軽井沢を彩る建築家ヴォーリズとレーモンドの歴史的建物を巡る

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明治時代、日本を訪れていた宣教師A・Cショーによって見出され、外国人避暑地として発展していった軽井沢に一層の彩を添えたのが、大正~昭和初期、世界的に活躍する建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズとアントニオ・レーモンドによって建てられた教会や別荘でした。自然に溶け込んだ美しい建物群は、今も軽井沢の人々の心のよりどころとして大切に守られています。そんな歴史的建造物をめぐってみてはいかがでしょうか。

標高1000M、盛夏の8月でも平均気温が約20℃という軽井沢は、冷涼低湿の気候と相まって、天然のクーラーのような爽やかな高原の別天地となります。この地に最初に別荘を建てたのは、アレキサンダー・クロフト・ショーといい、トロントで生まれ育ったスコットランド系カナダ人でした。明治6年、後に軽井沢開発の父と呼ばれる一人のカナダ人宣教師のA・C・ショーが来日しました。明治19年(1886)ひと夏を軽井沢で過ごしたショーは、故郷・トロントに酷似した風土に感動し、その翌々年には、大塚山に別荘を構え、ここから軽井沢の避暑地としての歴史がスタートしたのです。

宣教師仲間にその素晴らしさを喧伝し、また尊敬するショーに倣って、他の宣教師たちも次々と別荘を建て、外国人設計者によるモダンな洋館が建ち並ぶ独特の別荘地が形成されていきました。やがて日本の上流階級の人々がこぞって別荘を建てていき、こうして、一人の外国人によって、軽井沢は国際的に知られる避暑地となっていくのでした。避暑地軽井沢の歴史の礎を築いた教会たち。十字架ひとつとっても同じではない、個性豊かな教会建築をまずは巡ることにしました。

宣教師A・Cショーが布教活動を行った明治28年(1895)に建てられた軽井沢最古の教会が「軽井沢ショー記念礼拝堂」です。建築を手掛けたのは重要文化財の三笠ホテルを請負った棟梁・小林代造でした。旧軽銀座の商店街を抜けた木立の中に佇み、下見板貼りの建物は慎ましくかつ風格を感じさせます。エントランスの苔の緑が美しく、礼拝堂の正面入口屋根の十字架が刻まれた鬼瓦が特徴です。礼拝堂の前に立ちランドマーク的存在にもなっているショーの胸像は、明治36年(1903)その功績を讃えて、地元民が教会の入り口に建立しました。

明治21年(1888)に大塚山に建てられた軽井沢別荘の第1号が、木造でシンプルな「軽井沢バンガロー」といわれるショーの別荘「ショーハウス」です。ショー来軽100年にあたる昭和61(1986)年に、ショーの別荘をショーハウスとして教会中庭に復元し一般公開され、別荘の起こりを今に伝えています。初夏から盛夏は木漏れ日が美しく、秋には紅葉の中、そして冬の雪景色にも木造の建築が映えます。まずはここからスタートしてみるのはどうでしょうか。

旧軽銀座の賑わいの中、ひとつ奥まった北側に立つ教会が、英国人のワード神父によって、昭和10年(1935)に設立されたカトリック協会「聖パウロカトリック教会」です。アメリカ建築界の巨匠アントニン・レーモンド設計の教会で、昭和5年(1930)に建てられ米国建築学会賞を受賞しました。アメリカ建築界の巨匠であるA・レーモンドは大正中期、帝国ホテル建築のため来日したF・L・ライトのスタッフとしてともに来日して以来、日本にとどまって建築事務所を立ち上げ、日本の近代建築に大きな貢献をした建築家です。

聖パウロカトリック教会は、外から見ると傾斜の強い板葺き三角屋根と大きな尖塔が特徴で、欧州の田舎を思わせる避暑地・軽井沢の風景に溶け込むような象徴的存在の建物のひとつです。傾斜の強い三角屋根は、チェコ出身のレーモンドが故郷の伝統的なデザインを設計に取り入れたためで、太い柱と柱が、祈りを捧げるように天井に向かって力強く組まれる鋏状の三角形を基本として組むトラスト構造の天井が特徴で、材木は栗の丸太を使用しているとのことです。教会建設にあたっては、日本人の棟梁がレーモンド建築の技術を習得しました。軒下や柱に建立の年が刻まれています。

堀辰雄の小説「木の十字架」で描かれていて、聖堂内は木のぬくもりに満ちた空間となっていて、祈りの家ならではの穏やかな雰囲気を醸し出しています。日曜日のミサは午前9時からで、誰もが祈りを捧げることができるので参列してみてはいかがでしょうか。

軽井沢テニスコートの近くにある「ユニオンチャーチ」に向かいます。軽井沢のまちづくりの基礎を築いたのがこのユニオンチャーチの初代宣教師であったダニエル・ノルマン(1864~1940)です。地域の住民たちからも「軽井沢の村長さん」と呼ばれて親しまれていたノルマンがカナダ・メソジスト教会からの資金援助を得て、キリスト教各派合同の礼拝所を造ろうと、建築家であり、キリスト教伝道者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)に設計を依頼、大正7(1918)年に完成させました。

W・M・ヴォーリズは、明治38年(1905)来日し、この年から毎夏を軽井沢で過ごしました。近江八幡に住み、キリスト教の伝道者、実業家(メンタームの近江兄弟社)、そして建築家としても多くの建築を残しましています。「近江八幡の和の歴史の町並みに残るヴォーリズ建築を訪ね歩く」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/12629

軽井沢ユニオンチャーチは、ヴォーリズの設計らしく斬新で人が驚くような建築物ではありませんが、使い心地の良い建築依頼者の求めに応じた温かみのある佇まいです。床や壁材には磨かれていない木材を用い、木特有の質朴さが静かなる美しさを放っています。もとは鉄道技師のクラブハウスだったものを改修したらしく、祭壇がドーム型になっている変わった教会です。たくさんの窓からあふれるような光が、木造の建物に備えられた調度品をやさしく包んでいます。TBSドラマ「カルテット」で巻鏡子(もたいまさこ)と世吹すずめ(満島ひかり)がこの教会の椅子に座って話をしていました。

軽井沢タリアセン」に。1971年に設立された塩沢湖を取り囲む巨大な庭園で、軽井沢タリアセンの中心は、雄大な浅間山を望む塩沢湖で、その湖面は春の芽吹きを映しだしています。タリアセンとは、ウェールズ語で「輝ける額」を意味し、芸術の栄光をうたった19世紀ウェールズの吟遊詩人の名でもあります。軽井沢タリアセンには、歴史的に価値のある建造物が移築されています。

バラ園あり美術館あり、林の奥には別荘もありと、まるでひと昔前の軽井沢が凝縮されたかのような湖のほとりを歩いてゆくと、朱塗りの家が目の前に。前川國男、吉村順三らが師事したアントニン・レーモンドによる自身のアトリエ兼別荘として昭和8年(1933)に建てた「夏の家」は、特筆すべき建物です。ル・コルビジェに強い影響を受けていて、この建物もコルビジェの未完の邸宅「エラズリス邸」によく似ているともいわれています。下見板張りや引き戸など、日本の伝統的木造建築の様式を生かしつつ、左手の屋根上部はV字にへこませて骨組みの美しさを表現したりと、モダニズムが注入されています。リビングルームに大きく取られた引き戸タイプの窓は、広く開け放つことができ、その風通しの良さはまさに「夏の家」というにふさわしい。2023年国の重要文化財指定。

移築された建物は、現在「ペイネの恋人たち」で有名なフランス人画家、レイモンド・ペイネの作品を展示する個人美術館として再生されています。緑の庭にはおなじみの山高帽の少年と少女の恋人像が佇み、扉を開けると、おなじみの恋人たちの絵がいっせいに微笑みかけてきます。添えてある言葉もユーモアにあふれていてまさにメルヘンの世界で童心に帰る。童心に返った人々がボートを漕いでいましたが、その後を鴨が必死に追いかける姿が微笑ましい。

湖に姿を写す別荘が「旧朝吹山荘・睡鳩荘」です。昭和16年(1941)米国人宣教師ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した建物は、軽井沢町内に今なお、古き佳き佇まいを残して数多く点在していますが、中でもこの「旧朝吹山荘・睡鳩荘」は、軽井沢別荘建築史の中でも最も上質だとして、歴史的価値のある建造物として今に伝わっています。三井財閥の重鎮・朝吹英二の子息で、帝国生命保険や三越の社長を歴任した実業家・朝吹常吉の別荘として建てられ、その後、常吉の長女であり、ボーヴォワールやサガンの翻訳家として有名な、朝吹登水子が別荘として使用したもので、登水子女史の没後、塩沢湖畔の軽井沢タリアセン内に移築されました。

建物は、木造2階建て建築山荘風のバルコニーが印象的で、ヴォーリズ煙突と呼ばれる暖炉の煙突があるのも特徴の一つです。建物の中を自由に見学出来、バルコニーでの湖畔の風が清々しい気持ちにさせてくれます。

「睡鳩荘」の由来は、三井財閥の総帥・益田孝がかねてから購入を望んでいた朝吹家所蔵の”眠り鳩を描いた掛け軸”を売り、その代金で別荘を建てたことから名付けられたと言われています。ヴォーリズ建築が軽井沢の緑の中に現代でもなお一層美しく調和することを実証しているのではないでしょうか。TBSドラマ「カルテット」でドーナッツホールの4人が記念写真を撮影したバックに映っていたのが塩沢湖畔に佇む睡鳩荘でした。

避暑地軽井沢の歴史の原点となった教会と別荘は軽井沢が持つかけがえのない財産です。軽井沢の歴史の礎を築いた教会たちは十字架ひとつとっても同じものはなく、他にも「日本基督教軽井沢教会」や「軽井沢南教会」等個性豊かな教会建築に出会えます。

また軽井沢の別荘建築は、簡素を旨とする宣教師たちの精神で貫かれた木造でシンプルな「軽井沢バンガロー」と呼ばれる別荘建築や大正末期、大規模な土地分譲と別荘建築が一体となって発展をとげた離山の「市村記念館」に代表される「あめりか屋建築」、そしてレーモンド建築やヴォーリズ建築といわれる別荘建築がまだまだ多く現存しています。軽井沢タリアセン内にも名建築が数多く移築され、保存されています。

懐かしいロマンを感じさせる教会や別荘を訪ねてみてください。そこには軽井沢が持つ魅力の真髄が存在しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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