥きエビ、油あげ、かまぼこがのり、お好みで天かすを入れます。そして地元正田醤油のだし醤油をかけていただくのですが、これが大変美味しいのです。のどごしとコシとの硬さが丁度よくしっかりとしまっています。油あげに味がしみこんでいてうどんとの相性が抜群です。だし醤油を少しづつかけて下さいといわれますがたっぷりかけても大丈夫ですよ。

また全国的に有名な「暑い館林」を楽しく、美味しく、快適にと「分福茶釜の冷し釜玉うどん」のあります。

GWの北関東の花の名所、茨城の国営ひたち海浜公園のネモフィラ、栃木のあしかがフラワーパークの藤と併せて見て回るのも素敵です。

ネモフィラと空で青一色に染まる絶景・国営ひたち海浜公園」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/10590

世界が認めた藤棚!春の足柄フラワーパークの大フジを楽しむ」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/10526

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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