仙波そばと書かれたお店の一群から一山越すと両側に出流そばのお店が立ち並ぶ道を上がっていくと出流山満願寺の山門に到着します。弘法大師御作の千手観世音菩薩をご本尊とする坂東三十三観音霊場第十七番札所 真言宗智山派 出流山満願寺は、出流川源流部の鬱蒼とした自然林や杉木立に覆われた渓間の山奥にある古刹。鬱蒼とした杉木立の中に本堂の大御堂が立ち、静寂と荘厳な空気が訪れる者を包みます。今から1200余年前、役行者によって「観音の霊窟(奥の院鍾乳洞)」を発見されたのが始まりと伝わります。天平勝宝2年(750)日光開山の祖・勝道上人によって開山されました。
下野国司(介)の若田高藤の妻がこの「観音の霊窟」で子宝を得ることができるということを聞いて、21日間ここに籠り、翌天平7年に男の子を授かりました。この子が後の日光開山の祖・勝道上人です。以来当山の奥の院にお祀りされている鍾乳洞で自然にできた「十一面観音菩薩」は子授け、安産、子育てのご利益があると信仰されています。
中世には足利氏の庇護となり修験道の拠点として寺運が隆盛すると出羽三山詣での行者は、出流山満願寺にも詣でないと三山全て登拝したとしても大願成就しないとの教えが信じられ、寺号の「満願寺」もこの信仰に由来するとされています。また勝道上人が日光山を開いた人物であったことから江戸幕府に庇護され、日光山の修行僧は一度は出流山で修行しなければなりませんでした。
山門である仁王門は徳川時代の享保20年(1735)の建立。三間一戸、桁行3間、梁間2間、八脚楼門で入母屋、銅板瓦棒葺き、外壁は真壁造り板張り、上層目には高欄、「出流山」の山号額、左右には目象窓があります。下層目の両側にある一対の朱色の仁王尊像は足利時代の作。以前は茅葺き屋根でしたが昭和初期に金属板に葺き替えています。
山門をくぐってすぐの薬師堂は享保年間(1716~1736)の建立で薬師如来を安置しています。木造平屋建て、宝形造、銅板瓦棒葺き、桁行3間、梁間3間、正面1間拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、木部朱塗りです。江戸時代の満願寺には本坊に加えて六つの塔頭寺院(福性院・清光院・多聞院・延命院・宝光院・月輪院)と二つの修験行者坊(常福院・胎蔵院)がありますたが、薬師堂はその一つ福性院の名残をとどめる建物です。
鐘楼は明治4年(1871)に失ってから約100年ぶりの昭和59年(1984)にほぼ同じ場所に再建されています。
杉木立の中に立つ本堂(大御堂)は、後小松天皇の応安元年(1368)、足利義光公の寄進によって観音堂として建立されましたが、元文5年(1740)12月20日の大火で山門を残して焼失。明和元年(1764)8月に中興第17世道呆和尚によって再建され、徳川中期の堂宇建築の代表的なものと言われます。
八間四面入母屋造り、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り、正面に3間の唐破風向拝が付いています。三手先に竜の彫刻が施され、建物全体が朱色で着色され、精巧な彫刻には極彩色で彩られています。筑波山の大御堂、奈良の興福寺大御堂とともに日本三御堂のひとつと称されています。特に本堂の軒を支える三手先には見事な龍の彫刻がなされています。
内部は内外陣に分れ、内陣に須弥壇を設け、弘仁11年(820)、勝道上人の徳を慕って参詣した弘法大師が当山の銘木で造立された千手観世音菩薩がご本尊として安置されています。また左に勝道上人、右に弘法大師を祀っています。
本堂から1kmほどの山道を歩いた先に奥之院があります。写真は御沢の清流に沿って続く奥之院への入口です。
途中には、如漣堂や聖天堂、女人堂があり往時の隆盛を物語っています。明治の頃、日本鉄道・日光線(現JR東日本・日光線)開通後に衰退した満願寺を、成田山のお不動さまのお告げでやってきた松丸女漣尼という人が出流山の霊験あらたかなことを伝えたことが大きく、復興に尽力したとのこと。弘法大師をご本尊とする女人堂は、奥之院の参道沿い「大師の霊窟」の真下にあります。昔はここから「大師の霊廟」に入れない女性の信者は、ここで同行の男性信者の帰りを待っていたそうです。「大師の霊窟」は弘法大師が当山を訪れた際に禅定したとされる霊窟です。
並んだ五輪塔は、歴代の御住職の墓石です。
参拝道の行き止まりには、出流川の源泉である「胎内くぐり」の鍾乳洞の湧き水が直接流れ落ちる落差8mの大悲の滝があります。滝行が行われる場所で岩場の上から不動明王などの3体の仏像が見守っています。ここで滝行をすれば、観世音菩薩の大慈悲に浴するとうことから「大悲の滝」と呼ばれています。大悲の滝から荒れた参道をさらに上がると「大日の霊窟」があり、釈迦如来、勢至菩薩等に見立てた鍾乳石があるそうです。
ここから左方を見上げると崖の中腹、岩壁に張り付くように立つ奥之院が現れます。山道を歩いた者しか辿り着けないパワースポットです。
大悲の滝から急な石段を100余段上ると「観音の霊窟」の拝殿に昇殿します。高さ4m余りのこの拝殿が鍾乳洞の入口になっています。拝殿奥には三面六臂の大黒天、十一面観世音菩薩、勝道上人の像が置かれています。
そして右手奥が鍾乳洞「大悲霊窟」でその中に中にあるのが「十一面観世菩薩音の後ろ姿の像」という、天然の鍾乳石でできた尊像を拝みます。左右には八面六臂の大黒天の後ろ姿と勝道上人の後ろ姿があり、台座となる伏せ蓮華を含めると高さ4mと大きな鍾乳石です。
出流山には奥之院「観音の霊窟」のほかにも「大日の霊窟」「大師の霊窟」「不動尊霊窟」「普賢の霊窟」等の霊窟があるとのことで山全体が石灰石であることから仏様に見立てた鍾乳石があるそうです。