北信濃三大修験場・飯山「小菅の里」は戸隠に負けない修験の道

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飯山市は、長野県の最北に位置し、厳寒が育んだ植生豊かな森が広がり、中心を千曲川が縦断する田園地帯。 西側の新潟県との県境には総延長約80kmの信越トレイルが連なり、緑豊かな自然に包まれている。北信濃三大修験場に数えられ、戸隠・飯綱とともに興隆の歴史を持つ「小菅の里」は、川中島の戦災に何度も見舞われながらも里の人々によってひっそりと守られ、国の重要文化的景観に指定されてます。天然記念物で樹齢300年の杉並木が続く参道は600mにもおよび、その先には小菅山中腹の岩壁を背に立つ小菅神社奥社が鎮座します。戸隠奥社参道の杉並木に負けない「神の森」とも呼ばれる静寂な杉並木を歩きます。

母の森・神の森」と名付けられているように、森林セラピー基地は大きく2つに分かれる。「母の森」は、鍋倉山麓一帯のブナの天然林地帯と湿原や湖沼が点在する斑尾高原の2つのエリアがあり、それぞれに拠点施設を設け、2つのエリアを信越トレイルが結ぶ。「神の森」は、市の東側に位置する小菅山麓の小菅神社奥社に続く杉並木の古道と北竜湖畔周遊の道があり、2つのエリア合わせて30コースあり、初心者がら上級者まで幅広く対応できるのが魅力である。

歴史ある精神文化の「神の森」は、神秘的な北竜湖のほど近くにたたずむ小菅神社を中心としています。飯山駅から北へ車で20分ほど、千曲川から少し東に位置する飯山の中心市街地から少し離れた三方を山に囲まれたのどかな集落が「小菅の里」です。「小菅神社」は、明治時代の神仏分離まで、新義真言宗に属する小菅山元隆寺といい、かつては戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場として隆盛を誇っていました。創建の由来は定かになっていませんが、来由記によると、仏法を広めるのに相応しい地を求めて諸国を巡っていた修験道の祖・役小角が小菅山に出合い、白鳳8年(680)年に小菅山を開山し、大同年間(806~810年)に坂上田村麻呂がこの地を訪れ、八所権現本宮や加耶吉利堂を再建したほか、修験寺院・小菅山元隆寺を創建。これが小菅神社の起源とされています。小菅権現(摩多羅神)を祀り、さらに熊野、金峰(吉野)、白山、立山、 山王、走湯、戸隠の七柱の神々を観請して、八所の宮殿を石窟内に祀ったという記述が残されています。

戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場として繁栄した小菅の里には、最盛期には37もの宿坊が並び、ここでかつて300人を超える僧侶らが修験に励んでたといいます。今ではちょっと信じ難いものがありますが、戸隠の奥社参道にも負けない迫力に満ちた800mの杉並木の古道などがあり、厳かな気持ちに浸れます。

路線バス野沢線・関沢バス停の近く「二の鳥居」から小菅修験の道をスタートしましょう。

二の鳥居から歩くこと1kmで「仁王門」に着きます。もともとは仁王尊堂とも呼ばれ、17世紀後半に元隆寺の西大門として建てられました。堂宇左右には仏法を守る強大な力を持つ伽藍守護の神として知られる一対の半裸形の金剛力士像が安置されています。一方健脚の神としても崇敬されていて、大きな草鞋なども奉納されています。道路改良に伴い、左右両側に道路が造られるまではこの門が小菅の入口で、街道はこの門をくぐりぬけてから右と左に分かれていました。

中近世には現在の参道(カイド)から妙高山(写真奥)に向かう軸に、それぞれ修験霊場が構成されていました。かつて栄えた賑わいをもう見ることはできませんが、集落には院坊が並んだ石垣と平場による地割が今もその姿をとどめ、特徴的な風景をつくりだしています。

仁王門から650m、小菅の里には里宮があり、参道の左側にある小菅里宮の鳥居をくぐります。

石段の傍らには、万葉集巻十二に収められている柿本人麻呂が詠んだ“浅葉野(あさはの)に立ち神(かむ)さぶる菅(すが)の根のねもころ誰(たれ)ゆえ吾が恋ひなくに”の万葉歌碑が建ちます。平安時代、都人にその美しさを「浅葉野」と呼び称えられたのが小菅山なのです。

石段を上った先の境内には、神楽殿(拝殿)、右手に神輿殿、左手に神馬殿が建っていて、奥に「小菅神社里社本殿」があります。かつては八所大権現里宮と呼ばれており、万治3年(1660)、飯山城主・松平忠俱が改修したという記録があります。

里宮に隣接する大きな寺院風の建物は、かつて元隆寺中之院に属していて僧侶たちが学問する「講堂」として建てられました。付近には、南大門、中門、金堂など堂坊が建っていましたが戦国時代の武田氏の侵攻でほとんど焼失しました。現在の講堂は元禄10年(1697)に飯山城主松平忠喬が修復したとの記録が残ってます。内部に安置されている阿弥陀如来像は享保17年(1732)京都の大仏師奥田杢之丞の作で見応えがあります。車で来た時には講堂の広い前庭に停めることができますよ。

さらに坂道を150m上ると、かつては小菅神社の別当寺である小菅山元隆寺大聖院の一坊・桜本坊だった「菩提院」があります。川中島の戦いの兵火により焼失しましたが上杉氏により再建、享保年間に法印俊栄によって中興開基されたといい、真言宗豊山派の寺院で大日如来を本尊としています。

仁王門から歩くこと1kmで三の鳥居に到着します。ここからいよいよ小菅神社奥社本殿まで1.2km、約1時間かけて標高差約310mを登っていきます。

そのまえに小菅山元隆寺の別当職であった大聖院跡に立ち寄っていきましょう。明治2年(1869)に廃絶となり、昭和に建物も全て取り壊された跡地には、高さ3.68m長さ66mもある見事な石垣が残っています。この石垣は「大聖院石垣」と呼ばれ、十二世故小菅山別当英法印が、野沢温泉村平林の丸山忠衛門に発注、弘化から嘉永年間にかけて築いた石垣です。その技法は、大きな石を使った外観の美しさと堅牢を兼ね備えた丸石積といい、彼は丸石積の元祖です。この法は宮勾配、石垣の正面の高さは3.68m、天端の長さは66m、また梅の花びらを模して積まれていて梅鉢積みが往時の隆盛を彷彿させてくれます。南の隅石上よりにニ段目は富士を型どったものです。

三の鳥居から奥社へ登る参道の両脇に約800mにわたり、樹齢300年と言われる220本もの杉の大木が並木を作っています。太いものは目通り5.55m、樹高45m余を数えるものもあります。杉並木の参道は木の根と石が階段のように折り重なり、修験の地と呼ぶにふさわしい荘厳な空気が漂っています。奥社までは徒歩で約1時間、弘法大師や幾多の修験者が通った古えの道はひんやりとした空気に包まれています。

三の鳥居から50m程入って二人で写真を撮れば、映画「阿弥陀堂だより」のワンシーンそのものですよ。(寺尾聡と樋口可南子になったつもりでいかかですか)小菅神社の参道にそびえ立つ樹齢300年の杉を見上げ、昔話に耳を傾けながら悠久の時の流れに身を置けば、心はじんわりと満たされてくれます。

奥社までの参道沿いには、伝説とロマンに満ちた奇岩が連続して現れ楽しませてくれます。三の鳥居から200mにある旧観音堂跡のすぐ近くにあるのが「鐙石」。岩の側面に鐙型のくぼみがあることから呼ばれています。さらに約250mのところにあるのが、川中島合戦の際、上杉謙信が追手から隠れたとされる写真の「隠れ石」です。武田信玄は小菅の里まで追ってきたのですが、山鳴りと共に突然大岩が崩れ落ち、大木が倒れて来たため、小菅権現の神威に恐れをなして、逃げ帰ったと言われています。

さらに50m歩くと弘法大師が参拝の折に座ったという「御座石」があります。小さなくぼみは、大師が持っていた杖の先がめり込んだものと言われています。このあたりからいよいよ溶岩性の岩石が露出する急峻な登山道になりますよ。

ちょうど行程の半分を過ぎたところに大海の浪頭に船が浮かんでいるようだと言われた「船石」があり、

また250m進むと大きな岩壁が現れます。「愛染岩」と呼ばれる岩の下に恋愛成就の願いを叶える愛染明王が祀られている祠が佇んでいます。

奥社本殿まで100m程のところで道が「探勝コース(初心者)」と「参道(岩場あり)」の二手にわかれ、参道を進むと写真の鏡のように平らな「鏡石」があります。

その先には鎖場があり、4mほどの絶壁ですがしっかり掴んで足場を確保しながら登ってください。

登りきると戦国時代越後の上杉氏がここで千灯を献じたという「築根岩」があり、更に女人禁制を破った者が石になったという「比丘尼岩」がころがる最後の急な坂をひと登りすれば奥社手前の社殿小屋に到着です。

小菅山(標高1047m)の山腹(標高900m)に建つ奥社である小菅神社の本殿に到着。現在の建物は、天正19年(1592)の修復記録があり、小菅神社の祭神8柱を祀り、ご本尊は馬頭観音。52.8㎡の建物は、南側を正面にして北面に岩窟を背にした懸崖造り、妻入りの入母屋造りの本殿と附属宮殿は室町時代中期のものであり、昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定されている。庇は北側にはついておらず、西側の階段から社殿に上るようになっています。

背後の岩場からは水が滴り、本殿の中には甘露池があって、この池がまず信仰の対象になったのではないかと言われている。また、上杉謙信が川中島出兵の折、必勝祈願の願文を捧げており、新潟県にも崇拝者が多い。また、建物の奥には「鼓岩」と呼ばれる岩があり、手を打つと太鼓の音が聞こえるそうです。

浅葉野の里に佇む茶処「浅葉野庵」で一息はいかが。万葉集にも詠まれたほど美しい自然が息づく風光明媚な場所が、小菅山の浅葉野の里です。“浅葉野”とは平安時代、宮廷の和歌に多く歌われた枕詞で、美しい里を指す言葉だといわれています。そんな浅葉野の里、小菅神社奥社への参道入口に佇むのが「浅葉野庵」です。まず迎えてくれる京都のような木々に囲まれた趣のある門をくぐります。玄関までの小径に植えられたたくさんの緑や山野草を眺めながら店内入ります。

大きな窓ガラスを配した店内は、自然の光が差し込み、室内のどこからの席からも庭の緑あふれる景色を眺めることができます。晴れた日にはぜひ庭の緋毛繊が敷かれた縁台で、山野草を眺めながら、お茶をいただきたいものです。ゆっくりと時間の流れる茶処は、癒しのおすすめスポットです。

写真は『ざるそばとおこわ(1100円)』で、喉越しの良いおそばに笹の葉にのったもちっとしたおこわがセットになっています。信州らしい手打ちそばやおやきのほか、歩き疲れた身体を休めるあんみつや抹茶セットなど喫茶メニューも充実しています。

小菅神社の結界地は、大倉沢口(現在の国道117号大関橋西交差点で一の鳥居跡)、関沢口(二の鳥居)、前坂口(北竜湖北)、神戸(ゴウド)口の4カ所で、それぞれ鳥居が設けられ神域への入口となっていました。今回紹介した関沢口からは奥社までは片道3.2㎞、約2時間の行程で、車で講堂まで乗り入れれば奥社まで片道1,5㎞、約1時間半になります。写真は大倉沢口(現在の国道117号大関橋西交差点で一の鳥居跡)

健脚な方は、多くの修験者が歩いた神戸口から風切峠を越えて小菅の里に向かい「小菅神社奥社」を目指しましょう。神戸口のスタート地点は、神戸の大イチョウです。幹周り14m、樹高31m、県下有数の巨木で樹齢千数百年と言われています。ここから小菅の里・講堂まで1.6kmです。

さらに元気な方は奥社から小菅山頂まで1km登るか、500mほど登って途中北竜湖を目指す3.5kmの小菅山自然探勝歩道(セラピーロード)を走破するのも醍醐味ですよ。

ということで続いて飯山市『神の森』北竜湖周遊の道を歩くために北竜湖を目指します。飯山の深い山を背景にひっそり佇む見事なハート型の神秘な湖が「北竜湖」です。古くは早乙女たちが手を洗う場所であるとして早乙女池と呼ばれていました。天明3年(1783)に浅間山が噴火した際の天明の大地震による決壊が堤防強化の契機となった。弘化4年(1847)には善光寺地震により湖の西部から水があふれ、湖の主といわれた大蛇が住民100人分の命を飲み込み、竜に姿を変え千曲川に流れ下ったといいます。明治の始め、堤防が築かれ湖の規模が現在の姿に拡大、北竜池という名称が付けられました。現在はその姿が失われてしまったが、かつては南に南竜湖という湖があり、オス・メスの竜が南北それぞれの池に住むといわれていい、昭和36年(1961)、北竜湖へと改名されました。

面積ざっと20ha、周囲約2.2kmの愛らしいハート型の北竜湖の周りを約60分かけてのんびり歩くコースが「北竜湖周遊の道」です。移ろい行く四季折々の風情を、上空までいかなくとも何となく見て取れるハート型の湖面に映し込んでいるため、信州有数撮影スポットとして人気を集めています。拠点となるのが「北竜湖ホテル(旧文化北竜館)」で、平成17年東京の文化学園のセミナーハウスを全面改築しオープンしたリゾートホテル風の天然温泉付き宿泊施設です。一般の利用は多くなく穴場的存在です。

歴史ある精神文化の「神の森」は神秘的な北竜湖のほど近くに佇む小菅神社を中心としています。北竜湖入口にあるレストラン兼喫茶店の「北竜湖の館(欅カフェkosuge)」がスタート地点。カップルには恋愛成就の絵馬もこちらで販売しているので購入してから出発です。

龍が棲むと言われたこの神秘の湖が、最近恋愛成就の湖として秘かなブームになっています。湖は見事なハート型で、ハートの斜め上部から突き出た弁天島はまるでキューピッドが放った矢のように見える。それに池に棲む巨大鯉が早乙女の足に恋した伝説が伝わります。

北竜湖が、昔「早乙女池」と言われたころ、田植えの時期になると、若い娘たちも、早乙女としてみんな田植え作業に駆り出されていて、その仕事が済んだ後手足を洗うのは、決まってこの池でした。池の水の方が暖かかったからです。ある時、一匹の鯉が泳いで岸辺に近づいていると、乙女たちが手足の泥を洗っているのが見え、この中からすらっとした脚の乙女をすっかり気に入ってしまいました。しかし、田植えの終わった頃から、乙女の姿はすっかり見られないようになってしまい、鯉は、もう一度あの乙女が見たいと、気が狂いそうでした。再び春になり、疲れ果てた鯉がよろよろと泳いでいると、「どこかで見たことが・・・」と思った瞬間、恋焦がれていた乙女の脚であることに気がつきました。鯉は元気になり、次の日の夕方もその乙女を見ることができました。思い続けた鯉の恋が、叶えられたのです。その頃から、この北竜湖は、恋愛成就の湖として、語り続けられてきたとのことです。

湖畔の桜並木を通り、杉林を縫う散策道を抜けるとハート型の湖面にキューピッドの矢が刺さったように突き出した弁天島に降りる歩道があります。石の七福神の前に“恋の絵馬掛け”がありますので絵馬はここ奉納しましょう。晴天なら妙高山がよくみえます。

さらに50年生くらいの杉の林を未舗装の小道が縫っていて湖を一周します。林の中は約1300m、夏はひんやりとして森林浴にぴったりです。

小菅神社に向かう分岐路あたりからは湖のハート型がよく見えます。

最後は「いいやま湯滝温泉」で疲れを癒します。弱アルカリ性の単純温泉で神経痛や筋肉痛、疲労回復に効果があるとのことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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