長野と山梨の県境にそびえ、秀麗高雅な山容や信仰の歴史など、名実ともに奥秩父山脈の盟主として君臨している山が日本百名山「金峰山」です。長野では「きんぽうさん」山梨では「きんぷさん」と呼ばれます。今からおよそ2000年前、疫病の蔓延を案じた崇神天皇は、諸国に神を祀って悪疫退散と万民息災を祈願しました。甲斐国では金峰山山頂に屹立する巨石の五丈岩に御祭神である少彦名命を祀ったのが起源とされ、平安時代に信仰の山として開山し、修験道の道場でした。
山岳信仰の地・金峰山の里宮で、約1500年前、雄略天皇の時代に開かれたと伝わる、修験者や山伏の山岳道場としての歴史をもつのが黄金色の鬱金桜で知られる「御嶽金櫻神社」です。甲府市北部関東でも有数の渓谷美で知られる昇仙峡を越えた豊かな自然に抱かれた里に鎮座します。「金櫻」の名の由来は役行者小角の「金を以て神と為し、櫻を以て霊と為す」とのご託宣によります。
昇仙峡の県営駐車場から車で10分ほど、御岳金櫻神社は御岳集落の最も奥、うっそうとした森に包まれた高台にあります。ここは金峰山の頂に屹立する五丈岩をご神体と仰ぐ神社です。修験道の発祥の山、奈良県の金峰山から、15世紀以前に天台宗園城寺系の修験により蔵王権現が勧請され、神仏を一体とする山岳信仰の拠点となりました。 その後発展を続け、戦国時代には武田信玄からあつく崇敬され、武田の武将も参拝していて、武田勝頼が奉納した能面が残ります。江戸時代になると徳川家も庇護しました。甲斐修験の中心として信仰圏は甲斐にとどまらず、信濃や武蔵、上州にも及んでいたといいます。
境内から見下ろす御岳の集落は門前町として栄え、中世後期から近世にかけては、参詣者たちを泊める宿坊や、神社に仕える御師と呼ばれる人々の屋敷が建ち並んでいたそうです。またここを拠点にした御師や修験者たちは、御岳衆と称され、武田軍団に一翼を担い、戦では勇猛果敢な活躍を見せたと伝えられています。
4月も下旬になると境内周辺に植えられたおよそ500本の山桜や枝垂れ桜が一斉に開花し、境内にある100本を超える桜とともに神社はよりにぎわいを増します。あでやか山桜や枝垂れ桜の紅色に対して、本殿脇で4月下旬から5月上旬にやや大きめで淡い黄緑色を帯びた独特のゆかしい花を咲かせる桜「鬱金の桜」が満開に咲き誇ります。鬱金桜は、全国的にも希少な存在である園芸種の里桜の一種で、役の行者の「以金為成 以桜為霊」という宣託によって古くから「金の成る木の金櫻」と民謡に唄われているとおり昔から崇められてきた御神木です。水晶発祥の神社ともいわれ、この時期に桜を拝み水晶のお守りを頂くと金運アップのご神徳があるとされています。
鳥居から本殿へ至る参道の両脇には、樹齢800年から千数百年という幾本もの老杉が聳え立つ。
266段の石段を上って杉木立エリアを抜けると大理石の龍が巻きついた柱が二本建っています。
杉木立の暗がりとは対照的に、色の濃く美しい枝垂れ桜や八重桜が境内を彩っています。御岳金櫻神社は日本三御嶽の一つに数えられ、古くから桜の里として知られてきたことから、特に「花の御嶽」ともいわれている。
鳥居の手前には石で組まれた御神水があります。2000年の歴史の中約1300年前に、吉野の蔵王権現を明治初年まで合祀したがその折、如来様の池として掘った水が延々と湧出している神水とのこと。お水とりスポットで是非水に触れ飲んで下さい。運気が吸収できます。
かつては国重文指定の伽藍が並んでいましたが昭和30年(1955)の火災で焼失してしまい鎌倉時代の入母屋造りで再建されたのが現在の朱塗りの立派な社殿です。御祭神は少彦名命、須佐之男命、日本武尊、櫛稲田媛命で参拝を済ませたら、拝殿前の広場の端にある富士見台に立ってみてください。春は霞がかかりやすいが、雪を冠った富士山頂を拝むことができれば幸運です。
昇仙峡はかつて日本最大の良質な水晶の産地でした。御神宝は神社の社有林で発掘され磨き出された水晶「火の玉・水の玉」で、600年以上の歴史があると伝えられ「日本水晶発祥の地」とも呼ばれています。本殿の「昇り竜」「降り竜」は、名工、左甚五郎作の建設史上貴重な木彫りの龍を再現し、復元された伝・左甚五郎作「昇・降竜」が奉納されており、どちらも当社に縁の深い水晶を尾に絡ませています。境内の金櫻を拝み、水晶護符を授かると一生金運に恵まれるといいます。
金峰山山頂の五丈岩の本宮に対して、甲府盆地の各登山口に祀られた金桜神社の里宮は4つあり、甲府市御岳町の他、山梨市万力にある「金櫻神社」山梨市牧丘町にある2つの「金櫻神社」があります。風水パワーが最も強いといわれる万力金櫻神社は、第13代成務朝創建の大宮権現とあり、鎌倉時代の建久5年(1194)源頼朝御願のため之を造るとあります。鳥居から緩やかな参道が続き、登りきると御神門があり、くぐると境内は広く、正面に拝殿が鎮座し静寂な佇まいです。
後方に朱塗りの流れ造りの御本殿が鎮座されています。
山梨市牧丘町杣口にある「金櫻神社」は、平安時代の仁寿3年(853)、天台宗智証大師により大和国から勧請した鎮守社といいます。旧社地は高原といい、金峰山東登山道の御料林内にあり、往古の石積や礎石、古代文字を刻む石碑などが残されています。
本殿は一間社唐破風付向背にて屋根は銅板葺入母屋造りで箱棟に千木をのせています。身舎は円柱にて前部と後部に分れ、正面に開扉があります。高欄付縁を四方にめぐらし、木造彫刻の狛犬は古く、その伝説が残されています。
同歌田にある「金櫻神社」は、第12代景行天皇の時代、狭穂彦王三世の孫の臣知津彦公の御子であり京の丹波氏族である塩見定尼が、甲斐国の国造に任ぜられ、その際、丹波国の天橋立より橋立明神(伊弉諾尊・伊弉冊尊)を勧請し祭祀したといいます。もとは五反地に鎮座しましたが平安時代の貞観4年(862)金桜地将に遷座しました。この地に桜の古樹があり、毎年秋になると花をつけて秋桜と呼ばれ、五行説のうち秋は金に配され、金は秋の借り字として現社号が定着したといいます。
心のパワーアップはできたので体のパワーアップを図るには温泉と食事です。昭和36年(1961)に高温の温泉が湧きだし発展した温泉郷「石和温泉郷」は全国有数の温泉観光地として笛吹川と平等川にはさまれるようにして温泉街が広がり、日本の名湯百選に選ばれています。石和温泉まで約18kmを走り「華やぎの章 慶山」にお邪魔することに。山試験のほぼ中央に位置する県下最大級の石和温泉の中にあって、敷地内に自噴する湯量豊富な自家源泉かけ流しの温泉が楽しめます。湯船から常に溢れ出るpH9.1の良質な泉質は柔らかな湯ざわりで肌がつるつるになる美肌の湯です。
内湯の大浴場と石造りの露天風呂は広く、湯がオーバーフローしていて気持ちがよい。泉質は、アルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性温泉)で加温ありです
山梨といえば郷土料理のほうとうです。2007年には農林水産省により各地に伝わるふるさとの味の中から決める「農山漁村の郷土料理百選」の中のひとつに選ばれています。ホテルの向かいにある「甲州ほうとう 小作」でいただきます。山梨に来たらほうとうで今回で5軒目です。だんだんほうとう通になってきたことを実感している今日このごろ。今回はどんなほうとうだろうと楽しみです。山梨には「うまいもんだよカボチャのほうとう」という言い回しがあるほど皆に親しまれています。意味は何事も自分の思い通りに事が運んだ時について出る言葉らしい。
ほうとうは小麦粉を練った平打ち麺に、かぼちゃや芋類、きのこ、季節の野菜、肉などの具材を加えて、味噌仕立ての汁で煮込む素朴な料理です。武田信玄が陣中食にしていたとも伝えられています。注文したほうとうは一番人気の「熟瓜(かぼちゃ)のほうとう」それに酢の物、香の物、馬刺しのセットになったほうとうセットを注文する。なめこと蕗であろうか酢の物が大ヒットでした。
かぼちゃほうとうは熱々の鉄鍋に大きく切られたかぼちゃやじゃがいもがゴロリと入り、子芋も丸々入っています。上面にはごぼうのささがきとわらびが載っていたが何といっても、平打ち麺の幅広の太さにびっくりします。ダシのきいたスープが絶品で、麺のもちもち感にかぼちゃの甘みが口に広がります。