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加賀、越前、美濃、飛騨、越中の5国境にそびえ、万年雪をたたえ白く輝く霊峰白山は、古くから山岳信仰の霊場と仰がれてきました。富士山、立山と並ぶ日本三霊山のひとつとして知られ、歴史は古く、約1300年前の養老年間泰澄大師により開山された。白山から湧き出る密やかな水の流れは数々の恵みを集め、豊かな長良川などとなって平野を潤し海へと至るのであれる。白山の神を祀る社は全国に2700社を数え、その中心となるのが白山頂上への禅定道(登山道)の3っの入口であり信仰の拠点で、平安時代初期には白山の三馬場と呼ばれました。美濃馬場は、岐阜県郡上市の長瀧白山神社、越前馬場は福井県勝山市の平泉寺白山神社、加賀馬場は石川県白山市の白山比咩神社であり、これら三馬場より全国に白山神社は勧請されたといわれます。白山の麓に開かれた三馬場はそれぞれに発展し、地域形成の軸をなしたのです。白山信仰は山そのもの、自然そのもの、そして水そのものであり、水イコール命という非常にわかりやすい信仰で、庶民に広がっていきました。

今回は東海北陸自動車道白鳥ICでおり、ここからは白山美濃禅定道(現在の国道156号)を長良川沿いに北上し、長良川流域の白山文化に出会いながら最終目的地「石徹白大杉」を目指すことに。美濃禅定道は、岐阜県(美濃)から白山山頂(御前峰)へ至る登山道で、白山信仰における重要な道の一つです。東海地方の白山拠点の役割を長く担った三馬場(拠点)のひとつ美濃馬場の長瀧白山神社を起点として、石徹白地区を経て、銚子ヶ岳(1810m)、別山(2399m)を経由して白山山頂(御前峰)2702mに至る約36kmの道程です。この道は泰澄大師が白山を開山した際に開かれた古い時代からの信仰の道を石徹白の人々が守り伝え、今まで使われ続けてきた道です。

郡上市白鳥町は美濃の参詣ルートとして全国から多くの人が行き来し、「上り千人、下り千人、泊り千人」といわれ、御師と呼ばれた人たちが参拝者を案内したり、宿坊を提供したり、全国に出向いて薬草などを売り歩き、布教に努めていきました。「白山美濃禅定道」は僧侶や山伏の修行の道でなく、霊峰白山への庶民のためにある旅の道でした。長良川を意識しながらの道であり、長良川の流れの導きで、迷うことなく登山口である馬場まで辿り着ける街道であった。現在の156号とほぼ同じルートであったらしい。

長良川沿いを走る長良川鉄道・白山長滝駅すぐにある「長瀧白山神社」は、全国各地に分布する白山神社の中でも中心的な神社の一つで、白山信仰の美濃側の中心でもあります。かつて美濃馬場白山中宮長瀧寺といい、奈良時代養老元年(717)泰澄大師により創建され、平安・鎌倉・室町時代には隆盛を極めました。明治に神仏分離の際に長滝白山神社と長瀧寺に別れましたが、今も同じ境内にあり参道も一緒で右手側が神社、左手側が寺と広い境内に神と仏の習合の古い姿を今も留めています。写真は白山長滝神社。

白山中宮長瀧寺は石段の横には水が流れ、水の階段を上った先、境内の中央には鎌倉時代の作といわれる石灯籠が置かれ、白山長瀧寺の拝殿がドンと構えています。

本殿や拝殿、大講堂に三重塔の礎石、金剛童子堂の護摩壇跡など中世大寺院の、遺構から長い歴史を感じることができます。

国道156号を道の駅「白鳥」から県道314号に入り「見たか聞いたかあみだが滝を、滝の高さとあの音を」と、郡上踊りの歌でも知られる「阿弥陀ヶ滝」を目指します。霊峰白山を源とする長良川最上流に流れ落ち、白山開祖泰澄大師により発見されたというこの滝は、当初その名を長滝と名付けられ長滝白山神社の由緒とも言われています。

駐車場から滝つぼまでは、石畳の散策道が整備され、10分程歩く程度で到着します。鬱蒼とした木々の間から真直ぐに流れ落ちる「阿弥陀ヶ滝」は落差約60mもあり、「日本の滝100選」、「岐阜県の名水50選」にも選ばれているまさに東海の名瀑です。滝壺から少し離れた場所でも舞い上がる水しぶきが、木陰とともに清涼感あふれる別天地を創っています。「阿弥陀ヶ滝」という名前の由来は、白山中宮長滝寺の僧、道雅法師が滝の北側の洞窟で修行していたところ、目の前に阿弥陀如来の姿が浮かびあがった事からその名がついたといわれています。その後は滝修行の名所としても知られ、この滝に打たれ心身を鍛えていたとのことで、ごうごうと音を立てて流れ落ちるその姿は圧巻です。

阿弥陀ヶ滝から檜峠を越え記紀神話の里、白山信仰とともに歩んできたお膝元「石徹白」地区に入ります。地区内には境内に樹齢200年から1000年と推定される150本余の杉の大樹に守られた白山中居神社があり、かつて白山登拝者の宿坊だった旧家は今に歴史を伝えている。県道127号を北上すると、古く景行天皇12年(83)の時代に古喜美、名を武比古と称する者によってイザナギ・イザナミノミコトを隈筥川の辺、長瀧川(長走瀧)と短瀧川の流れ間の清々しい森に祀ったのが始まりとされる「白山中居神社」が鎮座しています。

銅製鉄板の鳥居くぐり、杉の巨木群をくぐり抜けると石徹白川と支流である宮川との合流部に宮川橋(布橋)が架けらているのが見えます。この世とあの世の境界といわれる。境内を流れる宮川では、かつて白山に参拝する人たちがこの流れに身を清めたといいます。

清流を渡る見えてくる白山中居神社は、養老元年(717)美濃禅定道を開いた泰澄大師が社殿を修復し、初めて修験道の修行をした白山の神を祀り、それまで山岳信仰だった白山信仰に仏教的位置づけをしたことで知られ、社域も拡がった中居の宮が静かな佇まいを見せます。境内は杉の巨木が樹立し、木漏れ日の中、社殿へ向かうと杉の香りが心地よく身体を包み、石段の上に構える本殿とともに荘厳な雰囲気を漂わせています。本殿正面の「粟穂に鶉」「竜と脇障子」の彫刻は諏訪の立川流による江戸時代の作で一見の価値ありです。ただし昔からなぜか女性一人では行ってはいけないといわれていますので家族や友達と御一緒で参って下さい。

地区内の大師堂には泰澄大師の像とともに白山中居神社にあった「虚空蔵菩薩坐像」が安置されています。この坐像は奥州藤原三代の秀衡が寄進したもので、「上村十二人衆」と呼ばれる家臣により、遥々石徹白まで運ばれてきました。上村十二人衆は寄進後も石徹白で社人となり、明治の廃仏稀釈では白山中居神社から運び出したのです。

境内近くには幹周囲10m以上の巨木「淨安杉」や鳥居から右へ林道を600mほど進むと「長走りの滝」の標識があります。15分ほど山道を進むと落差15m、長さ30mの緩い勾配の滝に出会えます。水量があるので迫力があります。

さらに7Kmほど走ります。石徹白登山口駐車場から豊かな自然にも恵まれ、整備された420段の石段を登りきること15分、樹齢1800年、国指定特別天然記念物の「いとしろ大杉」が現れます。高さは24m、「十二抱えの杉」ともいわれ、その名の通り、大人十二人でようやく幹が抱えられるほどの大きさで、この巨木の幹周りは、13.45mもあります。白山信仰の登拝者を見守り続けてきた霊験あらたかなこの古木は、岐阜県一位、全国杉の部門5位となっている石徹白大杉です。その威厳のある佇まいのせいか周りの杉を従えているような貫禄でさえあります。白山を開いた泰澄大師の杖がこの大杉になったという伝説も残っているます。

今回の白山禅定道はここまで。ここから白山山頂まではまだまだ続きます。途中には、女人禁制であった白山に登った泰澄の母がこの坂で神からの叱りを受けたと伝わる「おたけり坂」、突然の悪天候に見舞われた泰澄の母親が雨宿りしたという伝説の「雨宿りの岩屋」そして、銚子ヶ峰手前には「母御石」という、っても山を下りない母親に神様が怒り、泰澄の母を石に変えてしまったという岩があります。伝説に彩られた白山禅定道、一度は踏破してみたいものです。

帰りには「ウイングヒルズ白鳥リゾート」の近く、奥美濃温泉「天然温泉 満点の湯」に入って帰ることに。標高1000mにこんこんと湧くのは絶景を楽しむ美肌の湯。泉質はナトリウムー炭酸水素塩泉という日本有数の炭酸水素塩泉で肌の角質をとったり、毛穴の汚れをとってくれる「乳化作用」という働きがあり、美肌作りが期待できます。

露天風呂から向かいにウイングヒルズ白鳥リゾートがみえます。

 

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