男清水と女清水の合わさる水物語。水路のまち信濃大町を歩く

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立山黒部アルペンルートの長野県側の玄関口、JR大糸線信濃大町駅から北へ延びる大町商店街を歩くと、どこからかせせらぎの音が響きます。江戸時代に張りめぐらされた水路が今なお残る大町市は、蛇口をひねると美しく気高い北アルプスが育む清らかな湧水が溢れ出す水の町です。しかもその水には【男清水】と【女清水】と呼ばれる二つの湧水があり、合わせて飲むと縁結び、夫婦円満の効果があるといいます。水筒に水を汲みながら、大町散策に出かけます。題して「信濃大町水紀行」、水をテーマにいざ出発です。写真は御当地キャラ「おおまぴょん

はるか昔、ここ信濃大町は、崇神天皇の子「仁品王」が降臨して以降、代々この地を豪族・仁科氏が治めたとされます。王の子のまちにちなんだ「王町」が「大町」になったといいます。鎌倉時代には仁科氏の城館を中心に京に倣った都市計画が進められ市場町が形成されました。その後、仁科氏は武田信玄に滅ぼされましたが、信玄は五郎信盛に仁科氏を継がせ。その名は県歌『信濃の国』にも歌われている。江戸時代には、信州と日本海を結ぶ千国街道「塩の道」の宿場・大町宿として整備され物流の中継地点として栄えました。

大町を潤す水路が整備されたのは江戸時代のこと。この地を治めていた仁科氏の命で、現在の大町市周辺の集落を整備する際、暴れ川として知られた鹿島川が氾濫しないように3段階もの堤防を設け、商店街の中央には生活用水の水路を、町中には飲料水の水路を巡らせたのです。水路の水は大正11年に水道が整備されるまで大町に暮らす人々の生活を支えてきました。

現代では日常使いをすることはなくなった水路ですが、今でもかつてのままに残り、涼やかな音を町に響かせています。現在その上水道は商店街に2種類あり、中央通りを軸に西側に標高3000mの北アルプス上白沢から引く男清水(水質硬度15度)、東側には標高900mの里山・居谷里湿原から引く女清水(水質硬度13度)として町の人々を潤しています。

この大町には、昔から湧水にまつわる不思議な伝説が言い伝えられていて、『昔々、信州信濃に大町という集落がありました。村人達がその真ん中を南北に通る道を作り、生活を始めた頃のお話です。その道の東側の村人は山里の居谷里という池の湧水を、西側の村人はアルプス白沢の湧水を生活に使い始めたのです。そして月日がたち、たくさんの子供達がうまれました。しかし、東の集落は女の子ばかり、西の集落は男の子ばかりが生まれたのです。いつしか村人達は居谷里の水を女清水、アルプス白沢の水を男清水と呼ぶようになりました。これでは困ったと東と西の村人が話し合いをして南北の道の真中に川を造り、両方の水を合わせて流すことにしました。そして、更においすくなった水の流れる川の両側にたくさんの村人があつまるようになり男も女もみんな仲良く幸せに暮らしましたとさ・・・・』というのが「大町水物語」です。

物語にあるように、男清水と女清水を混ぜ合わせて飲むと、男女は縁が結ばれ、夫婦はもっと円満になるという効果があるという伝説の幸せの水。大町市内の東西に二種類の無量水汲み場をめぐって御利益を是非授かってください。

JR大町駅のロータリーの一角、交番の横にある水場が「交番前水場」です。バネ式の蛇口で自然と水が止まるようになっています。【女清水】は硬度が13で水に含まれるカルシウムとマグネシウムの含有量が極めて低い軟水です。大町市には酒蔵が3つありますが、その多くが女清水を使っています。

駅前か国道147号へ。商店街から少し外れたところにあるのが「竃神社」です。この神社は鎌倉時代後期、安曇野を支配した仁科氏が大町の天正寺の地に居館を構えたとき、鬼門(北東)を封じるために創建されました。荒神様と尊崇された三宝荒神を祀る社でしたが、明治始めの神仏分離で竈神社に改められました。人気アニメ「鬼滅の刃」の主人公竈炭次郎と同じ名がつく神社として注目されています。

綺麗に整備された参道を入ると、朱の両部鳥居が建ち、神橋を渡ると境内です。境内奥には大きな拝殿と優雅な流造の本殿が建ち、その右側には別宮・仁科天満宮が鎮座しています。珍しいのは境内社に相撲神社が有ることで、随分沢山の神社巡りをしてきたが、相撲神社は奈良県桜井市の「相撲発祥の地」兵主神社参道脇に鎮座する相撲神社とここの2社のみではなかろうか。例祭に催される奉納相撲は由緒深く、境内に土俵があり、安政年間において相撲土俵免許状を有するのは信濃国内では当社と更埴八幡の武水分神社のみとされているとのこと。手水が【男清水】です。

国道147号と148号の交差点近く、商店街の北に位置するのが「若一王子神社」。垂仁天皇の御代、仁品王が社を立て伊弉冉尊を奉祀したのに始まり、後に仁品王とその后妹耶姫が合祀されました。降って安曇郷を領して居館を構えた仁科氏によって嘉祥2年(849)に創建されました。仁科盛遠宿禰が遥々熊野権現(熊野那智大社)に詣で「若一王子」を勧請してより、若一王子の宮と称されました。杉木立に囲まれた現在の社殿は、戦国末期の弘治2年(1556)に仁科盛康によって建てられたもので、桧皮葺の本殿や三重塔は重要文化財に指定されています。

手前に建つ三重塔は三間三層杮葺で、宝永8年(1711)に木食故信法阿の勧進によって建立されたもので江戸時代の建物としてはよく均整がとれ、蟇股の人身獣面の十二支の彫刻は有名です。

町屋の裏側に飲料水として鹿島川の清浄な水を引き、表には町川が流れ、氾濫が起こらないように水を分配する要の位置、市街地の北のはずれに、「水分くり神」として祀られているともいわれています。また4000坪の杉の群生「王子の森」には、千古の年輪を刻んだ老樹が茂り、パワーがいただけます。ここの手水が【男清水】です。

国道148号に沿って延びる商店街、大黒町交差点付近には大黒天の旗がたくさんたなびいているところがあります。そこが嘉永5年(1852)に建立された「開運大黒天」で、町川に架けられていた、石橋の部材から彫られたとつたわります。春には市の天然記念物の枝垂桜が美しいらしい。

袂には水飲み場のなかでは最北に位置する【女清水】がある。

国道148号駅前通りを駅方向に戻り途中、大町北高校近くの山王稲荷神社に寄ります。商売繁盛・土木建築の神様として有名です。以前は粋筋の女性たちの多く参拝する姿が見られたそうです。【男清水】です。

本通り、九日町から駅方面に歩いた商店街の中ほどに「創舎わちがい」があります。築130年になる町家造りの懐かしく落ち着いた江戸時代からの大庄屋・栗林家(仁科氏の家臣と伝わる大町年寄十人衆)の住宅を改修した古民家レストランは、信濃大町の美味しい清水と地元の食材を生かした料理が味わえるお店です。

奥行きが深く、手入れが行き届いた庭も美しく、その中庭に面した廊下は座敷をぐるりと囲むように配されているので、4っしかない食事部屋から廊下越しに庭が眺められる。

こちらで是非いただきたいのが大町の郷土麺「わちがいざざ」です。古来、そばやうどんなど長いものを長長(おさおさ)と呼ぶのに因んで「ざざ」と名付けられました。長野県産小麦100%を信濃大町の軟水で練り上げるコシのある細麺は喉越しが良く、すっきりとした麺の旨みがいいです。近年、仁科神明宮や若一王子神社の祭礼にふるまわれた接待料理の献立が見つかり、「お祭り御膳」「こ祭りセット」として再現されています。「こ祭りセット」の「わちがいざざ」に季節のサラダと汲み上げ豆腐、日替わりの小鉢で1450円は、ランチにお得感満載ですよ。※以前は「おざんざ」と呼称。塩を使わず納豆の酵素を用いて練り上げた地元河昌製麺(2017年倒産)が考案した独特の製法の麺。

ついお肉に目がいってしまい「わちがいざざ」のかわりに大町銀嶺豚丼(タレ・塩)をチョイスしてしまうこともありますが、これはこれでグッドです。大町銀嶺豚は北アルプスの天然水と乳酸発酵飼料で口の中でとろける旨さです。(写真は塩を選択)

お店の前にある水場が【男清水】です。

本通りを挟んですぐ向かい側にある水場が「塩入家具店前の水場」です。家具の販売、修繕を手掛ける家具店では、ペットボトルも配布しています。本通りの東側なので【女清水】になります。向かい側のわちがいの【男清水】と飲み比べてみるといいですよ。

わちがいから“塩の道小径”を通って八日町ポケットパークへ。ここにも【女清水】の水汲み場があります。

大町市周辺は、その昔、日本海側の糸魚川から信州の松本までを結ぶ千国街道 通称「塩の道」の荷継の宿場町として栄えました。そのためJR大糸線の信濃大町駅前の商店街には、風情のある面影を残す蔵造りや町屋造りの建物が所々に点在しています。町家とは、間口が狭く奥が長く「うなぎの寝床」と呼ばれています。季節により建具を換えるなど、機能性と美しさを兼ね備えた空間が魅力のひとつで、「わちがい」もその一つです。八日町ポケットパークの水路に植えられた花を愛でながら「塩の道 ちょうじや」へ。

屋号「かくひら」の平林家(大町十人衆)の居宅がある江戸時代の庄屋で塩問屋を営んだ建物は「塩の道 ちょうじや」として、塩の道と呼ばれる千国街道の歴史を紹介しています。ここでは塩問屋であった名残や地域に伝わる食文化を知ることができます。荷車が通った土間の轍や、土間から見上げると梁の交差の向こうに光が射し込む吹き抜けの天井、囲炉裏、塩蔵など往時をしのぶ造りや資料が続き、言葉を発しなくても建物が静かに歴史を物語ってくれています。

お座敷では庭を眺めながら寛げ、カフェスペースでは、土地に伝わるハレの料理「えご」が食べられます。寒天のような海藻の一種で、日本海から塩とともに運ばれてきたといいいます。

塩の道の向かいを入ったところに、伊勢神宮(皇大神宮)と恵比寿さまを祀る西宮神社があわせて祀られた神社にもこんこんと湧き出る【女清水】があります。

「塩の道 ちょうじや」からは商店街に出たところにあるのが、農産物加工品や日本酒、ワインなど大町の特産品を販売しているいーずら大町特産館」です。「いーずら」というのは「良いでしょう」という意味の方言で、大町のお土産といえばここ。こちらでは北アルプスの豊かな自然が育んだ地場産品を中心に地元大町や小谷や白馬、松川など安曇野エリアの特産品が数多く揃っています。

店内には、市内の三つ酒蔵の酒をはじめ、麺類や漬物、川魚の加工品、味噌、菓子、などバラエティに富んだ地場産品が多彩に並んでいます。なかでも地酒の品ぞろえは随一で、季節ごとの限定酒もあり、ここにしかない「3蔵セット」など市内3蔵の地酒の品揃えと試飲の種類も多いです。100%大町産のワインぶどうを使ったワインも並んでいます。

駅から歩いて5分程度の距離で、駅での電車待ちには便利な場所にあります。特産品を詰め合わせた「大町からの玉手箱」を是非お土産に如何ですか。ちなみにこちらも本通りの東側になるのので【女清水】が湧いていて、店内ではペットボトルも配布していますよ。

ここまで大町市内に巡らされた水路と水場、そして町屋を巡ってきましたが、もう少し市内を巡ってみます。駅前通りの商店街を北へ進み、長野銀行のある交差点の手前に「水」「木」「土」「空」といった大町の自然環境を実感できる憩いの小空間「庵寓舎」があります。この建物は、江戸時代から明治初期にかけて麻問屋などを営んだ豪商。加登屋・伊藤重右衛門の邸宅の一部です。当初は間口は三十間(約54m)近くあった大邸宅だったと伝えられています。

【男清水】の水汲み場が傍らに置かれています。

この奥右手には文庫蔵、さたにその奥には旧麻蔵、そして突如として現れる大きな土蔵が麻倉です。アートをキーワードにした街づくりの拠点として稼働しています。この土蔵は、地元の麻問屋が所有していた江戸後期の築160年のもので、梁や柱のずっしりとした太さは現代にない存在感があります。一階に隣接する「麻倉カフェ&バー」ではランチタイムにキーマカレー、麻倉ハンバーグなどを提供しています。夜はウッドデッキと麻倉の作家たちが手掛けたテーブルや椅子が印象的な居心地の良い店内で粋に楽しんでみてください。オレンジ色の麻倉カーは、麻倉の前に停車中の車はオレンジ色をアクセントに、町を走行中はCMにと、どちらのシーンでも存在感溢れています。ここにも入口脇に北アルプス白沢の湧水【男清水】があります。

 

美味しい水といえば日本酒にかかせません。大町には三つの蔵元があり、それぞれが徒歩10分程度で巡れる距離にあります。商店街の中ほど、長野銀行のはす向かい、九日町にあるそのひとつが、黒塀と見越しの松、隣との間に立つ防火壁「うだつ」も見事な慶応元年(1865)創業の市野屋商店です。「わちがい」「かくひら」と同様「ほしいち」の屋号をもつ創業140年余の老舗酒蔵「市野屋商店」(仁科氏の家臣と伝わる大町十人衆の福島家)です。昭和38年(1963)黒部ダム完成当時に発売された「金蘭黒部」という銘酒を醸造していて、寒冷清澄な自然を生かした酒造りをしています。金蘭黒部「女清水・男清水」はそれぞれの水で仕込んだきりりとした辛口が特徴の日本酒です。二種類の水による味の違いを楽しんでみて下さい。

商店街から少し東、大きな酒林のある瓦葺きの建物が、米の旨味が際立つ甘口の酒「北安大國」で知られる大正12年創業の「北安醸造」です。ここから南へ数分で到着するのが「薄井商店」。創業は明治39年(1906)で、銘峰白馬三山にちなみ「白馬錦」と名付けられた銘酒は、食事と一緒に楽しめる軽めのお酒です。写真は北安醸造です。

三蔵が同じ水を使っても三様の個性があって面白く、毎年9月に「北アルプス三蔵呑み歩き」が行われていますので是非大町に来てみて下さい。

北アルプスの美味しい水でビールを造ったらどんな味になるだろう?そんな好奇心からできた「北アルプスブルワリー」が長野銀行北隣にあります。

ふんだんに木材を使った温かみのあるロッジ風の建物、高い天井と大きなカウンターが迎えてくれる店内。ガラス越しにブルワリーを眺められる趣向になっているカウンター席でゆったりビールを楽しめるところです。カウンターの奥にはチョ-クアートのメニュー板と8本のタップが設置されています。

北アルプスの大自然で、20年~30年ともいわれる長い年月をかけて濾過された湧水は日本屈指の銘水です。その銘水で氷河ビールはどれも透明感、爽快感のある、大変飲みやすいクラフトビールです。写真は選べる3種飲み比べ1000円です。

「水が生まれる信濃大町」は古くは千国街道の宿場町として、また昭和30年代には黒部ダム建設の基地として多くの人が往来し、賑わいを見せた町。駅前本通りから路地裏へと彷徨うと、格子造りの古民家を改装した食事処や造り酒屋の蔵、最新のビール工場、そして水場と旧街道の歴史を感じる町の中に新旧の店が揃い、「おいしい」「おもしろい」が新たに発見できる町です。水めぐりの旅の最後、「工場見学行こう。天然水 北アルプス信濃の森工場がすごい!」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/11726

 

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