川の渡渉を確認!信州高瀬渓谷最奥の秘湯・湯俣温泉を訪ねる

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長野県大町市は北アルプスの峰々が顔を並べる山岳観光地。そんな北アルプス表銀座と裏銀座に挟まれた高瀬ダムから遡り、約3時間かけて目指すのは絶景の秘湯・湯俣温泉とその先にある天然記念物の墳湯丘です。その河原には無数の源泉があり、高温の湯を川の水で調整しながら足湯や入浴は楽しめます。現在川の渡渉点の水深は膝くらいということを確認して渡渉用の靴持参で出発です。総歩行距離21km、往復6時間の渓谷歩きです。

スタート地点の高瀬ダムまでは車で大町市西部の渓谷にある葛温泉を越えて七倉山荘前の無料駐車場に停めます。ここから昭和54年(1979)完成の大岩を8万個積み上げた日本最大級の“ロックフィルダム”高瀬ダムまでは、東京電力会社の工事車両など許可された車しか通行できないので、通行を許可された特定タクシーに乗り換えてダムの上へ続く急勾配の道を約15分上っていきます。料金は片道2400円(4人までの乗り合わせ可能)で帰路もダムの堰堤に待機している特定タクシーで戻る必要があるので往復で4800円になります。※今回は3000円のタクシーチケット購入で5000円分使えるクーポン「とくとくタクシーチケット」を利用しました。

黒部ダムに次ぐ日本で2番目の高さ(176m)を誇る高瀬ダム堰堤でタクシーを降りると目の前に広がるエメラルドグリーンのダム湖100選にも選ばれている高瀬湖に思わず息をのみます。この辺りは高瀬渓谷といわれる紅葉の名所で10月半ばあたりは紅葉見たさでダム湖もかなりの人で賑わう。湖に向かって右手は入り口に槍ヶ岳の穂先が見える槍見台のあるトンネルから先不動沢、濁沢を抜けて烏帽子岳や野口五郎岳といった北アルプス裏銀座ルートのブナ立尾根へと向かう登山道入り口に向かいます。

今回は左手のトンネルから湯俣温泉への道で一軒宿の晴嵐荘まで約10㎞、3時間の道程です。スタートして、約5kmの東京電力の工事林道を歩きます。まずはいきなり高瀬隧道と呼ばれる約1kmを超える長い第一トンネルが振り出しで、その後第二トンネル、第三トンネルと大小あわせて3ヵ所続きます。ルート前半は発電施設のための車道なので関係車両が通ったりしますが、それでも気分は爽快です。

二つ続いたトンネルを抜けるとようやく眺めのいい場所に辿り着きます。右手に広がるダム湖の水面がエメラルドグリーンに輝いています。時折風に乗って鼻をくすぐる硫黄臭からも温泉成分が流れ込んでこの神秘的な光景を創り上げているのだろうと感じます。

第三トンネルを抜けしばらく進み、高瀬川第五発電所から先はダム湖はやがて狭くなり高瀬川の渓流に変り、振り返ると遠くに残雪の針ノ木岳方面の山が見えます。

スタート地点から約5km、1時間半ほどで車道は終わり工事林道終点広場にでます。ここからは晴嵐荘経由で野口五郎岳に続く登山道が始まります。

しかしながら登山道とはいえ、道はかつてのトロッコ道なので、右下に渓谷を眺めながらシラカバ、ブナ、ミズナラと植生豊かな広葉樹林の緑のトンネルを歩く渓谷沿いのほぼ平坦で軽快な道です。木漏れ日も清々しく、沢を渡る難所にも随所に橋や木道が架かっていてきちんと整備されており歩きやすい。なにより息を切らす箇所がなく、断崖や流れ落ちる木など風景に飽きることがなく、快適に晴嵐荘までの2時間を歩けるのが嬉しい。

途中の道標の案内は晴嵐荘のみですが、本当は前方彼方に槍ヶ岳北鎌尾根山塊が見えるように、そこに通じる険しい登山道でもあり「名無避難小屋」という名の避難小屋も建っています。

蝙蝠の住む薄暗い短いトンネルを抜けると森林の中を歩いてきた道が川沿いへと移ります。高瀬川の清らかな水の音に身も心も清々しく感じます。

晴嵐荘までの5kmの道中、山肌と川面とのコントラストが美しく、変化に富んだ景色は飽きることがありません。

歩き始めて2時間、広々とした河原を見ながら進みます。地形図を見ると、野口五郎岳や燕岳、それに槍ヶ岳など北アルプスの名峰に囲まれた山域です。

高瀬川の広い河原を上流へ向けて延々と遡って視界が開けた先、岸の反対側に晴嵐荘があります。後方には裏銀座方面の山が望め。宿の裏側から登れます。その手前には徒渉点と墳湯丘への標識がありますが立ち寄るのは後にして、ここから先、徒歩で15分ほどのところの天然記念物の墳湯丘を目指します。

水門施設の裏側を過ぎ、渓谷沿いを立ち昇る湯気の方向を目指して進んでいきます。湯俣川を少し遡ると渓流の両岸には赤茶けた岩壁が荒々しく突き上げています。

水俣川に架かる吊り橋を渡ります。橋を渡って左に行けば墳湯丘、右は槍ヶ岳北鎌尾根方面の登山道になります。

しばらく進むと祠があり、ロープを使って10mほどの崖を慎重に下ると温泉が湧く河原に着きます。

周囲は地獄谷とも呼ばれ源泉の宝庫で、河原の随所で温泉がブクブクと湧き、湯気が立ち昇っていて、かなり熱いところもあるので油断は禁物です。

一帯を硫黄の臭いと共に白い湯気が立ち込める景色は圧巻です。先客の手作りの野天風呂の跡もあり、湯加減は引き込む川の水の量で調整します。ちょうどいい湯加減の場所を探して足湯を楽しんだり、もちろん素っ裸になって体を横たえることもできます。

反対岸の上流に見えたのが存在感を見せる墳湯丘、温泉成分が河床に堆積されて成長を続ける高さ3mほどの乳房の形をした岩です。墳湯丘の中央の湧き口には球状石灰石と呼ばれる小さな霰石ができ、学術的にも貴重な現象で国の天然記念物に指定されています。湯俣川の水量が少なければ徒渉して近くまでいけます。

戻って晴嵐荘に立ち寄ります。平成30年7月上旬、西日本を中心に全国を襲った「西日本豪雨」で晴嵐荘の目の前の高瀬川に架かる吊り橋が押し流されてしまい、今年新しく吊り橋が完成していたのです。しかしながら先日来の雨で水量が増し、晴嵐荘前の高瀬川が二手になっていて本流にはしっかり吊り橋が架かっているのですが、登山道手前の部分は渡渉になります。渡渉地点にはロープが張られているのでわかりやすく、さっそく靴をサンダルに履き替えて徒渉です。意を決して川に足を踏み入れて透明な清流を渡るのはむしろ気持ちが良いほどですが水はとても冷たく、汗ばんだ身が一瞬で引き締まります。(戻りは冷たさにも馴れてスムーズに徒渉)

吊り橋はスリル満点なのと河原より一段高いところにあって橋脚に登るのに一苦労です。

標高1430m堂々とした佇まいの晴嵐荘は、高瀬川上流、槍ヶ岳を源とする水俣川と鷲羽岳方面から流れる湯俣川が合流する渓谷沿いにある湯俣温泉の一軒宿。本館は昭和33年(1958)に再建された当時の木造モルタル2階建ての建物で、お昼の食堂だけの利用もでき、無理に河原で裸にならなくても敷地内の泉質が単純硫化水素泉の源泉を使用する内風呂も利用できます。

湯俣温泉の開湯の歴史ははっきりせず、江戸時代初期頃から木樵や漁師たちが温泉を利用したとも伝わりますが、晴嵐荘が創業したのは昭和2年(1927)になってからです。創業者は大町市で木炭問屋を営んでいた竹村多門治で、場所は現在より少し上流の対岸(ダムの取水口)にあったといいます。多門治は後に2本の登山道を開削しています。一本は廃道となりましたが槍ヶ岳北鎌尾根に通じる多門治新道で、もう一本は現在も歩かれている湯俣岳から裏銀座縦走路へと続く竹村新道です。多門治亡き跡の昭和25年(1950)には建物が雪崩で全壊し、昭和33年(1958)から現在地で営業を開始しています。

もともと湯俣温泉は登山基地で、沢沿いにあった伊藤新道ができた頃は登山客で賑わいましたが、近くにダムができてからは徐々に廃れていったといいます。伊藤新道は湯俣温泉と標高2550mにある三俣山荘をつなぐ約9km、標高差1000mほどの登山道で、三俣蓮華岳にある三俣山荘の伊藤正一さんが開拓したルートでした。※現在約40年ぶりに三俣山荘を継いだ圭さんによって新。伊藤新道として再生されています。

来た道をスタート地点まで戻ればゴールです。ちょうど停車していた特定タクシーで車を駐車している七倉山荘まで送ってもらいます。往復の行程を考えて湯俣温泉・晴嵐荘での入浴を控えたこともあり、帰路の途中にある葛温泉・高瀬館の露天風呂で体をリフレッシュすることにします。葛温泉の「葛」という温泉名の由来は、慶長年間(1596~1615)の飢餓の際、里人が食料に困り、秋の七草の一つである葛を採りに山中に入ったところ、温泉が見つかったということです。高瀬渓谷のほとりにひっそりと佇む葛温泉もまさに秘湯の趣があります。1分間に1500ℓを超えるほど湯量は豊富で、10km以上離れた大町温泉郷などに配湯してています。2種類の源泉をかけ合わせた広い露天はかけ流しとなっていて、雄大な北アルプスの山塊に抱かれ、間近に迫る山並みの眺望を満喫しながら寛げます。

高瀬渓谷は長野県内有数の紅葉の名所として名高く、例年10月中旬が紅葉の最盛期です。                    「紅葉に彩られる信州大町「高瀬渓谷」にある3つのダムめぐり」のリンクこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/256

 

 

 

 

 

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