大和葛城で葛城山つつじトレッキングと『風の森』に乾杯

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昨年秋に「談山神社」で紅葉、4月は「吉野の桜」と観てきたので5月はツツジです。ツツジといえば関西では「葛城山」なのです。5月半ばに山上が燃え立つように紅く染まるツツジの大群落が広がります。先日から開花状況をチェックしていたが今週が見頃とのことでいざ出発です。

葛城山(戒那山)は奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤坂村との境にあり、標高959.7m、山上はなだらかな高原状となり、大和・摂河泉を一望に360度の大パノラマが楽しめます。東の奈良県側には大和三山が浮かび、三輪・額井・大洞・高見といった奈良盆地の町並み、南のさらにはるか大台・大峰の山々が望め、西の大阪側は六甲・北摂の山々と大阪湾や淡路島、明石海峡大橋までものパノラマ風景が一望できるとのこと。一帯には、春は「一目百万本」というツツジが咲き、夏は納涼、秋はススキの大海原、冬は樹氷・霧氷と、四季を通じていろんな自然が楽しめるのです。また鎌倉・室町時代には戒那千坊といわれるほど多くの寺院があったとされます。

何事も初動が大事である。西宮を5:40に出て最寄駅である近鉄御所駅についたのは7:50。ここから奈良交通バスで葛城山ロープウェーまで15分程度なのだがバスの始発は8:40。歩けば小一時間、タクシーなら1500円で10分程度。「ここは思案のしどころだの~」である。(大河ドラマ黒田官兵衛の小寺政職役の片岡鶴太郎のセリフである)しかし観光地の鉄則は先手必勝です。出遅れは致命傷になることを過去の経験が物語っているのでここは奮発してタクシーを選択した。タクシーの運転手さんに聞くと、この時間で本道は込み始めているらしく、バスもピーク時にはロープウェー乗り場まで辿り着けなく途中で降りて歩くとのこと。しかしタクシーは旧道を走れるので時短になるとのこと。旧道を走ってもらったので料金も1200円で済んだので運転手さんありがとう。

ロープウェイは片道6分ほどの距離なのだが、料金は片道740円・往復1250円と、やや高め、ハイキングコースもあるが、自力で登って1.5時間ほどで山頂へ行けるようであるがピーク時は行き帰りともに1~2時間待ちになるとのこと。行きに利用するか、帰りにするか「ここは思案のしどころだの~」である。やはり帰りのほうが楽だろうと行きに利用することに。この時点で8:10であった。

ゴンドラは標高452mの葛城山上駅と山麓の全長1800m、定員約50名。通常は30分に1本程度なのだが、つつじの時期はピストン輸送をしている。ところで、ゴンドラの山側に陣取っても、全くつつじは見えなく、山上駅近くで石楠花が見える。逆に大和盆地を一望できる谷側の窓際が一番のオススメなのだが今日はあまり見えなかった。

ロープウェイの終点「葛城山上駅」を降りると、つつじ園まで約1km、約20分ほどの散策コースを歩く。すぐに見えてくるのが「葛城天神社」。霊峰・葛城山に鎮座し、御祭神は国常立命。この境内は、「天神の森」と称し、葛城地方に繁栄した古代豪族・加茂氏などが祭祈を行ったとされている。ここの祠には役行者像、隣には大日大聖不動明王が祀られている。

役行者は、葛城山の麓の御所市茅原の里の生まれで、幼少期より仏教を学び、さらに仏教だけに飽き足らず、人間の欲望、煩悩を断ち切ることこそが神仏の境地に達する道であることを悟り、葛城山に登り苦行と修練の生活をはじめたといいます。さらに金峰山で荒行を重ね、千日の苦行の末に金剛蔵王権現を感得し、修験道を開創しました。『続日本紀』には役行者について「葛木山に住みし呪術を以って称される」と記されており、苦行によって超人的な能力を身に付けていたことをうかがい知ることができます。修験道は吉野大峰でも盛んなのですが、今でも葛城山は修験道発祥の霊地として崇敬されています。

通常自動販売機で買える150円のペットボトルのお茶が、山上の自動販売機で210円、事前に用意が必要です。葛城山上駅からゆるやかな上りを15分程度歩き、焼き団子を売っている「白樺食堂」の前の階段を上ると葛城山山頂です。ここには三角点もあり、360°の大パノラマが見えるはずなのだが、あいにくモヤがかかっており金剛山だけが目の前にくっきり姿をあらわしていました。

葛城高原ロッジ」に向かって下るとそこが目的地「自然つつじ園」である。ロッジから大阪側斜面に20haもの範囲で自然群生のツツジがいっせいに咲き誇っています。「とにかく全山ツツジだらけで、ひと目100万本!」とか「バスの運転手が麓を走っていたら山が火事になっていると思ったぐらい真っ赤に山が染まる」とか言われているらしい。燦々と降り注ぐ日差しに映えて光輝く赤いじゅうたんが広がっていました。

葛城山には、コバノミツバツツジ・ミヤコツツジ・ヤマツツジ・レンゲツツジ・モチツツジなどが群生している。葛城山のツツジは自生のもので、かつて山頂付近を覆っていた笹が花を咲かせて一斉に枯れてしまい、その後にツツジが成長し、美しい風景を作っているとのこと。

回遊路も整備されていて、ツツジのトンネルをくぐる時は、炎の中を歩いているような感覚で、下から見上げたり、上から見下ろしたりと、とにかく感動の一言であった。

さてツツジを堪能したあとは、「葛城高原登山コース」を下ることに。すでに下りのロープウェーの待ち時間は1時間になっていた。まずは「婿洗いの池」に立ち寄る。江戸時代のこと、山麓の村人は水不足で争いが絶えなかったため、この池に祀られた竜神を怒らせるため、あえて祠を壊して池へ投げ込んだとのこと。その時どういう訳か新しく村へ養子縁組してきた一人の婿養子を竜神の祠と共に池へ投げ込み、荒縄でごしごし洗い、半死半生のめにあわせた。と看板に「どういう訳か」と書かれるほど、全く意味が分からない。しかし汚い池である。水の綺麗な安位川谷筋の斜面に沿って下っていくのでなおさらであった。

杉林あり、石畳あり、階段ありとほぼロープウェーと並行した登山道であるのでかなり急なルートである。多分ロープウェーの待ち時間を嫌った方もいるのであろうか、しんどそうに登って来られる様子に優越感を感じてしまいます。特に道幅の狭い登り坂を下を見ながら苦しそうに登って来られる方を待ってあげている自分が好きである。

コースには二つの滝がり、滝マニアとしては外せない。下ってくる途中の一つ目は「二の滝(行者の滝)

二つ目は「櫛羅の滝(別名:尼の滝・不動滝とも呼ばれています)」で、幼少の頃、小角(役行者)がこの櫛羅の滝で修行をしていましたが、母が小角の修行に同行した為に小角はこの滝を母に譲り、自分はその上にある二の滝で修行することにしたという話が伝わっている。葛城山の中腹にあり、弘法大師が此の地を訪れて、天竺のクジラの滝によく似ているので供尸羅(くじら)と名付けたが、その後、領主永井信濃守が「供尸」は「供に屍」と書くので良くないと「供尸」の2字を「櫛」に改めました。また、この滝は「尼ケ滝」、「不動滝」とも呼び、滝に浴すると、不動明王の功徳により脳病に良く効くと云われている。

 「葛城登山口駅」まで下ってくるとこれから登る人でごったがえしていたがこの時点11:00。ロープウェーの乗るための整理券が発行されていて1時間待ちであった。丁度御所駅行きの直通バスが停車していてバスに乗って帰ることに、料金は290円である。ところが通常20分弱のところ30分程度かかってしまった。行きはタクシーで旧道を走ったがバスは本道を走るのであるが、これから葛城山に向かう車で大行列である。乗用車だけでなく、路線バスに大型観光バスまで登ってくるのでバスが対向できないのである。これを見て朝タクシーの運転手が言っていたことを目の当たりにして大実感した。幹線道路の県道30号線も大阪や神戸ナンバーで大渋滞。あとで聞いた話だがこの日TV「おはよう朝日土曜日です」で取り上げられていたらしくその影響もあったのではないだろうか。

御所駅についてみるとこれから向かう人に奈良交通バスの人がバスに乗っても2時間かかること、ロープウェーも1時間半待ちであることを説明してそれでもバスに乗る人は乗ってくださいと説明していたが乗っている人がいることにビックリした。

現在時刻は11:30。足は疲れているが実は御所市にきたら行きたいところがある。奈良県御所市は大阪府との県境となる金剛・葛城山麓の町です。江戸時代から伊勢街道・竹内街道や高野街道の交通の要衝として重要な役割を果たし、大和絣や菜種油などの商業の街として栄え、寛保2(1742)年の検地絵図と比較しても、当時の町並みとほとんど変わらず、江戸から昭和初期に建てられた町家が百数十軒残っています。その町並みの中に目的地「油長酒造」があるのです。

ということで御所駅から国道24号を南に100m程行ったところにある「鴨都波神社」からスタートすることに。古代豪族鴨氏の氏神社として、崇神天皇のころに祀られたとされる。高鴨神社の上鴨社に対して、下鴨社とも呼ばれている。大神神社の別宮ともされており、祭神の鴨都味波八重事代主神は農耕や商売繁盛の神様として親しまれています。

 参道の鳥居を抜けて、碁盤の目状の通り、伝統的な家屋とまるで江戸時代にタイムスリップしたかのようなノスタルジックな町並みである西御所を散策する。江戸時代初期に形成された陣屋町である。東西750m、南北300mの範囲に当時の面影のまま重厚な町屋が軒を連ねていて、甍、格子、虫籠窓などが町に溶け込んでいる。

北西には集落の外から内部の様子が分からないように、入口でわざと鉤型に曲げている中世の名残り「遠見遮断」があり、そこには江戸時代に幕府の最も重要な法令を木の板(高札)に書いて掲げることが義務付けられていた高札場が、平成20年「日本風景街道」事業の一環として復元されていた。

油長酒造の創業は享保4年(1719)。名前に油の文字が入っているのは、元々は大和平野で採れる菜種油を売る製油業から始まったとされており、油屋の長兵衛さんで「油長酒造」である。ここの日本酒「風の森」の大ファンなのです。趣味を反映したかのような杉玉が架かる蔵と住居に趣を感じます。

『風の森』は口に含むとチリチリと微炭酸ガスを感じる自然な発泡感と果実のような甘味と酸味が芳醇に広がる凝縮した旨みが広がる。最後はクリアに抜け、爽やかに消え去るメリアリのきいた、まさに風のような爽やかで現代的な味わいの酒です。風の森が誕生したのは平成10年。油長酒造12代蔵主山本長兵衛さんが立ち上げた銘柄で、すべてが純米造りの無濾過、無加水、7号酵母に特化するの生酒です。酒名は奈良盆地の風の通り道、記紀にも登場する大和・紀伊を結ぶ旧高野街道の風の森峠に鎮座する風の森神社。祭神の志那都比古神は、稲などを風水害から守る農業神です。米は風の森峠近くの田んぼで契約栽培した秋津穂、仕込み水は金剛葛城山系の深層地下水です。蔵の地下100mの深井戸から汲み上げる硬度214mg/ℓの超硬水、硬い水なのに鉄分を含まず酒造りに適しています。

開けたての発泡感とシャープな味、空気に触れて一気に解き放たれた甘味や酸味、そして瓶の底の凝縮した旨味。最後の一滴まで楽しめます。 

今度御所に来る時は「風の森」が無くなった時で「葛城の道」を歩きたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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