越中の小京都・城端の春を彩るユネスコ文化遺産:城端曳山祭

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蓮如上人の開基から540余年を経た古刹・城端別院善徳寺と、その門前に広がる街並みが魅力の富山県南砺市城端。古い蔵や格子戸の町家、石畳の通りが残るノスタルジックな町並みは「越中の小京都」とも呼ばれています。毎年5月5日に行われる春を彩る城端神明宮祭の祭礼が「城端曳山祭」です。6台の山車が善徳寺を中心とする南北約1kmの城端の町中を練り歩く優雅で華麗な曳山行列に是非酔ってみて下さい。

城端は、富山県の南西部に位置し、世界遺産「五箇山」のふもと、開基から540余年を経た真言宗大谷派の古刹・城端別院善徳寺の門前町として栄えました。屏風のように連なった山並みや町を挟むふたつの川(池川と山田川)、散居村と呼ばれる独特の農村風景など豊かな自然に恵まれ、古い蔵や格子戸の町家、石畳の通りが残るノスタルジックな町並みは「越中の小京都」とも呼ばれています。また古くは加賀藩の一部として城端塗りや絹織物の生産など、独自の伝統文化を育んできました。

文明年間(1470年頃)本願寺第8代蓮如上人のすすめにより開基され、現在東本願寺(真宗大谷派)の城端別院となっているのが「善徳寺」です。永禄2年(1559)城端に伽藍を定め、天正13年(1585)に豊臣秀吉と講和するまで、瑞泉寺、勝興寺と並び越中の一向一揆の拠点寺院として活躍しました。本尊の阿弥陀如来は行基の作と伝えられ、親鸞聖人御真筆「唯信鈔」などの宝物を所有しています。

善徳寺前から続く今町通りは蔵回廊と呼ばれ、旧野村銀行を経営していた財閥野村家の土蔵4棟が残されています。もともと城端のあたり一帯、南砺地方は絹織物が盛んな土地柄で、五箇山や川上郷の繭や生糸を用いていました。絹織物で栄えた頃を偲ばせる格子戸、石畳、白壁は、小京都らしい雰囲気です。通りに佇むレトロな雰囲気の「桂湯」は昔の銭湯で、現在は雑貨のギャラリーになっていますよ。

池川に近い宗林寺町に「坡場(はば)の坂」という石垣、屋根瓦、細い縦格子を基調とした町家が両側に建ち並ぶ通りがあります。坡場とは「端どりのある坂」が転じたと言われています。旧五箇山街道の本通りで明治時代には五箇山の生糸、紙など諸産物を扱う「版方」の約半数がこの通りに店を構えていました。かつての造り醤油屋は、赤レンガの倉庫や「醤油」と書かれた木の看板などノスタルジックな雰囲気を醸しだしています。

そんな越中の小京都の春を彩る城端神明宮祭の曳山行事が、ユネスコの無形文化遺産に33件ある「山・鉾・屋台行事」のひとつとして登録された城端曳山祭です。「山・鉾・屋台行事」とは、地域社会の安泰や災厄防除を願い、華やかに飾りつけた山・鉾・屋台で巡行するなどの祭礼行事のことです。江戸時代の享保初期(1710年代)に成立し、毎年5月5日に開催される城端曳山祭は、先に立つ獅子舞と剣鉾が邪気を払い、傘鉾が神霊を迎えます。その後には庵唄が流れる中、情緒あふれる庵屋台や城端の伝統工芸で飾られた御神像を乗せた6台の曳山(山車)が続き、善徳寺を中心とする南北約1kmの城端の町中を練り歩きます。

京都祇園の一力茶屋といった江戸時代の料亭や貴族の邸宅などを模した精巧な「庵屋台」がそれぞれの豪華な曳山を先導するのが特徴的です。約3.5m×1.8mほどのスペースに郭町の若衆10人ほどが乗り(といっても中で一緒に歩くのですが)、庵屋台の中から篠笛、三味、太鼓が演奏されます。その音色にのせて唄われる城端独特の「庵唄」は、江戸端唄の流れをくみ、情緒豊かで優雅な音律が特徴です。唄に合わせながらゆったりと優雅に町を練り歩く姿は一見の価値ありですよ。写真は大工町の「かきつばた」と「おしどり」の花が咲く在原業平の別荘を模した庵屋台

町民の間には親戚や友人を招いて、ご祝儀を出して家で庵唄を聞く「庵唄所望」という風習があります。家の軒先には「所望札」が出され、格子戸を開け、簾を上げて曳山と庵屋台の到着を待っていると、曳山と庵屋台が家に横付けされ、一番山から順に庵唄が披露されるのです。料亭では、居ながらにして豪華絢爛な曳山と庵屋台を目の前にして情緒溢れる庵唄に耳を傾けるという風情が体験できます(限定・完全予約制)。写真は西下町の庵屋台で祇園の料亭を模したものと伝わり、軒に下がった暖簾にそそられます。

前日5月4日の「宵祭」では、曳山と庵屋台を所有する旧市街の6地区(大工・西上・西下・東上・東下・出丸)の各山宿で御神像が飾られる「飾り山」が披露されます。山宿とは、曳山の御神像を安置して一般に公開し、翌日の祭礼当日まで御神像をお守りする役目を務める家のことです。1時間もあれば全ての「飾り山」を徒歩でゆっくり見て回ることができるので必見です。写真は大工町・千枚分銅山に安置される飾り山の御神像“関羽・周倉”です。

本祭当日は朝早くから昨日の宵祭から山宿に飾られていた御神像を曳山の上に移し、曳山・庵屋台の準備から始めます。写真は今年の二番山である西上町・竹田山の曳山に御神像“恵比寿”が移されています。

その頃「御旅所」である南砺市城端伝統芸能会館「じょうはな座」前では悪霊を鎮め邪気を払う役割の獅子舞が奉納されています。じょうはな座では毎月第2・4土曜日を中心に庵唄の定期公演が行われていて、城端曳山祭の華麗かつ荘厳な雰囲気が味わえますよ。

朝9:30には西町通りの善徳寺前交差点に、剣鉾や8本の傘鉾、6台の曳山や庵屋台が一同に居並び、いよいよ庵唄を唄いつつ巡行します。勢ぞろいした曳山群は美しく迫力があります。御神像の大きさは人と比べると一目瞭然の大きさです。

6台の曳山とは、大工町の千枚分銅山・関羽/周倉、西上町の竹田山・恵比寿、西下町の諫鼓山・堯王、東上町の鶴舞山・寿老、東下町の東耀山・大黒天、出丸町の唐子山・布袋です。並ぶ順番は毎年変わります。

10:30頃に今町通りを通ります。寄贈され、現在では町史館として使用されている旧野村銀行を経営していた財閥野村家の土蔵4棟が残る蔵回廊です。格子戸、石畳、白壁は小京都らしい場所で絶好の写真スポットです。

特にこの道を下ってくる曳山を土蔵の入口に造られた石段上からのアングルは迫力があります。この石段の場所は永六輔さんのお気に入りの場所だったそうです。写真は五番山・西山町の諫鼓山・堯王です。

昼食をはさんで13時30分から宗林寺町の坡場の坂~宗林寺を通ります。宗林寺は、真宗大谷派のお寺で文禄4年(1595)の開基、境内には初代川島甚兵衛のお墓があります。

午後からの見どころは、14時頃の宗林寺町から大工町へ抜ける際の「屋根の折り曲げ」です。現在は巡行路となる道路がほとんど拡張され、屋根を可動させる場所はこの路地だけになり、見どころのひとつになっています。道が細く両側に家屋が建っているため曳山の屋根幅を縮めなければ通れないことから、紐で操作し軒を折り上げます。写真は六番山東上町の曳山、鶴舞山・寿老です。

唯一西下町:諫鼓山だけは正常な形を保ちながら軒をせり上げるという、特異な装置が組み込まれています。

メイン通りの西町通りに出た曳山は、通り沿いにある曳山会館前に設置された特別桟敷席(一席1000円)の前で順次各町の曳山と庵屋台の解説、庵唄を披露していきます。特に三番山の東下町の曳山・東耀山・大黒天では、からくり人形が披露されますので必見です。

庵唄自体は曳山・屋台庵の巡行にともなって所望宿・約50軒の軒先でそれぞれ演奏され、終日聴くことが可能です。

城端の街々を練り進んだ曳山は名所の出丸坂方面へ進みます。急坂なので、重心を後ろにかけながら曳山をコントロールして進みます。高さが6m前後のある曳山は、バランスをとるのも大変そうです。

16時頃、巡行路の北端で行われる「出丸坂の引き返し」も見どころのひとつです。カーブを曲がり出丸坂を下り切ったところで行われる180度の大転回では、曳き手の見事な曳山捌きが見逃せませんし、同時に大きく鳴り響く軋り音も聞き逃せません。方向転換の際に車輪が独特な軋みを響かせることから城端の曳山は「ギュウ山」とも呼ばれています。

男衆が棒を持ち宙に浮いて、重心を調整しています。

引き返しが終わり巡行が落ち着いたら曳山の装飾にも目を移してみます。曳山の車輪は、大八車様式の幅車(やぐるま)又は板車の4輪で車輪にも漆や彫金が施されています。また神座に見返し(後屏)にも意匠が施されていますので曳山の後ろにも注目してください。曳山は江戸中期の享保4年(1719)に創始され、その後改修を重ねて現在の豪華絢爛な姿が出来上がりました。6台すべてそれぞれ意匠が違うので見比べて楽しめます。

日が暮れはじめた18時過ぎ、曳山に提灯が付けられはじまます。まもなく夜の巡行がスタートします。

19時を過ぎたあたりから曳山に灯火がつけられます。飾られる提灯は手に持つような弓張り提灯を曳山に挟んでぶら下げるようになっています。提灯山となって夜の巡行になり、22時頃まで行われます。日中の煌びやかな様とは一転して、幻想的な風景が楽しめますよ。

闇夜に包まれた夜22時ころ、城端曳山祭はクライマックスへと向かいます。最後の見せ場は巡行路の南端、城端市民センター前で実施される引き返しです。提灯の付いた大きな山車を一気に回転させる姿は圧巻です。

富山には同時期に高岡市の高岡御車山祭、七尾市の青柏祭もあり、見どころたっぷりのお祭りが目白押し。GWのお出かけ先に富山を選んでみてください。

曳山の御神像・車輪・見返しの紹介

一番山:大工町の曳山“関羽と周倉像”を安置する千枚分銅山:四方唐破風の屋根、平天井で高さ6.34m

輻車(やぐるま)の車輪

見返し(関羽)

二番山:西上町の曳山“恵比寿像”を安置する竹田山:四方一文字軒、入母屋造りの屋根、折上平天井で高さ5.71m

板車の車輪と恵比寿の紋“蔓柏”

見返しはなし

三番山:東下町の曳山“大黒天像”を安置する東耀山:前後唐破風屋根、格天井で高さ5.91m

輻車(やぐるま)の車輪

見返し

四番山:出丸町の曳山“布袋像”を安置する唐子山:前後唐破風屋根、平天井で高さ6.27m

板車の車輪

見返し(一位材白木彫り司馬温公瓶割の図)

五番山:西下町の曳山“堯王像”を安置する諫鼓山:三方唐破風の屋根、平天井で高さ6.18m

見返し

六番山:東上町の曳山“寿老像”を安置する鶴舞山:二重構造の屋根、平天井で高さ6.52m

写真の幅車は、城端で一番大きな幅車で、東上山の鶴舞山・寿老の曳山のものです。鶴舞模様の金具を付け塗装も施し豪華な幅車になっています。

見返し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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