桜の花の命は短しと今日も桜を目指してドライブします。さくら名所100選に選ばれるような桜の名所も良いのですが、やはり一本桜には歴史と浪漫を感じてしまいます。近畿の日本風景街道である「初瀬街道(国道165号)」は、壬申の乱(672)に大海人皇子が大友皇子を倒すために名張へと向かった道であり、伊勢に向かう斎王もこの道を通りました。曽爾高原を通る「伊勢本街道(国道369・368)」は大和と伊勢を結ぶ最短ルートでした。この道は神宮を伊勢に祀った倭姫命が大和から伊勢へ向かった際に通った道といわれており、北緯34度31分を貫くいわゆる「太陽の道」とも関連付けられることから“神意に叶う道”として西からの参宮者が多く利用した道でした。この二本の街道が交差する桜井・宇陀の山間には、古木の一本桜が点在しています。多くの古墳や古社、古寺がある歴史の地・奈良で静かに佇むその姿は重ねてきた時の長さを雄弁に語っています。風薫る春爛漫の桜を巡るドライブに出かけてみました。
まずは大和八木駅から初瀬街道(国道165)を東に向かい「長谷寺」へ。古来より、都から東国への入口とされた、初瀬(桜井)が旅の始まりです。西国霊場第八番札所・長谷寺は、『隠国の初瀬』と歌枕として万葉集にも歌われ、「枕草子」や「源氏物語」にも登場し、平安貴族の信仰を集めた古刹です。 長谷寺の歴史は複雑で、本長谷寺と後長谷寺と呼ばれた二つの寺が一緒になったのが現在まで続いて来た長谷寺といわれています。本長谷寺の創建は朱鳥元年(686)、飛鳥川原寺の道明上人が天武天皇のために「銅版法華説相図」を初瀬山の西の丘に安置したことに始まると伝わる。銅版の下部には300字に及ぶ銘文が刻まれており、その最後に「飛鳥清御原で天下を治めた天皇の病気平癒のため、僧・道明が作った」との記述が見られ、後長谷寺は、神亀4年(727)に道明上人のもとで修行した徳道上人が聖武天皇の命を受け、東の岡に十一面観音像を安置し、天平5年(733)、行基によって開眼供養が行われ、それが開基だとされています。
参道を歩けば門前の店先から名物・草餅の湯気が立ち上り、爽やかなよもぎの香りが鼻孔をくすぐる。四季を通じ、花の御寺として多くの方が訪れる長谷寺は特に「牡丹の花の長谷寺」として有名ですが桜の時期も素晴らしいのです。
小初瀬山一つの山そのものが長谷寺のような造りになっているので、入口である仁王門も大きく豪華な造りで、この仁王門から本堂まで続く長い屋根付きの階段は、「登廊」と言われ399段あります。段数だけ聞くと躊躇しそうですが、最初は緩やかな段が続くので大丈夫です。吊るされている灯籠は、長谷型と呼ばれる独特な形で仄かな光の列が幽玄な雰囲気を醸し出している。
ソメイヨシノをはじめとする境内に見られる一目3000本と言われるここの桜は、境内に建つ重文の仁王門や緩やかに続く399段の回廊形式の登廊や
本尊・十一面観音菩薩立像を安置する舞台造りの本堂、昭和29年(1974)戦後日本に初めて建てられた「昭和の名塔」の誉れ高い、朱塗りの塔身に金色の相輪が輝く五重塔に映え、薄紅色に包み匂うばかりである。眺める位置でそれぞれに趣を異にして咲く桜を存分に満喫できるまさに「花の御寺」である。古の都人達もさぞや一瞬の白昼夢を見てしまう心地よさであったろう。
天空に繁る寺 祈りが空にそよぎ立つ。千三百年変わらぬ今日がある。奈良、長谷寺。遥かな昔から伝え継がれる祈りの聖地。枕草子、源氏物語。多くの物語に描かれた神棲む里の美しい名刹へ。JR東海「うまし うるわし 奈良」より
登廊を上りきったところに聳える舞台造りの本堂は、徳川家光が慶安3年(1650)に再建したものであるが、平成16年10月に国宝指定を受けている。。入堂して外陣と内陣の間の通路を真ん中まで進んで内陣を仰ぎ見ると、本尊十一面観世音菩薩立像が薄暗い空間に厳かな金色を発して立っています。長谷寺本堂の楠の霊木で造られたという十一面観音立像は、高さ10.18Mもあり、木造では日本一といわれる。特徴は平らな盤石座の上に立つ観音菩薩と地蔵菩薩が合体したお姿をしており、右手に錫杖、左手に水瓶を持つ、一般的に「長谷寺式十一面観音」と呼ばれている。現在の観音像は天文7年(1538)年造立で東大寺仏生院・実清良学の作と伝えられ、両脇には難陀龍王と雨宝童子が仕えている。
祈り継ぐ今日がある。暗がりの本堂に黄金の像が輝いている。長谷寺の本尊、十一面観世音菩薩立像。時を越えて人の心に向き合いつづける慈悲の眼ざし。美しい祈りの旅を長谷寺で。JR東海「うまし うるわし 奈良」より
仁王門を出て、駐車場前の初瀬川に架かる連歌橋を渡り、少し階段を上ると、桜花に覆われた長谷寺を違う角度で堪能できます。淡いピンクの桜の海の中にまるで本堂が浮かんでいるように見えます。(見頃予想4月上旬)
長谷寺を後にして長谷寺奥の院「瀧蔵神社」に向かいます。長谷寺から県道38号線で北上し、初瀬ダムの前を通過して、だらだらと続く曲がりくねった急坂を上っていきます。鬱蒼とした山道を抜けると、そこには小集落ののどかな景色が広がります。途中の「初瀬ダム」では忘れずにダムカードをGETしておきます。
「瀧蔵神社」は、長谷寺の奥の院と称し、古来より信仰深き神社として、長谷寺へ御詣りしても瀧蔵神社へ参詣しなければ御利益は半減すると伝えられています。初瀬川に上流、長谷寺から歩くなら山道を3kmほどの道のりです。標高430mの山上に鎮座する神社の参道の入口には休憩所があり、近所の方が桜の見物客にお茶を振舞ってくれます。以前はこの場所にお堂があったといいます。
さて霊験あらたかな「瀧蔵神社」には風格が漂う一本桜「権現桜」があります。参道入口の一番高い石垣の上にあり、太い主幹が石垣に覆いかぶさるように、水平にせり出しながら佇む枝垂れ桜です。樹齢400年以上、樹高4.2m、幹回り3.0mのこの桜は、瀧蔵権現が村の古老の夢枕に立ち、堂の傍らにしだれ桜を植えてほしいとのお告げがあったという伝承からその名が付いたらしいのです。
上からも下からもよき眺めの桜です。しかしいつもながら思うのですが、こんなところの桜にと思うほど好事好きの写真家が結構来ています。
初瀬街道に戻ってさらに東進し、本日2本目の一本桜の「大野寺」に向かう。初瀬街道(国道165号)を名張方面に走らせ、榛原から先は宇陀になる。道の駅「宇陀路室生」にも情報収集とトイレ休憩で寄っていきます。室生出身の彫刻家・井上武吉によるモニュメント「my sky hole 地上への瞑想 室生(地の作品)」をはじめ施設全体が一体的にデザインされた道の駅です。
室生の里、宇陀川の渓流沿いにひっそりと佇むのが真言宗室生寺派の「大野寺」です。天武10年(681)役行者が開き、弘法大師が天長元年(824)に室生寺を開創の時、西の大門として堂を建立したと伝わる。寺のそばを流れる宇陀川の対岸には屏風浦と呼ばれる大岩壁がそそり立ち、その岩に刻まれた高さ約13.8mの大磨崖仏の弥勒如来と境内に2本植えられている樹齢300年の紅枝垂れ桜「小糸桜」の美しさで知られます。
大野寺境内の遥拝所に立つと、弥勒菩薩立像を真正面から拝することができます。承元元年(1207)に後鳥羽上皇の勅命により笠置寺本尊の弥勒磨崖仏を模して彫られたといいます。承元2年(1208)に完成、翌年には上皇の行幸を仰いで盛大な開眼法要が行われています。大野寺の縁起によると、上皇は自身や縁者の名をしたためた願文を像の中に納めたと伝わります。
山門を入ったところと本堂前に佇む2本の「小糸桜」は、淡いピンク色の小さな花がこぼれんばかりに咲き誇り、枝が地面に届くほど垂れ下がる大樹であり、山門からは磨崖仏と桜をともに鑑賞できます。日中はちょっと線刻がはっきり見えないのが残念ですが、夕方は線刻がはっきりとし、特に麗しい弥勒仏を拝めます。(見頃予想4月上旬~中旬)
大野寺から室生川の蛇行にあわせて続く羊腸のように七曲がり八曲がりする道をさらに山に分け入った先にあるのが女人高野「室生寺」です。室生ダムを過ぎると室生の里になるのですがその前に例によって「室生ダム」に寄って本日2枚目のダムカードGETします。
室生寺もまた桜の名所です。奈良時代末、東宮(後の桓武天皇)の病気平癒を願った興福寺の名僧賢憬が創建。一説には天武天皇の発願により役行者が創建し弘法大師が再興したとも伝えられ、空海の開いた女人禁制の高野山に対し、女性の参詣を認めたため女人高野と呼ばれる。石楠花に代表される花の寺としても有名ですが、この時期、門前に架かる朱塗りの太鼓橋から表門を望む風景は絶好の撮影ポイントで、春ともなると女人高野に相応しく優美な山桜や薄墨桜を正面に望む満開の桜は絵になる風景です。いつもながら味わい深い門ですが、背後に桜があると一段と素敵になります。表門の奥にある護摩堂の前には「乙松桜」と呼ばれる紅ヒガンザクラがあり、こちらも見応えがありますよ。
門前町を歩けば草餅のお店がいくつもあり、地元で採れるよもぎを使った山里らしい名物で口にいれるとすがすがしいよもぎの香りが広がります。五木寛之著「百寺巡礼」でも紹介された室生名物「草もち」を食べ歩きをします。
室生寺から西にある小高い中腹に立つ古寺「西光寺」の境内にあるのが「城之山桜」と呼ばれる枝垂れ桜で、大野寺の「小糸桜」の親木とも伝えられる樹齢約300年の一本桜であす。本来は桃色で小ぶりの花が密集したように愛らしく咲き、知る人ぞ知る桜の隠れたスポットらしい。丁度桜まつりで地元の人がおでんを売っていたのであるが、雨が降り、まだ5分咲きぐらいで少し残念でした。
西光寺から林道で3km、伊勢本街道沿いにある「佛隆寺」にむかう。四方を山に囲まれた榛原は、伊勢本街道沿いに栄えた宿場町。山麓には個性的な桜が見られる古刹も多くあります。室生寺から榛原に抜ける赤埴越えの峠にある室生寺の南門と言われる佛隆寺もその一つ。空海の高弟・堅恵が嘉祥3年(850)に創建したという古刹です。ここには一本桜の中で奈良県内最古、最大を誇る「千年桜」と呼ばれる一本桜があります。品種はヤマザクラとエドヒガンザクラの雑種である「モチヅキザクラ」という非常に珍しい桜だそうです。根回り7.7m、樹高16mを誇り、談山神社、室生寺とともに大和三名段の一つと称えられる風情ある参道の石段の脇に聳える樹齢960年を越えるといわれる巨木の桜です。根元近くから大小11本に分岐した幹がねじれるようにからまり、力強い生命力を感じさせる大きな幹となり、束のように四方にひろがった枝に花をつけて優美に立つ姿は圧巻です。奈良県には有名な桜が多いのですが、ここ佛隆寺の桜は素朴な味わいが特徴です。
作家のなかにし礼はこの桜から発想を得て、時空を超えた官能的な小説『さくら伝説』を書きました。近くには菜の花畑もあり、晴れわたった青空と桜の薄紅、菜の花の黄色が相まって絢爛たる絵巻物となる、はずでしたがなんと、何と、奈良なので南都、桜が全然咲いていませんでした。
気を取り直して伊勢参宮街道(国道166号)沿いの古市場の「水分桜(みくまり桜)」を見に行く。芳野川沿いの堤防500mに約100本のソメイヨシノの桜並木ですが、神社が立派です。
「宇太水分神社」は宇陀市の屈指の大社で水の配分を司る神である速秋津彦神・天水分神・国水分神の水分三座を祀る。創社は崇神天皇の時代にまでさかのぼるといわれる古社です。大和の式内社の水分神社は、大和の東西南北に祀られ、東に当たるのがここ宇太と葛城、吉野、都祁の4社だけです。緑に包まれた鎌倉時代の本殿(国宝)は一間社隅木入春日造水分連結造の古型で外部の朱塗り部分には極彩色が施されている。
いよいよ本日のメーンイベント、それが大宇陀町の西部にある本郷の瀧桜、通称「又兵衛桜」です。古代は「かぎろひの里」と歌われた狩猟や薬草採取地で、中世には秋山氏、近世は織田氏の城下町としてさまざまな歴史が重なる宇陀の里の一本桜。ここは今年大河ドラマ「軍師 官兵衛」の黒田官兵衛に仕え、黒田二十四将にも数えられる戦国武将・後藤又兵衛が大阪夏の陣の道明寺の戦いに敗れたあと、ここに落ちのびて僧侶となり余生を過ごした場所と伝えられ、後藤家の屋敷跡の石垣の上に堂々たる姿を見せる瀧桜があることから、このあたりでは又兵衛桜と呼ばれ親しまれているとのこと。
大河ドラマ「葵徳川三代」のオープニングに登場して注目されるようになった樹齢300年、幹回り約3m、高さがおよそ13mの堂々とした一本桜はとにかく美しい。山が迫る田園風景の中、萌え出す足元の草と背景をなす木立の緑、華を添えるように立つ桜の石垣から飛び出したように垂れる枝は力強く、その周りには約50本の深紅の桃の花と黄色の菜の花を従え、桜と桃、濃淡の異なるピンク色の二種の共演が描く風景はただため息をつくばかりの美しさです。
今日一日で八ヵ所の桜を見てまわりましたが、それぞれ趣きが違って見飽きることのない物語のある古木、一本桜は、悠久の時を生きて今年もそして来年もまた咲く続けます。