琵琶湖の南西部に位置し、比良山や比叡山といった山々に囲まれる自然豊かな町・滋賀県大津。かつて天智天皇によって遷都された「近江大津宮」が存在した歴史深い土地でもあり、江戸時代には東海道と北国街道の宿場町、琵琶湖の港町として栄えた町並みが今も健在です。琵琶湖沿いの景勝地のみならず、「比叡山延暦寺」や「園城寺(三井寺)」、「石山寺」、「近江神宮」、「日吉大社」といった全国的にも有名な神社仏閣が町の至る所に残されていて見所が充実しています。もちろん、伝統的な郷土料理や鮒寿司や琵琶湖の魚を使った佃煮、近江茶をお土産に購入したり、古くから続く和菓子店でおやつを選んだりする楽しみもあります。観光するなら琵琶湖の湖岸沿いをドライブするのもよし、レトロな路面電車に乗ってのんびり観光地をめぐるのも良しです。今回は滋賀県大津の北側「坂本駅」と南側の「石山駅」を結ぶ京阪電鉄・石山坂本線に乗ってのんびり桜めぐりの旅にでます。見て、歩いて、食べて、買ってと充実した旅を堪能できること請け合いです。
三井寺駅から路面電車に揺られ終点石山寺駅を降りると、目の前に広がるのは瀬田川のゆるやかな流れです。琵琶湖から流れ出る唯一の天然河川・瀬田川は、宇治川と淀川を経て大阪湾へと注ぎ込みます。安藤広重の浮世絵・近江八景「瀬田の夕照」でも有名な、瀬田の唐橋が架かる川です。瀬田川の堤防沿いには艇庫が軒を連ね、水面にはボートを漕ぐ姿があちこちで見られます。水面を渡る風を感じながら石山寺を約10分歩いて目指します。
清流・瀬田川の畔に瀬田川に沿う国道422号から一歩伽藍山の麓に入ったところに西国33所観音霊場13番札所石光山石山寺の山門(東大門)があります。正式には東大門ですが仁王門とか山門と呼ばれ、建久元年(1190)源頼朝が寄進し、慶長年間(1596~1615)に淀君の寄進によって大修理が行われています。左右に運慶・湛慶作の仁王像を配した豪快な八脚門に参詣の気持ちがピシッと整ってきます。山門を入ると、美しい桜花のトンネルが迎えてくれます。
今はこの山門と瀬田川の間に国道が走っていますが、昔は山門前までが川で、京の貴族は、逢坂の関を越えて琵琶湖の打出の浜(大津の石場)から山門まで船を使ったといいます。王朝女性にとって、石山詣は宮中からの息抜きもあり、山に囲まれた盆地にあって、水への憧れもあったことから宇治川から船旅も味わえる石山寺は来やすかったのでは。平安時代の女流文学の開花の舞台としても有名で、紫式部が『源氏物語』の着想をこの地で得たり、藤原道綱母の『蜻蛉日記』や菅原孝標女の『更級日記』などの日記や随筆に石山寺が登場します。
石山寺は、天平19年(747)聖武天皇の勅願により天平勝宝元年年(749)奈良東大寺の別当・良弁僧正によって開基された日本有数の観音霊場であり、歴朝の尊崇あつい由緒ある寺院です。良弁によって開かれたこの寺は、観音信仰が高まった、平安の昔から皇族や貴族の間で「石山詣」の名で行われた人々が憧れた寺です。紫式部が『源氏物語』の構成を練ったのも、源頼朝が多宝塔を寄進したのも、浄土真宗の蓮如の名前がついた堂があるのも、また、松尾芭蕉がここで「石山の石にたばしる霰かな」と俳句を詠み、島崎藤村が傷心の旅でこの寺に来たのも、すべて石山の観音さまへの信仰の篤さを物語っているようです。
東大門をくぐると、木漏れ日が降り注ぐ参道がまっすぐ伸びています。参道を進むと寺名の由来でもある白い硅灰石があちこちに露出しています。
石山寺の名は石段を上がった正面にある国の天然記念物の巨大な硅灰石によるものですが、一瞬たじろぐほどの奇観です。硅灰石は水底の石灰石が花崗岩のマグマに触れ変質したものです。右手の桜は良弁の杖桜といい石山寺の開山、良弁僧正の杖が根付いて育ったという桜です。
石山寺本堂は桁行7間、梁間4間、寄棟造の本堂と桁行9間、梁間4間、寄棟造で懸崖造(舞台造)の礼堂とその両棟を結ぶ相の間によって構成される総檜皮葺の建物です。硅灰石の岩の上に永長2年(1076)に再建されたのが国宝の現在の本堂で天平宝字頃のものとほぼ同じ規模をもつ県下最古の崖下木造建造物です。礼堂と相の間は慶長7年(1602)、淀君が寄進によって改築され現在の姿になっています。
御本尊は開基・良弁僧正が置いた聖徳太子の二臂如意輪観音坐像で、日本で唯一の天皇の命令で封印されている「勅封秘仏」は岩から離れず、岩ごと厨子で覆って本尊としています。観音が33の姿で人々を救済することにちなみ、33年ごとに御開帳が行われます。平安時代には京都の清水寺や奈良の長谷寺と並んで三観音とされ、多くの信仰を集めました。
本堂には才女として名高い紫式部が石山寺に7日間参籠し、琵琶湖に映る八月十五夜の月を眺めているうちに物語の情景が脳裏に浮かび、書き留めた一節が、のち『源氏物語』の「須磨」「明石」に活かされたとされるエピソードにちなんだ「源氏の間」があります。
本堂から一段上ると重要な経典や聖教類が収蔵されていた県下最古の高床式校倉造り経蔵の傍ら写真右手に、宝篋印塔の笠を三つ重ねた珍しい層塔があります。鎌倉時代のもので紫式部の供養塔と伝えられてきました。またその隣には紫式部を慕って詠んだとされる芭蕉の句碑があり「あけぼのは まだ紫に ほととぎす」とあります。
このあたりから異様な硅灰石越に見る境内は絶景です。左手に弘法大師と第三代座主・淳祐内供が祀られる御影堂、その奥の2棟は毘沙門堂と観音堂です。木々で隠れていますが左手に本堂があります。
さらに一段上ると石山寺のシンボル多宝塔が立っています。上方が円形、下方は方形の平面に宝形造の屋根をのせた二重の塔で、上層は小さく、軒はゆるく長く流れ上下の均整がとれた実に均整のとれた美しい姿です。建久5年(1194)源頼朝の寄進により建立された日本三大多宝塔のひとつで、我が国最古最美の多宝塔と言われています。硅灰石越しに眺める光景は、神秘的な雰囲気が漂っています。内部の四天柱には創建当初からの仏像や文様が描かれた柱絵を見ることができ、須弥壇の上には本尊の快慶作の大日如来を祀っています。
傍らに立つ二基の宝篋印塔は右が源頼朝、左が亀谷禅尼(中原親能の妻、源頼朝の第二の姫の乳母)の供養塔です。源平の乱にあたって源頼朝の命を受けて戦った中原親能は石山寺の毘沙門天に戦勝を祈願し、事の成就に感謝した源頼朝は石山寺を篤く庇護し、亀谷禅尼の請によって多宝塔・東大門・鐘楼などを寄進しました。近くにはめかくし石といい目隠しをしてこの石を抱けば所願成就といわれています。
多宝塔から先、瀬田川から琵琶湖を望む場所には、後白河天皇行幸の際に建立されて、歴代天皇の玉座となっている「月見亭」と隣接して松尾芭蕉ゆかりの茶室「芭蕉庵」があります。石山寺は月の名所として知られ、「石山秋月」は歌川広重をはじめ多くの浮世絵師によって描かれた「近江八景」のひとつです。中国の瀟湘八景に倣って、三藐院近衛信伊が選定したという琵琶湖湖畔の八景ですが、「石山秋月」はその一番を飾る名称です。信伊が添えた和歌は『石山や鳰の海照る月影は明石も須磨もほかならぬかな』で明らかに源氏物語を意識していることがわかります。この時期は月ではなく絶景の花見です。
鎌倉時代に存在したと伝えられるお堂を伝統的建築技法である懸崖造り(舞台造り)で再現された光堂から本堂背後の花や樹木の園、源氏苑に下りていきます。月見亭辺りから源氏苑への道も四季折々の花が咲く花の道です。
源氏苑に置かれた紫式部のブロンズ像は、土佐光起の絵をモデルに造られたものです。紫式部像に触れると願いが叶うとか。本堂の「源氏の間」も必見です。
参拝受付方面に下りてくる途中には天智天皇の石切場や神木の天狗杉があります。本堂真下のこの場所は天智天皇の御代、石切り場であったといわれ、採石跡が残されています。ここから切り出された石材は660年頃、飛鳥四大寺の一つの数えられた川原寺中金堂の礎石に使用されています。石材の運搬は瀬田川から淀川へ下り、大和川をさかのぼって飛鳥の地へと水路を用いて運ばれたと考えられています。
本堂の下の南寄りにある井戸が閼伽井屋で、本尊の御座の下から湧き出ていると伝えられていて、本尊にお供えする水はここから汲まれます。ここから再度本堂へ上ります。
帰路は毘沙門堂横にある宝篋印塔から石段を下ります。四方に四国八十八ヶ所霊場の土が埋められていて、これを廻ると八十八ヶ所を巡る功徳を得るといいます。
最後は大黒天に参って石山寺の門前に出ます。万寿元年(10249に石山寺の三人の僧の同じ夢のお告げによって湖水より出現した弘法大師作の大黒天をご本尊として祀っています。福招きの大黒様として古来より有名です。
山門前にはお店が並び、石山名物「力餅」を販売する叶 匠壽庵 石山寺店も軒を連ねます。明治中期までには、岩を模した「石餅」があり、身体を清め、力が宿り、石のように固い絆が結ばれるようにと祈念し食したという故事を元に復元されたものです。今回は店先の緋毛繊が敷かれた縁台の腰掛けて、ほたるの里さんの石山寺の新しい名物、揚げみたらし(1本150円)をいただきます。外はカリカリ、中はモチモチの新食感で話題です。
瀬田川に面した令和の門前スイーツが集まる複合施設「石山テラス」の中にある焼き立て食パン工房「ツキノベ-カリー」で食パンをお土産に買ってかえります。
石山寺駅へ戻る途中には約800年前の中興の祖・朗澄律師の遺徳を偲んで造られた庭園・朗澄律師大徳遊鬼境を覗いてみます。多宝塔内部の壁画は朗澄律師の筆によるものではないかと言われています。没後、石山寺経蔵の一切経、並びに聖教を守護し、万民の降魔招福の為、鬼の姿となることを誓い承元3年5月14日入寂されました。
石山寺駅から再び電車に乗車しますが、停まっていた電車は「輝け!ユーフォニアム」のラッピング車両でした。
浜大津駅には遊覧船が発着する港、大津港があります。かつては北国と畿内を結ぶ水運の要衡だったところ。なぎさ公園からは、琵琶湖を間近に眺められます。