古来より日本の塩は海塩であり、沿岸部で採れた塩は人と牛馬によって、はるか内陸まで運び届けられていました。戦国時代、上杉謙信が武田信玄に塩を送った「敵に塩を送る」という『義塩』の故事も、この道に由来します。日本海の糸魚川から信州松本まで約三十里(約120km)を結んだ千国街道は、信州「塩の道」。江戸時代、松本藩では、塩の流入を糸魚川から千国街道経由の塩(北塩)のみ許可したため、日本海からは塩をはじめ海産物、信州からは麻やタバコなどが運ばれ、日本海から松本までを結ぶ「千国街道」は重要な流通路として利用されており、当時は、、牛馬を連れた牛方や、ボッカと呼ばれる荷運び人たちが盛んに行き交ったそうです。それは華やかな大名行列などの往来もない深い谷あいの山道である生活物資運搬のための経済路線、いわば汗のにじんだ庶民の道として明治の時代まで続いたとのこと。街道筋の小谷村にはそんな塩の道がよく保存されています。往時にタイムスリップしてハイキングに出かけてみます。
千国街道は日本海の糸魚川から千国、白馬、大町と北アルプスの麓を縫い安曇野を経て松本に至る約30里(120km)の道です。信州側で「糸魚川街道」越後側で「松本街道」と呼ばれた千国街道は、又の名を“塩の道”と言われています。姫川渓谷、深い樹林、北アルプスの雄大な眺め、安曇野ののどかな田園風景と、千国街道は美しい景色に恵まれています。
現在小谷村内には、旧街道跡が残っており、歴史観光・トレッキングコースとして、千国、大峰峠、石坂、高町、地蔵峠、天神道、鳥越峠、大網峠の8つのモデルコースが整備されていて、それぞれ魅力あふれたコースです。中でも昔の街道の面影が色濃くただよう千国越えコースは、栂池高原の松沢口から小谷村郷土館までの全長約6Km、高低差300m。塩の道を体感するのに格好のハイキングコースで、例年5月開催の「塩の道祭り」でも歩く人気コースです。
モデルコースの中でも最も整備されていてそのため歩きやすく、かつて牛と牛方が一緒に寝泊まりした「牛方宿」などの史跡や、「千国番所跡/千国の庄史料館」など、往時の文化、歴史に触れられるポイントが多いため、塩の道の入門には最適のコースなのです。昔の風情をたっぷり偲ばせてくれる石仏たちの姿や伝承にふれ、自然が豊かな「塩の道」にいざ出発です。5月の塩の道祭りでは、小谷村郷土館方面から、松沢口へと歩くのですが、今回は行程全体が下り坂となるようにスタート地点は、スキーで有名な栂池高原バス停から南へ5分の松沢口です。
まずは到着地点である小谷村郷土館の近く小谷村役場に車を停め、歩いて5分のJR南小谷駅に向かう。そこで8:25発栂池高原行きの村営バスに乗り込み25分で栂池高原到着です。料金一人500円。
バス停からおみやげ街を少し下ってスタート地点である松沢口へ。ここから最初の目的地牛方宿まで1.4km約20分です。
出発地点から3分ほど、千国街道沿いの親の原に、西国、秩父、坂東の百番霊場に合わせた「前山百体観音」が、白馬三山を望んで木々に包まれながら立ち並んでいます。江戸時代、伊那高遠の石工の作といわれ、西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所、秩父三十四ヵ所を合わせ百として一度に観音札所巡りができるように彫られた、ありがたいものです。現在は年月を経て80数体になっていますが、昔の風情をたっぷり偲ばせてくれる石仏たちの姿にふれることができました。
石に刻まれた表情はどれも穏やかで、どこかに自分に似た顔の観音様が見つかるかも?と思いつつ昔の旅人に倣って、道中の安全を祈願して手を合わせます。
前山百体観音から左手に白馬三山を一望しながら平坦な山道を歩くこと15分程で、沓掛地区に現存する唯一の「牛方宿」に到着します。
険しい山道では、物資の輸送に馬は使えず、牛と牛方に頼るしかありませんでした。牛方は、牛の背に約60Kgの塩俵2俵を積み、一人で数頭を追いながら旅していました。牛方宿は、そんな物資を運んだ牛方と牛が一緒に寝泊まりした独特の旅籠で、間口五間半、奥行き8間ほどの茅葺きの民家です。牛は土間、牛方は牛の姿が見える中二階でと、一つ屋根の下に寝泊りして旅の疲れを癒しました。冬は歩荷(ボッカ)と呼ばれる荷運び人も泊まったといいます。越後から山を越えた牛たちの休憩地だったのです。
かつては糸魚川から松本まで物資を運んだ千国街道沿いには、何軒もの牛方宿があったとのことですが、明治二十年頃、新しい国道ができると街道はその役目を終え、牛方宿もいつしか姿を消してしまいました。現在では、小谷村栂池高原の沓掛に位置するこの牛方宿のみが現存し、昔の塩の道を物語る証となっています。
牛方宿とともに現存する唯一の旧街道時代の建造物が「塩倉」です。階上は塩の保管、階下には牛を繋いでいた半地下式の塩倉になっています。塩による腐食を防ぐため、釘を一切使わずに建てられています。
牛方宿と千国番所跡の間にあるのが、急な坂が続く「親坂」です。つづら折りの急坂である親坂あたりは坂道で難所だったところであり、重荷を背負った牛が足を滑らせないように、ゴツゴツと敷かれた石畳が残っています。山道では蹄が割れていて踏ん張りの利く牛の方が馬より有利だったのです。
親坂の道沿いにある牛や牛方が咽を潤した冷水が湧き出る「弘法の清水」は、涸れることのない湧き清水です。水を貯めた石舟が2個あり、高い位置にある石船が人間用、低いほうは牛の水飲み場です。横を流れる小川はイワナが棲みぐらい清らかですよ。
その先には、牛を休ませた「牛つなぎ石」が苔むして残っています。牛の手綱を結ぶ穴をくりぬいた巨石で、塩の運搬に牛が使われていた名残りです。
他にも雨にぬれると、ことさら石の色が赤く変わる「錦岩」があり、見所満載のこのあたりを歩くのはとても楽しく、一気に親坂を下ります。
牛方宿から1.4km、約35分で千国地区にある「千国番所跡」に到着です。慶長年間(1596~1615)から250年以上置かれた「千国番所跡」です。江戸時代に松本藩の口留番所として明治2年(1869)に廃止されるまでこの地に君臨し、藩公認の北塩(太平洋側からの南塩は禁製品)の運上塩(通行税)の徴収、塩などの荷物や人改めの監視場所として機能をはたしてきました。通行の際の運上金として塩一駄(塩俵2俵)につき3升2合(約6kg)を納めていました。
19世紀中頃に建てられた造り酒屋の豪荘な蔵を移築した資料館に、千国番所が復元されています。番所内には役人の人形や槍なのが展示され、厳しい取り締まりを想像させます。
千国番所跡から4kmの終着点小谷村郷土館を目指して千国諏訪神社に向かう途中は、小谷小学校が新設され県道433号も整備されたため一部昔の趣は途絶えますが北アルプスの絶景に心が踊ります。
「春の塩の道祭り」で、選ばれたカップルが昔ながらの結婚式を挙げるという「諏訪神社」の杉並木の下を千国街道が通っています。千国街道沿いに立ち、静けさに包まれた諏訪神社は、天長5年(828)の創建と伝えられる古社で、毎年9月15日の例祭「ささらすり」という、派手な肌じゅばんにひよっとこ面でおどけて踊るユニークな祭りで知られています。
糸魚川に残る伝承では、姫川の翡翠を支配していた奴奈川姫は、諏訪大社の祭神、建御名方命の母君だったといい、千国街道筋は諏訪系神社の密集地でもあります。
千国諏訪神社から源長寺の門前へ抜ける道沿いには、この地方には珍しい「西国三十三番観音」がズラリと並んでいます。ここからは少し上りになり、振り返ると西の空に北アルプスが姿を現します。
大別当地区付近には、棚田が広がり雨飾山をはじめとした山並みとの景色に心が和みます。
小さな大別当の集落に立つ庚申塔。千国街道沿いを歩いていると、行き倒れの旅人や牛馬を供養したためなのか大日如来像や馬頭観音像など石仏群の多さに驚きます。また庶民信仰の庚申塚、二十三夜供養塔、道祖伸なども数多く見られますよ。
右手に美しい棚田と山並みを見ながら歩くと、畑の下の小土山の石仏群とその少し先に疫病除けの神・鍾馗様が現れます。無名の旅人の作と言われていますが、高さが2m近くある石板に線彫りされた姿は精巧にして迫力があります。
三夜坂の手前にある二十三夜塔は、土地の女子たちが二十三夜の月待ちの素朴な宴をした場所です。二十三夜様(本尊は勢至菩薩)が祀られていて陰暦の二十三日の夜、月の出を待ってお籠りすると願いごとが叶えられるといいます。
急坂な三夜坂を下ると全長約6kmのゴールはJR南小谷駅近くの「小谷村郷土館」です。明治から昭和にかけて全国的に珍しい茅葺き入母屋造りの役場として使われていた建物に、小谷の民俗・考古学資料を多数展示しています。隣接してなまこ壁の「おたり名産館」があり、おいしいお蕎麦がいただけます。
疲れた体を癒すのは温泉です。幸い小谷は温泉の宝庫であり、姫川沿いに8つの温泉があります。その中で一番奥の新潟県と長野県の県境に位置し、姫川沿いの豊かな自然に囲まれた温泉地「姫川温泉」にある「ホテル國富」にお邪魔することにしました。「ホテル國富 翠泉閣」は湯量が豊富で一分間に1500㍑の温泉が湧き出る源泉掛け流しの温泉です。
泉質はナトリウムー炭酸水素塩泉でメタケイ酸が豊富で肌に潤いを与え「美肌の湯」と呼ばれている。若干鉄臭がある純粋なお湯に浸かれば心にぬむもりが満ちてくるのです。
四季折々の景観を眺めながらの大浴場と、川のせせらぎを聞きながらの露天風呂が楽しめます。
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