ゆるりと時が流れる世界遺産・ 古都奈良の文化財に春の訪れ

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昭和63年(1988)に世界遺産に登録された「古都奈良の文化財」は興福寺・東大寺・春日大社・元興寺・平城宮跡唐招提寺・薬師寺・春日山原始林で構成されており、人なつこい野生の鹿たちが群れ遊ぶ奈良公園内に点在しています。平城京遷都の710年から74年間にわたって、日本の政治や経済、文化の中心にあった都で、大陸からの影響を受けた華やかな天平文化、当時の仏教建築や美術が今も大切に守られている場所です。東大寺の大仏様、興福寺五重塔、春日大社の燈籠など、古都奈良を象徴する風景に出合える場所です。世界遺産の社寺をめぐり、自然の中をのんびり散歩してみましょう。

古都奈良の観光は近鉄奈良駅から。地下にある近鉄奈良駅から、階段を登って地上に上がると、奈良での待ち合わせの場所で知られる行基広場にでます。円すい形の噴水に立つ行基像は、8世紀の奈良時代み実在したお坊さんで、民衆が仏教の教えを請うことを禁じていた時代に、禁を破って身分を問わずに広く仏法を説き、民衆から圧倒的支持を得ていたことから”行基菩薩”と呼ばれ崇拝されていた。

噴水に立つ行基像に挨拶をして右折し東向商店街に入って行き、まずは「興福寺 北円堂」を目指す。東向商店街は、近鉄奈良駅前の登大路から三条通りまでを南北に結ぶ商店街で、東側は興福寺の境内になっていることから通りの西側だけに店舗が建てられ、すべての店が東を向いていたために”東向き”と呼ばれるようになったとか。

興福寺」は京都山科の藤原鎌足の私邸に藤原鎌足婦人・鏡王女が創建した山階寺が始まりで、飛鳥藤原京では厩坂寺、和銅3年(710)平城京遷都に伴って遷都をリードした藤原不比等は自らの氏寺を現在の場所に移築し「興福寺」と名付けました。氏寺として藤原氏の勢力拡大と共に寺も繁栄、最盛期には175を超える堂塔があったという。平安時代には僧兵を擁し、大和国を支配して比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と呼ばれ畏れられたのでした。北円堂」は養老5年(721)藤原不比等の一周忌に際し建立されたもので堂々とした八角円堂だが、現在の建物は鎌倉時代の再建です。堂内には運慶の晩年の作である無著・世親菩薩立像などを安置。

 対になる八角円堂が「南円堂」で弘仁4年(813)藤原冬嗣が父内麻呂のために建立したもので現在の堂は江戸時代の再建。南円堂は春日信仰が密接に結びついたお堂で、本尊の不空羂策観音菩薩は春日神の本地仏ともされ、鹿皮を身に纏い藤原氏の氏神春日大社の神鹿との関係から藤原氏の信仰を集ました。本尊前の厨子の中には、赤童子という春日の神像が安置されています。西国三十三ヶ所観音霊場第9番札所でもあるので、堂前には線香の煙が絶えません。向かって左に右近の橘、実は右手奥に祀られているのが「一言観音」さま。一度の御願いは一つのみで、願い事が100%叶うらしいとのこと。

 

猿沢池への石段を下りる途中の右手に、ひっそりと佇んでいるのが「三重塔」である。目立たない場所にあるので訪れる人も少ないが、北円堂と並び興福寺に現存する最古の建物。興福寺境内には桜は多くないが、桜とマッチして、なかなか繊細で優美な塔です。康治2年(1143)崇徳天皇の中宮皇嘉門院が創建、現在の塔は鎌倉初期に藤原様式で再建されたもので高さは約19mあるらしい。本当にひっそりとしていて猿沢池からも見えない。

石段を下りきったところに「猿沢池」がある。周囲に柳が植えられた風情ある池で、もとは興福寺の放生池として天平時代に造られた一周約350mの人工池で、甲羅干しする亀が名物なのだが、今日は目にしなかった。猿沢池には昔から、澄まず・濁らず・出ず・入らず(どこからも水が流入する川はなく、また流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。)・蛙はわかず・藻は生えず(亀はたくさんいるのになぜか蛙はいない。亀や鯉が食べてしまうのか藻も生えない)・魚が七分に水三分(毎年多くの魚が放たれているので増える一方なので、魚が七、水が三の割合になってもおかしくないのに魚であふれる様子がない。)という七不思議がある。池には天平時代に帝の寵愛が衰えたことを嘆いた春姫という采女が身を投げたとの「采女伝説」も残っている。池の南東には、入水する時に衣服を掛けたという衣掛柳の石碑があり、対岸の北西には采女神社がある。


猿沢池を一周してみると池の向こうに奈良のシンボルとして親しまれている興福寺の「五重塔」が見えます。この池越しに眺める五重塔は、絵葉書などでもおなじみの奈良を象徴する景色です。高さ約51mの塔は古塔としては京都・東寺の五重塔に次ぐ高さ。天平2年(730)、光明皇后による創建ですがたびたび焼失して現在の塔は6度目の再建、室町時代の建築ながら天平様式を忠実に再現されているとのことです。猿沢池から興福寺の南大門跡へと続く階段五十二段の石段は、大乗仏教の教えの中にある、善財童子が52人の賢者を訪ねた故事にちなみ、仏道修行の段階を表しています。菩薩の修行の階位は一番下の信心・念心・精進心から始まり、一番上の妙覚までの五十二段階に分かれいて、妙覚に達した菩薩は、ある梵悩を断じ尽し悟りを開いた仏とされる、つまり、この階段を上り切って興福寺に入る頃には、もうすっかり仏の境地に達しているに違いないという深い意味があるります。

隣には日光・月光菩薩像を伴った本尊・薬師如来坐像が鎮座する「東金堂」が構えています。興福寺にはかつて三つの金堂があり、これは東に位置するので「東金堂」で、現在「中金堂」が再建中です。神亀3年(726)に聖武天皇の発願で建立されたが、現在の堂は応永22年(1415)に五重塔と同様天平様式で再建されたものです。東金堂と五重塔のツーショットはよくポスターで見られます。

猿沢池の南に広がる「ならまち」は、江戸末期から明治期に建てられた格子の町家が数多く残る“むかしまち”。中世期、元興寺(世界遺産)の旧境内に人々が住み着いたのが始まりです。中新屋や芝新屋という町名は中世以降にできた新しい町という意味ですが、奈良では“新”にも500年以上の歴史があります。元興寺は奈良時代の大権力者・蘇我馬子が建立した法興寺が前身という古刹。養老2年(718)平城遷都にともなって現在地に移転し、元興寺と改めました。国宝の極楽同(本堂)と禅室の屋根の一部には、飛鳥から運ばれた日本最古の瓦が今も残る。

迷路のような路地を歩いてみれば、社寺や資料館、老舗、町家を再生したレストランなどがふと現れます。道すがら目を引くのは、家々の軒先に吊るされた魔除けの赤い「身代わり猿」。庚申信仰が息づくこのまちらしいシンボルです。そんなならまちにあるのが茶粥の名店「塔の茶屋」です。もとは興福寺五重塔のたもとにあったお店は旧店舗の古材を利用し名店らしい端正な表構え。

名物の“茶がゆ弁当”は、大和茶で炊いた香り高い奈良の郷土料理・茶粥をメインに奈良の食材を盛り込んだ季節のおかずや胡麻豆腐、柿の葉ずし、わらび餅などが付く人気メニュー。大和茶は、奈良県東北部の大和高原一帯の山間地で栽培された芳醇な香りが特徴の良質なお茶。

 次に「春日大社」に向かいます。室町時代の再建時に興福寺に建てられた風呂である「大湯屋」の横を通り、春日大社の表参道入口に立つ典型的な春日鳥居の「一の鳥居」のある交差点をわたる。創建は承和3年(836)と伝えられ江戸時代に再建されている。(木造の日本三大鳥居で国宝)


参道から少し外れた浅茅が原という丘陵を越えていくと鷺池と呼ばれる池があり、池の中央には、「浮見堂」が設けられている。檜皮葺き、八角堂型式の建物の創建は大正時代で、春は桜が水面に映え、風光明媚なスポットである。

参道に戻り、長い参道を歩いて春日大社に近ずくと右手の鹿苑には神の使いとされる鹿もあちこちに出没し、鹿せんべいの販売スタンドもいっぱいで、このあたりは「飛火野」といいいます。武甕槌命が鹿島から白い鹿に乗って来られ、春日に着いて鹿から降りた場所といわれるのが左手の萬葉植物園近くの「鹿道の辻」。鹿道に着いたのが夜半で足元が暗かったため、お供の八代尊が口から火を出して道明かりとしたところ、火がが消えずに飛び回ったことから「飛火野」という名がつきました。鹿は古から神鹿として崇められ大切にされてきました。

 木を大切にする信仰もあって、街に近い立地ながら緑深い春日野と呼ばれる深い森に入り、石灯籠が並ぶ道から二之鳥居から南門をくぐれば本殿もすぐそこです。春日大社には皇室の尊崇も篤く、また庶民の信仰も集めたことから多くの灯籠が奉納されました。奉納された燈籠が石燈籠と釣燈籠と合わせて約3000基もあり、日本一燈籠の多い神社です。「一晩のうちに燈籠を間違えずに全部数え切ったら長者になれる」「“春日大明神”と記された燈籠を一晩で3基見つけたら大金持ちになれる」といった燈籠にまつわる言い伝えもある。

桂昌院や島左近、直江兼続らが奉納した燈籠や寝鹿の燈籠、鹿のお尻が刻まれた燈籠まであるので、参拝の折に探してみてください。写真は桂昌院(本庄宗子)奉納の灯籠。鋳銅製で各所に見事な彫金金物をあしらい、徳川家の三葉葵紋と本庄家の九ッ目結紋が配されています。銘文に元禄十年(1697)正月吉祥日 本庄氏宗子とあり、本庄氏が藤原氏の流れであり、氏神への崇敬として灯籠を奉納したと考えられます。

 全国に3000近くあるといわれる春日神社の総本社春日大社」は、神護景雲2年(768)、藤原不比等によって平城京の守護の為創建されたのが始まりです。社殿によると奈良時代の初め遠く鹿島神宮から鹿島神・武甕槌命を春日の地にお迎えし、御蓋山山頂の浮雲峰にお遷りになったといいます。その後、山の中腹に南向きの社殿を造営し、香取神宮の経津主大神、枚岡神社の天児屋根命と比売神をお迎えし、あわせて四柱の神様を祀ったのが春日大社の始まりです。武甕槌命は勇猛な雷神、経津主命は水を治める神、天児屋根命と比売神は祭事の神様で、総称して春日皇大神と呼ばれています。平安時代前期には現規模の社殿が整っていました。社殿は式年造替といって、20年ごとに造り替えられてきており朱の色が鮮やかです。写真の南門は、丹塗り、檜皮葺きの楼門で

本殿の前にある中門は左右に御廊が並び、繊細で優美な姿が印象的。丹塗りの典雅な中門のさらに奥まった本殿に神々がおいでになられる。

春日大社の社殿は自然の地形そのままに建つ。特に南門を入った東回廊は、できるだけ整地をせず、建物を土地に合わせるという心から山の地形をなぞるため連子窓や影向門はちょっと不自然な平行四辺形になっています。東回廊から中門への御廊には、釣灯籠が1000基も吊られ、なんともフォトジェニックな光景です。中門向かって右の回廊には藤堂高虎、直江兼続、宇喜多秀家など名だたる武将が奉納した灯籠が並ぶ。

この釣灯籠や参道の石灯籠約3000基に灯が入る春日万灯籠の夜(節分・8月14・15日)は幽玄そのものらしく、江戸時代の神職の詰所であった藤波之屋で幻想的な万燈籠が楽しめます。

 最後に東大寺に向かう。さくら名所100選にも選ばれている自然豊かな奈良公園では、奈良の県花にもなっている奈良八重桜を中心に、ソメイヨシノやヤマザクラなど、開花時期の異なる多種類の桜が1ヵ月ほどかけて見頃を迎えます。『万葉集』に「見渡せば春日の野辺に霞立ち咲きにほえるは桜花かも」と詠われています。奈良公園の桜の下層部分を見ると、不思議なことに約2mの高さで、きれいに切りそろえられています。実は鹿が立ち上って桜の花・葉・枝を食べることから生まれた独特の形です。ズバッと切りそろえられた線は「ディアーライン」と呼ばれ、可愛い鹿たちによって生まれた自然のアートです。

若草山を左手に見ながらまずは二月堂を目指します。手前には手向山八幡宮。古くから紅葉の名所として知られる手向山の麓にある神社で、古今和歌集や百人一首で知られる「このたびは幣(ぬさ)もとりあへずたむけ山紅葉の錦神のまにまに」は学問の神様である菅原道真が詠んだもの。東大寺の守護神として聖武天皇が宇佐八幡を勧請したものです。現在の社殿は元禄4年(1691)公慶によって再建。きっと紅葉の時季は素晴らしいのでしょう。

奈良に春の訪れを知らせる風物詩「お水取り」が行われる「修二会」は、正式名称は「十一面懺悔法会」といい、本尊・十一面観音に世の罪を懺悔し、幸せを祈る法要で、天平勝宝4年(752)に創始されて以来、毎年行われる。行法を行う錬行衆と呼ばれる十一名の僧侶が二月堂に上堂するときの道明かりが「おたいまつ」です。

お堂の舞台付近からは、大仏殿の屋根の先に広がる奈良市街や奈良盆地の山々を眺めることができます。

二月堂から大仏殿の北側に延びる二月堂裏参道のゆるやかな石段の道を歩く事10分、東大寺の正門となるのが、南大門で重層入母屋造の豪壮な門で高さは25mあり、門の左右には、金剛力士(仁王)像石造獅子一対(重文)を安置している。周辺には人なつこい鹿たちが群れています。

南大門から北に真っ直ぐ伸びる参道を歩き、右手に鏡池を見ながら中門へと足を運ぶ。大仏殿を囲むようにめぐらされた回廊に沿って左へ行けば入堂口です。天平時代に仏教の教えを元に国家を守るために聖武天皇の発願で全国の国分寺総寺として建立された「東大寺」。その名前には平城京の東の大寺という由来があります。大仏殿の金堂は、江戸時代に再々建され、横幅が2/3に縮小されたが木造古建築建造物としては世界一の規模です。

大仏殿には752年に開眼したご本尊“奈良の大仏さん”で有名な像高約15mの本尊・慮遮那仏坐像が安置され、前に立ち見上げるとその迫力に圧倒され、存在感の大きさに感動させられます。まさしく「世界を普く照らす、光輝く仏」です。

夜は“ならまち”にある「粟ならまち店」で。奈良の風土から生まれた大和伝統野菜は、もともと農家の自給用で、流通には乗らなかった野菜を県が品種の育成を行い、特産品として認証したものです。今では県内の多くの飲食店が扱っていますが、その先駆けと「いえるのが、大和野菜ブームを牽引する農園レストラン「清澄の里 粟」です。「粟ならまち店」は、2009年にオープンした姉妹店で地元奈良の無農薬野菜を中心とするコース料理がいただけます。築約140年の古民家を改築したお店は、間口が狭く、奥に長い、ならまちの典型的な町屋様式で、格子戸をくぐり、土間を通って奥の客席へ。

「大和牛と野菜」コースは、前菜に大和牛のローストビーフと大和まな(葉菜類)、大和いもなどの「大和の伝統野菜」をはじめ30種以上の野菜を使った彩豊かな料理がずらりと並んだ籠盛。一品ずつ丁寧に作られる料理は、どれも素材本来のうま味や甘みが際立っています。料理に使われている野菜について、畑でのエピソードを交えて説明してくれるのも人気の所以。

メインディッシュには大和牛のリブロースを陶板焼きで。味が濃く脂身あっさりの大和牛のお肉も絶品です。

椀物や麦縄つけめんと食後にデザートがついています。

猿沢池から見上げるライトアップされた興福寺五重塔が、夜の静寂の中で水面に姿を映しています。

 

 

 

 

 

 

 

 



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