但馬へ花見ドライブ!天空の城・竹田城と但馬吉野の立雲峡 

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兵庫県朝来市にある日本百名城の一つである山城「竹田城跡」。標高353.7mの古城山の山頂に築かれ、縄張りは南北約400m、東西約100mで天守台をほぼ中央に配置している。虎がふせたようなシルエットから別名「虎臥城」と呼ばれ、廃城から約400年を経た古城は建物は一切残らないが織豊時代のものとされる豪壮な石垣群がほぼそのままの状態で残っており、周囲の景観と相まって“日本のマチュピチュ”とも称され、、国の史跡にも指定されるほど現存する山城として日本屈指の規模を誇ります。また眼下の円山川から立ち上る霧に覆われ、幻想的に浮かび上る晩秋の姿は“天空の城”といわれ特に麗しい。そんな竹田城を円山川を挟んだ対岸の立雲峡から眺めるべきく出かけます。

朝7時、まずは但馬吉野と言われる「立雲峡」を訪れます。竹田城から円山川を挟んで東側に海抜756mの朝来山中腹にあり、無数の奇石・巨石が点在するなか、樹齢300年以上と言われる老桜が自然美の妙をきわめて群生している桜の名所でもあります。公園として整備され、一年中四季折々の美しい景色の中で、竹田城跡を見ることができます。正面に竹田城の巨大な石垣が一望できる絶好のビューポイントで、観光パンフレットに載っている雲海の写真は、たいていここからの撮影です。

立雲峡の駐車場に車を停め、苔むした巨石や奇岩が点在する森の中、山道を登っていきます。桜の中第三展望台から竹田城跡を眺める。ここまでが桜越しに竹田城跡が望めるところで、これより上の第二、第三展望台からは竹田城跡をもう少し間近に見えるようになります。

JR播但線の武田駅裏登山道を歩けば30~40分で竹田城跡まで登れるのですが、中腹までバスを使えば楽にいけます。マイカーは「山城の郷」までしか入れないので駐車場に車を停め、8:00発の竹田城跡行きのシャトルバス(天空バス)に乗ります。

バスに揺られること10分で中腹駐車場に到着です。模擬山門入口の到着し入城料500円を払って、ややきつい上り坂を800mほど、約20分で大手口へ。北千畳への入口となる大手虎口には、箱型の石垣・桝形が形成されています。

但馬国(兵庫県北部)の要衡の位置する標高358.7mの古城山の山頂。戦国の世に播磨国や丹波国としのぎを削るなか、但馬国守護山名宗全(持豊)が全線基地として重臣の太田垣氏に命じ、永享3年(1431)~嘉吉3年(1443)にかけて築城させたのが竹田城の始まりとされています。以降太田垣氏が7代にわたって城主となったが、織田信長の命を受けた羽柴秀吉の但馬征伐で天正5年(1577)に落城し、その後、山名氏と太田垣氏は没落します。羽柴秀吉は天正8年(1580)、但馬一国を平定すると、生野銀山の守りを固めるため、竹田城の強化に着手します。天正13年(1585)からは播磨の龍野城主の座を失いながらも秀吉によって文武の才覚を認められた、名族赤松氏の血脈を受け継いだ赤松広秀が竹田城2万2000石の城主に就任し、生野銀山の防衛や周辺の統治にあたりました。現在見られる総石垣造りは、この頃に広秀が大改修したものといいます。

1600年関ヶ原の合戦で西軍から東軍への転属が認められず、戦後自刃した後も城は取り壊されることもなく、朽ちるにまかせたおかげで、石垣は今も戦国時代のままです。戦国時代末期、城の基礎として築かれた石垣は、織豊系石垣と称されます。竹田城は、安土城や姫路城の石垣を作った近江穴太衆によって築かれた織豊系石垣がオリジナルな形で残されるという意味において、評価されます。

竹田城の石垣の魅力は、高さよりも、山頂全体を覆い尽くすほどの広がりにあります。なかでも、南千畳敷の幾重にも折れ曲がった石垣は、壮大でありながらも技巧的です。自然石を巧みに配置した穴太積みの石垣は、400年を経た今でも当時の威容を誇っています。二の丸から見晴らすと南千畳の形状がよくわかります。

城跡に入ると、間もなく見張りの見附櫓跡の高石垣が姿を現します。高石垣は穴太衆の技法を使った「野面積み」という石積みの無骨さに圧巻される。近隣から集めたとされる花崗岩を最大で推定5万tのものもあるという大きな自然石を横一列に積み、当然できる隙間に中ぐらいの石を固定、さらなる隙間は小さな石を詰める。この小さな石は、敵が石垣を登ろうとしてつかんでもすぽっと抜ける。防御の工夫であり、隙間だらけだから水はけがよく、石垣は今まで大きく崩れることがなかったのです。

本丸の最高所の天守台(落下事故の為侵入禁止)をほぼ中心に置き、三方の尾根に沿って曲輪を階段状に連ねた石垣城郭となり、本丸以下南方には、南二の丸、南千畳、北方には、二の丸、三の丸、北千畳で両翼を固め、本丸の背面にあたる北西部には、花屋敷と称する曲輪がある。完存する石垣遺構としては全国屈指のものです。元々観光用に整備された城ではないので、年間50万人以上も訪れる城となっては、城も荒れてきてしまうのは仕方なく、修復中や侵入が制限されている場所も多く、史跡保存の点では問題が生じつつあるように感じます。

防御機能を考慮しながら、山上の地形を巧みに取り入れ込んだデザインの美しさも目を引きます。石垣は一直線ではなく、攻めてくる敵に横から矢を射かける(横矢がかり)ための出っ張りが必ずある設計で、内部の通路も待ち伏せできるように複雑に石垣を折り曲がらせたり、石段は上部ほど傾斜が急になっています。山城では主に籠って戦うので、自分たちの便利さを犠牲にしてでも、敵の侵入を防いだことがとくわかります。

シンボルの天守台は、7間×6間(約12m×10m)と思いのほか小さく、天守はせいぜい2層2階で本丸から直接上がる階段階段はなく、おそらく本丸に建てられた櫓などの内部から通じていたのではないかといわれています。

古くは映画「天と地と」のロケ地として採用され、撮影で天守が再現されたり、近年では高倉健主演の映画「あなたへ」やNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケ地として人気です。石垣に囲まれた道を歩くと眼下に朝来市の町並みが見え、「弁当忘れても傘忘れるな」という、ここ但馬地方の言い伝え通り、雨がふったりやんだりの天気であったが、急に日が差して見下ろすと、京都からの山陰道、姫路からの播但街道が接しているのがこの竹田城の位置で、このあたりが今も昔も播磨・但馬・丹波の国を結ぶ交通の要所であることがよくわかり、だからこそ、この地をおさえるべく巨大な山城が築かれたのであろうと思えます。

城跡内を歩けば足元がゴツゴツしています。あちこちでむき出しになっているのは石ではなく、城で使われていた瓦の破片で、400年以上前の歴史を踏みしめて歩きます。

帰りは下りなので歩いて駐車場まで戻る。身体も冷えており、ちょうど開店が10時からとタイミングもよく近くの温泉に入っていくことに。温泉名は「よふど温泉」。のどかな田園風景が広がり、緑連なる山々に囲まれた景色に溶け込むようにして建っている純和風の平屋の建物である。

中に入ると。ゆったりとした造りになっていて、木の天井や壁がほんわかムード。外には、山の緑と渓流に囲まれた、眺めのいい露天風呂が広がり。、つかっているうちにだんだんと気持ちがほぐれていく。。裏山の地下1200Mから湧き出ている単純低温泉は、新陳代謝を良くするラドンの含有量が豊富で、筋肉痛、冷え症等に効き目があるとのこと。

 

 

 

 

 

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