家康が眠る聖地・久能山東照宮は、昼も夜も荘厳で優雅な境内

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徳川家康公の遺体が埋葬された久能山で、家康公を祀る全国100社以上の東照宮の創祀といわれる神社が久能山東照宮。江戸初期に建てられた権現造、総漆塗、極彩色の社殿は国宝に指定されています。かつての城の様相を諸所に残す珍しい神社へ勢いよく1000段を超える石段を上れば、不思議と運気もアップする予感が。加えて久能山東照宮夜間特別拝観「天下泰平の竹あかり」も開催され家康公の御利益を昼と夜ダブルで授かりに久能山を目指します。

今日のメインは、「天下泰平」をテーマに竹あかりで境内を照らす期間限定の久能山東照宮夜間特別拝観「天下泰平の竹あかり」という一日800名限定の夜間イベントです。夜19:30のコースを予約していたのでそれまでは時間もあることから昼間の久能山東照宮を見ておこうと久能山に向かいます。久能山はいちごで有名で、明治29年、久能山東照宮の松平健雄宮司より託された苺苗を玉石の間に植え、石の輻射熱で栽培し、甘く香りのある実をつけることを実証したのが始まりです。駿河湾に面した国道150号の久能海岸沿いは別名「久能いちご海岸ストリート」と呼ばれ、道の脇から久能山の麓まで海に向いた南斜面に石垣イチゴのビニールハウスが建ち並びます。日当たりのよい斜面で育ったイチゴは大粒で色も濃く、味がしっかりしているとのこと。しかしながらいちご狩りは1月~5月にかけてなのでピークを過ぎていることから今回は少しでも気分を味わいたいと久能山東照宮参道入り口にある「久能屋」でいちご生ジュースをいただきました。

冷凍しておいたいちごをミキサーでくだいた生ジュースは熱く火照った体を気持ちよく冷ましてくれます。

久能山東照宮」は、標高270mの久能山の山上にあります。元和2年(1616)4月17日、徳川家康が駿府城で75年の生涯を閉じた後、「久能山に埋葬するように」との遺言に従い遺骸はその日のうちに駿府の南にある久能山に久能山に埋葬されました。そして翌5月に2代将軍秀忠の命によって久能山当初寓の建設が着工され、わずか1年半あまりで建設された豪華絢爛な社殿・東照社です。時を同じくして日光東照宮の造営も始まっています。家康公の出世運パワーを授かるべく御社殿を目指します。久能山東照宮への参拝はふたつのルートがあり、山麓から急峻な山肌にはりつく表参道の石段1159段を登って標高219mの山上まで行くかか、背後の日本平からロープウェイを利用するかです。夜間参拝はロープウェイでしか行けないこともあり、眼下に広がる駿河湾を望みながら表参道をゆっくり登ることにします。久能屋さんに駐車料500円で車は停めておいて一の鳥居をくぐり玉石が敷かれた緩やかな参道を進みます。

麓の石鳥居から始まる石段は、本殿前まで17曲がり1159段あり、その数字にかけて「いちいちご苦労さん」と愛称されているらしい。見上げても目に入るのはジグザグにつけられた急な石段だけで、石段の段差が一定でないのでなかなか手強い。山の斜面には石垣が積まれかつて要塞であったことが窺えます。

石段には途中々で今何段目かのプレートが取付られて目印になります。

途中で足を止めて振り返ると眼下に駿河湾と石垣いちご畑が心を和ませてくれます。

909段上ったところにある「一の門」は城門のような堅牢な造りです。それもそのはず実際久能山は東照宮が建てられる以前は武田信玄が築いた「久能山城」という山城で、伊豆の北条氏の動きを監視するためにあったといい、武田氏滅亡後に家康の領有となりました。この城を手中にした家康は「久能山は駿府城の本丸である」と語ったといいます。久能山城大手門跡にあるのが東照宮一の門で、元は櫓門だったといいます。一の門から見える建物は門衛所で警護を担当した与力の詰所になります。

一の門からの眺望は、駿河湾が視界いっぱいに広がり、ここで深呼吸して清々しい潮風を体いっぱいに吸い込んでみます。

一の門を過ぎると、右手に久能山東照宮伝世の宝物や家康の日常品が収蔵された博物館が見えてきます。その先の久能山社務所で拝観料500円を払い先に進みます。先に見えるのが楼門で楼門前の石段が1159段の中で一番きつい石段です。手前には夜間特別拝観「天下泰平の竹あかり」の竹あかりが準備されていました。夜の竹あかりのライトアップと見比べてみてください。

久能山東照宮は権現造、総漆塗、極彩色の社殿が日光東照宮より19年前に造られ、彫刻、模様、組物等に桃山時代の技法も取り入れられた江戸初期の代表的建物です。見どころはなんといっても楼門、玉垣、拝殿、本殿などの建築に施された極彩色の彫刻です。楼門に掲げられた扁額には後水尾天皇の晨筆による「東照大権現」の文字が書かれています。また楼門には鉄や銅を食べることから平和の象徴とされている「獏」の彫刻があります。

楼門の裏手には「家康の手形」が置かれていますので自身の手と合わせてみます。

参道をそのまま進み石段上の石鳥居をくぐります。右側も石灯籠の後ろにあるのが鼓楼です。もともとは鐘楼でしたが神仏分離令で神社になったことから鐘を外して太鼓を置き鼓楼になりました。これも重文です。

鼓楼の向かいにはかつて高さ30mの五重塔があった場所ですが、ことらも仏教の流れを汲むものとして払下げられ、今は礎石しか残っていませ。ここも竹あかりで飾られそうです。

ここはちょうど唐門下になります。この上が唐門で、その奥が拝殿ですから最後の石段になるのですがここは通ることができないので神楽殿横から迂回します。迂回というより順路になっているのですが。

神楽殿横から迂回して脇の石段を登ります。正面の神庫への石段は登れないので左手の石段から日枝神社方向に登ります。神楽殿には玩具メーカーのプラモデルが展示されていました。それは、この久能山東照宮を造営するために全国から優れた木工職人が呼び寄せられました。その職人達が、その後も静岡に残り、模型の町として発展していったとのことです。今でもタミヤ・アオシマ・ハセガワなど全国の売り上げの9割近いシェアを占めています。夜には神庫の階段が上れるようになります。

ご社殿の隣に位置する日枝神社も重要文化財の一つで御祭神は大山咋命です。

登れなかった階段から見た唐門は両脇に「あ・うん」の狛犬がいて唐破風の内側には上段に牡丹、下段に唐松の彫刻です。数が多い獅子の彫刻も1つ1つ表情が違い、多くは口の開いたものと閉じたものが一対になり「阿吽の呼吸」を表しています。人が二人以上でなにかをやるには息をあわせなければうまくいかない。人は協調することが大切という教えを表しています。

色鮮やかな透彫が見事な唐門から鳥居越しに楼門を望みます。

両扉に立派な彫刻(透彫)が施されています。

江戸幕府大工棟梁の中井大和守正清の代表的遺構のひとつとされる御社殿は、拝殿と本殿、その二つつなぐ石の間で構成された元和3年(1617)建立の「権現造」と呼ばれる建築様式です。拝殿がこの世、本殿があの世、その間の石の間が三途の川を表していると言われていて、このような造りを家康公の権現様から権現造と呼ばれています。全国各地の東照宮の社殿に用いられていますが、この久能山東照宮のものが最古のもであるとされ、国宝に指定されています。漆塗りで美しい彫刻などが施されている本殿には、あまり知られていませんが、家康の隣には豊臣秀吉と織田信長も祀られています。

特に注目なのは拝殿正面の蟇股部「司馬温公の甕割り」の彫刻です。中国北宋の温公(司馬光)が子供の頃父が大切にしていた甕を割って、甕の中で溺れている友人を救ったという故事を表したもので「人の命をなによりも重んじよ」という家康のメッセージが込められているといいます。また御社殿の屋根の葵の御紋が2カ所だけ逆さまになっているので探してみるのも楽しいものです。これは逆さ葵といい、完璧に作ってしまうと、あとは壊れていくだけであることからあえて完成させないこととで建物を崩壊から守る魔除けの役割があるとされています。

玉垣には多くの鳥類が生き生きとした姿で彫られていて、静岡県の鳥「三光鳥」もいるので探してみたい。

社殿の背後約50mの所にあるのが家康の墓「神廟」です。参道には諸侯奉納の石灯籠が並んでいます。

家康の亡骸が遺命により西向きに久能山に葬られました。その亡骸を容れたのが石厨子で高さ5.5m、外廻り8mあり、厨子を囲む門の内側には入ることができません。家康公は一周忌を過ぎて御霊を移せと言っただけで遺体を日光に移せとは言っていません。また家康公が亡くなった当時は、豊臣方の大名も数多く残っていたことからも、遺骸を久能山から日光へ改葬されたのではなく、日光へは神霊を遷す勧請であったともいわれていて、今も座ったまま西の方角に向けて埋葬さてていると言われています。現在の神廟は3代将軍家光によって巨大な石塔が立つ。「神君」が眠る地だからこそこれだけ立派な石塔を建立したのではないだろうか。

東照宮を巡る聖なる三本のラインというものがあります。一本目のラインが、楼門から本殿までは一直線。その直線を延ばすと富士山の山頂、さらに延長上に群馬県の世良田東照宮(徳川氏祖先の地)を経由して日光東照宮にたどり着きます。また二本目のラインは、御神廟から直線を延ばすと真西に駿府城、さらに延長すると鳳来寺山東照宮(松平広忠公夫妻が鳳来寺に祈願して家康公が出生)、更に延長上の岡崎城(家康公生誕の地)を経由して京のお都に睨みを効かせています。そして三本目のラインが日光東照宮の真南には江戸城、南面に建つ陽明門の真上には不動の北極星が輝き、星々はこれを巡ります。江戸城、日光東照宮、北極星を結ぶ南北線を中心に、この世の全ては運行するのです。このご神廟には、御社殿の華やかさとは対照的に、荘厳な空気が流れ、静かなる力を感じる場所です。

 

そばには「金のなる木」があります。家康の逸話で「じひふか木(慈悲深き)」「しょうじ木(正直)」「よろずほどのよ木(万程の良き)」、言葉遊びですがこの「木」を守れば末永く繁昌するであろうと説いていたという。これにはこの楠の大樹がふさわしいともことです。

陽光に照らされた久能山東照宮参拝のあとは、本日のメインイベント久能山東照宮夜間特別拝観「天下泰平の竹あかり」へ。しかしながら夜7:30の予約であること、夜間拝観は日本平からのロープウェーでしか行けないことから「日本平」へ向かうため。社務所の横にあるロープウェイ乗り場から日本平に渡ります。

「“風景美術館”のもてなしも。ここだけの絶景コレクション日本平」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/11757

いよいよ夜間特別拝観の時間が近づき、日も少しづつ陰ってきました。日本平駅の竹あかりも点灯され、気分が高まります。

日本平山頂西側の日本平駅と久能山山上に建つ久能山駅を結ぶ日本平ロープウェイにのって全長1065mの5分の空中散歩です。殿様の駕籠をイメージしたという黒を基調としたシックなデザインのあおい号(殿様の駕籠)とたちばな号(お姫様の駕籠)の2機で運航されています。

ゴンドラの天井には葵の御門が描かれています。

久能山駅まで昼間は1159段の石段を上ってきましたが、ロープウェイだとあっという間の5分で山上駅に到着です。

「天下泰平」をテーマに竹あかりで境内を照らす期間限定の夜間特別拝観は、通常夜間見れない久能山東照宮の極彩色で彩られた社殿を竹あかりに照らされた荘厳な境内を回覧して見ることができ、昼と夜の久能山東照宮を堪能します。もちろん帰路も日本平までロープウェイです。

社務所を抜けて最初に見えるのが楼門で手前には夜間特別拝観「天下泰平の竹あかり」の竹あかりがすでに点灯されていました。優麗な竹あかりが楼門をスポットライトのごとく照らし、漆黒の闇に浮かび上がらせています。

楼門前の石段が1159段の中で一番きつい石段ですが、石段両脇の竹明かりが飛行機の誘導灯のように楼門へと導いてくれます。間近で見上げるライトアップされた楼門は昼間よりも荘厳で雄大さを感じます。

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