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福井県南西部の嶺南地方にある敦賀は、若狭湾(敦賀湾)に面し、海と陸の交通の要衝でした。越前国の西の玄関口として古代より畿内と北陸道を結ぶ北国街道の脇街道である鯖街道(西近江路)や山陰道への丹後街道が通り、また畿内や瀬戸内海に繋がる水運を利用できる琵琶湖からは峠を下った日本海側に位置するため交通の要衝とされ、街道沿いには氣比神宮が建立されました。鳥居前町が形成され、天然の良港・敦賀港とともに発展しました。敦賀は古くから日本海側では最大規模の港町で、有史以来朝鮮半島や中国大陸との交流が盛んで、渤海や宋をはじめ、海外交易の拠点として栄えてきました。“北国の都ぞかし”江戸時代に井原西鶴が著した『日本永代蔵』で、敦賀の港を評した言葉です。北前船寄港地として栄えた敦賀は、「問屋は塵にまじるにぎわい」といわれ、商人だけでなくスリも全国から集まったといいます。近代には早くから鉄道も敷かれ、戦前は日本とヨーロッパを結ぶ欧亜国際連絡列車が発着していました。国内外からさまざまな文化が入ってきた、異国情緒漂うハイカラな港町・敦賀で、歴史を感じる散策に出かけます。

まずは地元では「けいさん」の愛称で親しまれ、古より北陸道総鎮守として仰がれている越前国一の宮「氣比神宮」に参拝します。大宝2年(702)創建とされる古社で主祭神に伊奢沙別命(イザワケノミコト)他7柱を祀ります。伊奢沙別命は「御食津大神」とも称し、元はその名の通り食べ物の神様で現在は衣食住全般や海上交通の安全などのご利益で信仰を集めています。

表参道口(境内南西隅)の正面にある大鳥居(重要文化財)は、正保2年(1645)小浜藩主・酒井忠清の寄進で建立で、春日大社、厳島神社と並ぶ日本三大木造大鳥居のひとつに数えられています。佐渡から奉納されたムロの大木で建立されたと伝わる主柱間7.45m、高さ10.93mの大規模な木造両部鳥居です。

大鳥居をくぐったすぐ左手、北側には「猿田彦神社」があり、氣比大神の案内をされる猿田彦大神がご祭神です。

その先手水舎の近くにあるのが「長命水」です。大宝2年(702)社殿を建立した際にわき出たとされる神水で延命長寿の水として、1300年以上の長きにわたり今に長命水の名称で親しまれています。

本殿は外拝殿、内拝殿、本殿とその周囲に四社の宮が置かれている。

境内には元禄2年(1689)に『おくのほそ道』で敦賀を訪れた松尾芭蕉の碑があります。敦賀滞在中に氣比神宮や金ヶ崎、金前寺、色の浜、本隆寺などを訪ね歩きました。おくのほそ道の風景地「けいの明神(氣比神宮境内)」では月明りに照らされた神前の白砂に感動し、「月清し遊行のもてる砂の上」と詠み、楽しみにしていた中秋の名月をあいにくの雨で鑑賞できなかった芭蕉は「名月や北國日和定めなき」と詠んでいます。

東駐車場奥には伊奢沙別命降臨の地と称される「土公」がります。敦賀北小学校校庭にあり、周囲には卵形の石が八角形にめぐらされています。最澄・空海が当地で7日7夜の祈祷を行ったとも伝わります。

敦賀地名神話の祖を祀る「角鹿神社」もあります。崇神天皇の時代に敦賀に来着したとされる朝鮮半島の大加羅国の貴人、都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)が祀られています。日本書紀によると都怒我阿羅斯等は額に角がはえていたといい、このことからこの地を「角鹿」ひいては「敦賀」というよになったといいます。

敦賀は明治15年(1882)日本海側初の線路が敷設、明治32年(1899)には外国貿易港に指定され、明治45年(1912)から昭和初期にかけて、新橋から敦賀、航路を経てロシア・ウラジオストクを経由してシベリア鉄道でヨーロッパへとつながる「欧亜国際連絡列車」の拠点港のひとつとなり、国際都市として繁栄しました。

敦賀港開港100周年の一環として整備された「金ヶ崎緑地」には、往時の繁栄ぶりを今に伝え、その象徴である「敦賀赤レンガ倉庫」が2棟並んで建っています。外国人技師の設計により明治38年(1905)にアメリカの石油会社紐育(ニューヨーク)スタンダードカンパニーが建設した石油貯蔵の倉庫は、オランダ製のレンガを使用しイギリス積みで造られ、内部は広大な空間を設けることができるよう柱は一本もない小屋組構造が大きな特徴です。平成21年国の登録有形文化財に指定されています。2015年10月14日にリニューアルオープンした「敦賀赤レンガ倉庫」は北棟が鉄道と港のジオラマ館、南棟が敦賀の食材にこだわるカフェ&レストラン館に生まれ変わりました。ジオラマ館では、昭和20年(1945)の復元地図を参考に1/80スケールでかつての敦賀を再現、毎時00分と30分に10分間の映像が流れます。屋外にはかつて小浜線を走ったものと同形のキハ28形気動車が展示されています。

とんがり屋根が印象的な敦賀鉄道資料館は、かつて「欧亜国際連絡列車」の発着駅として重要な位置を占めていた敦賀港駅舎を再現。敦賀の鉄道の歴史を模型や資料などで紹介しています。

敦賀では命の大切さと平和の尊さを教えてくれます。人道の港 敦賀ムゼウムでは、後世に語り継ぎたい出来事として、1920年からの2年間にロシア革命後の内戦時にシベリアで家族を失ったポーランド孤児が、また1940年~41年には“東洋のシンドラー”とも称されるリトアニアのカウナス領事代理・杉原千畝が発給した「命のビザ」を携え、多くのユダヤ難民がこの地から上陸した当時の様子を詳しく伝えています。「ムゼウム」とはポーランド語で「資料館」のこと。外観は大正時代から昭和初期の敦賀港駅など、4棟の建物を復元しています。

金崎宮駐車場に隣接してあるのが敦賀港駅 ランプ小屋(金ヶ崎停車場ランプ小屋)です。敦賀-長浜間に鉄道が施設された明治18年(1882)金ヶ崎停車場に完成した小さなランプ小屋は、旧長浜駅舎と並び現存する鉄道関連の建造物では最古のもののひとつです。欧亜国際連絡列車が発着し敦賀港が賑わいをみせていた当時、汽車の照明に使われるランプや油類などの危険物を保管していました。

建物内には二つ部屋があり、ランプ小屋に関するパネル展示と鉄道開業当時のランプ小屋内部を復元した展示を行っています。ランプ小屋の棚の中には、工事用の1290形と、最新鋭の1800形の蒸気機関車が使うランプがしまわれています。『今、柳ヶ瀬隧道工事に1両、旅客・貨物混合輸送に1両、汽車が運行しているので、その分棚が空いています。また左側の棚にいちも置いている信号灯、手持ち灯は、今、駅で使われている最中です。小屋の隅には、神戸から入荷したばかりの灯油が2缶、開封前の状態で置かれています。』

敦賀は各地の食材が集まった地だけにおいしいスイーツも多い。歴史的な建物が残る博物館通りに建つそばカフェマツニタカでは、ふだんは福井県産のそば粉を使った二八の手打ちそばやガレット、クレープが評判のお店ですが、この時期自家製のフルーツシロップ(いちご、マンゴー、パイナップルなど)がかかったこだわりのふわふわなかき氷を楽しむことができます。

季節のフルーツをギュッと凝縮させた贅沢なシロップを使ったかき氷のコンセプトは“フルーツを食べているかのような一杯を”とのことで、素材の味をそのままに、口に含んだ瞬間、果肉を感じられる仕上がりになっています。蕎麦カフェらしく蕎麦皿に盛られたかき氷は、半円状に固められているようでふわふわの食感で、つぶつぶ感を残したマンゴーシロップが中にも外にもかけられ、口の中で一体化する至高の一杯になっています。。

2026年8月30日再訪問

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