11月中旬~12月上旬、古都・京都を鮮やかに彩る紅葉。紅葉シーズンの京都は、日本全国のみならず、世界各地から観光客が訪れ、大変な賑わいになります。一度は見たいと憧れますが、人が多そう、長時間並びたくないと二の足を踏んでいる人も多いと思います。そこでなるべく人混みを避けられるように、朝一番に、少し時間をずらして、地下鉄や徒歩を利用して・・・とコースを考えて今秋は効率よく京都の紅葉を満喫したいと思います。
初めて秋の京都を訪れたなら、定番の紅葉名所へというのが王道であろうと東福寺から東山へ、清水寺、南禅寺、永観堂そして高台寺のライトアップとポイントを押さえて錦秋の古都の旅に出かけます。
早起きは三文の得とばかりに始発に乗り込み、京阪京橋駅で京都観光一日乗車券「京阪 みやこ漫遊チケット」1600円を購入し、いざ京都へ。京阪東福寺駅で降りて南へしばらく歩くと、築地塀があらわれて東福寺に寺域に入ります。最初に目指すのは、現存する最大にして最古の禅堂をもつ「慧日山東福寺」。「洗玉澗」という渓谷をはさむ起伏のある地にあり、その渓谷を埋めるように植えられたモミジが「通天橋」を紅の雲海で包みこむ紅葉の絶景スポットです。
京都でも指折りの紅葉名所が点在する洛南のなかでも、東福寺は、京都随一ともいわれる景勝地。「三名橋」のひとつ「臥雲橋」を渡ると、木々の向こうに本堂と開山堂を結ぶ「通天橋」が見えます。東福寺の代名詞となっている名所です。通天橋から渓谷になっている洗玉澗を眺めれば、折り重なった紅葉がまるで雲海のよう!しかし実際には洗玉澗にかかる東福寺三名橋のうち下流の臥雲橋から洗玉澗越しに通天橋を望むアングルは洗玉澗の紅葉の全景がわかるベストポジションです。臥雲橋を渡ると開門が8時半のところ既にまだ8時前なのに長蛇の列でした。しかしなんといっても東福寺は京都1,2を争う紅葉の名所、まずは押さえておきたいところです。※現在は紅葉の季節は混雑するため、通天橋、臥雲橋での写真撮影は禁止となっています。
摂政九條道家が「京都最大の寺を」との思いで九條家の菩提寺として鎌倉時代の嘉禎2年(1236)から19年の歳月をかけて建立した臨済宗東福寺派の大本山です。規模は東大寺につぎ、教行は興福寺にならうという意味から、「東」と「福」の二字をとり、「東福寺」と名づけられた、京都五山の第4位にふさわしい禅宗寺院の威容をたたえています。広大な敷地には、東西南北の庭がそれぞれに趣の異なる方丈など、25の塔頭が建ち並び、見どころが尽きません。
本尊は釈迦如来。本堂は昭和9年再建、三門は日本最古の三門で国宝。現存する最大で最古の禅堂、浴室、東司(とうす)、愛染堂など重文の建築も多い。方丈庭園は昭和の作庭家、重森三玲による。750年の歴史を脈々と伝える東福寺は京都屈指の紅葉の名所として知られ、広大な境内に大伽藍が勇壮な甍を並べて佇む景観は、時空を越えた別天地のようです。数ある京都の紅葉名所のなかでも、No1に挙げる人が多いのが、この寺の仏殿から開山堂を結ぶ、通天橋からの眺めです。眼下に本堂と開山堂をゆるやかに隔てるように、三の橋川が流れ、一帯の渓谷は洗玉澗といいます。通天橋は東福寺の一番高い場所にある回廊、紅葉が炎のように燃える渓谷に浮かび上がったように天へと通じているようです。橋の中央部には張り出しがあり、今や東福寺の紅葉を鑑賞する特等席です。そもそもは、谷を登り降りして上の開山堂へ向かう修行僧を助けるために、架けられたものだそうです。ここからの眺めは絶景です。
六百年前、桜を全部 切りました。春より秋を選んだお寺です。紅葉のベストポジションは、修行の道でした(1997年・盛秋)
境内に繁る紅葉には、イロハモミジ、ヤマトモミジなどが多く、それらは優に二千本におよぶそうで、かえでの燃えるような朱色が、まるで下からわき上がってくるようです。その一部に、聖一国師が宋国から持ち帰ったと伝えられる唐楓は、別名通天紅葉と呼ばれる珍しい三葉楓。葉先が三つに分かれているのが特徴で秋の深まりにつれ、艶やかな黄金色に染まります。橋からひとしきり大パノラマを堪能したあとは、渓谷のほうへ降りて、紅葉が繁る中を散歩するのがおすすめです。落ち葉の三葉楓を探してみるのも楽しみです。
実は600年前まで、この一帯には桜が植えられていました。寺の画僧・明兆の大涅槃図を室町幕府4代将軍足利義持が気に入り、褒美をとらせようとたところ、後世、遊興の地としてにぎわう桜は修行の妨げになると、境内の桜の木をすべて伐採してほしいと答えたそうです。その後もみじに植え替えられたと言い伝えられています。それが上記のキャッチコピーです。エピソードが美しい糸になり、いっそう、季節に映える錦秋を織りあげているのかもしれません。
夢窓疎石や小堀遠州ら著名な作庭者が手掛けた日本庭園は、中世から近世に隆盛を迎え、その後停滞しましたが、現代の新しいエッセンスを加えて、昭和の日本庭園史の研究家であり作庭家の重森三玲が残した名作といわれる庭園が東福寺には複数あります。重森三玲がキャリア最盛期の昭和14年(1939)に手がけた東福寺方丈・本坊庭園「八相の庭」を鑑賞することに。斬新なデザインと哲学で「永遠のモダニズム」と称される庭です。方丈とは禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見の間の役割が強くなりました。広大な方丈には東西南北に四庭が配され「八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)」に因んで「八相の庭」と称しています。禅宗の方丈には、古くから多くの名園が残されてきましたが、方丈を中心に配された4つの庭は、これでひとつの庭とらえる構成が独創的で、東福寺のみとのこと。鎌倉時代をベースにしつつ、現代の抽象芸術の要素を採り入れたモダンな空間は、近代禅宗庭園の白眉として広く世界各国に紹介されています。
方丈庭園の拝観は、庫裏で受付をし庫裏と方丈を結ぶ渡廊下へと向かう。庭に入るとすぐに目に留まるのが、渡廊下の左手にある広さ210坪の枯山水庭園である南庭です。古来中国大陸の蓬莱神仙思想では、東の大海の彼方に仙薬財宝があると信じられた仙人が住む「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壷梁」と呼ばれる「四つの神仙島」をモチーフに、渦巻く幾何学模様の砂紋によって「八海」を表し、そこに立つ力強い石組みは不老不死の仙人が住む島を表しています。奥の苔山で京都五山を表現してモダンな空間に。また正面に建つ向唐破風の表門は昭憲皇后の寄進と言われ、明治期唐門の代表作です。
南庭のダイナミックな「動」を眺めたあとその向かいにある東庭は、対照的に「静」の印象。狭い空間の中に七つの円柱の石組みと天の川を表す白川砂、苔、生け垣を配し、夜空に輝く北斗七星に見立てている。この円柱はもともと東福寺にあった東司(トイレ)で使用されていた礎石とのこと。
北庭へ続く途中には「通天台」と呼ばれる舞台が設けられ、ここでも眼下に渓谷「洗玉澗」を一望できます。井の字に等分した古代中国の田制「井田」に因み、サツキの刈込みと葛(カズラ)石で表現された中国の田園風景を模したとされる「井田の庭」とも呼ばれる西庭の立体的な市松模様に目を奪われます。
北庭で西庭から受け継いだ市松模様が細かくなり、そして一つずつの石が徐々に東北の谷へと消えていく。釈迦の入滅までを表したもので、最初は規則性のある市松模様が、どんどん崩れていき散り散りに。対して苔の面積が増えてゆくグラデーションは、日本画のぼかしのようです。より刻みのあるウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石はサツキの丸刈りとの調和の妙も印象深く、彫刻家・イサムノグチはこの庭を「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評しました。背景の紅葉の赤色と唐楓「通天紅葉」の黄金色とが織り成す色彩感あふれる空間となっている。
方丈の裏の方にある龍吟庵に向かう。東福寺三名橋のひとつで日本百名橋「偃月橋」からの遠景は他の二橋から離れた場所にあるので混雑しにくく、紅葉に包まれた境内の渓谷をゆっくりと落ち着いて鑑賞できるのが嬉しい。
最後に応永年間(1394~1428)足利義持の再建で両側に山廊を設けた日本最大最古の遺構で国宝の三門を見て足早に次を目指します。
再度「臥龍橋」を渡って皇室ゆかりの御寺「泉涌寺」方面に向かう。拝観を待つ行列は橋まで伸びていたのにはビックリです。
東福寺から泉涌寺の間に広がる東山泉涌寺地区は、京焼・清水焼のふるさとで、「泉涌寺窯元もみじまつり」と銘打ち約50軒あまりの窯元が集い、いつもより5~7割安い大特価での大陶器市が開催されています。時間がまだ早くて準備で大変そうであったが、ここで買っては荷物が重い?歩くこと20分、いよいよ泉涌寺の寺域に入ってきたのであるが、今回は京都の定番紅葉めぐりということで絞りに絞ったので、ここでは広大な泉涌寺ではなく無料の紅葉穴場SPOT「新那智山 今熊野観音寺」に立ち寄ります。
今熊野観音寺は泉涌寺の塔頭なので三門はなく、参道へと続く朱色の鳥居橋を覆う、紅葉のトンネルに出迎えられます。杉並木を進むとかなり大きな子護大師像が目にはいるが、弘法大師が創建したお寺なので弘法大師像とも言われている。階段を上がった先にあるのが本堂。本堂横にある五色紅葉はひと月かけてじわりじわりと色づく紅葉で、徐々に色づく紅葉グラデーションが見られる場所です。
西国三十三ヶ所観音霊場十五番札所で、真言宗泉涌寺派の塔頭。1200年程前の京都、弘法大師・空海は唐からの帰国後に東寺で修業をしていた時、東山に綺麗な光が見え、不思議に思った空海は、光の指すほうへ向かったところ、白髪の老翁が現れ、空海に一寸八分の十一面観世音菩薩と宝印を与え、その場を立ち去ろうとしました。空海はその老翁に何者かと尋ねると、「私は熊野権現で、この地の守護神となるだろう」と告げ、姿を消したとのこと。空海は熊野権現のお告げを受け、お堂を建立し、自ら一尺八寸の十一面観世音菩薩を彫り、その体内に熊野権現から授かった観世音を納め、ご本尊として安置したことが今熊野観音寺の始まりとされ、天長2年(825)のことです。 「頭の観音様」と呼ばれ頭痛封じのほか、ボケ封じの観音様として有名です。
斉衡年間(854~857)左大臣藤原緒嗣が伽藍を造営したと言われ、カッコウが鳴く寺域は知る人ぞ知る紅葉の名所です。本堂東側の山上にそびえ立つ高さ16mの多宝塔の「医聖堂」は医療と宗教が共に手を携え、健康に暮らせるように祈願して立てられたとのこと。しかし驚くほど観光客がいないので、ゆっくりのんびり紅葉鑑賞ができる穴場です。
東大路通に出て泉涌寺バス停から市バスにのって五条坂バス停で下車し清水寺に向かいます。ここからは京都紅葉の王道の東山コースです。