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大河の源流となる山々の間に、幻想的な風景が広がる奈良県宇陀市室生。室生という地名の語源は神の宿る場所、豊かな森林の“ムロ”“ミムロ”に由来するといいます。そんな古代からの神聖な山であった室生の山には、空海が如意宝珠を埋めたという伝説や京都神泉苑の雨乞いの修法で勧請した善女龍王が舞い降りたとする伝説があり、いっそう室生の地を神秘的なものにしています。数々の龍神伝説が伝わる秘境の地で、水神が宿る請雨祈願の聖地に目に見えぬ龍神の姿を追ってみます。

龍神は雨や雪をもたらすとされ、龍が棲むといわれる川や沼・淵・池などで五穀豊穣の祈願や雨乞いが行われてきました。弘法大師空海が、天長元年(824)淳和天皇の勅命で当時大内裏に南接していた神泉苑で雨乞い祈祷を行い、インドの龍神を呼び寄せて国中に雨を降らせたという伝説が残っています。この龍神が「善女龍王」だったと伝えられています。

大和平野の東方、奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地は、太古の火山活動によって形成された室生火山帯の中心部で、外輪山に囲まれた幽邃な地でした。こうした場所は古くから神々の坐ます聖地と仰がれていたといいます。一方で谷を走る清流や龍が棲むという山中の龍穴などから龍神の信仰が生まれ、古来、水の神が棲む祈雨の聖地として龍神の室生の名は広く世に知られるようになりました。先ずは名阪国道針ICから国道369号を南へ3.2km、外の橋交差点を左折して県道28号で向渕を目指し「龍王ヶ渕」へ。

しんと静まりかえった空気の中、湖面が周囲の風景を映し出す水鏡の景色は、水面に朝霧が立ち込み神秘的です。池の周囲には遊歩道があり、龍の気配を感じながらゆっくりと歩いてみます。

龍王ヶ渕は、大和富士と呼ばれる額井岳近くの標高530mの山中にある自然の凹地に山々から流れる小川の水や湧水がたまった自然池です。古来、貴重な水源であり、その美しく神秘的な景観から信仰の地とされてきました。

天平12年(740)、聖武天皇が伊勢参りの途中に金色の鷹が飛んでいるのを見たことから、この地に堀越頓宮が建てられたといいます。頓宮というのは仮殿・御仮屋ともいわれる神の御旅所のことで、この地域のどこかは定かではなく、現在渕の西側に豊玉姫命を祀る堀越神社があります。今でも渕の周辺を松明を持って雨乞いをする風習が残っているといいます。

さらに県道28号を南下し室生湖へ。ダム湖を周回する道を進んでいきます。室生火山群が約1万5000年前の火山活動で作り出した室生赤目青山国定公園内、赤い欄干に擬宝珠のついた龍鎮橋の脇を渓谷へと入っていきます。

室生湖に注ぐ「やまとの水」に選定されている清流・深谷川上流にある龍鎮渓谷。その清澄な水が流れる渓流沿いの遊歩道を歩いていくと石の鳥居が現れます。龍鎮神社の入り口です。

川の上には注連縄が張られ、鬱蒼とした森と苔むした岩が神聖な雰囲気を醸しています。

鳥居をくぐると右手に龍鎮の滝と本殿が見えます。ご神体ともいうべき龍鎮の滝そのものは落差4mの渓流瀑ですが、その流れる水は、静かにきらめき、龍が天に昇っていくかのような美しい姿を見せています。

龍神が棲むという滝壺の透明度は高く、吸い込まれるような美しさで、陽があたると美しいエメラルドグリーンや濃紺の景色が広がる。まさしく龍が鎮まるという名にふさわしい美しい風情をたたえています。

龍鎮神社は、同じ宇陀市にある海神社が雨乞い祈祷の為に、約500年前の安土桃山時代に創建した境外摂社と伝えられていますが、その前から神聖視されていたようです。境内には川を挟んで拝殿と本殿があり、ご祭神は高龗神です。ダムができてアクセスがよくなりましたが、もとは人の侵入を拒むかのような山奧の秘境に存在し、祈祷を行う聖域にはうってつけの場所でした。この龍鎮神社の祈雨行事とは、古の人々が村人挙って参拝し、壷かえと称して、滝壺の水を汲みだす行事を行い、日没を待って古大野岳の峰上へ松明を持って上り、頂上に祀る善女龍王に降雨を祈願します。そして下山しては海神社に勢ぞろいし、いさめ踊りを奉納して祈雨の神事を奉祀するのが恒例と伝わります。

龍ヶ渕、龍鎮神社の前編とすれば、いよいよ本編の古くから雨乞いの神事が行われてきた室生龍穴神社へ向かいます。近鉄大阪線室生口大野駅からは7Km。羊腸のように七曲がり八曲がりする道は、室生川の蛇行にあわせて続き、やがて室生寺の門前町がみえ、料理旅館、よもぎ餅を売る店が並びます。さらに東に室生川を1Kmほど遡った所に、室生寺より古い歴史を持つ古社「室生龍穴神社」があります。

樹齢600~800年の杉の古木に囲まれた鳥居をくぐると、それまでとは違う厳かな空気の包まれます。まず目に入るのはこけら葺きの拝殿。元禄7年(1694)に桂昌院の援助を受け、室生寺の伽藍が造営修復された時に般若堂を移築したと伝わります。善女龍王が祀られ、扁額に「善如龍王社」とあり、現在のご祭神は高龗神ですが古来は善女龍王だったという説もあります。凛と澄み渡る空気に龍神の気配が伝わってくるようです。

拝殿の脇を通りさらに奥に進むと、真っ直ぐに伸びる杉林の間に美しい朱塗りが映える檜皮葺きの本殿が姿を見せます。元和3年(1617)に建てられた春日造。春日大社若宮の旧社殿が譲られた春日移しのひとつで、およそ300年前から伝わる典型的な春日造が美しく厳かな雰囲気が漂います。

祀られているのは高龗神で水を司る神様といわれ、龍穴神社の創建年は定かでなく、神社の奥にある雨と水をつかさどる龍神が棲むという龍穴をご神体に古来より信仰を集まてきました。9世紀前半には祈雨の神として崇拝されていたようで、雨乞いの祈祷が頻繁に行われていました。

境内には2本の杉の木が根元のほうで一体化している「連理の杉」があり、「夫婦杉」ともいわれます。その形状から夫婦和合、家庭円満、ひいては家運隆盛の御利益があるとして人々の信仰を集めています。

ご神体の妙吉祥龍穴は日本三大龍穴(京都・貴船神社奥宮と岡山・備前龍穴)のひとつで、実際に目にすることのできる龍穴はここだけです。神社から県道28号を400m、さらに林道を800m(車で約6分、徒歩約30分)ほどの渓谷の中に同社の奥宮として祀られています。室生には、総じて「九穴八海」と呼ばれる山々に囲まれた3つの龍穴、6つの岩室、3つの池、5つの渕を指す数多く伝承が残り、妙吉祥龍穴もそのひとつですが、途中には6つの岩室のひとつ天の岩戸があります。天照大御神が籠った伝承が伝わる日本神話でも有名な岩戸。室生龍穴神社の裏手側に現在も残る巨石です。真ん中から綺麗に割れている巨石で、間に立つとその大きさに圧倒されます。

林道から「妙吉祥龍穴」という案内板を目印にして、山道の脇道に入り階段を下りていくと、清らかな水の音が聞こえてきます。下りていくにつれ神聖なひんやりとした空気のなかに凛とした静粛な「気」が肌に感じられます。

突如として目の前に現れたのは巨大な一枚岩。そこには室生川に流れ込む清流を挟んで正面にぱっくりと開いた岩の裂け目があり、その大自然が造り出した荘厳な姿が、古代から神聖な「磐境」とされてきた「妙吉祥龍穴」です。8世紀に皇太子・山部親王(のちの桓武天皇)が病に伏せたとき、病気平癒祈願のために奈良・興福寺より僧が訪れこの龍穴の前で祈祷を行ったとあります。その後、病が治ったことから勅命で「室生寺」が創建されたといい、そのため龍穴神社は室生寺よりも前にこの地にあったと推測されます。かつては室生寺を「龍王寺」と呼んだという記録も残っていて、龍穴神社は室生寺の神宮寺であったのではないかという説もあるそうです。

龍神が棲むという龍穴の前には、上部右手から岩肌を伝って流れ落ちる水がまるで白龍のようで、招雨瀑と呼ばれる滝が流れていましす。巨大な岩盤の上を流れ落ちる水流は室生川を経て木津川、そして淀川となって大阪湾に注がれます。こうした水源には龍を司る「善女龍王」が鎮座するとされ、各地で信仰されてきました。

靴を脱いで拝殿に上がり、龍穴を榊越しに望む。注連縄の奥、漆黒の闇をたたえた龍穴をじっと見つめていると、今にも龍がそこから顔を出してきそうな感覚に襲われます。

鎌倉時代の説話集『古事談』には、この地の善女龍王は、もともと春日の猿沢池に棲んでいましたが、采女が身を投げたため、善女龍王はこれを嫌い春日山に遷り、その後より清浄な場所を求めて室生の地に鎮まったといいます。木々を揺らす風と水の音しか聞こえない静かで厳かな場所です。

龍穴神社とつながりの深い室生寺に向かいます。                                       「石楠花に彩られ龍神と空海の伝説残る聖域、室生寺と岡寺へ」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/?p=15455&preview=true

 

 

 

 

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