日本200名山「八海山」は新潟県南魚沼市の旧六日町と旧大和町の境に聳え、峰続きの中の岳(2085m)、越後駒ケ岳(2003m)とともに越後三山として知られています。ギザギザに切り込んだような形が特徴の険しい岩峰からなる山頂部の八ッ峰がこの山の象徴です。最高峰は入道岳(1778m)であり、古くは役行者小角や弘法大師が頂上で密法修行された信仰の山として開山された霊山です。
登山口は3か所あり、城内口、大崎口、大倉口とありますが鎖場が連続してあり初心者が登るルートでありません。城内口には平安時代に社殿が造営されたと伝えられる八海山信仰の拠点として里宮「八海神社」が八海山ロープウェーに向かう途中にあります。
一の鳥居から二の鳥居までの参道(約440m)は古くから八海山信仰の信者や氏子達により整備され、寛政6年(1794)には木食普寛行者(御嶽山大滝口開削)が屏風道を開削した際、記念として植樹され、さらに天保7年(1836)の大干ばつの際、周辺24集落の懇願で当時の藩主がその対策の一環として植林したもので樹齢250年を越える杉並木(256本)が続きます。
祭神は國狭槌尊、瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、大山祇命等を祀ります。また地元の氏子上村家より奉納された子持ち安産石は、長く地域の女性の安産を見守ってきました。
心字池の脇にここ八海神社里宮が1合目と書かれた標柱があります。
現在はロープウェーも開通し、コースにより初心者でも楽しめる歩きやすい山で、今回は数あるコース中から初級者向けチャレンジコース(往復約4時間30分)、8合目の薬師岳から9合目の千本檜小屋を目指す往復コースにトライしました。
標高376mにある山麓駅から4合目までは20分おきに運行している八海山ロープウェーで時速約36km、一気に山頂駅(標高1147m)にアクセスできます。あっという間の7分間の空中散歩ですが近くで見る八ツ峰を眺めることができ楽しめます。
9時発のロープウェーに乗り山頂駅を出たところにはテラス席もあり、しばし谷川連峰など上信越県境の山々が見渡せ、手前に魚沼の田園景色が堪能できます。
山頂駅向いにある赤い八海山神社の鳥居をくぐって奥に伸びる登山道を50m程上ります。ここからが八海山登山コースになります。
3分ほどで上りきったところが八海山遥拝所があり道中の安全を祈願します。右側に八海山大神、左に木花咲耶姫命、中央に八海山大神の立像があります。
登山道は多少前夜の雨でぬかるんでいる箇所はあるもののきれいに整備されていて歩きやすい。20分ほどで大倉口からの合流地点。4合目半出合になり、さらに歩き始めて1時間ほどで漕池というモリアオガエルの生息地にさしかかります。
右手に身ながらブナ林を登っていきます。広葉樹の林の中は涼しく、合間に見える魚沼の田園風景が少しづつ遠くまで見渡せるようになっていきます。ここまでの登りはさほど急ではないが、6合目手前でときどき梯子も出現します。1時間半ほど歩くと六合目の女人堂に到着です。ここが最初の休憩ポイントです。見下ろせば魚沼の田園風景、目指す先は目の前の薬師岳でその奥に雄大な八っ峰が聳えています。女人堂の横には八海山大神の石碑があり、昔は女人規制で女性はここまでしか登れなかったため、この場所で遥拝していました。
ゆるい坂のあと、祓川という水場にでるので、ここで少し冷たい水でリフレッシュします。ここを過ぎれば8合目の薬師岳頂上(1653.8m)を目指して歩きだします。
この先がやや急な道になり、心臓破りの急坂、浅草登りにさしかかります。最初の鎖場です。長さは100m程、2段階の分けて登っていきます。ここでかなり渋滞します。
8合目薬師岳山頂(1653.8m)まで鎖場を登りきると、今まではブナを中心として林だったのが低木林に変化し、展望はさらに良くなります。太陽に向かって吠えているような剣を持った猿田彦大神の像が鎮座し、日本書記や古事記に導きの神として登場することからこの先の道中の安全を祈願します。
薬師岳を下り地蔵岳を目指す尾根に出て途中振り向くと薬師岳の雄姿が眼に飛び込んできます。
向かう先には千本檜小屋、さらにその奥に見えるのが頂上八ッ峰、地蔵岳です。
最後のロープをたぐりながら千本檜小屋についたら昼食です。
ここまで約2時間半、この先の八ッ峰コース(往復約6時間半)には二つのルートがあり、連なる8っの岩山をひたすら鎖で登って下りて縦走するコースと初級者のお薦めの登山道を歩いて大日岳の麓まで行き、登頂する迂回コースです。今回はここまでで昼食後下山します。
下山時は鎖場で足を滑らせないよう気を引き締めて慎重に下りていきます。
4合目半出合の大倉口からの合流地点で少し休憩して、あと20分ほど歩いて14時50分山頂駅に到着しました。
帰りにもう一つの登山口の大崎口にある「八海山尊神社」に詣でます。普角上人が八海山屏風道を開削した際に随行した泰賢行者自らが享和3年(1803)開削したのが八海山大崎口で、これが大崎口里宮(現八海山尊神社)の始まりです。八海山開闢の往時を偲ばせる苔むした里宮の境内は、深閑とした森の中にあります。一年を通じ各地より集まる修行者が水垢離をとり、護摩祈祷、五穀断ちをし、神意を戴く霊場です。
境内には泰賢行者が3年間籠り八海山大崎口開削の霊夢を得た馬たて場の霊窟があります。
その奥には不動の滝と木食泰賢霊神碑とがあり、八海山開闢の労苦が偲ばれます。
さらに昭和54年(1979)の旧里宮(本宮)からご神体を遷座して造営されたのが八海山尊神社です。各地の崇敬者が持ち寄った樹木や花々が四季折々に咲き乱れ仰ぎ見る高台の神社の景観は荘厳さをたたえています。まず目に入る八海山尊神社の霊験にふさわしい象徴としての大鳥居は昭和56年(1981)に建てられました。岐阜県恵那産の白御影石で高さ8.5mの威容を誇っています。
祭場の広場から神社に至る大石段は奇しくも八十八段を数え、高台の神社に向かって柏手を打つと眼前の石段が木霊してキューンと鳴り響く事から、これは神の歓びの感応と語り継がれ、龍鳴と呼ばれるようになりました。平成28年10月、神社に続く石段の踊り場に2m半ばの威容を誇る龍鳴の石像が立ちました。これは八海山には古くから龍神信仰があり、開祖。泰賢行者が登拝のみぎり神力により荒ぶる龍を封じこめ、激しい雷雨を鎮めたという言い伝えがあります。
手水舎は古来、御神水として尊ばれてきた金剛霊泉(八海山二合目半)の清水を分水したもので、昭和60年(1985)には新潟県名水に指定されています。
本殿にはご祭神として八海神社と同様、國狭槌尊、瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、大山祇命等を祀ります。
下山後は、お決まりの入浴Timeです。八海山ロープウェーから約11km、車で20分ほどのところにあるのが「五十沢温泉 ゆもとかん」です。新潟県内ではめずらしい混浴の源泉100%、かけ流しの広大な岩風呂と大露天風呂があります。16時からは男性専用となり気兼ねなく湯をたのしめました。
泉質はアルカリ性単純温泉とありましたが、小さな露天風呂のほうはかなり硫黄臭が漂っていました。
早めの夕食は十日町に戻り「名代生そば 由屋」でへぎそばをいただいた。へぎそばとは新潟県魚沼地方発祥の蕎麦。つなぎに布海苔という海藻を使った蕎麦を、ヘギ(片木)といわれる剥ぎ板で作った四角い器に、盛りつけた切り蕎麦です。一般的には薬味のワサビを使うのだが、へぎそばには刻みネギと洋からしが添えられている。魚沼地方ではワサビが採れなかったらしく、考案したのは十日町駅近くの小嶋屋総本店らしいのだが、店舗によってかなり味が違う。