気分はすっかり江戸の旅人!木曽路の難所の鳥居峠を越える

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木曽山脈と飛騨山脈の間を木曽川が刻む深い渓谷の間を縫うように走る一本の道筋。それが江戸から京に入るまで69宿を数える中山道のうち、木曽11宿を辿る道のりの木曽路です。奈良井宿と薮原宿を結ぶ約6Kmの鳥居峠越えの山道は、江戸の旅人にとって中山道屈指の難所でしたが、今は山深いゆえに江戸時代の空気をそこここに残す趣き豊かなハイキングコースになっています。往時の旅人に思いを馳せ、木曽路の二大難所のひとつ、鳥居峠越えで石畳の道を歩くことにしました。

車で来た場合は、国道19号線沿いの道の駅「奈良井 木曽大橋」に停めて、徒歩5分のところにあるスタート地点・JR中央西線「奈良井駅」に向かいます。駐車料金は無料ですので安心です。

この道の駅のシンボルが、国道19号(木曽街道)側と奈良井駅側を跨ぎ、ふれあい広場の東側、奈良井川に架けられている太鼓型の大橋「木曽の大橋」です。錦帯橋を模した樹齢三百年以上の総木曽檜造りで、橋脚のない橋として日本有数の大きさを誇り、複雑で芸術的な橋の下部裏側の木組からは匠の技を垣間見ることができる奈良井宿の名所のひとつになっています。

木曽路で北から2番目にあたる奈良井宿は、標高1197mの鳥居峠越えを控えた標高940mの高所に位置する中山道の宿場町の中でも一番標高が高い宿場町です。奈良井ができたのは鎌倉時代の初め頃であると言われ、慶長7年、徳川家康により中山道六十九次の宿場が定められると、奈良井川のほとりに佇む奈良井宿もそのひとつとなりました。お隣の藪原宿との間には中山道屈指の難所といわれた鳥居峠を望む宿場町で、峠越えを控えた多くの旅人がここで英気を養いわらじの紐を解いたため、木曽路最大の繁栄を誇り、「奈良井千軒」といわれるほど発展しました。

中山道34番目の奈良井を美濃から江戸へ向かう参勤交代を描いた浅田次郎の小説『一路』の一説には「奈良井は木曽路の頂点に置かれた、天空の宿場であった。しかし鄙の宿駅ではない。南に険しい鳥居峠が控えているせいで、上り下りにかかわらず旅人はここで草鞋を脱ぐからである。ために『奈良井千軒』と謳われるほど、中山道に沿うて町家や旅籠が出梁をつらねていた」と書いています。

JR中央西線「奈良井駅」からいよいよ出発です。

国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている街並みは、山深い宿場ならではの素朴な面影をとどめています。南から上町・中町・下町の3地区に分かれ、中程には「鍵の手」がある典型的な宿場町の形態を残しています。宿の北に八幡神社、南に鎮神社があり、さらに西に5つの寺院が並ぶ全長約1kmの街道沿いには、天保8年(1837)の大火後に再建されたものとほぼ変わらぬ往時の情景を留める300戸もの木造建築が今も軒を連ねる町並みが残され、その規模は日本の宿場町のなかで最大級と言われます。

JR奈良井駅から南へ進むと間もなく江戸の昔町に迷い込んだような錯覚に陥ります。宿場町に入ると気になるのが軒を連ねる町屋のカタチ。白漆喰の塗り壁に檜皮色の千本格子、家の二階部分が一階よりもせり出した木曽の宿場、特に奈良井宿で顕著な「出梁造り」と呼ばれる建築様式が通りを両側からトンネルのように覆います。家々の軒下には威風堂々と刻まれた屋号と旅籠行燈、二階の軒下に張り出した「袖うだつ」と呼ばれる防火壁はその名の通り着物の振袖のようです。一階の軒先に影を作る小屋根は、板を波状に重ねた様子が鎧に似ていることからその名も「鎧庇」。その鎧庇の押さえ木は、猿の頭が重なっているように見えることから「猿頭」と呼ばれています。宿場独特の建築様式に興味が湧いてきます。

どの建物も往時の風情を偲ばせますが、興味深いのは、昔と今で業態が変わっている店が多い。建物と文化を継承し、現代風に昇華させる新たな動きとして、寛政5年(1793)に創業し、2012年に休業した杉の森酒造を小規模生産のマイクロブリュワリーとしれ再生させたのが、suginomori breweryです。昔から使っていた甘くてやわらかな山の伏流水と安曇野山の酒米を、空調設備の整った近代的な環境で四季醸造し、新たな酒造りに挑んでいます。また単に酒造りを引き継いだだけでなく、「魅せる酒蔵」として、宿泊施設やレストランなどを備えた複合施設です。

一方で創業の旅籠時代から約230年続くゑちごや旅館のような老舗や、かつての水場もまだまだ健在。往時のままの造りや雰囲気で、旅人気分を盛り上げてくれます。両側に飲食店や土産物店など、60軒以上の店が並ぶ道のりをゆっくり歩いて20分、その瓦屋根の連なりのはるか中空に、これから越える峠の緑が立ちはだかり、気分はいやおうなしに盛り上がっていきますよ。

鍵の手から鎮神社の200mには大掛かりなセットが組まれ、平成23年度連続テレビ小説「おひさま」の撮影地として使われました。

奈良井宿の鎮守である鎮神社は、天正10年(1582)領主・奈良井義高が鳥居峠よりこの地に移したと云います。社殿の周りは樹齢100年の杉、檜、栃などに囲まれています。

神社の先の峠古道へ繋がる石段を上り、小道から車道に出て半円を描いて進むと「中山道」の碑があります。ここからいよいよ江戸時代、中山道の難所であった鳥居峠越え、約250mの上りの始まりです。北側の奈良井と南側の薮原とがトンネルで結ばれて以降、交通路としては忘れられた存在でしたが、近年ハイキングコースとして脚光を浴び、訪れる人が年々多くなっているコースです。

江戸の旅人にとって、木曽街道奈良井宿と薮原宿を隔てる標高1197mの「鳥居峠」は、深い山を分け入って進む、わらじ履きの足を泣かせる中山道屈指の難所でした。往時から400年の時を経て、緑が一層の深さを増した今、復元して敷き詰められた鳥居峠の石畳の道を歩けば江戸時代の旅人気分が味わえます。

最初からかなりの上り坂ですが、渓流の水音を聞きながら木漏れ日の中を歩くのが気持ちいいです。しばらく上ると木曽義昌が武田勝頼軍を邀撃したと伝わる古戦場跡(中の茶屋)があります。菊池寛は小説『恩讐の彼方に』でこの地に舞台に強盗を登場させていました。はるか下の谷底に武田方の戦死者500余名を投げ捨てたことから「葬り沢」と呼ばれるちょっと不気味な場所です。

さらに勾配がきつくなり鳥居峠近くには「峰の茶屋」と名付けられた休憩所があります。当時は峠付近に数軒あったようで、旅人で賑わう茶屋を描いた浮世絵が、渓斎英泉の「中山道六十九次」の一枚に残っています。街道には一里ごとに道標が建てられ、写真は鳥居峠頂上付近のものです。

峠の頂上に辿り着くと、頂上からは西に御嶽山、南に木曽駒ケ岳を望むことができ、達成感もひとしおです。江戸末期には皇女和宮が降嫁の旅で通過した歴史の峠なのです。写真は峠そばの分岐点です。峠の頂上には案内板がないので目印になり、左手の細い上り坂に入ります。

江戸からの旅人が初めて御嶽山を見る、峠の最高地点に建てられた神社「御嶽神社」までは葉が大きなトチの群生地に立つ「子産の栃」の伝説があるトチの巨木を眺めながら平坦で歩きやすい道が続きます。この木の葉を持ち帰ると子宝に恵まれるという言い伝えがあります。木曽義元が戦勝祈願して建てたこの神社の鳥居が「鳥居峠」の名の由来です。

神社裏手の階段を下りると木曽義仲が木曽の宮ノ越で平家追悼の旗揚げをして、北国へ攻め上がるとき、鳥居峠の頂上で戦勝祈願の願書を御嶽山に奉納した際に使ったという「義仲硯水」や芭蕉の句碑のある丸山公園への近道になり、東屋の展望台から薮原方面の町並みを見渡せば峠を越えてきた実感がわきます。

元の峠道と合流した後は、右手の下方に町並みの広がりを眺めて歩く気持ちのよい並木道が続きます。つづら折りを越えると道が細くなりカラマツ林の風情ある石畳が現れ、峠の出口に至ります。

鳥居峠を越えてきた所が、木曽川源流に位置する中山道35番目の宿場町で、木曽十一宿中最も賑わったと伝えられる薮原宿です。北に鳥居峠、西に野麦峠を控え、中山道と野麦・飛騨への道を分ける「追分」でもあった宿場の規模は、馬籠、妻籠をしのいで南北五町(約550m)に亘ったといわれます。鳥居峠を越えてたどり着いた者は安堵のうちに疲れを癒し、峠を目指す者は難所越えのために鋭気を養う、穏やかな中にも活気ただよう宿場でした。

藪原宿では、尾張藩が将軍に鷹狩をする鷹の管理をしていた御鷹匠役所跡や飛騨街道との追分、薮原神社など見所がたくさんありますが、峠の出口から宿場の北、飛騨街道分岐点があるあたりまでは下りですが2kmと以外と距離があり、駅に至る道も迷いやすいので注意しましょう。

数回にわたる火災で往時の面影をそのまま今に残すのは、老舗や旅館など限られた建物だけと薄れたものの、ゆるやかに蛇行する旧街道沿いに屋号を掲げるさまざまな店が軒を並べ、かつての活気が偲ばれます。宿場の各所で目に付くのが“お六櫛”の文字。ここはお六さんの頭痛を治したと伝わる“お六櫛の里”として遠く江戸や京にも知られ、その伝統技術を受け継ぐ櫛製造販売店が昔のように軒を連ねています。

お六櫛というのは、細かく精密な歯を持つ、手作りの梳き櫛の総称です。「斧折れ」という俗称があるほど堅い広葉樹のミネバリを丁寧に挽いて作った櫛は、やさしい梳き心地と自然の油分で、艶のある美しい髪を創り出す貴重な化粧道具。緑の黒髪を命ほどに大切にした昔の女性にとって、薮原宿の“お六櫛”は、ぜひ手に入れてみたい、あこがれの品だったのです。

屈指の難所、鳥居峠をようよう越えて「薮原宿」に草鞋をぬいだ旅人の安堵を想いつつ、そば屋「おぎのや」の門をくぐります。白漆喰の塗り壁に檜皮色の千本格子、「出梁造り」に「袖うだつ」と宿場独特の建築様式を残した古い旅籠を改装した店構えに風格があります。

お店の中も中央にいろりがあり、高い天井には明かり取り、階段箪笥も残っていて江戸時代の旅人が寛いだ空間を感じます。さりげなく師匠のダルマこと高橋邦弘氏の写真や本が飾られていて“翁達磨グループ”のおそば屋さんなのですが、珍しく翁の名前を使っておられません。

いろりの前に座り蕎麦をいただくのですが、基本的に蕎麦ももり汁も翁の蕎麦らしく、二八のすっきりとした綺麗で素直な細切りにカツオ風味のもり汁が絡み素直の喉を通っていきます。最後にゆずシャーベットがサービスでいただけ至福の時間が過ごせます。写真は人気メニューの鴨せいろで脂身もあっさり、甘味のある鴨肉と焼きネギの甘味が繊細なそばに美味さをコーティングしてくれています。

JR薮原駅まで歩いて塩尻行きに乗り、JR奈良井駅までひと駅6分です。疲れた身体を癒すのは甘味だということで奈良井宿にある「茶房 こでまり」に立ち寄るのはどうでしょう。漆器工房を代々営んでいるというこでまりでは、漆器にのせられた手作り菓子が味わえ、吹き抜けのある重厚な構えの店内でゆっくりティータイムを楽しめます。

白玉クリームあんみつをいただくことにした。

今回紹介した木曽街道の薮原宿と奈良井宿を結ぶ約6Kmの山道を歩く「中山道鳥居峠越えコース」は、JR奈良井駅をスタートしてJR薮原駅までの約3時間の半日コースです。薮原駅到着後は列車で奈良井駅に戻るのですが中央本線の列車の本数が少ないので時刻表をよく調べて計画をたてましょう。列車の待ち時間には宿場散策が楽しめます。

ウォーキング以外にも、宿場でのそばや五平餅などのグルメや地酒、木曽漆器などのお土産選びも楽しいものです。歩くのがちょっとという方は列車で一駅移動するだけで両方の宿場町をめぐってみてください。

 

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